第七章 第七話
南北合わせ僅か五百の兵は、鎌倉軍三千を圧倒した。北からは大河兼任、南からは安東高季が迫る。大将は馬鹿でかい脚をもつ奥州馬にまたがり、他の兵は沼に沈みにくいように竹のカンジキを足に付けて進む。
鎌倉軍は怯えきってしまい、勇ましい武者には程遠い。はやりあの二人の名前は心に響きのだろう。悪気があるのだ。幼き木曽の遺子を殺した報い、兄に恨みある義経がよみがえることの恐ろしさ。
鎌倉軍大将の宇佐美実政は討死。敵兵のほとんどは刀で切り刻まれたか、矢が鎧兜を貫いたか……逃げようとした者は、沼に足をとられ、その場で殺された。
この戦いの大勝利により、東日流や外ヶ浜・秋田の静観していた豪族たちはこぞって十三湊に馳せ参じた。奥州藤原氏の生き残りである藤原秀栄を頂点として、実質的に大河兼任が軍の最高責任者としての地位を確立した。
鎌倉方は体制を立て直すべく、秋田城を放棄。平泉に座す奥州総奉行の葛西清重はたいそう戸惑った。秋田城柵が反乱軍に渡れば、次はこちらだと。鎌倉にも知らせは届いていたが、なによりも本軍の引き揚げた後なので、すぐに奥州へ出立することはできない。さらには義経や木曽の遺子が生きていたとの報が一気に駆け巡る。




