第七章 第五話
藤原秀栄は十三湊で挙兵。千人にも満たない人数であったが、意気は盛んだ。鎌倉方の行いに反発する者、奥州藤原の再興を望む者の支えにならんとした。
そして何より“北の兵”を頼りとする。北の兵とは、大陸の遊牧民のことである。金さえだせばどことなり参上する。夢物語のように思えるが、実際のところ蝦夷ヶ島まで渡ってきたことがあるらしい。蝦夷がいいなら東日流にも来られるはず。
ただしその存在を誰も見たことない。兵らの不思議な熱気によって、真実は覆い隠されている。“袋の鼠”という捨て身の策に賭ける想い。
鎌倉軍三千は総大将を宇佐美実政とし、羽州の大館側より山を越えて侵攻。大きな抵抗を受けることなく、十三湊を目指す。辺りに家があれば中へ押し入り、蔵があれば自らの懐にいれる。誰もいない藤崎も同じ目に合う。
岩木川……当時は大河という名前であるが、鎌倉軍は川をたどって下流へと進みゆく。行きつく先は十三湊。
……東日流には、“江留沼”という土地がある。大河と十川の分岐点より北側を総じて“江流末郡”というときもあるが、名前はこの沼地に由来する。海よりだいぶ離れているのに、潮の満ち引きが沼の水位を左右している。その真ん中には“松島”という丘があり、鎌倉軍はそこに本日の寝床を設けることにした。




