●第百六十一話 死傷せよ、武器持つ者
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いつ死ぬかわからない時代。
伍島が何気なく口にした言葉は、この時代を端的に、そして的確に表現していた。
「………………きのこ、雲……?」
護衛艦に乗って能登半島沖に出ていた冥加と伍島と玲奈は、つい数時間前までいた能登半島に立ち上るきのこ雲を見て言葉を失っていた。
先ほどの呟きを誰が発したのかはわからない。そんな些細なことを気にかけている余裕はなかったのだ――第二発目という猛威が襲い掛かって。
一瞬、視界が純白に染まった。
世界が無音になったと思えば次の瞬間、轟音が衝撃波を伴って海面を叩いた。
「――――――ッッッ!」
「口と目ェ閉じてうずくまれ! 津波が来る!」
声にならない悲鳴を上げた冥加は、伍島によって身を伏せさせられた。チラ、と見れば玲奈や他の者達も、護衛艦内にいるにもかかわらず何かに掴まってうずくまっている。
二発目の爆弾。果たして原爆か、水爆か。被害はどこまで広がっているのか。
ドクン、ドクン、と心臓が大きく揺れ動く。脳が割れそうな焦燥。止まらない冷や汗。
「……収まっ」
轟音と閃光が破裂して、三発目が落とされた。
「ッ……ォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!?!?!?」
今さらやってきた一発目の津波によって護衛艦が派手に揺れ動く。艦長によるアナウンスが響くがまともに反応する余裕なんてあるわけがない。咆哮を上げたのは冥加と伍島だけではなかった。三発に及ぶ大爆発が収まり、顔を上げる余裕をようやく取り戻した冥加は、口を開けたまま立ち尽くす。
北陸に立ち上る雲が三つ。
きのこ雲が三本も立っている――。
「………………やりやがったな、中華帝国」
「ひどい……まだ核ミサイルを撃つほど事態は深刻化してないはずなのに……」
「……電波捕まえたぜ。連中による放送だ」
カチカチと無線機をいじっていた伍島が差し出す。近くにいた軍人達も集まってくる気配があったが、冥加は無線から目を離せなかった。
『――――……世界平和などという妄言を騙る【ウラヌス】よ。これが我々中華帝国の「回答」である。我らが皇帝の意向を阻害しようというならば、日本の無辜なる市民が命を焼かれるだろう……――――』
「…………なるほど、な。さっきの三発は日本軍に対する攻撃じゃなくて【ウラヌス】に対する牽制かよクソッタレ!!」
無線を握っていた伍島がやり場のない怒りを叫び、ぶつける。
「アレが牽制!? バカじゃねえの!? ふざけんなよ!? 何万人が死んだと思ってやがる!? 一切合切関係ない奴らを殺して、【ウラヌス】が黙っていられると思うなよオイ!」
「声明は!? 日本政府と【ウラヌス】はどう対応している!?」
冥加が顔を上げると、ある男が手を挙げた。
「日本政府は被害側への対応が中心だな。【ウラヌス】はもう動いているぞ! 金世杰が戦場に投入された!」
「流石に速攻で対応してきたな」
「俺達はどうする? 戻ろうにも陸は地獄っぽいが」
「しっ、命令だよ」
玲奈が口元に指を当てる。玲奈の無線から流れてきた司令官の連絡は、冥加たちの想像を絶する対応だった。
「………………中華帝国を、殲滅せよ?」
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報復戦だ。
【ウラヌス】によって国力がそがれた今こそが勝機である。北陸三国に核弾道ミサイルを撃ち込んだ奴らに正義の鉄槌を叩き込め――などと海軍が暴走している。彼らをできうる限り支援しつつ、敵戦力を討て。
「……クッソ!」
《念動能力》で海上に立つ冥加は、敵国の撃ち込んでくる砲弾を捕まえては投げ返していく。護衛艦の上では玲奈の《斥力展開》や伍島の《千畳反転》が空母『ずいかく』を守っていた。
「ようは核爆弾ぶち込まれて海軍司令官が冷静な判断力を失い、その尻拭いをやらされているって事ですか」
「そうみたいね。まさか海の上で超能力を使わされるとは思わなかったよ」
「超能力で軍艦を守りつつ戦闘する……アドリブでやることじゃねーっすわ。冥加は相変わらずすげーヤツだなぁ」
海面は爆風などで波が乱れている。一人単独で空母の上空にいる冥加は、最も危険なポジションにいるが、今もなお無傷だ。
「……カズくん、大丈夫なのかな……」
時折玲奈は上を見て、不安そうに眼を曇らせる。
しかし第三者的にみれば、戦況は日本軍の有利――もとい【ウラヌス】の優位だ。中国軍が【ウラヌス】の手によって次々と倒されているため、日本側に天秤が傾きつつあった。
「俺達が安全圏まで戻れるのも時間の問題でしょう。冥加も大丈夫ですよ」
「……ありがとね」
玲奈がニカッと微笑むが、二人の耳に海軍たちの会話が聞こえてくる。
「さっき偵察機のパイロットが『【ウラヌス】が接近している』っつー報告してたけど、降伏すんのかね?」
「いいや、艦長はまだ交戦する気満々っぽいな。まだ飛ばすつもりっぽいし、陸軍の『超能力者』の守りを自分達の功績と勘違いしてやがる」
「あの《念動能力》は有能だしな。功績を残すにゃ絶好のチャンスだが……」
その話を聞いて、伍島は露骨に顔をしかめた。
「……冗談じゃねえ。冥加は……俺達『超能力者』は人間だぞ! 道具じゃねえんだよ!」
「私達は最悪、陸軍側の判断にゆだねて動けばいい。【ウラヌス】が出てきたら武装解除して降伏を示す! 空母の上とはいえ、その原則を守れば」
――――金色の光が、そこら中で瞬いていく。
ズドガッッッ!! と爆発音が頭上で響いた。
空母の甲板に落ちてくる艦載機の破片。すぐさま玲奈が斥力で消火するが、他の者全員がある一方向を見ていた。
「…………黄金の獅子……」
空母『ずいかく』の前に出現したのは、黄金に輝いた巨大な獅子。周囲の戦闘機を金色の突起物で次から次へと爆散させる獅子の頭上に、一人の男が立っていた。
太陽の光を反射してまばゆく輝いている様は、まるで後光のようで。
黄金の鎧に身を隠した男は、今や世界中で知らない者などいない――。
「……金世杰、だ」
伍島と玲奈の前に立った冥加は、銃や刃を海に捨てながら叫んだ。
「【ウラヌス】の金世杰だ! 全員武器を捨てろ! 飛行機乗ってるヤツは降りろ! 艦長に連絡できるヤツは降伏宣言させろ! でないと全滅するぞォォォ!」
冥加が叫ぶや否や、事前に冥加と【ウラヌス】の話をしていた陸軍兵達は武装を解除していく。しかし海軍兵の一部が迷った。迷ったまま銃口を向けていたヤツの心臓が射抜かれそうになって、冥加はとっさに超能力を使ってしまった。
目の前で誰かが死ぬのを見られない、という。
冥加が抱く『軍人にあるまじき信念』が、反射的に作動して。
獅子から飛んできた黄金の突起物を、《念動能力》で捻じ曲げていた。
「言ってんだろ武装解除しろって! 命を落とすぞ!」
冥加は破裂しそうなほど鼓動する心臓を押さえつけて、必死に怒鳴る。けれど海軍兵は――顔を青ざめさせていながら――武器を下ろそうとはしなかった。
「何を言ってんだよ馬鹿野郎。敵を目の前にして武装解除できるかよ!」
「【ウラヌス】は敵じゃね――」
黄金の獅子の背中から何十本もの黄金の突起物が伸びた。空母『ずいかく』目掛けて飛来する杭のそのすべてを、冥加が《念動能力》で弾きかえす。
「――ッ、クッソオオオオオオオオオオ!!!」
冥加は悲鳴に近い雄叫びを上げながら、《念動能力》で『ずいかく』を丸々覆う球体の壁を作りだした。目に見えない壁が金世杰の攻撃を弾く。何度も、何度も、何度も弾く。その度に冥加は顔を歪めて、その都度冥加は武装解除を叫んだ。
降伏すれば一時しのぎになる。
金世杰さえやり過ごせば、生存の可能性は数十倍に跳ね上がる。
一縷の望みを掴み取る為に、鼻血が出ようともお構いなしに超能力を使い続けた。
『全軍に告ぐ』
それでも、彼の願いは届かない。
攻撃を防げている、という状況は視点を変えれば好機だった。
『金世杰を討て』
そうして、『ずいかく』から飛んでいた艦載機や周辺の護衛艦による砲撃、爆撃、雷撃が『黄金の獅子』を目がけて一斉に放たれた。
全てが、黄金の流動体によって完全防御されていく。
全ての攻撃が無駄になっていく。
この間もずっと、冥加の《念動能力》は金世杰の猛攻を防ぎ続ける。
「……カズくん、もういいよ! もう防御を解いて!」
「じゃねえとお前がもたないぞ冥加! 冷静になりやがれ!」
玲奈や伍島が叫ぶけれど、冥加は《念動能力》を解けなかった。
誰が愚かなのかはわかっている。見捨ててしまえばいいともわかっている。それが戦場の常ということもわかっている。
守りたいという意地だけでは、どうしようもないまでに追い詰められたのだ。
この意地を手放した瞬間、この戦場がどうなってしまうか想像がつく。
「――――若者よ」
他に思考を割く余裕のない冥加の耳に、一つだけ届いた声があった。
『黄金の獅子』の上に立つ金世杰が語り掛ける。
「真っ先に武装を解除した汝に名乗る必要はないだろうが、我は【ウラヌス】の金世杰だ。知っての通り、我ら【ウラヌス】は武装する者を殺戮する――故に」
金世杰は言いながら、自身ののる『黄金の獅子』をグニャリと変形させる。
「三十秒の猶予を与えよう。その間、我は攻撃しない。貴様も超能力を解いて撤退せよ」
獅子の両脇に防御用と思しき大きな円柱がそびえ立った。
「……どういうつもりだ」
「言葉通りの意味だ。愚かにも攻撃を続ける上官の命令に従う必要などあるまい。貴様の超能力は民を、人々を守るために振るわれているものであろう? ならば――今は一度、手を引くのだ。戦争を好む同胞を見殺しにする苦痛は理解しよう。その上で選択せよ。最強に歯向かうか、最強から退くかを!」
円柱はさらに変形して、一対の龍となった。まるでキメラのような外見の『黄金』の上に立つ金世杰を、冥加は睨み付ける。
(……本当に、攻撃してこないのか)
五秒。
攻撃は飛んでこない。けれど日本軍は攻撃を辞めない。
戦闘機から降り注ぐ爆撃を、金世杰は『黄金の傘』で容易く防いでいる。
(超能力を解いても俺は助かる――いいや、あの口振りからすれば玲奈さんや伍島、それに砲撃をとっくにやめている護衛艦の人達も助かるかもしれない)
二十秒。
金世杰は防御に徹し、冥加の選択を待っている。
(だけど、だけどさ――)
二十五秒。
(――この超能力を解いたら、海軍の連中は確実に轟沈させられちまうんだろ……その時、何人の人が死ぬ? そうなった時、俺は何人を見殺しにしたことになるんだ!?)
三十秒。
「そうか。愚かだが――それも一つの正義であろうな」
黄金の龍が針に形状変化し、豪雨となって降り注いだ。
一本につき長さ二メートル。
『ずいかく』の甲板はおろか周辺の海域すべてに、黄金鋭利の雨が、上空を覆い尽くす程の量で落下を開始する。
防げない、と冥加は直感で理解した。
自分の《念動能力》では防げない量の攻撃。おそらく生存者はいない。結局生存者はいない。どの道『ずいかく』は助からない。
わかっていたことだった。
冥加が見捨てようが居残ろうが、攻撃をやめない限り金世杰は絶対に『ずいかく』を轟沈させると。それが【ウラヌス】の正義なのだと。
(ああ、クソ……必要ない意地を張っちまったな……)
――――誰かが目の前で死ぬのが許せない。
《念動能力》という強力な超能力を持っているから、冥加には救える命がたくさんあった。
自分さえいれば救えたはずの命もたくさんあったし。
その度に、本来感じる必要のない罪悪感を抱いた。
空母が轟沈した後の罪悪感なんて、それこそ愚かな判断を下した艦長に押し付ければいいものを――。
(……だったらせめて、あいつらだけでも!)
玲奈と伍島だけでも守り抜いてみせる。彼らがいた場所は覚えている。冥加は目も向けずに《念動能力》をそこへ集中させた。黄金の針でも貫かれないだろう、強固な壁を練り上げる。
代わりに冥加は、黄金の針に身を晒した。
きっと痛いだろうな、なんて感想と共に瞳を閉じて。
「――――ごめんね、カズくん」
ばしゃり、と。
冥加の全身に、生暖かくネバついた液体がかかった。
顔を上げた冥加は、言葉を失った。
玲奈が冥加の目の前に立ち、手を大きく開いていたのだ。
すでに彼女の体には、二桁にのぼる黄金の針が突き刺さっていた。腕や肩、あるいは脇腹や太ももにまで突き刺さる黄金の針は、けれど冥加の体に傷一つつけることはない。
冥加は何よりも真っ先に《念動能力》の効果範囲を移動させた。玲奈の身体をこれ以上傷つけさせやしない。
何よりも固い壁を展開し、
その防壁をも突破した黄金の針が、玲奈の体に更なる風穴を貫いていく。
「……っ、ク、クソがあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああおおおおおオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ」
やがて黄金の豪雨は止み。
炎上した『ずいかく』が沈み始め、生存した伍島が甲板を駆け、船員は海に飛び込み。
金世杰は次なる標的の下に向かい。
冥加の腕の中には、風穴だらけになった天草玲奈が抱かれていた。
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天草玲奈が二十歳の若さでこの世を去り、一月が経過して。
『パリ平和会議』によって、第三次世界大戦の休戦が宣言された。
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休戦宣言に伴い日本国軍は解体。
『天皇家』の介入によって【ウラヌス】の名を受け継ぎ、国防軍として再編成が行われていく。
「――――冥加、俺は【ウラヌス】に入るよ」
特別どこという場所でもないファミレスで、冥加は長いこと戦場を共にした悪友から思いもよらない宣言を受けていた。
「【ウラヌス】に天皇真希っていただろ、《氷結地獄》の女。あの人に誘われたんだ、自分の隊に入らないかって。待遇もいいし、隊長の真希さんはいい人だし、俺はあの人の下でやりなおすよ」
「……そうか。伍島がそうしたいなら、そうすりゃいい」
「なあ冥加、お前も来ないか?」
一瞬、思考が停止する。
「お前の超能力を活かすなら、やっぱ軍人になるのが一番だろ。第三次世界大戦は休戦になった。これからは平和を取り戻すために、市民を守るために戦うんだ」
「…………悪ィ、伍島。そりゃ無理だ」
冥加は自分の左手薬指に目線を落としながら、述べた。
「愛する人も守れなかった俺が、これ以上余計な正義感を振りかざしちゃダメだろ。少なくとも、贖罪として、誰かの命を預かるような立場にいちゃいけないだろ?」
「……」
「応援しているよ、伍島。無理だけはするんじゃねえぞ」
「……ああ。お互いにな」
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それから十五年の時が経った。
俺は結局親父に言いくるめられて『警察』に所属する羽目になったが、軍人なんかよりは随分マシで随分楽な仕事だった。やる気こそ出ないものの――あの人を失ってこの方、どうにも気力が湧かないが――最低限の仕事はこなしてきた。
市民を守る正義の味方とやらの片棒を担いでいくくらいの活躍は、したつもりだ。
戦場から逃げた罪人の、せめてもの義務として。
だけど。
だけどさ。
無理なもんは無理だろ。
金世杰には勝てっこない。
十五年経った今でも『世界級能力者』とか呼ばれている怪物に歯向かう必要なんてないだろ。
なあ、伍島。そして天堂佑真。
なんでお前達は、自らの命を差し出してまで戦おうとするんだよ。
俺にはわからねえよ。




