●第百五十七話 把握せよ、軍神の戦績
小野寺流ほぐし術、突指圧。
「波瑠ちゃんの体は柔らかいから、マッサージしててこっちが気持ちよくなっちゃうね~」
「きもーちーですー」
浴衣に着替えた波瑠の背中を、恋がグニグニとほぐしていく。完全にほだされモードに移行した波瑠の視界では、キャリバンとアリエルが卓球に興じていた。
「佑真ちゃんと二人旅なんでしょ~? いろいろ大変じゃない?」
「あれでいて優しいんで、そんなに気にならないですねー、はふー」
「でも男の子といっしょだし、あの時とか大変じゃない? 平気~?」
「あの時?」
「生理だよ生理~」
恋が肩甲骨の辺りに手を伸ばした瞬間、ピシィッ! と波瑠が硬直した。
「……おぉ~?」
「………………」
「波瑠ちゃん? どうしたの?」
「いやあの恋さん今衝撃の事実が私に突きつけられた後で二人きりで相談していいですか?」
「りょーかいだよ~。私もう察しちゃったけど~」
一気に青ざめモードな波瑠の体を起こして、肩をもんでいく。小さな肩だ。優しさのせいで必要以上に責任を負ってしまう肩も、今は恋独自の雰囲気のおかげかリラックスできていた。
「そういう話は置いといて、佑真ちゃんってどう?」
「普通に私は好きですよ。頼りがいあるし、今日だってなんだかんだ二回も助けてくれた。佑真くんがいなかったら【ウラヌス】の皆さんが来る前に捕まっちゃったかもしれないですしね。いつもあの人に貰ってばっかりで、もう少し力になれたらいいんですけど」
「佑真ちゃんが頑張れるのは波瑠ちゃんが側にいるからだけどね~」
マッサージは終わり、恋は波瑠をギュッと抱きしめた。
「私も昔の佑真ちゃんを知っているからね~。佑真ちゃんを変えてくれた波瑠ちゃんとは、一度しっぽりずっぽり話してみたかったんだよ~」
「えへへ、じゃあ今日お話しましょう。秋奈ちゃんと誠くんの昔話とかも聞きたいです」
「いくらでもしてあげるよ~!」
ムギュウううう! と愛しさを爆発させる恋お姉ちゃん。
彼女と波瑠は、五年前は【ウラヌス】で別部隊にいた。当時まだ訓練兵だった恋は《神上の光》の噂を聞いていても、直接彼女と会う機会はなかった。
真希の右腕に登りつめた恋と真希の娘である波瑠は、誠を介して仲良くなった後に【ウラヌス】にいることを知った――なんて不思議な関係だったりする。
☆ ☆ ☆
『世界級能力者』金世杰。
中国人の彼は第三次世界大戦の終盤で天皇涼介に引き抜かれて、義勇軍の【ウラヌス】に移籍した。
「あの頃の【ウラヌス】は、第三次世界大戦を終わらせるために国籍を問わず戦力を集めていたんだよ。よく『義勇軍時代』って言われるヤツね」
「歴史の教科書に載っている方っすね!」
「そうそう。だから『【ウラヌス】はやべー組織だ』って評価をよく受けるけど、義勇軍だった頃のイメージが影響していることは否めない。今は金世杰をはじめ、ほぼ全員が各出身国に戻っているんだけどな」
露天風呂からサウナに移動した佑真達ご一行は、克哉の話に耳を傾けていた。
「金世杰はうちの『総大将』天皇涼介が率いる隊にいた。今日みんなが戦った『騎士団長』メイザースや、『猛獣』アーティファクト・ギアも最強集団の一角を担っていたよ」
「ザッと聞いた全員と交戦経験があるオレって一体」
「涼介殿とはないだろう? まあ彼は味方枠か。――金は金属を操る超能力の他に《レジェンドキー》も使える。そして最大の特徴としては、戦術に長けた大軍師であった。戦場に立って直接指揮を執る彼のことを、世界は『軍神』と呼んで恐れていたよ」
「二つ名とか英雄譚っぽいな」
「佑真様にも『零能力者』があるじゃないですか」
「不名誉な二つ名なんだよなぁ。しかも自称なんすけど」
バカにしてくるステファノの顔が真っ赤なので、蹴とばすに蹴とばせない。
「ところで『戦術』と『戦略』って違うんだけど、天堂君、その辺は理解している?」
「『世界級能力者』とは別に、真希さんが『戦術級能力者』って呼ばれているんすよね。確か戦争に対する影響が云々……細かくは知らないっす」
「戦争に対して影響する規模が違うんだよ。
『戦術』は戦闘単位――一戦一戦ごとの優勢に対して使われるが、『戦略』は戦争単位――戦争の一連の趨勢に対する言葉だ。どちらに影響を与えるかどうかで『戦術級』と『世界級』の区別がされるわけだけど、今は置いておこう」
佑真の右下に腰掛けるステファノの耳はびっくりするくらい赤くなっていた。
「金世杰は戦術に長けている。すなわち、一戦一戦において『勝利を収めるための術』を編み出すのが上手いのだ」
「一戦一戦を確実に勝利に導くため、長い目で見れば戦争をも勝利に導く究極の軍師。故に『軍神』か。直接戦闘力がない……ワケじゃねーのがなぁ」
「実際に戦った以上、天堂君自身の体が理解しているってところかな?」
ステファノに対して克哉に辛そうな様子が全くないのは、鍛え方がやはり違うということなのだろうか。肩越しに苦笑する克哉に、佑真は小さく頷きかえした。
「……強かったです。ヤツの超能力が金属を操る能力だってことは事前に知っていた。だけど実際に目の当たりにすると、金世杰本人が『世界級能力者』と呼ばれる理由が実感できました」
体一つで戦う佑真とは、いうなれば対極に位置する存在。
「ヤツの強さはたぶん、超能力の変幻自在さにあります。少なくともオレが見ただけで『獅子』『杭』『針』に変形させ、慧能や程玲の『甲冑』も瞬間的に作り出していた。まだごく一部しか見ていないですけど、集結のそれをはるかに超えるバリエーションで、集結と同等以上の火力を備えている……」
深刻な表情でうつむく佑真だが、オベロンやステファノは小さな驚きを得ていた。
わずかな戦闘。それも突発的なものだったにもかかわらず、佑真は金世杰の特徴をここまで理解してみせた。相変わらずの優れた『眼』は、観察力まで手に入れ始めたようだ。
「克哉殿は一時期、金世杰と同じ隊にいたのでしょう? 何か知りうる情報はありませんか?」
オベロンが期待の眼差しを向けるも、克哉は首を横に振る。
「残念ながら、金世杰の『真打ち』といえる側面は私も知らないよ。敵と味方では見られる姿も違うからねぇ」
「つまり我々にあるのは、今までの戦闘に基づいた情報と本日の戦闘記録のみ。それらを参考にしつつ、小田原にいる現存戦力で『世界級能力者』を討たねばならない」
「ここに隊長がいないのが大きすぎるな。何とか呼び戻せないものか?」
「難しいでしょう、オベロン。真希様も日本海での戦闘に従事している真っ最中。神奈川の国防を克哉様と我々に託すほどの案件ですから、向こうでも【中華帝国】が動いているに違いありません」
「厳しい戦いになりそうだな」
ステファノとオベロンが重い言葉を呟く。佑真がなんだかんだ尊敬する軍人二名の素直な感想を聞いて、顔を上げられなくなった。
(……ああ、そうだ。今までとは状況が違う。アーティファクトは勝利条件を与えてくれた。騎士団長は手加減をしてくれた。二人とも本気じゃなくて、オレを試すかのような戦い方だった)
その上で、アーティファクト・ギアにもレイリー・A・メイザースにも敗北した。
(金世杰とは本当の殺し合いになるぞ)
サウナにいるにもかかわらず悪寒がする。
この世界の頂点に立つ『世界級能力者』。
第三次世界大戦を終わらせた本物の『正義の味方』。
零能力者がいつか至らなければならない、頂に立つ男達の一人。
「話が脱線してしまったな。金世杰の英雄的側面を知りたがっていたのに」
「いえいえ。続きは場所変えましょう克哉さん。コイツそろそろ倒れるんで」
「そうだな。ステファノ君立てるかい?」
克哉は苦笑いしながら、フラフラ揺れ始めたステファノの肩を掴んだ。
☆ ☆ ☆
ステファノがのぼせて脱落&オベロンが介護につき、脱衣所で浴衣に着替えた佑真と克哉は彼らと別れて談話できる場所を探していたが、恋の膝枕で寝息を立てる波瑠を発見した。
「おやおや? 克哉さんと佑真ちゃんとは珍しい組み合わせですね~」
「風呂で一緒になってな」
「恋姉、波瑠寝ちゃったの?」
「寝ちゃいました~。寝顔が可愛くてたまらないんだよ~」
髪をくしゃくしゃすると、波瑠が「んぅ……」とくぐもった声を上げながら身じろぎした。元々ニッコニコな恋の表情にデレデレ度まで追加されて、もはやフニャフニャだ。
「そういえば天堂君と小野寺君は知り合いだったな」
「佑真ちゃんが小さい頃からず~っと仲良しの弟みたいなやつなんで~。克哉さんと佑真ちゃんもけっこう仲良しなんです?」
「将棋仲間っすかね」
「おぉ~、渋い関係だね~」
恋が手で『おいでおいで』するので、佑真はしぶしぶ彼女の隣に座る。風呂上がりの髪にポンポンと乗せられる、恋のあまり大きくない手。撫でられるのは十歳以来だから五年ぶりだ。恥ずかしいから反発していた、懐かしい記憶がよみがえる。
「大きくなったねぇ、佑真ちゃん」
「……恋姉、やっぱりやめて。克哉さんに見られんのは死ぬほど恥ずかしい」
「ん~。もう『男』だもんね~」
恥ずかしいのに逆らえないのは、このホワホワした人となりのせいだ。
克哉はコーヒー牛乳を四つ買ってくれた。
「それじゃあ話の続きをしようか。金世杰の英雄譚だったな」
「金さんか~。戦った限りじゃ~、冷静っていうか、アーティファクトや天皇涼介さんと違って~、真面目そうな印象でしたけど~」
「ハハッ、あながち間違っていない。自分勝手なアーティファクトや大雑把なメイザース。馬鹿と天才は紙一重、なんていわれていた当時の【ウラヌス】トップ陣の中で金世杰は比較的冷静であった……というよりは、彼は個性といった個性があまりない人物だった」
「ほほう?」
「アーティファクト達のストッパーとでもいうのかな。涼介隊唯一の常識人であり、そして極めて頭が良かった」
「『軍神』の片鱗ってとこすかね」
「まあな。将棋もチェスもトランプもリバーシも私の知るところ負けなし。だが自分を奢ることはなく、いつも控えめに『私はそんなに優れていない』と笑っていたな」
「謙虚な人なんですね~」
「そこも彼の人となりが見えない要因の一つであったと、今になれば思うがね」
波瑠が小さく寝がえりをうった。恋のお腹に顔をうずめるような体勢で、恋は起こさないように、はだけそうになった浴衣を直してあげた。
「だが、そんな性格に反して戦績はしっかりと残していた」
「調べたことありますよ。確か天皇涼介とたった二人だけで、南極大陸での『国境なき戦争』を全面降伏させたとか」
「ああ。『六つほどの勢力が入り乱れる戦争に横やりを入れた上で』そして『武力行使で』ということを忘れてはならない」
第三次世界大戦に義勇軍【ウラヌス】が介入し始めた時期は、科学兵器による超大規模戦闘によって地球上の総人口が猛スピードで減っていたタイミング。
核弾頭が日本の北陸に撃ち込まれ、一千万人以上の死者が五分間で記録されたような時代に。
金世杰は天皇涼介と二人で、一つの戦争を終わらせているのだ。
「さっきも言ったけど、金世杰が関わった戦闘で基本的に黒星はない。必ず戦闘を終わらせて、無辜の市民たちに平和を取り戻すから金世杰は英雄と呼ばれ称えられたわけだが……」
コーヒー牛乳の瓶を握る克哉の手の力が、少しだけ増した。
克哉の瞳が寝息を立てる波瑠を、恋を、そして佑真を映す。第三次世界大戦の戦場に立ったことのない新世代の者達を。
「……天堂君、そして小野寺君。義勇軍時代の【ウラヌス】の胸糞悪い規則について、聞いたことはあるかい?」
「胸糞悪い、規則?」
「な、ないですけど~」
「……いいや、やめておこうかな。こんなタイミングで君たちに聞かせることではない」
「聞かせてくださいよ。そこが重要そうじゃないですか」
「食事が喉を通らないくらいなら許容範囲ですよ~?」
「…………なら、相応の覚悟をもって聞いてくれ。ついでに、波瑠ちゃんの耳は閉じてくれるとありがたい」
【ウラヌス】全体でもトップ2に立つ日向克哉が俯いた。佑真と恋は顔を見合わせた後、恋がそっと波瑠の耳を閉じる。覚悟が定まった証拠に佑真が頷きかえすと、
「【ウラヌス】の兵士は目の前に立つ人間が武器を持っている場合、必ず殺せ」
克哉はとても小さな声で、そう呟いた。
二度と言ってはならない禁断の言葉を、誰にも気づかれないように告げるくらい小さな声で。
だから聞き間違えたのかと思った。聞きなおそうかと思ったけれど、克哉が「……ごめんな……」と額を押さえているので下手に口を開けなかった。
「【ウラヌス】は戦争を終わらせるための集団だった。戦争とは、経済の格差、思想の違い、ちょっとした言葉の綾でさえも起こってしまう。今現在たかが《神上の光》をめぐって【ウラヌス】と【中華帝国】がにらみ合っているようにな」
「――――ッ、だから? だから武器を持っている人間が目の前にいたら殺すんですか? 武力が存在する限り戦争は終わらないから?」
「ああ、そうだ」
「殺したんですか? 武器を手放せ、とかではなく?」
「殺したよ。あますことなく殺した。それが私達へ与えられた使命であったからな」
「……なんだよそれ、なんだってんだよソイツは」
恋が「佑真ちゃんしーっ!」となだめようとするが、佑真にそれは聞こえていない。
自分が立ち上がっていることを自覚したのは、克哉が厳格な表情で真正面から目を合わせてくれたからだ。
信じられない。信じられるはずがない。
『正義の味方』という地位が綺麗事だけで成り立っているワケじゃないってことくらい、もう知っている。
だけど、けれど、それでも。
第三次世界大戦を終わらせるために、克哉達が絶対的な地獄を歩んできた事実を。
今存在する束の間の平和のために何百万人が死んだかを、何千万人が殺されたかを、何億人を殺したかを、咄嗟に受け入れられない。
「そのどうしようもなさを腹に煮え滾らせながら俺達は【ウラヌス】と名乗り戦い続けたのだよ、天堂君」
目の前に座っている英雄、『雷神』日向克哉も。
「そして束の間の平和をもたらした。徹底的に兵力をそぎ落とし、世界中が超能力に屈服する日が来るまで――ひたすらにな」
佑真に道を示したアーティファクト・ギアも。
日本の軍事の頂点に立つ大英雄、天皇涼介も。
彼らの英雄譚は、幾千もの悲劇の上にできている。
否定したい。
否定できない。
思えば、当たり前じゃないか。
第三次世界大戦は、総人口が八十億から五十億まで一気に減少した人類史上最悪の戦争だ。
奇跡でも起こらない限り、彼らの神話に残酷な側面が存在するのは当たり前なのだ。
佑真が追ってきた夢や理想や綺麗事だけで構成されている――わけがない。
「……克哉さんや涼介さんは強いですね。もしオレだったら……それさえも考えられないのに、皆さんは実行してきたんですから」
「佑真ちゃん……」
「どうなのかな。感覚がマヒしてしまっただけなのかもしれないけど――さて。ここから先が金世杰の話だ」
克哉は一瞬だけほおを緩めて、床に目線をまた落とした。
「金世杰は文字通り気が狂いそうな状況であっても、決して自分が折れることがなかった」
「……というと?」
「例えば有名どころだと、騎士団長メイザースは大戦後に『聖剣を二度と使わない』と自分に戒めを科した。涼介殿も色々とあったが、金世杰だけは最初から最後まで変化しなかったんだよ。いつでも冷静で、将棋が強くて、常識人であった。それが私達には大層気持ち悪く映ったものさ。ああ、コイツもやっぱり俺達と同じ変人だったんだなって」
「し、シリアルキラーなのかな~?」
「……いいや、そういうことっすね克哉さん」
「気づいたか?」
「おそらくは」
佑真は頷きかえし、
「どんな戦闘でも白星を残すってのが、そもそもおかしなことだったんだ。いかなる逆境であっても金世杰は変化しない。だけどそれは確固たる自己認識を持っているからではなくて、感情が極めて希薄だったからなんだ」
強者故の自信や奢りさえも、おそらく存在しない。
そういったものを自覚する機能が欠けた、人間の殻を被った機械。
「もしかすれば、人を殺すことに対してのストッパーも存在しない。仲間が死んでも市民が人質に取られても、一人で戦争を行える『世界級能力者』が冷静に戦術を優先できるとしたら、結末は最初から揺るぎないものになる」
「……金さんはたった一人で、勝つための作戦を必ず遂行できたんだね~……」
「正解だよ天堂君、小野寺君」
克哉は肯定した。
「『軍神』といっても策略に秀でているのではなく、策略を遂行する能力に秀でていた男。それが金世杰だと、私は思うよ」
そう締めくくられ、場に言葉を発する者はいなくなる。
克哉から聞いた話を、一つ一つ噛みしめる時間が必要だった。
『正義の味方』に憧れる少年には、特に。
克哉も恋も、佑真の中で整理がつくまで待つことにした。
「………………『軍神』か」
そして数分間を経て、佑真はぽつりと呟いた。
「暗い話になってしまったが、これもまた『英雄譚』の一つであることに違いはない。どうだったかな、天堂君」
「暗い話なら先に予告してほしかったっすかね」
「ごもっともだな。申し訳ない」
「でも、今聞いた話と戦った印象を比べると気になる所が一つだけあるんすけど」
「どこだい?」
佑真は自分の考えを克哉に伝えた。
話を整理したうえで普通の高校生が思い至った、ごく普通の感想を。
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