第一章‐⑮ 蒼い少女は曖昧に微笑む
佑真と波瑠がエアバイクで逃げてしまったことを確認したキャリバンは、箒を巧みに操り、手刀で猛攻をしかけてくる『寮長』と呼ばれていた少女――これでも大人らしいが――に向かい風を噴射させて後方へ飛び退き、強引に距離を取った。
その際に一閃の手刀を喰らい、右肩から一筋の血しぶきが上がる。
「一旦距離を取って立て直そうという魂胆かの?」
「いえいえ、違いますよ。無利益な戦闘を継続させるのは理に適いませんからねぇ」
言いながら、キャリバンは天を仰ぐ。
満月手前のわずかに欠けた月が、障害物の少ない河川敷ではよく輝いて見えた。
「……アタシ達にも、あまり時間があるわけじゃありませんしねぇ」
「なんじゃ?」
「こちらの話ですぅ」
キャリバンは箒に魔女のように腰掛け、浮力を発生させる。
「これ以上面倒な足止めを喰らう前に、アタシは行かせてもらいましょう。アナタを倒すことなんかより、波瑠を捕らえるほうが十二分に重要ですからねぇ」
「そういえばおんし、波瑠の元・同僚とか言っておったのう。波瑠がまさかあの【ウラヌス】にいたことは驚きじゃが……はてさて。いくら生死を司る『奇跡』を所有しているとはいえ、脱走兵の命を脅かしてまで取り戻したいものなのかの?」
「表社会に生きているアナタにはわからないかもしれませんが、もし《神上の光》が外国の手に渡ったら、というのを想定してみてはいかがでしょうかぁ」
箒がふわりと浮かび、キャリバンはバランスを取りながら何メートルも上昇していく。
寮長といくら話しても、意見がかみ合うことがないくらいわかっていた。
もちろんキャリバンが今自分で述べたことも、波瑠を追う理由の一つだ。
《神上の光》は無限の回復力を持つ。
おまけに24時間以内なら、人間の『死』という世界の理すら覆すのだ。
今こそ波瑠は誰のモノでもないが、国防軍【ウラヌス】に所属していた数ヶ月間、彼女の存在はとても重宝していた。当時は幼く、キャリバン自身が戦場に出ることは少なかったが、同い年の波瑠は『軍医』として、戦場の最終ラインに立っていた。
血で血を洗うこの世の地獄に、あの心優しい少女は立たされていたのだ。
「…………」
個人的に、もう一つ。
波瑠をどうしても連れ戻したい理由が、キャリバンにはあった。
【ウラヌス】以外の他の組織に波瑠が捕まってしまったら、どのような扱いを受けるかわからない。道具扱いしか受けないかもしれない。より劣悪な環境に放り込まれるかもしれない。
昔の親友が、自分の目の届かない範囲で苦しむくらいなら――
「アタシはどこまでも悪役を演じますよ、波瑠。そうして、力づくでも【ウラヌス】へ帰ってきてもらいますからねぇ……」
キャリバンはつばの長い黒帽子から、ふたたび夜空を見上げる。
満月を迎えるまで、もう日は残されていなかった。
☆ ☆ ☆
佑真はエアバイクを市街地まで走らせ、路地裏の適当なところで停車させた。
波瑠をバイクから降ろし、自身も倒れるように座り込む。
すっかり街中は暗くなっていた。
会社帰りのサラリーマンや帰宅途中の学生でにぎわっている。通過する立体映像搭載の宣伝車が『明日は皆既月食! 赤い月ですよ!』というニュースを流していた。
「オレらは命のやり取りしてんのに、世の中は平和なもんじゃな……」
ちょっと寮長のババァ言葉が移っている佑真だった。
佑真は改めて、塞がった傷を撫でる。
縫い合わせた痕や傷跡特有の肉のふくらみも存在しない――『復元』に限りなく近い回復。どういう仕組みなのかと聞いてみたが、
「《神上の光》が持つ特別な『エネルギー』が、佑真くんのDNAにあわせて皮膚や筋肉を形作ってる……んじゃ、ないかな?」
「お前も疑問形かよ」
えへへ、と誤魔化すように微笑む波瑠。理論で説明できない現象を起こすから『奇跡』なのだ、と納得するしかないようだ。
修復された体を屈伸やジャンプなどで動かし、異常が無いことを確かめてから、
「さてと。いつまでも休憩してらんないよな。あの風使い――キャリバンだっけ? あいつがいつ出てくるかわかんねぇし、国防軍っていうからにはまだまだ仲間がいるだろうしな。行こう波瑠」
「……待って、佑真くん」
差しのべた手を――波瑠は掴んでくれなかった。
上目遣いで遠慮がちに佑真を見つめてくる。
「……いいの? 私と一緒に来て」
「何が?」
「いや、その、だから……さっき、キャリバンが言ってたでしょ。私は【ウラヌス】っていう国防軍に所属してたんだよ? 超能力も本当は結構強くて、その、佑真くんを巻き込まなくても一人で逃げられるはずでして……」
「でも今は超能力が使えない。だからオレはここまでついてきた。違うか?」
「あ、あう……」
言葉に詰まり、顔を伏せる波瑠。
なんとなく佑真はその蒼髪に手を乗せてみる。
一瞬ビクッと体を震わせたが、決して除けようとはしてこない。
「なんて、こう言うとまるで波瑠が超能力を使えたら協力しなかったみたいに聞こえるけどな。……なあ波瑠。どうして、そんなに誰かと一緒にいることを嫌がるんだ?」
「……、」
「やっぱり、オレが『零能力者』だからか? オベロンやキャリバン(あいつら)に圧勝できるくらい強くないとダメなのかな」
「そ、そういうわけじゃない! 佑真くんが特別ダメなんじゃないよ。佑真くんはむしろ、その、私なんかのために、たくさん無茶して、頑張ってくれるし……」
佑真が手をどかすと、波瑠はくしゃりとスカートの裾を握り締めた。
「……そりゃ、味方でいてほしいよ。けど私が抱えるモノは、佑真くんが踏み入れちゃいけないほど大きいんだってば。だからお願い。諦めて」
上げられた顔は、儚げに笑っていた。
どくんと佑真の心臓が静かに跳ねる。――どちらかというと恐怖に近い意味合いで。
完成された『作り笑顔』を、佑真は初めて見た。
何をどうすれば、ここまでの作り笑顔ができるのか。
一体この娘はこの笑顔で、何人を騙してきたのだろう。
何人を安心させ、一人で抱え込んできたのだろう。
「……じゃあ話してよ、波瑠」
目の前で、苦しんでいる少女がいる。
「お前の抱えるモノを、全部教えてよ」
佑真のために、無理に笑おうとしている女の子がいる。
「じゃないとさ、オレは納得できないよ」
だから、佑真は言葉を紡ぐ。
「だって今にも壊れちゃいそうじゃん、波瑠。そんな女の子を放っておくことなんて、オレにはできそうにないからさ」
世界には、地球誕生から永遠不変の理がある。
弱肉強食。
零能力者は超能力者には、どう足掻いても勝利できない。
佑真がここで波瑠に手を差しのべても、死ぬ未来しか待ってないだろう。
「オレがドン引くくらいの壮絶なモノってやつを、教えてよ」
それでも、佑真は手を差しのべたかった。
波瑠に掴んでほしかった。
胸の奥で悔しさが騒めいた。
自分のあまりの無力さが――目の前の少女一人救えない無力さが、ひたすら悔しい。
「……じゃあ話すね。私のいろんなことを。そうすれば佑真くんも、私のことを諦めてくれるはずだから」
諦めが悪いのだけが長所だぜ? と冗談めかして言うと、波瑠はくすっと目を細めた。
やっぱり波瑠が笑うなら、楽しんでいるのがよく伝わるこっちの笑顔のほうがいい。




