第6章 第13話 岬の下へ
先に上がってきた女性が、最後の段で足を止めた。
背負った籠が、片側へ傾いている。
「待って。そっち、まだ持ってて」
「持ってる」
後ろの若い女性が、籠の底を押し上げた。
切れた肩紐が、石の上を擦っていた。
ルナは長杖をユニへ預けた。
「上から、持ってもいいですか?」
「助かる。縁をつかんでくれる?」
ルナが両手を掛けると、籠の重みが腕へ伝わった。
中には、布に包んだ石が詰まっていた。
後ろから押してもらい、三人で平らなところへ引き上げる。籠の底が地面へ着くと、背負っていた女性は肩から残りの紐を外した。
「ありがとう。階段に入ってから切れちゃってね」
女性は肩を回した。
後ろの女性も上がり、籠の隣へ座り込む。
「だから、下で結び直そうって言ったのに」
「あと少しだったから」
「下でも、そう言ってた」
ルナは手についた砂を払った。
ユニから長杖を受け取り、籠のそばへしゃがむ。
「町まで、持って帰るんですか?」
「そのつもりだったんだけど」
女性は切れた紐を持ち上げた。
端が擦り切れ、細い繊維になっていた。
ルナは収納バッグを開いた。
「紐なら、あります。これで足りますか?」
差し出すと、若い女性が受け取った。
「うん。底から回せば、いけると思う」
二人で籠を横にし、新しい紐を通していく。
ルナは倒れないよう、縁へ手を添えた。
*
結び終えた籠を、今度は若い女性が背負った。
少し膝を曲げ、立ち上がる。
「どう?」
「さっきより、いい」
肩紐を引き、身体を揺らして確かめる。
もう一人がルナへ顔を向けた。
「紐、いくらだった?」
「少し使っただけなので」
「でも、こっちは助かったから」
女性は腰の袋を探った。
ルナは紐を買ったときのことを思い出し、使った長さの分だけ代金を受け取った。
「ありがとうございます」
「こちらこそ」
女性は、足元に残していた包みを持ち上げた。
布の端から、灰色の石が見えた。割れた面に、細い光が走る。
「それも、ダンジョンで?」
「うん。頼まれていた鉱石。見つけるより、持って上がる方が大変だった」
「全部、同じ石ですか?」
「似てるけど、違うのもあるよ。使えるところを選んでもらってから、いくらになるか決まる」
若い女性が、背中の籠を振り返った。
「前は、半分以上だめだった」
「今回は、割れたところも見てきたでしょう」
「うん。だから、前よりは」
二人は顔を見合わせた。
ルナは布から出た石の角を見た。
ダンジョンから運び出されたものが、町の工房へ届く。
その先で、誰かが削り、組み合わせ、道具にする。
話として聞いたときには、切れた肩紐のことまでは思い浮かばなかった。
「あなたたちは、これから入るの?」
「まず、入口を見てみたいんです。その前に、岬の先まで」
「上なら、このまま道を行けば着くよ。縁には寄りすぎないでね。草の下が崩れてるところがあるから」
ルナは頷いた。
「中は、どんなところですか?」
「最初は狭いけど、奥は広い。私たちが石を採ったのは第二層。そこまでしか、今日は行ってない」
「魔獣も?」
「いるよ。入口に近いところでもね」
女性の目が、ルナの長杖とユニへ動いた。
「見に行くだけでも、灯りは出しておいた方がいい。入口の明るさに慣れてると、奥が見えにくいから」
「はい」
ルナは礼を言った。
二人は町へ続く道を歩き始めた。
若い女性の歩幅に合わせ、隣の女性もゆっくり進んでいく。
切れた古い紐は、籠の中へしまわれていた。
*
岬の上では、風が強くなった。
草が同じ向きへ倒れ、戻る前にまた揺れた。
ルナは道の中央を歩いた。
先へ進むほど、両側に海が見えるようになる。
やがて、足元の道は、低い岩の前で終わった。
その向こうには、空と海があった。
ルナは立ち止まった。
「……ここかな」
手帳を開く。
記録を書いた人も、この辺りに立ったのだろうか。
海しか見えなかった。
そう書かれていた言葉を、今度は自分の目の前で確かめていた。
遠くに、細い雲があった。
波の上を白い鳥が飛び、岬の下へ消えた。しばらくして、別の場所からまた姿を見せる。
ルナは岩へ近づきすぎないところで、左右を見渡した。
橋も、海へ続く道もなかった。
「海へ下りるのではなく、岬の先へ進む」
小さく読んだ。
ユニが隣に立った。
「下の階段とは、違うのかな」
ルナは手帳と、来た道を見比べた。
階段は確かに下へ続いていた。
けれど、その先をまだ見ていない。
海まで下りるのか、岩の中へ入るのか。宿ではダンジョンへ行く階段だと聞いただけだった。
にゃん吉君が風に耳を揺らしながら、ルナの顔を見た。
ルナは手帳を閉じた。
「まず、休もうか。お弁当、あるし」
*
道を少し戻り、風の弱い岩陰へ座った。
宿で包んでもらったパンには、焼いた魚が挟んであった。薄い葉が一枚、魚の下からはみ出している。
ルナは両手で持ち、ひと口かじった。
「これも、おいしいね」
「はい」
ユニも隣で食べていた。
町は、岬の付け根の向こうに隠れていた。
今頃、宿の娘は昼の支度をしているだろうか。母親の乗った馬車は、もう海の見えないところまで進んだかもしれない。
ルナは包み紙へ落ちたパンの欠片を拾った。
森で水面を探していたときには、見つからないことばかりが気になっていた。
今日も、道は見つかっていない。
それでも、朝からここまでに、話した人がいた。食べたものがあり、持ち上げた籠の重さも、まだ腕に残っていた。
「ユニちゃん」
「はい」
「食べたら、下へ行ってみたい」
ユニはルナを見た。
「ダンジョンへですか?」
「うん。入口だけ見て、それから決めるつもりだったけど」
ルナは海へ目を向けた。
「上から見ても、分からなかったから。岩の中がどちらへ続いているのか、見てみたい」
泉へ続く道だと分かったわけではない。
それでも、ここで帰れば、階段の下のことは知らないままだった。
「一緒に、来てくれる?」
「はい」
ユニは残りのパンを口へ運んだ。
ルナも、もうひと口食べた。
急いで飲み込まず、食べ終えてから包み紙を畳んだ。
*
階段の上へ戻ると、さっきの二人の姿はなかった。
ルナは収納バッグから携帯灯を出した。
灯りをつけ、腰の留め具へ掛ける。
「にゃん吉君、下りるよ」
「ワン」
白い姿が浮き上がり、ルナの頭の上へ移った。
最初の段は浅かった。
次の段は少し高く、その先は岩壁に沿って曲がっている。
長杖の先を置き、足元を見ながら下りた。すぐ後ろから、ユニの足音が続く。
風が壁に遮られた。
代わりに、下から波の音が響いてくる。
ルナは一度、立ち止まった。
階段の外側には海が見えた。けれど、段は水際へは続いていなかった。
岩壁の途中に、平らな足場がある。
その奥が、暗く開いていた。
「ここだね」
入口の脇には、石の粉が溜まっていた。壁の低いところに、何度も荷物が擦れた跡がある。
さっきの籠も、ここを通ったのだろう。
ルナは携帯灯を腰から外した。
中へ向けると、床の凹凸が見えた。
海の方へ開いた穴なのに、通路はすぐ、岩の奥へ折れていた。
ルナは入口から一歩入った。
靴の音が変わった。
振り返れば、まだ海が見える。
青い光を背に、もう一歩進んだ。
*
曲がり角の向こうで、通路が広がった。
天井は、携帯灯の光だけでは端まで届かなかった。
ルナは灯りを少し持ち上げた。
床に石が転がっていた。その間に、踏まれて細かくなった殻のようなものがある。
奥から、小さな音がした。
かち、と。
ルナは足を止めた。
もう一度、同じ音がした。
壁際の石が動いた。
石ではなかった。
平たい背の下から、節のある脚が伸びる。床を掻き、身体がこちらへ向いた。
ルナの膝ほどの高さがあった。
「ユニちゃん」
呼ぶのと同時に、魔獣が跳ねた。
硬い脚が広がった。
ルナは息をのみ、長杖を身体の前へ引いた。
魔獣は、途中で止まった。
目の前に、鋭い脚の先があった。
それ以上は、近づいてこない。
ユニが片手を上げていた。
宙に浮いた身体が、ゆっくり横を向く。
「少し、下がっていてください」
ルナは頷き、足を引いた。
ユニが手を動かした。
魔獣は通路の奥へ飛び、床へ落ちた。
硬い音が一つ響いた。
脚は、もう動かなかった。
ルナは握り締めていた長杖から、少し指を緩めた。
「ありがとう」
「はい」
入口に近い場所だった。
荷を背負った人が通り、町へ帰っていった道にも、魔獣はいた。
ルナは携帯灯を持ち直した。
明るいところだけを見ていると、その脇の暗がりが深くなる。
さっき教えてもらった言葉を思い出し、壁際から順に照らした。
奥に、二本の太い柱が見えた。
柱の間を通り抜けるように、床が続いている。
その向こうへ光を向けたとき、ルナは手を止めた。
柱の先で、天井が急に高くなっていた。
見上げても、天井までは灯りが届かなかった。
近づくと、水の流れる音が聞こえた。
柱の先には、広い空間があった。
岩の壁を伝って、幾筋もの水が落ちていた。下には、橋が架かっている。そのさらに下にも、細い通路と、別の橋が見えた。
ルナは入口の方を振り返った。
外から見た岬の幅を、思い出そうとした。
もう一度、目の前を見る。
「こんなに、広いんだ」
携帯灯を持つ手が、少し下がった。
橋の向こうで、小さな灯りが動いていた。
一つではなかった。
離れた場所にも、下の通路にも、歩いている人の灯りが見えた。




