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エピローグ うたかた

 アンジェの結婚式は白薔薇城で執り行われた。城中に薔薇だけでなく色々な花が咲き乱れ、若い二人の門出を祝った。


 城に新しい記憶が刻まれる。喜びは城をいっそう白く輝かせた。


 アンジェが巣立った後、城には静かな時間が流れた。だが寂しくはない。いつだって笑い声が聞こえてくる。


 そして、悲しみの涙も。


 二人の薔薇が静かに花びらを閉じた。それでもジュールとビアンカは城から見守った。


 そして時代は変わる。


 城の外では蝋燭ではない灯が灯り、真夜中でも闇はなくなった。


 イゾルデから大魔女を継いだバネッサは、旅立つ瞬間まで笑っていた。


 幽霊達も一人。また一人と天へ昇っていく。


「ベロニカ。あなたもそろそろね」


「ええ。寂しいですが、ここでお別れです」


 ベロニカも光の粒となった。


 ジュールの肌が、少しひび割れてきた。


 ビアンカはその頬に触れた。自分の名を呼ぶ唇も。すべてが愛おしい。


 指先についた砂をそっとはらう。


 昔なら泣いていたかもしれない。けれど今は違う。


 二人の時間はまだ続く。終わらせない。


 あの日城の門をくぐった時からずっと、自分の魂はこの人に導かれてきた。今度は自分が。


「ジュール様。一緒に眠りましょう」


 二人は話し合い、棺ではなく、薔薇の下で永遠の眠りにつくことを決めた。


 最後の夕べ。二人は黙ったまま薔薇園のベンチに座り、“アンジェリカ”を見つめていた。


 ジュールはビアンカの肩にもたれかかる。


「ビアンカ。僕も残せたんだな」


「ええ。これからも」


 きっとジュールは笑っている。顔が見えなくてもビアンカにはわかった。


 二人はお互いの温もりを確かめるように、手をつないだ。


 ジュールの体から、砂がこぼれ始めた。


 そして、紡がれる。


 愛しています。永遠に。


 ――君を。

 ――あなたを。


 薔薇たちは二人を招くように、花を揺らした。


 ビアンカは最後の魔法をかける。


「ありがとう」


 そして、白薔薇城は跡形もなく消えた。


 ◇◇◇


 古い館に、青年がひとりで住んでいた。人付き合いは苦手。日がな絵を描いて暮らしていた。


 アトリエに使っている屋根裏の小さな部屋には、窓から差し込む光に照らされて、埃がキラキラと舞う。夜になれば月明かりが射す。


 子どもの頃から、秘密めいたここが彼のお気に入りの場所だった。


 青年は一冊の古い本を閉じた。


 そこに書かれていたのは、一族の誰かの記憶。作られた物語かもしれない。


 どこかにあった古い城。そこに咲く青い薔薇。城の主は吸血鬼。


 そして青年は鏡を見た。そこに映る自分の瞳は赤。


「もしかしたら、本当かも知れない」


 青年の家では時折不思議なことが起こった。祝い事や別れの日には、庭の薔薇が真夜中に狂い咲く。薔薇はずっとこの家を見ているかのようだった。


 薔薇だけは、絶対に絶やすなと代々言われてきたこのブラッド家の血を受け継ぐのは青年ひとりだった。ある時から、彼の姿は変わらなくなっていた。


 ふと、庭から甘い香りが漂い、青年の鼻をくすぐる。


 青年は何かに導かれるように、鞄に紙と絵の具。そしてあの本を放り込み、車に乗り込んだ。


「ジュリアン様、どちらまで」


「そうだな。古い町並みが残るあそこへ行こう。昔、お祖母様が住んでいたところだ」


「承知いたしました」


 地図には載っていても、あまり知られていない町がある。人々は昔ながらの生活を好み、今でも古い伝説が信じられていた。


 ジュリアンは町へ着くと、一軒のパン屋の前で車を止めさせた。


「まだあったのか。お祖母様がとても美味しいと言っていた菓子が食べられるなんてな」


 店員にまあと口を開けて驚かれた。赤い目を見たのだろう。奇異な目でなく、心底驚かれた。


 素朴な白いメレンゲ菓子。ジュリアンはそれも鞄に詰め込んで、一人小高い山の頂上を目指して歩いた。車では行きたくなかった。自分の足で登りたい。


 きっとそこにある。そう思うと足取りは軽い。途中カラスが道に迷わないように先を教えてくれる。その後を黙って付いていった。


「これは……」


 思い描いていた風景はどこにもなかった。一面に薔薇が咲いているかと思ったのに。探し回っても、薔薇どころか花の一輪も咲いていない。


 足を投げ出し、緑の草の上にゴロンと横になった。青空が目に飛び込む。そして青葉の香りを肺いっぱいに吸い込んだ。


「気持ちいいな。上はいつも霧で覆われていると聞いたのに晴れてる」


 ふわっと欠伸をして、いつの間にか眠ってしまった。


 ◇◇◇


 ジュリアンが目覚めると、もう夜になっていた。どれくらい眠っていたのだろう。夜露に体がぶるりと震える。


「うん?」


 濃密な薔薇の香りがする。


 そして、いつの間にか霧が立ち込め、自分は薔薇の中に埋もれていた。


「あれは……」


 目の前に、青白い城が浮かび上がる。


 ジュリアンはなぜだか城に懐かしさを覚えた。


 その時、ドクンと体の奥に何かが脈打った。


 どこからか囁き声がする。


「ほら、あそこに」

「ああ。新しい薔薇だ」


 ジュリアンが振り向くと、薔薇の中に男女二人が佇んでいるのが見えた。人離れした容貌。だがどこか自分に似ている。


 近づくと消えそうだった。


「……僕は夢を見ているのか」


 ジュリアンは急いで鞄から紙と鉛筆を取り出し、夢中で描いた。城も薔薇も二人も。何枚も。何枚も。


 そして、筆で色をのせていく。不思議と欲しい色がパレットにある。


 青薔薇も白薔薇も薄紫の薔薇も、まるで紙の上で咲いたかのように生き生きとしている。


「まだ消えないでくれ」


 朝が近い。城の輪郭が徐々に薄れていく。


 二人も日に溶けるように消えていく。


「待ってくれ!」


 朝日が射すと、また静けさだけが残り、緑の葉が風に揺れていた。


 ◇◇◇


 運転手がいつまで待っても、主は帰って来なかった。


 ふと、後部座席に一枚の絵が置かれているのに気づいた。


 一体誰が、いつの間に置いたのだろう。


 手にとると美しい城と薔薇。大昔の貴族のような服を纏う男女が描かれている。


 運転手はそれを屋敷に持ち帰り、額に入れ飾った。


 そして、主を待つ屋敷は静かに鍵がかけられた。


 ――どこからか薔薇の香りがする。


 床には青い花びらが一枚、落ちていた。

最後までお読みいただき、感謝申し上げます。

読者様に支えられ、完結まで来られました。ありがとうございました。あと、完結前に微調整を行いました。

お好きなシーンや心に残ったシーンはあったでしょうか。評価や感想などお寄せいただけると大変嬉しいです。

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