修行⑧
前回のお話→龍を出現させた渚は、体力を使い切り気を失ってしまう。気づくと、長老の部屋に寝かされていた。長老は、「自分と向き合え」と渚に言う。
案の定、渚は迷子になった。すれ違うアヤカシたちにスオウの居場所を聞きながら、なんとか元の部屋に戻ると、いつの間にか日が沈みきりそうな頃合いになっていた。―このお屋敷、見た目よりも広く感じるのは、私の気のせい?
やっとの思いで辿り着いた部屋の中にはコクリコクリとうたた寝をしているスオウがいる。夜になり始めた夕日差し込む窓辺の椅子に座って眠りこけている姿は、とても『映え』ていた。ちょっぴり、起こすのが惜しいと渚は思ってしまい、そんな自分に驚いて首を大きく振る。あまり時間を無駄にしたくないのに、半日眠ってしまっていたのが悔しかった。
「スオウ、起きて」
「ん~? あぁ、あんたか。ふぁ~あ。やぁっとお目覚めかい」
「いや、起きたのはもっと前だし。迷子になってただけなんだけど」
「なんでぇ、方向音痴か」
「あんたの家が広すぎんのよ!」
「へいへい」
ぐーっと大きく伸びをしたスオウの、のんきさに呆れる渚。少しばかりの苛立ちと共に事の経緯を聞く。
「ねぇ、私、どうなったの?」
「あぁ。まぁ簡単に言うと、『疲れた』のさ」
「え、疲れた?」
「自分の力を見える形にするっていうのは、思ったよりも精神力が要るんだ。それを、何の修行もしてない子どもが、水篝火様の力をお借りしたとは言え無理矢理やったんだ。まぁ本当にできるかどうかは賭けだったけどな」
「そ、そうなんだ……そういえば、あの龍の子は?」
「あんたが寝落ちるのと同時に消えたよ」
「え!? 消えた!? じゃあ私の力は」
「慌てんな。人の話は最後まで聞け」
スオウが少し怒ったように渚の話を遮る。何か、焦っているようにも渚には感じられた。
「言ったろう、力の具現化。今見えないだけであんたの中にしっかりと在る力だ。本来なら少しずつ慣らして、まずは常に力を具現化させられるようにしていく」
「ずっと外に出しておく練習ってこと?」
「そうだ。そうやって感覚を掴めたら、今度は好きな時に見せたり消したりできるようにしていく」
「クロ君の尻尾のように?」
「そういうこと。で、最終的にはその力が自分から離れた場所でも活動できるようにする。人間界で言うところの式神みたいなもんだな」
「式神……」
長老に言われた言葉が、渚の脳裏に浮かぶ。弱い体だと意思を持った力を制御できず、力が暴れてしまうと長老は言った。渚の力は小さいと言えども龍だ。どれほどの力を持っているのか、ただの人間として暮らしてきた渚には想像するのも恐ろしかった。
渚は、短時間で、あの力を制御できるようにならなければならないという現実に、アヤカシ界に来てから増してばかりの不安をさらに強くして、もう心は挫けそうになっていた。
「私に……あの子を制御できると思う?」
つい、渚は弱音を吐いた。相手がスオウだったからなのか、この数日の疲れのせいなのか、この異常な現実のせいなのか。いつもなら絶対にしないことだったが、今まで強く保ってきた自分の心があまりにも急速に萎んでいくことに、渚は耐えられそうになかった。ふるふると渚の体が震えだす。
スオウは一瞬渚の背中に手を伸ばして、ためらうように手を止める。そしてすぐに、渚の肩にドンっとその手を落とした。怖がる子どもをお父さんが励ますような、そんな力が籠もっていた。
「あんたに必要なのは、『体力』だな!」
「え、体力?」
「そうだ。体力が足らねぇと、なんでもかんでも心がしょぼくれちまうのさ。体力に自信のある奴はちょっとしたことじゃへこたれない。明日から、体力強化修行だ。んで、合間にここにある本を読みな。勉学はあんたの頭ならそれで十分だろ。俺ぁ難しいことを教えるのは苦手だし。何も全部覚える必要はねぇ。あんたはあんたの力をある程度使えるようになりさえすりゃあいいんだから、最低限の知識がありゃあいい」
バンバンと肩を叩く早口なスオウ。励ましているつもりなのだろう。しかし萎んだ渚には、その言い方だと自分ではなく龍が必要と言われているような気もして、複雑な気持ちになった。
結局自分と龍は同じなのだから、スオウは他意無く言っているのだろうと思い直したが、それでも急激に育つ不安を払拭することはできなかった。
「スオウ、痛い」
スオウに叩かれる肩の衝撃に耐えられず、渚は思わず抗議の『睨みつける』を発動させる。
「おお怖っ。あんたの睨み顔は蛇じゃなくて龍だったんだから、怖いのは納得だなぁ」
「なにそれ! 大体、なんでお……お爺ちゃんのとこに寝かすの! まだここに来てちょっとしか経ってないのに、案内も無かったら迷子になるのは当たり前でしょ! お陰で時間が無駄になったじゃない!」
「それは八つ当たりってやつだ。あんたがヒョロヒョロと寝ちまうのが悪いんだろ。これだから現代っ子は」
「あんたは見た目が若いだけの中身おじいちゃんじゃん!」
「失礼だなぁ! 俺ぁまだまだピチピチだっての! 人間の時間で歳を計るんじゃねぇ!」
ギャーギャーとこうして喧嘩をしてくれているのも、きっと自分に気を遣ってくれてのことなのだろうとわかってはいるのだが、むかつくものはむかつくのだから仕方ないと、渚は意外にも心地良い言い争いを心のどこかで楽しんでいた。思えば、こうして誰かと口喧嘩を頻繁にするなど、渚には今まで無かった。
そのことに気づいた渚は、急に冷静になってしまった。言い返そうとした言葉を出さずに飲み込む。そして、あることに気がついた。
「ねぇ、そういえばクロ君は?」
本当ならとっくにクロが間に入ってきているだろうに、渚が起きてからずっとその姿を見ていなかった。クロの気配すら無い。
「そういえば見てないなぁ。クロ~」
呼ばれればすぐにやってくるクロが、この時は一向にやって来なかった。渚の心の奥が、一瞬ざらりとする。しかしスオウは、クロの所在にさして興味も無いというように話をやめ、今日はもう夕餉にしようと部屋を出て行ってしまった。
渚はクロのことやスオウの態度、自分の力のことが頭を巡ってばかりで、美味しそうな生姜焼きも、熱々のコロッケも、ひとつも食べられなかった。
明朝。渚は川のほとりに立っていた。少し離れたところには轟音響かせる滝がある。隣にはスオウ。
―なぜ、私はここに朝早くからいるのだろうか。
「今日からここで、あんたの体力作りと精神修行を同時にするぜ」
楽しそうにニヤニヤとしているこの男はスオウと言って、一見すると大したこと無さそうだが、かつて尻尾が8本もあった化け狸なのだとか。尻尾の数は妖力の高さを表していて、スオウの弟子の3本尾のクロが心酔している。
そのクロは今日も見当たらない。渚の心配を他所に、スオウはそのことを全く気にしていないようだった。知り合って数日の渚からしても、それはあまりに不自然に思えた。しかし、ここで渚はそれを問い詰めたりはしない。この男にのらりくらりとかわされるのが、関の山だからだ。
だから渚は、もっとわかりやすい質問をスオウにぶつけた。
「……まさかとは思うけど、あの滝に打たれろって言うの?」
「それ以外に何があるってんだ?」
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