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第38話 サルトル

 額にシワを寄せて古い本と取っ組み合いをする。

 この国の宗教の細かな構造や天使についての一般的な知識の再理解にはなったが。しかし魔獣との関係や、ましてやミラージュがグランドレスを指して天使を滅すると言ったことのヒントになりそうな記載は見つからなかった。


「ずいぶん難しい本を読まれているのですね」


 不意に話しかけられた。

 サンタクロースか? いや、もっと若い声だ。


 大判の本から顔を上げると、テーブルの斜向かいにキャスケット帽を被った糸目の男が座っていた。上等な布で仕立てられたシャツを着ている。


「失礼。知っているお顔だったのでつい声をかけてしまいました。サファリナ家のご息女でいらっしゃいますよね」


 人の心を落ち着かせる声色で男は言った。

 こんな声の人と知り合いだったっけ。


「えーっと、失礼ですが……」


「ああ、僕はつまらない商いをやらせている者で、サルトル・マリケルシュと言います」


「マリケルシュって……あのマリケルシュ商会の!?」


「はい。番頭をやらせていただいております」


 マリケルシュ商会は王都に本部を構える、この国最大の商業ギルドの元締めだ。その影響力は並の貴族を軽く凌駕しているといわれる。

 番頭とは商家の万事を取り仕切るナンバーツーだ。


「まあ、その若さで」


「ただの親の七光りですよ」


 謙遜がすぎる。

 生き馬の目を抜くような商業の世界で常にトップであり続けるマリケルシュ商会の番頭は、親の七光りでなったりできるような甘い役職ではない。


「サファリナ様、とお呼びすればいでしょうか。前から一度お礼を言いたいと思っていたのです」


「どうぞアリアとお呼びください。お礼?」


「それではお言葉に甘えて、アリアさん。ええ、お礼です。サファリナ家には大変にお世話になっているところですが、最近の新商品、高級石鹸や踏み板式洗濯機について」


「ええ、開発したのはお兄様──」


「ではなく?」


 サルトルは糸目を薄っすらと開いた。


「実のところ、”あの”伯爵令嬢がゼロから考え出したものである、というのが我が商会の見立てです」


 王都の社交界において”あの”がつく伯爵令嬢は一人しかいない。

 あの伯爵令嬢、あの悪役令嬢、あの極悪令嬢、”あの”アリア・サファリナ。


「なにが……おっしゃりたいんですか?」


 サルトルは糸目のままにっこりと笑った。


「ずーっとお会いしたかったんですよ、アリアさんに」


 彼は高級そうな革の鞄をごそごそと漁ると紙の束を取り出した。私の目の前にずいとつきつける。


「ほらこれ、足踏み式洗濯機。すごい発明だと思うんですけど、内部のこの部分、分かります? ここの板を二層じゃなく螺旋式にしたらもっと効率がいいんじゃないかと思ってまして」


 …………は?


「それだけじゃなくて高級石鹸。あちらレシピの商標を登録されたじゃないですか。あれにハーブを加えて各種きれいな箱に入れて取りそろえたら、コレクションしたがるご婦人絶対にいると思いません?」


「ええ、ああ、はい。よさそうな案ですね」


「でしょう! きっとそう言っていただけると考えていました」


「洗濯機の方に話を戻しますけど、螺旋式は制作コストと強度の問題が出てくるのではないでしょうか」


「そこも考えています」


 彼は嬉々として紙をめくった。


「この部品を金属に置き換える案なんですが……」


 こ、こいつ、オタクだ。

 およそ一時間、私たちはノンストップで小声のおしゃべりを続けていた。


 楽しい。

 いつの間にか隣に座っているサルトルと図面を指し、その使い方や想定顧客、起こり得る問題について矢継ぎ早に話し合う。


「それでオリーブ絞り器だったのですね。でもそれなら逆に生産量を減らしてブランド化するという方法もあったのでは?」


「それも考えましたが、広く領民に普及させ、領民自身が使うものの中から税を払わせることができれば、領地全体を富ませる事ができると考えたのです。職が増えれば治安も安定しますしね」


 私はさらにシルフィにも語った領地の先のビジョンをいくつも話した。

 うれしいことに彼は聞き上手だった。

 話を聞き終えた彼は深くうなづいた。


「実にすばらしい見識です。アリアさんの発明品は、それぞれが有機的につながっているのですね。それでは僕の発明についても……と」


 またごそごそと鞄を漁っていたサルトルは手を止めて顔を上げた。


「もっとお話ししていたかったのですが、どうやらこれまでのようです」


「あらそうなんですの」


「ええ、今日はとても楽しかったです。アリアさんはとても聡明でいらっしゃる。まるで」


 一瞬言葉を切ると私の顔を見て、落ち着いた声で続けた。


「まるで先の時代、あるいは違う世界の方と話をしているかのようでした」


「──そ、そうなんですか」


 声よ、ふるえるな。


 たまたまだ、たまたまに決まっている。


「そんな事、初めて言われました」


 シルフィが誰かに話したりすることはない。

 落ち着け、私に前世の記憶があるとバレて困ることはない。

 言葉を間違えるな、アリア・サファリナ。


「き、今日はとても有意義でした。私も、もっと話していたかったのに残念です」


 膝が笑わないようにお腹に力を入れて立ち上がる。

 積まれた天使の本に手を置く。


 サルトルはまだ私の顔をじっと見ている。


「ああそうだ。天使についてお調べなんでしたね。うちの商会の書庫にもいくつか文献がありました。よろしければ今度お貸しいたしますよ」


「それは、大変に……助かります……あの」


 不意に鐘の音が聞こえた。

 正教会の大鐘。


 ギンゴーン、ギンゴーン、ギンゴーン。


 時間を知らせるためでなくあの鐘が三度鳴るとき、それは非常召集の合図。巨大魔獣だ。


「本は、僕が片づけておきますよ、アリアさん」


 まだ鐘の余韻が図書館に響きわたっている中、私は小さな声でお礼を言って出口に走り出した。


ご愛読ありがとうございます。


これからも本作をよろしくお願いします。


ぜひ『ブックマーク』と『評価』をお願いします。


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