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この言葉の意味が分からない…とかありましたら教えて下さると嬉しいです。
(2025/11/04 修正版差し替え)
今井さんと編成部に戻ると編成部長に呼ばれ、今回の経緯の説明を求められた。
その中で今井さんは「前日に確認しなかった自分の責任」だと言った。でも、月曜日に確認されて「分かりました」と返事をしたのは俺だ。その時にすぐに作業すれば良かったのに先延ばしにした自分が悪かったんだと反省した。
「今井さん、すみませんでした」
自分のデスクに戻り、今井さんに頭を下げたが……意外にも今井さんは怒っていなかった。
「誰でもミスはするから。だからミスをしないように何度も確認をする。でも、それ以上に大事なのは、ミスをした後にどう対処するか。早く対処すればそれだけ被害は少ないから」
「同じことは二度としないように気を付けます」
俺の言葉を聞いて、今井さんはそれでいいと言うように笑って自分の仕事に戻った。
なんか、怒られないって……怒られる以上に凹むな。
あまり集中は出来なかったけど、溜まっている仕事は終わらせないと。
とりあえず、さっきの事は一旦忘れよう。
「西條くん、私は先に帰るね、お疲れ様。無理だとは思うけど、あんまり引き摺らないようにね」
急に声をかけられ、壁の時計を見てビックリした。もうこんな時間か。
集中できてないと思ったけど、実は俺って切り替え早いのかも。
「お疲れ様でした。僕はもう少し残ってるんで、ちょっとサロンに行って気分転換してきます」
ノートパソコンを閉じて重い腰を上げた。
いつもなら一階上にあるサロンへ行くのにエレベーターなんて使わないんだけど――今日はなんだか階段を使う気になれない。
ポーンと軽やかな音がして、エレベーターが到着した。
ドアが開いた途端、目に入ってきた人物を見て息をのんだ。
今、一番会いたくなかった人物……先輩が乗っていた。
「お疲れ様です」
「あぁ」
ドアが閉まるとすぐに動き出した。数秒で上の階へ到着したけど、沈黙のせいでもっと長く感じた。
顎で先に出るように促されエレベーターを降りるが、どうやら行き先は同じだったらしい。
「飲むか?」
先輩は手に持っていた二本の缶コーヒーの内の一本を渡してくれた。さっき、自販機がドリンクを吐き出す音が聞こえた気がしたから、多分これだろう。
珍しくサロンには誰もいなかった。いつもならこの時間でも打ち合わせや休憩で誰かしらいるんだけど。
人がいて欲しい時に限って誰もいない。年末が近いからみんな作業が終わったらすぐに帰るんだろうな。
いつもなら先輩と二人ってだけで嬉しいのに、今日だけは重苦しい空気に逃げ出したくなる。
心の中で大きなため息を吐く。
無人だったからなのか、間接照明だけがフロアを照らしている。そのため、全面ガラス張りになっている窓からは市内の夜景が一望できる。
いつもなら気分転換をするのにうってつけの場所なんだけど……。
「まだ暗い顔してるのか」
先輩の声がしても顔を上げることができなかった。手に持ったままの缶コーヒーは蓋も開けていない。
「先輩にご迷惑をお掛けしてすみませんでした」
缶コーヒーを持つ手に力がこもった。
悔しいのと、申し訳ないのと……感情がぐちゃぐちゃで、そんな顔を見られたくなかった。
視線は手元の缶コーヒーに落ちたまま、唇を噛み締めた。
「はぁ…」
先輩の溜息が降ってくる。でも……それは……。
怒ってない?
「もういろんな人に説教された後だと思うけど…。
前に当日のデータ変更は出来ないって教えたよな?当日のデータ変更はどうしてもチェックが甘くなる。書き間違えの可能性だってある。
普段は何重にもチェックしているけど、変更箇所はそうもいかない。今回は本当に大事故になりかねない事だったと気付いてるか?」
落ち着いて言い聞かせるような先輩の声に、思わず顔を上げた。でも、それが余計に俺のやった事の大きさを思い知らされているようで、缶コーヒーを握りしめる指先が白く変わっている。
「今回は生放送を完パケ送出に変更したが、変更前のデータは運行上、何も問題なかった。それが問題だったんだ」
「問題ないことが問題…?」
一瞬、何を言われているのか分からなくて、ぽかんとした顔をしてしまった。
「本来、完パケ送出でその素材が未登録だった場合、システムの方がアラームとメールを発報するんだ。だから誰かが気づく。でも、今回のようにデータ上問題がない場合、システムでは弾かれない。すると……どうなるかわかるだろ?」
「…はい、無音になります」
先輩が俺にも分かるように説明をしてくれたから、事の重大さに答える声が震えた。
縋るような目で先輩を見ると、ようやく分かったかと言っているような穏やかな笑みを浮かべた。
「だからみんなに怒られたんだよ。それに今回の完パケが事故になると、アーティスト、レコード会社、スポンサー、広告代理店など関係各所に謝罪に行かないといけない。一人がミスをして事故を起こすと、それだけの人が動くということもちゃんと覚えておかないといけないぞ」
「そうですね……。今後気をつけます」
勢いよく先輩に頭を下げた。
「まぁ、一分間無音になるだけでその後はフィラーが働くんだけどな。それに、マスター勤務者がどうにかするだろうから30分無音ってことにはならないから」
そう言うと、先輩は俺の頭をクシャクシャとしてサロンから出ていった。
「先輩は優しいな」
いつまでも引きずってたらダメだ。手に持ったままだったコーヒーを開けた。
編成部に戻ろうとサロンを出たところで、生放送が終わったスタジオから久保さんが出てきた。
「久保さん、ありがとうございました!」
「何かあったか?」
心当たりはないと言った感じで首を傾げている。
「久保さんのおかげで今夜のアーティスト番組の事故を未然に防ぐことができました」
今回のことは久保さんが事前に気が付いたから発覚して防げた。
だから、ちゃんとお礼を言っておきたかったんだよな。
「…あぁ、でもあれって今井さんの担当じゃ…。そうか、西條は今井さん預かりか。
たまたま知ってただけだよ。それに事故を未然に防ぐのも技術やミキサーの役目なんだよ」
もう話すことは終わったとばかりに俺の横を通り過ぎようとした。
その時…
「そういえば、今日のマスター勤務者は優斗だったな。怒られただろ。西條は優斗に怒られるのが一番堪えるだろうからな」
言われたことが理解できなくてぽかんとしていたら、耳元に久保さんの顔が近づいてきた。
「だっておまえ、優斗のこと好きだろ」
一瞬、心臓が止まった気がした。慌てて久保さんの顔を見るけど、ニヤッと笑っているだけだ。
言い返したいけど、ビックリし過ぎてハクハクと口が動くだけで言葉が出ない。
そんな俺が面白いのか、久保さんは笑いながら歩いていった。
「なんで久保さんが知ってるんだ? 誰にも言ってないのに…」
その場で固まってしまい、遠ざかっていく久保さんを見ていることしかできなかった。
*フィラー
ここではCMフィラーではなく、エマージェンシーの際に流れるフィラーの意味で使用。
設定時間以上の無音が検知された場合、システムが自動で送出する音楽のこと。
この設定時間は局によって様々です。
CMフィラーはキー局からのネット受け番組を放送する際に設定CM秒数が足らない場合に無音を避けるために流す音楽のこと。




