67話・サクラにさえ近づかなければ見逃してあげたのに
深夜。誰もが寝入る頃。
サクラメント屋敷にゲッカは忍び寄った。この屋敷はかつて自分が勤めていた屋敷。勝手知ったる他人の家状態にある。昼間、この屋敷の裏の垣根の一部を壊しておいたので、そこから侵入し、彼女の宛がわれている部屋へと近づくことにした。彼女の部屋は屋敷の二階の一番左端。
その部屋の前には一本の広葉樹があって、枝を広げていた。その木を上り、枝を伝って難なく彼女の部屋のバルコニーまで到達した。あとは窓の鍵を開けて侵入するだけだ。
ゲッカはこうも上手くサクラメント屋敷に侵入出来たことに、不審を抱くことは無かった。間諜としての自分の能力に絶対の自信があり、慢心があった。
針金で鍵を解錠し、部屋の中に入ると目的の寝台まで近づく。彼女はぐっすり夢の中のようだ。シーツを被って寝ていた。
「ミュゲちゃん。いや、サクラちゃんか。このまま、良い子で寝ていてね」
昼間、接触に失敗したのでゲッカは夜に動くことにしたのだ。ここまであっさり侵入出来たので、初めから夜にしておくのだったと後悔していた。
本人はぐっすり就寝中。この分だと朝まで起きることは無いだろう。運ぶのも簡単そうだ。
簡単に事が勧めそうだと思ったゲッカだったが、彼女に手を伸ばした所で胸元を強く引かれ、体が反転していた。
「……!?」
ベッドの上に仰向けにされ、取り押さえられていた。一瞬、何が起こったのか分からなかった。宝石のような青い瞳が、冷ややかにこちらを見下ろしていた。
「良い子で寝ていて欲しいのはこっちだよ」
「あんた……! 何で?」
「僕のサクラに夜這いかい? 庭師くん」
「……!」
素性まで相手にバレていた。仕事に忙殺されて領地から離れられずにいるはずの彼は、何故かこの部屋にいた。信じられない思いでいるゲッカに、彼は怪しげな笑みを向けた。
「きみがあの女の手駒だって事は知っているよ。なかなか良い働きをするじゃないか。こちら側にスカウトしたいぐらい、きみを買っていたけど、僕のサクラに手を出そうとしたんだ。覚悟はあるよね?」
「……!?」
彼はぐっと手に力を入れてきた。ゲッカはその手を振り払おうにも腕に力が入らなかった。今まで請け負った仕事には絶対の自信があったし、このように相手に捕まるような失敗などしたこともなかった。
身動きが取れなかった。まるで標本の虫にでもなったかのように、手足一つ思いのままに動かせずに出来たことと言えば、せいぜい手首をばたつかせるぐらいだ。
「俺をどうする気だ?」
「そうだね。お土産になってもらおうか?」
「お土産?」
「そろそろあの女にも、身の程を知ってもらいたいからね」
「まさか、あんた……!」
ゲッカはそれ以上、言葉を発する事は出来なかった。思考が突然、遮断された。意識が遠のく中でフィルマンの声が聞こえた気がした。
「実に残念だよ。サクラにさえ近づかなければ見逃してあげたのに……」




