10『先輩大活躍』
「大丈夫だよ」
先輩が涼やかな声とともに立ち上がった。
デスクに座り、マウスをつかむ。
カチッ
カチッ
例の、1秒に1クリック。
「せ、先輩? こんなときに何を――」
「課長、第参層第捌通路にバグ通過のログあり。殺虫スプリンクラー回しちゃって」
「よしきた!」
課長が各班へ指示を飛ばし始める。
カチッ
カチッ
「第肆層第参通路にもバグ通過ログ。隔壁閉めて!」
「承知!」
「第弐で多量の加重検知あり! 虫じゃ済まないようなでっかいやつがいるっぽい」
「討伐班! 直ちに準備!」
「「「応!」」」
「コイツは物理層じゃなくてデータリンク層? 雷鳥を使役してるってこと? 王国のサイバー攻撃部隊もやるなぁ」
「【従魔】が使える人はいるかい!?」
「私使えます!」
「今度はネットワーク層かぁ。戦死者をゴースト化させてるのかな? すぐにエクソシスト向かわせて!」
無数の文字列が並ぶログメールを、先輩が、まるで写真でも撮るかのように、きっかり1秒、目に焼き付けている。
そうして、第何層のどこのネットワークが断線してるだとか、どの通路をバグが通過したとか、そういう超重要な情報をポンポンと言い当てている。
そして課長が、先輩が口にする情報をすべて信じて、従業員たちを采配している。
そうした奇跡のような光景が続くことしばし。
ものの数十分で、半数以上のサーバが復旧してしまった。
サーバが復旧したということは、新たなエラーログメールがどんどん入ってくるということ。
先輩はそれらの新情報も見事に読み取り、分析し、優先度の高いものから的確に課長へ報告し、この未曽有の危機に対する打開策を指示していった。
まるで、女神様が天使のオーケストラで指揮棒を振っているような、神々しい光景!
さらに数十分後――
「……ふぅ!」
玉の汗を浮かべた先輩が、背もたれに深く身を預け、天井に向けて熱っぽい息を吐いた。
サーバはすべて、復旧済みだった。
危機は去ったのだ。
「先輩!」
僕は興奮に震えながら、先輩にタオルとお茶を差し出す。
「んー」
先輩が疲れた様子で額を拭き、首を拭き、第二、第三ボタンを外して胸元を拭う。
僕はもう、堪らない。
最高にカッコイイ先輩が、カッコイイだけでなくて可愛くて艶やかだなんてもう、最高に最高じゃないか!
「先輩、本当だったんですね!」
「ん、何が?」
「ログメール、読んでる振りだと思ってました」
「失礼な~」
「ってことは先輩、【万理解析】の使い手だったんですか!?」
「違うよー。あーし、ゼロスキルで魔力もほぼゼロなんだって」
「でも」
「あーし、生まれつき目と記憶力だけは良くってね」
「目と記憶力?」
「フォトリーディング。本や画面を写真感覚で目に焼き付けて、内容を丸暗記する技なんだけど」
「召喚勇者でもそんな超スキル持ってませんよ!?」
「地球じゃ使える人そこそこいたらしいよ。現にあーしはできるしね」
「な、ななな」
「で、フォトリーディングだけが取り柄のあーしを、課長が拾ってくれたってわけ」
「なんてこと……」
つまり、1秒1クリックの仕事は、まさに、先輩にとっては天職だったわけだ。
なのに僕は先輩のことを信用せず、それどころか真否を確かめようともせず、先輩を疑ってしまっていたわけだ。
「先輩、ほんとーにすみませんでした!!」
先輩は照れくさそうに笑って、手をひらひらとさせた。
「別に気にしてねーし。あーでもこの数ヵ月、ちょっと話し合いが足りてなかったかな? あーしも反省だね」
「先輩は悪くないです!」
「これを機に、気になることがあったら聞いてよ」
「え? あ、そうですね……それじゃあ」
僕は、常々疑問だったことを聞く。
「先輩ってよく離席しますけど、結局いつもどこに行ってるんですか?」
とたん、真っ赤になって黙り込む先輩。
「先輩?」
「やー、それは」
「えー? 聞いてって言ってくれたじゃないですか」
「う~!」
先輩はしばし頭を抱えていたが、やがて僕の耳に口を寄せてきて、
「……トイレ」
と言った。
「あ、すみません……」
言い難いことを言わせてしまった。
けど、まだ疑問がある。
それに、顔を真っ赤にさせている先輩があまりにも可愛くて、もう少し先輩の照れ顔を見ていたいという気持ちが勝ってしまって、僕は思わずこう言った。
「でも、回数多くないですか?」
――ベチン!
いきなり、先輩に頭を叩かれた!
「あ、あんたね、女性に向かって!」
「で、でも」
「あぁ、もう!」
先輩が僕の耳をぐいっと引っ張って、
「おなか弱いの! いや、日本基準で言えばふつーなんだけどね!? 異世界の水ってひどいんだから!」
「じゃ、じゃあ、いつもいろんなところを走り回っていたのは――」
「いろんなトイレ使いまわしてるの! 何度も女性職員と鉢合わせたら恥ずかしいじゃん!」
でもこれで、ほぼすべての疑問が解消した。
いや、ひとつ残っていた。
「先輩、クーちゃん……クー・ローマックのことを入社当初から疑ってたっぽいですけど、なんでだったんですか? 僕なんて全然気付かなかったんですけど」
「あぁ、あれ? いやーあれはねぇ。日本人ならではの感覚というか、メタっぽい何かというか」
先輩が頬をかく。
「ほら、めっちゃ黒幕っぽいじゃない? アイツの名前」
「はい?」
不思議な言動の目立つ、胸がでっっっっで超有能な先輩と、まだまだ半人前な僕の日常は、これからも続いていく。