第一章 2011年3月11日 〈8〉
(……ひょっとして、公民館へ避難している時に聞こえたのは、きみの声?)
(ピンポン! 正解。ホントはあなただけじゃなくて、みんなに語りかけていたんだけど、私の声がとどいたのはあなただけだった……)
(ちょっと待って。きみはだれ? ぼくにはきみの姿が見えないんだけど、お化けとかユーレイとかそう云うヤツ?)
(お化けとユーレイをいっしょにされたら、ユーレイの人たちがかわいそうだけど、私はお化けでもユーレイでもない。私は大地にやどる高次元の思念体、いわば精霊。あなたたちの世界では〈産土神〉ってよばれてる)
(ウブスナガミ?)
知らない言葉だった。渚はあたりを見まわしながら、心の中で聞きかえす。
(そ。ひらたく云えば、神さまってわけ)
(……ウッソだあ)
(な、な……一応、仮にも神さまってよばれる私が、ウソつくわけないでしょ?)
(だって、声とかしゃべり方とか、子どもじゃないか)
(あ、あなたのレベルにあわせてるんだってば。私はこの神社に間借りって云うか、祀られてる神さまなの。避難している時より、私の声がハッキリ聞こえるでしょ?)
(うん)
(それはあなたが神社にいるから。ここが私のホームグラウンドだから、私の声が聞きとりやすくなってるってわけ)
(神さまがホームグラウンドとか云う?)
(あなたのレベルにあわせてるって云ったでしょ。それともなに? ……わらわはこの地へ祀られし〈産土神〉である。そなたを救わんがため託宣す、とでも云えば信用してもらえるわけ?)
(ごめん。なに云ってるかわかんなかった)
渚の言葉に女の子の声がいらだちをみせた。
(だーかーらー、あなたのレベルにあわせて、わかりやすく云ってんの。論より証拠、たぶん私の姿を見せてあげられると思うから、ちょっとこっちきて)
(こっちって?)
(目の前の拝殿のぐるりをまわって本殿へきて。あ、拝殿の階段上がる時には、ちゃんとクツぬいでね)
(監視カメラとかついてるけど、勝手に入って大丈夫なの?)
ふだんは宮司のいない神社なので、さい銭ドロボウなどの防犯用に監視カメラが数ヶ所設置されている。
(神社に祀られてる神さま自身がよいって云ってるんだから大丈夫だって。それに最初に地震で停電してるから、監視カメラは作動してない)
(……わかった)
渚は半信半疑でうなづいた。神社に悪いお化けが出るようでは、神社の役目をなさないはずだ。
とりあえず、お化けとか悪霊のたぐいではなさそうなので、渚はすなおに云うことを聞いてみる気になった。
神社拝殿正面に置かれたさい銭箱のわきをすりぬけてクツをぬいだ。拝殿のまわりの廊下をわたると、裏手に本殿への階段がつづく。
渚は本殿の前へ立った。鉄製の頑丈そうなカギ穴からガチャリとカギのはずれる音がして、本殿のとびらがゆっくり開いた。
(入って)
渚の耳元で声がした。
せまい本殿に祭壇がしつらえられていた。
しかし、最初の地震で、白い布におおわれた祭壇の位置は大きくずれ、祭壇の一番上には緑青でおおわれた古めかしい銅鏡が落ちていた。
まわりには、お供えされていた塩や米やサカキが散らばっていて、小さな皿や花入れが板じきの床へ転がって割れていた。
(そこにご神体の銅鏡があるでしょ? それを拝殿までもってきて)
姿の見えない相手に、そことかそれとか代名詞で指示されるのはわかりにくかったが、銅鏡のありかはすぐにわかった。
(こう云うのさわったりして、バチとかあたらない?)
(銅鏡の家主がよいって云ってるんだから大丈夫だって。ホントもう気が小さいなあ)
(銅鏡の家主……?)
ちょいちょいおかしなことを云う声に首をかしげながら、渚はおそるおそる銅鏡を手にとった。
銅鏡にはいろんな幾何学模様や動物の紋様が彫りこまれていた。渚は知らなかったが〈三角縁神獣鏡〉とよばれるものである。
(さ、こっち)
拝殿へこいと云うことらしい。渚が本殿を出るととびらが勝手に閉まり、ガチャリ! とカギのかかる音がした。
渚が銅鏡を両手でしっかりとかかえながら拝殿正面へまわると、今度は拝殿のとびらがぞりぞりと音をたてて開いた。
(おじゃまします)
殺風景に感じられた本殿とは異なり、拝殿はおごそかな中にも生活感に似たものが感じられた。
たたみの上に転がっているお供えものの白菜や大根、かぼちゃと云った野菜が、生活感をかもしだしていたのかもしれない。
渚が拝殿へ上がると、背後でとびらが閉まり、室内がまっ暗になった。
渚が閉じこめられたものとかんちがいしかけた時、
(開けっぱなしだと寒いでしょ?)
自称・神さまの女の子の声がした。
天井につるされたハダカ電球がともり、黄色い光が室内をぼんやりと照らしだした。
(あれ? たしか停電してるって云ってなかったっけ?)
(私は神さまだよ。こんくらいのことは朝飯前だって)
(ちょっとスゴイかも)
渚はすなおに云った。
しかし、スゴイのは拝殿内のありさまだった。
こちらの祭壇も本殿に負けずおとらず乱れていた。たたみのおかげで割れているものは少ないようだが、お供えものや日本酒のビンなどが散らばっていた。
(……そのまんまじゃあぶないか。ちょっとそうじしてもらえる? うしろにホウキとかチリトリあるでしょ?)
渚の耳元で声がした。とびらの方をふりかえると左奥に用具入れがあった。用具入れの戸は開いていて、ホウキやチリトリが倒れていた。
用具入れのとなりには、壁に面して文机がしつらえられていた。
文机のかたわらにはダンボール箱があり、その中にお札や破魔矢やお守りがたくさん入っていた。
それらを入れるための紙袋や白いポリエステルの袋まである。
初もうでの時には、ここでアルバイトの巫女さんがそれらを売っているのだ。
渚はヤレヤレと肩をすくめると、文机とは反対側のかどにつまれていたざぶとんの上へ銅鏡をそっと乗せて、ざぶとんごと文机の上に置いた。
背負っていた防災袋を文机の横へ下ろすと、渚はホウキであたりをくまなく掃いた。
(ゴミはどうすればいいの?)
(用具入れの中にゴミ箱があるから、そこにかたしといて)
渚はチリトリでゴミを集めるとゴミ箱へ捨てた。
(祭壇はあぶないから部屋のすみにどかしてくれる? お供えものとかは、その下へつっこんどけばよいから。あと、たたみのぬれたトコ、雑巾でふいといて)
(……なんか人づかいあらくないか?)
その上、指示も雑だ。渚は心の中で文句を云いながらも、云われたとおりにした。
木で組まれた祭壇は少し重かったが、うしろから引きずり引きずり部屋のすみへ移動させた。
壁と祭壇の間に日本酒の一升ビンを固定するようにはさみ置き、白菜などの大きな野菜は祭壇の下へ転がしておく。
用具入れの上にかかっていた雑巾で、お神酒や花入れからこぼれた水をふいた。水気はほとんどたたみにしみこんでいたので、雑巾はほんのり湿った程度だ。
(……おつかれさま。なんとかキレイになったね。これで今夜の寝床も確保できたってわけ)
なにもしていない女の子の声が、自分の手がらみたいに云った。
(余震があっても大丈夫なの? ボロっちいけど、くずれない?)
渚の頭の中にくずれた駄菓子屋ヒラノの光景がよぎる。
(ボロっちいって…失敬な。でも、大丈夫。ここなら私が守ってあげられる)
いまいち信用できなかったが、よけいな口ははさまないことにした。
(それじゃ、こっからがメインイベントだかんね。ざぶとんを3枚ならべてくれる? まん中のざぶとんに、銅鏡のたいらな面を上にして置いて)
渚は文机の上へ避難させておいた銅鏡を、ざぶとんごと部屋の中央に置いた。
銅鏡は模様のある面をおもてにしていたので、おそるおそる引っくりかえした。
銅鏡の置かれたざぶとんの両わきに、ざぶとんを1枚ずつならべる。手品師のアシスタントにでもなった気分である。
(あ、1枚は渚の分だから。そのまんまじゃ足痛いでしょ? 銅鏡から少しはなれてすわって)
(うん。わかった)
渚が云われたとおりにすると、
(ほんじゃいくよ!)
はずんだ声がひびくと、ハダカ電球のあかりが消えて、拝殿内がまっ暗になった。
(ホントに手品みたいだけど……)
今にもドラムロールが聞こえてきそうな暗闇で、渚はそこはかとない不安をおぼえた。
銅鏡に変化があった。緑青でくもった鏡面から、ねっとりとした光のかたまりがわきでてきた。渚がおどろいて少しあとずさる。
光のかたまりは、空いているもう1枚のざぶとんの上へ集まると、もやもやとうごめいていた。りんかくがなにやら人らしきカタチへ変化する。
光の中に人影がうかび上がると、パシッ! と光がはぜて消えた。渚は強い光に目がくらみ、濃い闇でなにも見えなくなった。
拝殿内にふたたびハダカ電球のあかりがともると、空いていたざぶとんに凛とした美しい少女が正座していた。
前髪を眉のところで、うしろ髪を肩のところでまっすぐ切りそろえ、緋ばかまの巫女装束を身にまとっていた。白く細い首元に勾玉の首飾りがにぶく光る。
(ひょっとして、きみが……)
「……はじめまして、渚。私が〈産土神〉のカナエだよ。どうぞよろしく」
少女はそう告げると、にっこりほほ笑んだ。