終章
5月の陽気が心地よい青空の下、赤ちゃんと折りたたまれたベビーカーをたずさえた若い夫婦が長い石段をのぼってきた。
赤ちゃんをだいたきれいな奥さんが旦那さんより一足はやく頂上へ着くと、小さな鳥居の下でふりかえって云った。
「きれい。ここはとっても見晴らしがよいですね」
石段の下に緑の町と青い海が一望できた。
かかえづらそうなベビーカーを手にした旦那さんがおくれて到着すると、かるく肩で息をついた。
「だろう? ここはおじいさんとぼくのお気に入りの神社だったんだ」
「私、弁天町寄りに住んでいたから、こっちの方はあまりきたことがありませんでした。小さな町なのにふしぎですね」
「子どもの行動半径なんてたかが知れてるからね。ぼくも弁天町の方はあまりよく知らなかった。あっちはバスとかで行くところだと思ってた」
旦那さんの言葉に奥さんがふふと笑った。
「同じ小学校へかよっていたのに、ぜんぜん感覚がちがったんですね」
「美代子とはしゃべったことすらなかったし」
「ありましたよ。あの日1度だけ」
「あの日?」
旦那さんが折りたたまれていたベビーカーを開きながら聞きかえした。
「地震の日。私、あなたの腰についていた蛍光灯の破片をとってあげたんです。あぶないからって」
「……そんなことあったっけ?」
「ひどい。私すっごく勇気をふりしぼって話しかけたのに」
「そうなの?」
「……名前のわりにガサツなところのある男の子だとは思っていましたけど、私の大切な思いでを忘れているなんて、ひどいお父さんですね?」
美代子とよばれた奥さんが赤ちゃんにむかって笑いながら語りかけると、赤ちゃんをベビーカーへのせた。
「あの日のことはあんまりおぼえていないし、思いだしたくないんだ」
旦那さんは少しだけウソをついた。
あの日のことは鮮明におぼえていたが、ここからながめた津波に呑みこまれる町のようすを思いかえすと、胸にさすような痛みをおぼえる。
それに今でも夜の海を見るのは苦手だ。心の奥がわさわさと落ちつかなくなる。
「……ごめんなさい。そうでしたね」
美代子が頭を下げた。
「こっちこそごめん。そう云うつもりで云ったんじゃないんだ。……さあ、お参りをすませてしまおう。引越してきたら、その土地の神さまにあいさつするのは礼儀なんだって。『トトロ』でもやってただろ?」
旦那さんがアニメ映画をひきあいにだしたので、美代子がくすりと笑った。
「私たちの場合「帰ってきた」ではなくて?」
「ひとり家族が増えたじゃないか。湧太がいる」
旦那さんが赤ちゃんを愛おしそうにながめて云った。
さい銭箱へしずかに5円玉をすべらせると、軒にぶら下げられた鈴をガラガラとふった。
その音におどろいた赤ちゃんがベビーカーの中で泣きだした。美代子があわてて赤ちゃんをだっこしてあやす。
「おどろかせちゃったか。ごめんごめん」
だんなさんは美代子へあやまると、神社にむかって手をあわせた。無言で祈りをささげ、ゆっくりと顔をあげた。
「2礼2拍手1礼じゃないんですか?」
美代子が赤ちゃんをあやしながらたずねると、
「それは明治時代につくられた参拝の作法だよ。大事なのは気もちさ」
旦那さんはほほ笑むとつづけた。
「ちょっと神社のまわりをぐるっとまわってくる」
「はい」
思いでの場所をひとりで歩きたいのだろうと察した美代子は、赤ちゃんをだいたまま社務所わきのベンチへ腰を下ろした。
(……潮見神社へくるのは避難所をでて以来か)
旦那さんが神社の右側へまわると、ぐるりをとりまく大きな樹々が青い陰を落としていた。ちらちらとゆれる木もれ日が陰の中で金色にかがやいている。
気がつくと、木もれ日の下で巫女さんが境内を掃いていた。長い黒髪を腰のあたりでたばねたうしろ姿の肩口から巫女装束らしくないフリルがのぞく。
竹ボウキをにぎる巫女さんの右手首に勾玉の腕輪を見た旦那さんが息を呑んだ。
巫女さんはそんなようすに気づかぬふりで、背中を向けたまま枯れ葉ひとつ落ちていない境内を掃きつづける。
旦那さんがふっと息をついて云った。
「やっと見つけた。長いかくれんぼだった。……大きくなったな、カナエ」
「……渚ほどじゃないけどね」
ふりかえってほほ笑んだのは14~15歳くらいの美しい少女だった。
あのころにくらべると少しだけ成長していたが、目鼻立ちに当時の面影がのこっている。宝船町の〈産土神〉カナエだ。
渚とよばれた旦那さんの目に涙がにじんでいた。カナエとこうやって会うのは10数年ぶりだ。
「大人になっても泣き虫だね、渚は」
「からかうなよ。ぼくがどれほどうれしいか知ってるくせに」
「……うん。知ってる」
渚の言葉にカナエも照れてうつむいた。涙をぬぐう渚の右手首にも勾玉の腕輪があった。いつもは小さな袋に入れてしまってある渚の大切なお守りだ。
渚がカナエを忘れたことは1日もない。つらいことは数えきれないほどあったが、いつでもカナエがそばにいてくれると思えたからこそ、渚は今日までなにがあってもくじけずがんばってこられたのだ。
「〈顕現〉できるようになったのか。ずいぶん、はやかったんだね」
「この町の復興をねがう人々の強い祈りが新しいご神体にやどったからだよ」
「新しいご神体って、ひょっとして……?」
「そ。昔、私が作ったヤツ。……でも神さまがつくったご神体なんて、ぎゃくに貴重っぽくない?」
カナエがいたずらっぽく笑った。
「それを自分で云うかな? ……かわらないなカナエは」
昔とかわらないカナエの笑顔に、渚は自分だけすごく年をとった気がした。
「渚はかわったよね~。今やすっかり妻子もちだもん。この浮気者」
「なんだよそれ。カナエが美代子とひきあわせてくれたんじゃないのか?」
「まあね。ふたりが別々で同じ大学へ入学したのは知ってたから、会わせてあげたいとは思ったけど、まさか結婚までするとは」
震災後、美代子とその家族は千葉の親戚のところへ身をよせたので、おたがいの消息も知らなかったのだ。
「カナエのおかげじゃなかったのか」
「前にも云ったじゃん。私たちは人の心をあやつることなんてできないって。あなたたちはあなたたちの意思で愛しあって結婚した。……それが美代子さんにとって最善だったとは云いがたいところがネックなんだけど」
「そうなの!?」
カナエの冗談を真にうけておどろく渚に、カナエがこらえきれずふきだした。
「あっはっは。やっぱ渚もかわってないよ」
「……うるさいな」
渚がちょっとだけすねた。一応、仮にも相手が神さまとわかっていても、自分より年下の姿をした子どもにからかわれてよい気もちはしない。
「運命なんてたいして決まってないんだよ。しあわせになるかどうかはふたりの愛と努力次第」
「子どものくせに生意気な」
「とんでもねえ。私ゃ神さまだよ」
ふたりは顔を見あわせると笑った。ややあって渚が真顔で右手をさしだした。
「……カナエ、今までありがとう。そして、これからもよろしく」
カナエもその手をにぎりかえして云った。
「どういたしまして。……私もありがとうかな? 渚だけだもん。私の誕生日知ってて、こっそり祝ってくれるの。ほかの神さまたちからうらやましがられてるんだよ」
「そうなの?」
「生きとし生けるものの祈りが私たちの力のみなもとだから。こうしてまた〈顕現〉できるようになったのは、渚のおかげかも」
「これからはちょくちょく遊びにくるよ。湧太もつれてくるから遊び相手をしてやってくれ。……って、湧太にはカナエの姿とか見えるのかな?」
「赤ちゃんにはいつでも見えてるんだよ。シリウスにも見えてたみたいに」
「そっか」
なつかしい犬の名前に渚は目を細めた。
「それより渚。大人になったんだから、今度いっしょにお酒飲もう。神社に日本酒いっぱいあるよ」
「そいつは断る」
握手をといて渚が云った。カナエのカラミ酒にはとおの昔に懲りている。おかげで今でもさわがしいお酒の席はちょっと苦手だ。
「うにゅ~、渚のケチ!」
「子どもの姿でなに云ってやがる」
「あのねえ渚。私は神さまで人間とは……」
「ちがうから平気、だろ? ほかの神さまに酒グセ悪いって注意されたことない?」
「えっ!? どうして知ってるの!?」
「やっぱりか……」
本気でおどろくカナエに渚が失笑した。
「美代子を待たしてるからそろそろ行くよ」
「いやいや、私もついてくけど」
「あ、そっか。まあでも見えなくなっちゃうし」
渚が歩きだすとカナエが宙にういて渚に腕をからめた。
「おいおい」
「大丈夫。美代子さんには見えないんだよ」
カナエが舌をぺろっとだしていたずらっぽくほほ笑んだ。美代子と湧太の待つベンチへ近づくと、カナエに気づいた湧太が声をあげて笑った。
「ホラね。湧太ちゃん、私に気づいたでしょ?」
「ホントだ」
渚が答えるとカナエの姿がしずかに消えた。
湧太 (ゆうた)の笑い声で渚に気づいた美代子がたずねた。
「ずいぶんゆっくりでしたね。なにしてらしたんですか?」
「ここの土地神さまと話をしてたのさ。これからもぼくたち家族をよろしくお守りくださいって。……あと酒のさそいを断った」
「なんの話ですか? 渚さんたら冗談ばっかり」
渚の言葉に首をかしげて美代子が笑った。
「そろそろ帰ろうか。まだ引越しの荷物もかたづいてないし。親父が心配するかも」
「私まだお参りしてませんよ」
「あ、そっか。それじゃ湧太をあずかるから、すましてきなよ」
「はい。それじゃよろしくおねがいします」
美代子が赤ちゃんを渚へあずけると拝殿へ立った。
「ほおら、湧太、見えるか? 海だぞ」
渚が鳥居をふりかえっておだやかにひろがる青い海を見せると、渚の腕にだかれた赤ちゃんが空へ手をのばしてキラキラと笑った。
〈おわり〉




