第五章 さいごの約束 〈14〉
最初に給水車の助手席の渚の姿に気づいたのは、給水にならぶ人の列を整理していた風見さんだった。渚に筆談用のノートをくれた女の人だ。
「……渚クン!? 今までどこ行ってたの!? すぐにお父さんよんできてあげるから」
風見さんは列の整理をほかの人へまかせると、公園に張られたテントへ駆けだした。
渚はここまで乗せてくれた自衛隊の人へ頭を下げてお礼し、給水車からはなれて立った。
風見さんのうしろから渚の父・清志が無精ひげにまみれた顔で駆けよると、そのままの勢いで渚を抱きしめた。男くさいにおいが渚の顔をなぶる。ずっとお風呂に入っていないからだ。
「渚! ひとりでムチャしやがって! 父ちゃんどれだけ心配したと思ってんだ!」
(ごめんなさい……)
渚は声のでない口であやまった。
「佐藤さん、渚クン、声が……」
風見さんの言葉に渚の父が体を引きはがし、渚の両肩へ手をかけたまま、渚の顔を涙でうるむ瞳で見つめた。渚は父のこんな表情を見るのははじめてだった。
(ごめんなさい)
渚はうつむいたまま、もう一度声のでない口で云った。
「大丈夫か? どこかケガはないか? 耳はちゃんと聞こえるんだな?」
渚は小さく2回うなづくと、首にかけられた筆談用のノートをとりだして、まずは風見さんへ向けて書いた。
『おねえさん、だまってでかけてすいませんでした』
風見さんが渚のかたわらへしゃがみこむと、わざとらしく口をとがらせて云った。
「ホントよ。心配したんだからね。……でもよかった。元気そうで」
渚の頭をくしゃっとなでてやさしく笑った。
(父ちゃん……)
「どうした?」
渚の口の動きを読んだ渚の父がたずねた。渚がペンをとってノートへつづる。
『母ちゃんはつなみにながされて』
渚のペンをもつ手がとまり、ノートへぱたぱたと涙がこぼれ落ちた。それは渚しか知らないことであり、渚がつたえねばならないことだったが、その先を書くことはできなかった。
渚の母は今、やすらかな気もちで〈おおいなるみなもと〉から渚と父を見守っている。
そう理解していても、もう会えないことはやっぱり哀しかった。それを父へ文字にしてつたえることはつらすぎた。
「大丈夫。母ちゃんは父ちゃんがちゃんとさがしだすからまかせとけ」
気丈にふるまう父の言葉に渚はぼろぼろと泣いた。
(ごめん。ちがうんだ、父ちゃん。母ちゃんはもう……)
「泣くな、渚。大丈夫だから。泣くな」
渚の父がもう一度、渚を強く抱きしめた。渚は父の胸の中で泣きつづけた。
12
2011年3月11日午后2時46分、三陸沖を震源に発生した最大震度7と云う巨大地震は、当初マグニチュード8.8と発表されていたが、のちにマグニチュード9.0へと引き上げられた。
気象庁が「東北地方太平洋沖地震」と命名するも、マスコミ各社によってさまざまなよび名が生まれ、じきに「東日本大震災」と云うコンパクトな呼称が定着する。
福島第一原子力発電所では、地震と人災で世界史上最大の原発事故が起きた。大量の放射性物質がばらまかれ、周辺地域を広く汚染した。
福島第一原子力発電所の半径20km圏内と、汚染濃度の高い地域では一般人の立ち入りが禁じられ、多くの人が住んでいた場所をうばわれた。
なにもかも失った渚たちは、数ヶ月間を避難所ですごし、その後、数年間を仮設住宅でくらした。
さいわい渚の父の水産会社は1年半で復興し、早いうちからなんとか自活の道が開かれたが、多くの人たちは仕事も明日の保証もないまま、さらに不安な年月を余儀なくされた。
東日本大震災から2年後の統計で、死者15881人、行方不明者2688人と発表された。遺体の見つからなかった渚の母・恵子は行方不明者にカウントされている。
震災後、渚の父が何年にもわたって母の消息をたずねてまわる姿を見るたびに渚の胸は痛んだ。
1000年に1度の大震災は人の命や財産や生活の多くをうばっていった。
しかし、被災地や被災者には日本のみならず、世界中からたくさんの支援があり、祈りがささげられた。
時としてはがゆいほどじりじりとではあったが、復興は進み、長い年月が流れた。




