第五章 さいごの約束 〈12〉
(ねえ、カナエ。今の音って?)
渚がフクロウの目で天をあおぐと、ドーム状の天蓋にいくすじもの亀裂が走っていた。さけめからみるみる海水がにじみだす。
「やっばい! さっきの地震で天井がくずれかけてる! 渚、にげるよ!」
カナエが渚の手をとると宙にういた。とんで引っぱるつもりだが、渚の足はひざ下まで海水に浸かっていて、思うように走れない。
天井がくずれだした。大小さまざまな岩が大きな音をたてて落ちる。海水が細い滝のようにおちこちから流れだす。
渚はカナエに手を引かれながら、パンパンにはった重い足を一生懸命けり上げて、出口の通路へと向かう。
(カナエ待って! 足が思うように動かない!)
「がんばって渚! 遠足はお家に帰るまでが遠足だよ!」
(こんな遠足ないって!)
足元の水かさが増していく中、渚は必死で足を動かした。四方八方からからみつく波がますます渚の速度をうばっていく。
出口の通路までもう少しと云うところで、天井の岩盤が大きくくずれ落ちた。海水が大蛇のように流れこみ、渚たちの背中をつきとばした。
渚はあっと云う間に波に呑まれて天地もわからなくなった。上半身が壁に当たって体がぐるりとまわる。渚の身体は運よく通路へと押し流された。
(ぶはっ!)
渚の顔が海水の上にでた。激しい流れが渚をグングン通路の奥へ運んでいく。流れの中でカナエが渚の背をささえていた。カナエが渚を引き上げたのだ。
渚のとなりでカナエがほほ笑んだ。
「この勢いなら通路が水没する前に弁天神社までスイスイ押し流してくれそう。かえって楽できたね」
(びっくりしたあ……)
渚がカナエへ顔を向けると、カナエの顔が一瞬ぼんやりして見えた。目をこするとカナエがこともなげに云った。
「封印に使ったご神体からはなれてるから〈顕現〉の効果がうすれてきたんだよ」
(……そんな! カナエ! イヤだよ! いっしょに帰ろうよ!)
「いっしょに帰るよ。云ったでしょ? 渚から姿が見えなくなっても、私はいつでも渚のそばにいるって」
(……でも、カナエが見えなくなるのイヤだよ! 話とかできなくなるのイヤだよ! 帰って神社で遊ぼうって約束したじゃん! かくれんぼしようって云ったじゃん!)
渚の言葉にカナエが泣きそうな顔でほほ笑んだ。
「それじゃ、こっからかくれんぼだ。……長いかくれんぼになりそうだね」
冗談めかして云うカナエの言葉にもさみしさがにじんでいた。ご神体を失ったカナエに〈顕現〉する機会はもうない。
渚の目にますますカナエの姿がぼんやりとりんかくを失いはじめた。
(カナエ……!)
「忘れないで。私はいつでも渚のそばにいるし、渚のお母さんも〈おおいなるみなもと〉から見守ってくれていることを。渚はいつだってひとりじゃないってことを」
(忘れない。約束する。……これはかくれんぼなんだから、ぼくはぜったいもう一度カナエを見つけてみせる。またカナエに会ってみせる)
「渚……」
(約束する。ぜったいぜったいぜったいだ!)
渚の瞳から大粒の涙があふれた。
「まったく、泣き虫なんだから渚は。……でも、ありがとう」
もやのようにかすむカナエの手が渚のほおにふれると、カナエの姿が見えなくなった。
それと同時にあたりもまっ暗になった。弁天神社のカカ神さまからさずけられたフクロウの目もご神体から20mはなれると効果を失ってしまうからだ。
(……!?)
いきなりなにも見えなくなってパニックを起こした渚の背中に鉄砲水のような強い波がたたきつけられた。激流に呑まれた渚は意識を失った。
10
「……ぼく。ちょっと、ぼく。大丈夫?」
心配そうな女の人の声が渚を目ざめさせた。重いまぶたを開くと、目の前にほおをなめる犬の顔があった。
(犬がしゃべるわけないよな……)
夢でも見ているのだと思ってふたたび目を閉じかけると、小さな女の子の声が頭上にひびいた。
「あ、おにいちゃん、気がついたよ!」
(……おにいちゃん? ……犬? ……ってシリウス!?)
ぼんやりした頭をふりながら冷えきった上半身を起こすと、秋田犬のシリウスがうれしそうに尻尾をふりながら渚の顔をなめた。




