第五章 さいごの約束 〈7〉
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泣くだけ泣いた渚はたましいのぬけがらになってしまった気がした。
涙といっしょにいろんな感情が流れ落ちて、体の中が空っぽになっていた。
心が身体とはなれて暗い闇の底へ落ちてしまい、自分で自分の身体を動かすこともできなかった。
焦点のさだまらぬ瞳でぼんやりと虚空を見つめる渚を心配したカナエが渚の顔をのぞきこむと、カカ神さまがふたりに声をかけた。
「渚。カナエ。ふたりとも私に力を貸してください」
「……カカ神さま?」
「カナエはすでに気づいていると思いますが〈大黒蟲〉がふたたびあばれだそうとしています。大勢の神さまたちが結界で〈大黒蟲〉を封印し、鎮めようとしていますが、要石となる最後のくさびが足りません。渚、あなたの手で〈大黒蟲〉の封印を完成させてほしいのです」
「ちょ、ちょっと待ってください! それは渚を〈人柱〉にすると云うことですか!?」
カカ神さまの言葉にカナエが色を失った。
〈人柱〉とは命とひきかえに災厄を鎮める生けにえのことである。
カナエは無表情でぼんやりとすわりこんだままの渚をかばうように強く抱きしめると、泣きながらさけんだ。
「ダメ! 渚を殺さないで! 私はそんなことのために渚をここまでつれてきたんじゃありません! ……カカ神さまはまちがってます! 私たち〈産土神〉が大勢の人の命を守るためにだれかを犠牲にするなんておかしいです! 私はもうこれ以上だれにも死んでほしくありません! 私はみんなの命を守りたいんです!」
(……カナエが泣いてる? ……泣くなよカナエ……)
渚は深い闇の中でカナエの泣きさけぶ声をかすかに聞いた気がした。自分の声すら遠くから小さくひびく。自分が闇そのものなのだと思った。
「私がなんとかします! だから渚は、渚だけは殺さないでください!」
(……やめろってカナエ。……カナエがぼくのために……泣くことなんてないんだ……)
渚はさっきよりも少し近くでカナエの泣き声を聞いた気がした。
(……まったく……神さまのくせに……泣いてばっかじゃん……)
闇に溶けていたはずの身体がほのかにあたたかい。渚は闇の中で自分のりんかくを感じた。
(……泣くなよカナエ……約束したろ……ぼくもカナエを守るって……)
渚の顔にぽつりとひとしずくの水滴が落ちてきた。このあたたかさにはおぼえがあった。カナエの涙だ。
(……そうだ……約束したんだ……ぼくもカナエを守るって……!)
遠くから聞こえていた自分の声が自分に重なった瞬間、やさしい力が渚の背中を闇の上へ上へとぐんぐん押し上げていき……。
渚へすがりついて泣くカナエの手に渚がやさしく手を重ねた。
「……渚?」
(泣くなよ、カナエ。みっともない)
目に光のもどった渚がカナエに云うと、カカ神さまがぷっと小さくふきだして笑った。
「……カカ神さま!?」
泣きながらねめつけるカナエにカカ神さまがほほ笑む口元を手にした檜扇でかくした。
「まったく芸術的な早とちりですね。落ちつきなさい、カナエ。私は渚を〈人柱〉にするなんて一言も云っていませんよ。あなたの云うとおり、私たち〈産土神〉が大勢の人の命を守るためにだれかを犠牲にするなんてありえません」
「え……だって」
「たしかに〈大黒蟲〉を封印する要石として〈人柱〉は最適です。しかし、あなたたちは〈人柱〉の代わりとなるものをもっています」
「……〈人柱〉のかわり?」
「ご神体の銅鏡です」
(え?)
「ああ!」
渚とカナエが渚の背負った銀色の防災袋へ目をやった。
「千年もの間、人の祈りや思いがそそがれて神性をおびた銅鏡を要石にすれば〈人柱〉と同じ効力があらわれるはずです」
「そっか。……さきほどは失礼なことを云ってすいませんでした、カカ神さま」
あわてて土下座するカナエに、ほほと笑いながらカカ神さまがひらひらとをふった。
「よいのですよ。人を思いやる気もちからでた言葉です。ちっとも気にはしていません」
カカ神さまは視線を渚へ移すと云った。
「渚。あなたに要石となるご神体で〈大黒蟲〉を封印するお役目をおねがいしたいのです」
(どうして、ぼくなんですか?)
渚の問いにカナエがこたえた。
「私たち〈産土神〉は自分の手でご神体を遠くまでもちはこびすることができないの」
〈顕現〉している神さまがご神体をもちはこびすることは可能だが、神さまが〈顕現〉していると云うことは、そばに〈顕現〉をサポートする人間がいなくてはならない。
ようするに、カナエがご神体で〈大黒蟲〉を封印するにしても、渚がとなりにいなくてはならないのだ。




