第四章 夜のふたり組 〈1〉
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とどのつまり、渚たちは日暮れまでに弁天町へたどり着くことはできなかった。
〈シリウス救出作戦〉に時間をとられたせいもあるが、弁天町へ近づくにつれて、ひろい道がどころどころ水没していたので、遠まわりせざるをえなかったからだ。
足元にガラスなどが落ちているところでは、渚がシリウスをだき上げて歩かねばならず、よけいに体力と時間を消費した。
空が燃えるようなオレンジ色にそまり、海のはてから紫色の闇がにじみでてきたころ、突然、渚にリードをひかれて歩いていたシリウスが足をとめた。
(……シリウス?)
渚はシリウスが疲れたのかといぶかしんだが、シリウスは首のうしろの毛を逆立てて、なにもない虚空をにらみつけていた。
「……ウソでしょ!? こんなにはやいなんて!」
シリウスの異変に気づいたカナエもあわただしく周囲を見わたした。
(どうしたの、カナエ?)
「まだ明るいのに〈闇蟲〉が這いでてきた!」
〈闇蟲〉はその名のとおり、完全に日が暮れ落ちてからうごめきだす闇の住人である。しかし、未曾有の大災害でこれまでにないほど負の感情を喰らって強大になった〈闇蟲〉たちは夜を待たずに活動しはじめた。
「渚っ!」
宙にういたカナエがうしろから渚の首へだきついてほおとほおと重ねた。
(ちょ、ちょっと、カナエ!?)
いきなりくっつかれて照れた渚の視界が一変した。地面のいたるところからねっとりとした黒い半透明の闇がゆらゆらとにじみでていた。
(うわっ!)
「渚、シリウス、ぜったい〈闇蟲〉に触れちゃダメだよ!」
〈闇蟲〉ひとつひとつの動きは緩慢で避けるのにどうと云うことはないが、とにかく数が多い。廃墟と化した夕暮れの街が黒い粘菌の森にじわじわと浸食されていくようだ。
「私が誘導するから、ふたりは足元に気を配って!」
渚とシリウスが足元へ目を落とすとガレキの散乱する地面のおちこちから黒い影がゆっくりうかび上がってきた。ガレキとその影をふまないように避けながらすすむ。
「〈闇蟲〉の巣のドまん中だったなんてサイアク!」
(〈闇蟲〉の巣?)
心の中で訊きかえす渚にカナエがこたえた。
「〈闇蟲〉って夜明け前に密集して姿を消す習性があるの。日が暮れるとまたそこからあらわれるんで〈闇蟲〉の巣ってよぶ。ほら、あっちの方見て」
カナエが渚にほおをよせたまま強引に顔の向きを海側へ向けた。グキッ! と渚の首が鳴る。
(痛てっ!)
思わず顔をしかめる渚だったが、高台に近いところからなにもないさら地と化した海沿いをながめると、ほんの数ヶ所〈闇蟲〉が密集してわきでているところがあった。むしろまだそれ以外の場所に〈闇蟲〉の姿はない。
(なんてツイてないんだ……)
「なに云ってんの? 私がついてるから、まだツイてるんだって」
(そっちこそ、なに云ってるかわかんないって!)
そうこうしているうちに渚たちの周囲は渚の背よりもはるかに高い〈闇蟲〉の群れにとり囲まれていった。
「はやくここからぬけださなくちゃ! ……ふたりとも、とまって!」
渚とシリウスが云うとおりに足をとめると、カナエがふたりの立つ地面の四隅を手でたたいた。
「東南西北、結界!」
カナエがパン! と柏手を打つと、一瞬、渚とシリウスの周囲をとり囲むように光の輪がひろがった。
カナエとはなれた渚に〈闇蟲〉たちの姿は見えなくなったが、周囲の光景も〈闇蟲〉たちに負けずおとらずうす冥くなってきている。背後を黄色い夕焼けに照らされた山の端が黒い影絵になっていく。
「セーフポイントを確保してくるから、そこでじっとしてて!」
カナエが山の影で冥く見えにくくなった方へとんだ。闇の中でふたたび、
「東南西北、結界!」
とカナエのさけぶ声と柏手を打つ音がした。
カナエが渚には見えない〈闇蟲〉の間をぬうように舞いもどると、真剣な面もちで云った。
「渚、シリウスをだっこして。ここからまっすぐ15メートル先の家の庭へ結界をはってきた。私が〈闇蟲〉の間に道をつくるから、合図したら一気にそこまで走って」
(わかった)
渚はカナエの言葉にうなづくとシリウスの身体をかかえ上げた。泥にまみれたシリウスの足で渚の服が少し汚れるが、そんなことを気にしている場合ではない。
渚の左肩へシリウスが顔をのせ、渚の右肩へくみついたカナエがほおをよせる。渚の視界へ〈闇蟲〉たちの姿が映るが周囲の闇とないまぜになってよくわからない。
カナエが自分のひたいにあてた右手の人さし指と中指をまっすぐつきだしてさけんだ。
「光よ!〈闇蟲〉をしりぞけよ!」
カナエの右手から光がはぜると、目の前に立ちはだかる〈闇蟲〉がふきとんだ。〈闇蟲〉の森を一条につらぬく光の道ができる。
カナエのつくった光の道はそう長くもつものではないらしい。ふきとんだはずの〈闇蟲〉たちが光の周囲へうぞうぞととりついていく。
渚はシリウスをかかえて〈闇蟲〉のアーチでできた光の道を必死に走った。渚の背後で光の道がゆっくりと〈闇蟲〉に押しつぶされていく。
「渚っ!」
秋田犬のシリウスをかかえて足場の悪いところを走るのだから、かけっこのようにはいかなかった。
バランスをくずして転ばないようもたくさと走りながら、なんとかカナエが結界をはった家の庭へたどりつくと、渚の背後でびたびたびたっ! と気色悪い音がした。
渚がふりむくと〈闇蟲〉たちが結界の外へはりついていた。
「ひあ~、あせったあ。間一発セーフ!」
おどけた口調でカナエが渚から身をはがすと〈闇蟲〉たちの姿が消えた。ほの冥い闇の中へよそよそしい静寂がおちる。
渚がシリウスを地面に下ろすと、シリウスがまだ首のうしろの毛をこわばらせながら、うれしそうに尻尾をふった。
「あ~、こわかった。自分で走った方がマシだよ。……って云ってる」
(こっちもそうしてほしかったよ)
いたずらっぽくほほ笑むシリウスの通訳に渚が息をついた。




