第三章 ガレキの町 〈5〉
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間近で見あげるマグロ漁船の大きさに渚はあらためて息を呑んだ。
(スゲ~。ね、ちょっとスクリューの方とか見ていい?)
「しょうがないなあ。ホンっトお子さまなんだから」
船尾ではなく船首へまわった方が近道なのだが、好奇心をおさえきれない渚のリクエストをカナエがしぶしぶ呑んだ。
船尾は大きなスクリューと舵の部分がくぼんでいて、小さな洞穴みたいになっていた。舵の上にせりだした部分が地面に寒い日陰をつくっている。
渚たちはちょっとしたトンネルをくぐるような気分でそこを通りぬけると、マグロ漁船の裏側へでた。
「すっかりお昼すぎちゃったね。どっかで少し休もっか」
天をあおいで白くかがやく太陽の位置を確認したカナエが提案した。
(まだ大丈夫。せっかく歩きやすい道がつづいてるんだから、もう少し歩こう)
渚の視線が遠くを見すえていた。1kmほど先の交差点がたんぼのような大きな水たまりに浸かっていた。見た目にはよくわからないが、そのあたりだけ少し土地がくぼんでいるのだろう。
(乾パンは歩きながら食べるよ)
「ちょっとお行儀悪いけどよいか。明るいうちに距離をかせいでおきたいもんね」
渚の言葉にカナエがうなづいた。渚は背負っていた銀色の防災袋から食べかけの乾パンの缶をとりだしてポリポリと少しずつかじった。
ゆっくり歩いてきたせいか、さほど空腹を感じていなかったし、食べすぎて便意をもよおすのもイヤだった。
氷砂糖のかけらを舌の上で転がしながら、のこっていたペットボトルの水を飲んだ。1本目のペットボトルが空になる。
渚が道ばたへしゃがみこみ、空になったペットボトルと乾パンの缶を防災袋へしまっていると、いきなりカナエが云った。
「ごめん、渚。ちょっとより道してよい?」
(え、いいけど。どうしたの?)
「あっちに生体反応がある」
カナエが西の方角へ見えるガレキを指さした。くずれた家の屋根だけが折り重なるように転がっていてひどいありさまである。
(どう云うこと? だれか生きてるの?)
「うん。よそから流されてきたみたいだからよくわからないけど、だれかいて困ってるみたい」
ベテランの〈産土神〉であれば、自分の管轄する町へ入ってきた生きとし生けるものの存在をすべて把握することもできるが、カナエは新米なのでそれほど神さまとしての力が強くない。かろうじてその存在を感知するのが精一杯だった。
(大変じゃないか! 急ごう!)
防災袋を背負って立ちあがった渚の手をとって、カナエがふわりと宙に舞う。
「ゆっくり急ごう、渚。足元があぶないから気をつけて」
(わかった)
渚は足元へ目をくばりながら、泥でぬかるむガレキの中へわけ入った。クツの底へじわりじわりと水がしみこんでいく。
その先でだれかが助けを待っているように、渚の母・恵子もどこかで助けを待っているかもしれなかった。そう思うと渚には人ごとと思えなかった。
ひしゃげて転がった車のわきを通りすぎ、折り重なるようにしてくずれた家の屋根屋根へたどりついた。
「ちょっと大変だけど、この先みたい」
屋根にさえぎられて向こう側が見えない。そんな屋根とガレキとのすきまに水たまりができていた。
転がってなかば泥にうまった浴槽を足場にかまえると、宙にうかぶカナエが先に屋根の上へ移って、渚へ手をさしだした。
(これくらい平気だって。まかせといて)
渚が上半身だけではずみをつけて屋根へとび移った。
(うわっ!)
水にぬれてすべりやすくなっていた屋根瓦に足をとられて転びかけた渚をカナエが正面から抱きとめる。
「もう。調子にのるんだから」
(……ごめん)
両わきを下からかかえられ、カナエのたいらな胸へ顔をうずめるようにささえられた渚が照れながらあやまった。
しかし、カナエは頓着するようすもなく、渚が屋根の上にしっかり立ったことを確認すると、手をとって屋根をのぼった。
屋根の上から見下ろしたガレキの中に大きなベニヤ板が倒れていた。そこに1頭の黄色い犬がいた。
(困ってるだれかって……犬?)
首輪からのびた短いリードが、ベニヤ板をつきやぶって少しだけ頭をだしたステンレスの窓わくの残骸にひっかかっていた。
リードののびる範囲内しか動きまわることのできない犬がくたびれたように寝そべっていた。
「秋田犬かあ。このコだったんだ。渚、助けてあげよう」
(あ、うん)
人ではなかったことにいささかひょうしぬけしたが、見すごすわけにはいかなかった。




