第三章 ガレキの町 〈4〉
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さびた手すりのたよりない鉄の階段を下りると、かろうじて倒壊をまぬがれた民家がポツポツと軒をつらねていた。
1階部分を津波に呑まれた家屋の窓や戸はほとんどこわれていて、家の中も廃材や泥でぐちゃぐちゃのぼろぼろだった。庭には塀をつきくずして車がひっくりかえっていたりする。
町の惨状をはじめて間近で見た渚は衝撃をおぼえた。
「足元に気をつけてね」
ふわふわと宙にういているカナエが渚の左手をしっかりとにぎったまま注意した。
道にはとがった木や金属、割れたガラスなど、ふんだらケガをしそうなものがたくさん落ちているだけでなく、うっすらとつもった泥でぬかるんでいた。
カナエが渚の手をにぎっているのは、足をすべらせた時、転ばないですむようささえるためだ。少しくらいなら、空中で「ふんばって」渚の身体をささえることができる。
なだらかな斜面をへびのように這う細い路地を慎重に下りながら、渚はこんな中を歩いて弁天町までいけるのだろうか? と不安に駆られた。
しかし、一方で冒険をしているようなふしぎなワクワク感を感じていたことも否めない。
(ちぇっ。カナエはいいな。空にうかべて)
「いっしょに歩いてあげたいのはやまやまだけど、私の足元、足袋にぞうりだよ。ぜったいムリ。せっかくのカワイイ緋ばかまも汚したくないし」
カナエの云うことももっともであった。
クツをはいている渚でもふつうに歩くのは大変だった。少しでも高いところを歩いて移動したいのだが、場所によってはガレキや大きな水たまりで道をふさがれて遠まわりせざるをえない。
しばらくして、渚たちはようやく広い道路へとでた。黒いアスファルトへうっすらとかぶさった泥が陽の光で乾きかけてぼんやりと白い。
左へ顔を向けると、道路の反対側に宝船小学校の校舎が見えた。昨日、高台の宝船町公民館へみんなで避難する時に歩いた道だった。
「ここはふつうに歩けそうだね」
カナエが渚の手をつないだまま、となりへよりそうように高度を下げて立った。しかし、足元は地面から少しだけういている。
(……ヒラノがない)
最初の地震ですでにくずれていた駄菓子屋のヒラノだけでなく、まわりの民家や商店はそのほとんどが流されていた。
小学校の角の信号機がぐにゃりと折れ曲がって柳の木のようになっているほかは電信柱の影すらない。
遠目に見える小学校の校舎がなければ、渚にはここが自分の生まれ育った町だと実感できなかったにちがいない。
(いこう)
渚がカナエの手をひいて歩きだした。広い道路を横断して小学校へ近づくと、校舎裏手の日陰に押し流された机や車などのガレキが泥にまみれて転がっていた。
校庭をぐるりとかこむフェンスや植木は根こそぎ流されていて、ガランとした広い校庭が丸見えだった。
柳のように折れ曲がった信号機を右へ曲がると、校庭ごしに正面から津波をかぶって茶色く変色した校舎の全容をとらえることができた。
ベランダがじゃまで3階の渚の教室の中がどうなっているのかはよくわからなかったが、窓ガラスはすべて割れているらしく、廃墟と化した校舎は黒々とした口を虚しく開けていた。
かわりはてた光景を目の当たりにしながら、渚は校舎の外観がのこっていただけでもホッとしていることに気づいていなかった。
渚にとって宝船小学校は世界の中心であり、町の象徴でもある。その姿がかろうじてのこっていたことは、自分でも知らないところで心のささえになっていた。
「道ぞいにまっすぐ南下すれば弁天町だけど、ちょっとまわり道しなきゃなんないかもだね」
カナエがヤレヤレと小さく肩をすくめて云った。
弁天町へとつづく広い道路にガレキはたまっていなかったが、道路のはるか先を巨大なマグロ漁船がさえぎっていた。
白い船橋と青黒くぬられた重量感のある船体、ふだんであれば海にかくれて見えない赤褐色の船底が道のまん中にどしんといすわっている。
今朝、神社の境内から、さら地と化した町のおちこちに小さな漁船が転がっている光景を見ていた渚だが、これほど大きな漁船まで陸に打ちあげられているとは思ってもみなかった。
それはシュールレアリスムの絵画みたいにふしぎな光景だった。
(あそこまでふつうに歩けるだけでもマシだよ。とにかくいってみよう)
さっきまで少したよりなげだった渚のしっかりとした言葉に、カナエがほほ笑みながらうなづいた。




