第三章 ガレキの町 〈3〉
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渚たちは高台にそって歩いていた。ふだんはもっと手前で渚の家につづく道を下りていくのだが、カナエにとめられた。
「まだ下はあぶないから、できるだけ高いところを移動しよ」
渚は自分の家がどうなっているかも知りたかったので抗弁した。
(でも、それだと道がわからないよ)
渚はとなりの弁天町へバスでしかいったことがない。自分の家を起点として幹線道路ぞいのバス停をたよりに歩くか、海ぞいをいくしかないと思っていたのだが、
「海ぞいなんて歩ける状況じゃないし、バス停も目印になるような建物も軒なみ流されちゃってる」
当たり前のことに気づかされて閉口した。
「オネーサンにまっかせなさい。私はこの町のことなら、裏道ぬけ道なんでも知ってるんだから。ちゃんと弁天町までナビってあげるって」
カナエが笑顔で渚の肩にぽんとやさしく手を置いた。自分のホームグラウンドである神社の社務所を「完全スルー」していたことなぞすっかり忘れている。
いまいちたよりない神さまではあるが、よしんば道にまよったとしても、カナエといっしょならなんとかなりそうな気がした。ひとりよりふたりの方が心強い。
しばらく歩いていると、高台で津波をまぬがれた家屋がポツポツと見えはじめた。それでも床の上まで水は上がってきたらしい。茶色くぬれたたたみをはがすなど、あとかたづけをしている人たちの姿があった。
コンビニエンスストアには長蛇の列ができていた。食料品を奪いあうでもなく、大人たちが整然とレジにならんでいた。外国では信じられない光景だと云う。
こんな時、自分さえよければよいと考える日本人は少ない。大変な想いをしているのは自分だけではないことがわかっているからである。ゆずりあいわかちあう和の心だ。
もうひとつ渚の目にとまったものがある。コンビニエンスストアのガラスに手書きの大きな模造紙が貼られていた。
壁新聞だった。地元の小さな新聞社の人たちが、知りうるかぎりの情報を集めてつくったものだ。
『日本最大級の地震・大津波
東北地方太平洋沖地震
M八・八、最大震度七』
と云う大見出しが遠目からもわかる。
渚はわざわざ近づいて記事を読もうとしなかったが、壁新聞の最後に赤い太字で書かれた『正確な情報で行動を!』と云う言葉が印象にのこった。
渚の視線に気づいたカナエが云った。
「新聞を印刷する機械が津波でダメになっちゃったから、ああやって少しでも多くの人に地元の被害状況をつたえようってがんばってるんだよ。テレビやラジオじゃ小さな町や村のことまで手がまわらないもの」
(こんな時なのに、みんなのためにがんばっている人たちがいるんだね)
「こんな時だからこそ、だよ。だれかのためにがんばることで自分も勇気がわいてくる。人のためになることが自分のためにもなる。そうやっておたがいがささえあっていけば、どんな困難だって乗りこえることができる……ってトト神さまが云ってた」
(うけ売りかよ)
「私にそんな悟ったこと云えるわけないじゃん。でも、私はトト神さまの言葉があるから今もがんばれる。トト神さまの云ってたことはまちがいじゃないって思う」
カナエは自分に云い聞かせるように、しっかりとした口調で云った。
生まれて間もない神さまで、たいした力があるわけでもないカナエは、今もこの町の人々によりそい、その哀しみや苦しみと向きあっている。そのことに気づいた渚は、カナエの言葉を茶化したことを少し反省した。
「ほら。そろそろ水分補給しないと。一度にたくさん飲まなくてよいから、こまめにとらなきゃって云ったでしょ?」
コンビニエンスストアを通りすぎ、民家の絶えたなだらかな坂道をてくてくと下りながらカナエが云った。
(さっき飲んだばかりだし、ぜんぜんのどかわいてないからいいよ)
渚が手にしている500mlのペットボトルには1/4くらいの水がのこっている。
背中に背負った銀色の防災袋には図書館でもらった分もふくめて3本の飲料水が入っているが、両親の分に1本ずつとっておきたいので、なるべくちびちび飲んで長もちさせたかった。
「のどがかわいてからじゃおそいの。神さまの云うことを聞かないとバチ当てるよ」
ふつうは「バチが当たる」と云うところだが、神さま自身のコメントなので「バチを当てる」となる。
(神さまがおどかすのナシだろ。だいたいカナエにバチとか当てる力あるのかよ?)
「ふっふっふ。カナエさまの力の前にひれふすがよい。えいっ、こちょぐりの刑!」
カナエがふわりとうかびあがると、渚の背後からわきの下をくすぐった。もこもこしたダウンジャケットの上からなので威力は半減しているが、それでも微妙にこそばゆい。
体をくねくねとゆらしながら渚が降参した。
(わかった! わかったからやめろって!)
「ほんっと、渚は世話が焼けるんだから」
言葉とは裏腹にどこか楽しげなようすで、宙にういたカナエがうしろから渚の首に抱きついた。ほおとほおがふれて渚が赤面する。
(ちょっ……はなれろって!)
「よいじゃん。だれに見られるわけじゃなし。この方があたたかいでしょ? すりすり」
(水が飲めないじゃんか)
「あ、そっか。めんごめんご」
カナエは手をほどくと、渚の左肩へ手をかけたまま風船みたいにふわふわうかぶ。
(……まったく)
渚は照れかくしにすねるとペットボトルから水を2口飲んだ。あと1回分はのこしておく。
さいわいにして今日は快晴だが、3月の風は肌をさすように冷たい。
手袋をしているため、手はかじかむほど寒くないが、ちょっと頭が寒い。渚はダウンジャケットのえりに収納されたフードをかぶった。見てくれは悪いが、背に腹はかえられない。
「渚。ここから下りよう」
坂道の先は右へ曲がっていて、その手前の左側に町へ下りる歩行者用の細い階段がついていた。
そのまま道なりに進むと西の山の方へ30kmは遠まわりしてしまうことになる。2日も歩けば、渚のクラスメイトも避難している宝船高等学校の避難所へでるが、そこから弁天町まで歩くとなると、さらに1日かかる。
渚に聞けば「近道する」と云うに決まっているし、渚の体力や渚の母の安否が気になるカナエとしても、そんなに時間をかけてはいられないと思った。
トト神さまの宝玉の知識で、弁天町の地図は頭に入っているカナエだが、実際に弁天町へ行くのははじめてである。
渚と渚の背負っている防災袋に入っている銅鏡で〈顕現〉しているカナエは、渚から20m以上はなれると姿が消えてしまう。
事前に遠くまで偵察にいくこともできなければ、宝船町の中で宝船町の人がいる(あるいはいた)ところ以外の状況はわからない。
ガレキでうめつくされた町を、子どもの渚の足でどのていど進むことができるのかは、いってみなければわからない。
ここから先はカナエにとっても未知の冒険だった。




