II
今宵も男達は酒場で安いエールを浴びるように流し込む。
運ばれてきた料理をわれ先にと奪い合い、大声でわめき散らす。
「この野郎っ! それはオレんだぞ!」「うるせえハゲ! 早いもん勝ちだ!」
そんな声が、あちこちのテーブルから聞こえてくる。
「てめぇこのっ! もう我慢できねぇ! ぶっ殺してやる!」
台詞に似つかわしい野蛮そうな大男が、浅黒い肌の男の胸ぐらを掴みあげた。緊迫した空気に包まれるかと思いきや、同じテーブルの三人目はそんなことお構いなしに食事を続けている。
「やめてください!」
見かねて二人の間に割って入ったのは、給仕の女性。栗毛のウェーブした長い髪の、若い娘だった。彼女は腰に手を当てて、男達にすごんだ。
「店内で揉め事はお断りです!」
しかし男達の耳には届かない。頭に血の上った連中からすれば、彼女の声など店のBGMにすぎないのだ。
「おい落ち着けよ。豚のローストならまだ残ってるだろう」
「だから、揉め事は――」
「ふざけるなっ! 油ののった一番美味しいとこを狙ってたんだ!」
男の怒りの理由に、思わず吹き出しそうになる。
「ああもう!」
栗毛の女性ではもう二人を止められそうにない。かといって、連中の連れに仲裁を求めるのも期待できそうになかった。
そろそろ出番かな。
別のテーブルで静かに座っていた青年が立とうとした、その時だった。
「うわぁぁぁああっ!」
毒虫でも見つけたかのような悲鳴と共に、彼らのテーブルにいた男が椅子から飛び跳ねた。異質な叫び声に、客の視線が一気に集中する。
「うるせぇぞ! こっちはいま――!?」
胸ぐらを掴んでいた男がテーブルを見て、思わず言葉を失う。さっきまでの勢いが嘘のように、ぽかんと大口を開けて、それを凝視していた。
はぁ……まったく……アイツときたら……
彼らの視線の先には、翼の生えたコウモリくらいの大きさの生き物がいた。
その生き物の肌は爬虫類のようにざらざらとしていて、頭には一本の角が生えている。インプと呼ばれる悪魔だった。
インプは周りの異変に気づいていないらしく、豚のローストを両手いっぱいにだきしめて、ガツガツモグモグと食べるのに夢中になっている。
突如食卓に現れた悪魔にどうして良いかわからず、彼らは金縛りにあったかのように身動きが取れないでいた。
「ゲェップ。モウ腹イッぱいでやス」
インプは満足そう食べ終えると、ぽっこり出たお腹をポンポンと叩いた。
「クゥ~。やっぱり肉はじかに食うのが一番でやスねェ! ……んオッ?」
どうやらインプも周りの異変にようやく気付いたらしい。キョロキョロと男達の顔に目配せしながら、警戒のポーズを取る。
そして言った。
「テ……テーブルの物は早いもの勝ちでやスよッ!」
……そういう問題ではない。
「こ……ここここ、殺せ!」
恐怖に引きつった声で、彼らのうちのひとりが叫んだ。
「あ、悪魔だ! こ、ここ……殺せぇ!」
それをきっかけに、残りの連中にも火がついた。男達は右の腰に帯びていた護身用のダガーを抜いて、逆手に持った。
「だ、だめっ! その子は!」
栗毛の女性が言うよりも速く、男達のダガーはインプ目掛けて振り下ろされた。間一髪。インプは翼を勢い欲動かし、浮力を得て宙に飛んだ。
「クソッ! この悪魔め!」「一体どこから入り込んできやがった!」「んなことたぁどうでもいい! さっさと殺しちまえ!」
インプは男達の殺気に、ヒィと情けない悲鳴を上げて逃げるように店内を飛び回る。男達はドタドタと駆け回り、他のテーブル客の椅子に足を引っ掛けたり、コブレットに注がれたエールをこぼしたりした。
他の客達が男達に罵声を浴びせる。彼らはにしてみれば、悪魔よりも男達のほうが迷惑な存在のようだ。
インプはひとりの青年の背後に逃げるように急降下した。はぁはぁと息を切らした男達が、青年に詰め寄る。
「おい、そこをどけ!」
男達の鬼気迫る表情を前に、青年はばつが悪そうに頬を掻いた。ところどころハネた癖のある濃い色のブロンドヘア。鋭い歯のネックレスを胸元にぶら下げた青年は、革鎧の軽装で武装していた。彼はどこかの兵士のようだった。
「アニギィ! ダジゲデェ!」
青年の背後でインプが汁汚い声を上げる。
「聞こえねぇのか! そこに悪魔がいるんだ! どけっ!」
いらだつ男達。青年は困った様子で、大きく息を吐いた。
「あー……あのさ……」
「アァっ!?」
男達は青年の声を聞きつつも、その視線と殺意は背後のインプから逸らさない。
「とりあえず、その武器を下ろしてくれないかな」
「ハァ? んだって?」
青年の前には鈍い光を放つダガーが三本。事情を知らないものが見れば、青年が男達に因縁つけられているようにしか見えない光景だった。
「アンタたち、よそからローデンハイムに来た商人だろ。だから驚くのも無理はないけどさ」
青年が話す間も、男達は隙あらば刃を突き立てようと、彼の背後のインプを威嚇し続ける。インプは顔をひょっこり出しては、またヒィと鳴いて彼を盾に隠れた。
「ああクソッ! 邪魔だって言ってんだ! 聞こえねぇのか!」
男達はもう我慢の限界のようだった。力ずくで青年をどかすまでそう時間はかかりそうになかった。
青年はやれやれといったふうに頭を掻いて、深い溜息の乗せて言った。
「あぁー……っと、だからその、このインプ……オレの連れなんだ」
「インプがなんだって!?」
まだ理解できてない男達に、青年はもう一度重ねて言う。
「このインプはオレの連れなんだ。だから、武器を収めてほしい」
青年の言う意味がまだ飲み込みきれない男達は、戸惑いの表情を浮かべつつ、互いの顔を見合った。
「連れ……だと……?」
男達のうちのひとり、浅黒い顔をした男が言った。先ほど隣の大男に胸ぐらを掴まれていた男だ。男達は、冗談だろと言いたげにへらへらと薄っぺらい笑みを浮かべた。そして――
「貴様! バアル教徒だなっ!」
叫んだのは、はじめにインプを見つけた男だった。
「違います、その人は!」
栗毛の女性が声を張り上げる。が、すこし遅かった。
叫んだ男は逆手に持ったダガーを振り下ろす。青年は左腕で受け止め、右手するりと男の腕の後にまわし込むようにして、自分の左腕を右手で掴んだ。青年が勢いよく状態を屈めると、男は間接の痛みに苦痛の声を漏らし、ぐるんと半回転。うつ伏せに床に叩きつけられ、その衝撃に肺の空気を全部吐き出した。
「こ、このっ!」
不測の事態に動揺を隠せない男達。しかし、もう後には引けなくなっていた。
「ぶっ殺してやる!」
大男の雄叫びに、ギャラリーが沸き立つ。
「いいぞ!」「やっちまえ!」
エール片手に大盛り上がりの酔っ払いたち。彼らからすれば、これも余興のうちのひとつらしい。もっとも、大衆酒場ではよくあることなのだが、絡まれたほうはたまったものではない。
「何か勘違いしてるようだから言っておくけど、オレはバア……あー……バアル教徒? そんなのは知らない」
青年は男達を牽制しながら、説得を試みる。
「この嘘つき野郎! 悪魔を連れてるのがその証拠だろう!」
浅黒い肌の男が激しい剣幕で青年を睨みつける。
「邪教徒が。切り刻んで裸にしたあとピーをピーしてからちょん切って、それからクソ溜めにぶち込んでやるっ!」
よくもまあそんな下品な言葉が言えたもんだと関心しながらも、青年はやや引きつった笑みを浮かべていた。
「いまのはちょっと、頭にきたかも」
「ムキィー! アニキィ! やっちまえでやス!」
インプも頭にきたようで、顔を真っ赤にしてぷしゅぷしゅと頭から煙を出している。
「死ねぇ!」
浅黒い肌の男が青年に飛びかかる。青年は瞬時に腰に帯びていた小型の丸い盾に左手を伸ばし、男のダガーを持つ手に左フックの盾パンチ。体制の崩れた男の顔面に裏拳のように盾を振り払う。バンッと鈍い音を立てて、男は勢いよくテーブルに倒れ込んだ。
「よぉしっ! これで二人だ!」「さあどっちに賭ける?」「デカいのに銀貨一枚!」
ギャラリーは大いに楽しんでいるご様子だ。栗毛の女性は心配そうに青年を見つめている。
「もうこの辺にしておかないか? いまなら、さっきアンタが言ったことを水に流してやってもいい」
「ふ、ふざけやがって!」
大男は歯ぎしりして、獣のように咽喉を鳴らした。
「もう許さねぇ!」
ダガーを投げ捨てると、大男は腰に帯びたサーベルを引き抜いた。
「やめろ、店のなかでそんなもの振り回すな!」
青年の声などお構いなしに、大男は雄叫びを上げて切りかかる。ヒュン。袈裟斬りに振り下ろされる一撃がテーブルに突き刺さった。青年は大男の後ろに回りこむ。
大男は怒りにまかせ、テーブルのサーベルを引き抜きざま横薙ぎに振り回した。
「あぶないって言ってるだろ!」
青年の瞳に火がともる。大男が猛然と青年に切りかかった。振り下ろされる刃。青年はその小さな盾で弾くと、男の顔を両手で掴んで、下顎に飛び膝蹴り。大男は白目を剥いて意識を失い、ばたんと綺麗な大の字に倒れた。
ギャラリーに歓声が沸き起こる。
「よしきた! 銀貨二枚ゲット!」「でかいのは図体だけかよ! ったく、損したぜ!」
客達はそれぞれの思いを声にして、それから何事もなかったかのように、またいつものようにエールを飲み始めた。
「アーニキィ! ヤッタでやスねェ!」
インプが嬉しそうに青年の周囲を飛び回る。
「やったじゃないよ、こうなったのはチゲ、お前のせいだろ?」
「イッ!」
チゲと呼ばれたインプは眼をカッと見開いた。歯茎丸出しで気持ちが悪い。
「いいえ、フェルディック。あなたにも責任があるわ」
青年に声をかけたのは栗毛の女性。彼女は怒った様子で、青年――フェルディックをじっと睨みつける。
「ご……ごめん、ヘレン、こんなつもりじゃなかったんだ」
フェルディックは彼女の視線にたじろいだ。
「揉め事を収めてもらうために来てくれるのは嬉しいけれど、そのあなたが揉め事を起こしたら本末転倒じゃないかしら」
早口にまくし立てる彼女――ヘレンにフェルディックの表情はますます曇る。
「ムキィー! アニキは悪くないでやスよ! 悪いのはそこで伸びてるヤツらでやス!」
ぷんすかと反論するチゲに、ヘレンがギロリと怒りの目を向ける。
「チゲ、あなたは黙っていて」
「ハ、ハヒィィィッ!」
チゲは兵隊のようにピィーンと綺麗な気をつけをした。
「フェルディック、あなたがやっつけたこの人達も、うちの大切なお客様なんですからね」
「……はい。わかってます」
フェルディックはヘレンのお説教に声を小さくする。
「罰として、今日の片付けは二人にやってもらいますから」
「あ、あっしもでやスか!?」
間抜けな声を上げるチゲ。ヘレンは再度ギロリと睨んで言った。
「当たり前でしょう!」
「ハ、ハピィィィッ!」
チゲはヘレンの剣幕に気圧されて、よくわからない返しをする。フェルディックは連れの馬鹿さ加減に、かくんと首を折った。と、その時――
「あら、まるでお母さんに叱られてる子供みたいね」
突然、色っぽい女性の声がした。
フェルディックは首を折ったまま。その声に応じる。
「アザレアさん、いつからそこに?」
フェルディックが振り返ると、そこにはローブを身に纏った妖艶な雰囲気の女性が立っていた。豊満な胸の谷間。栗毛の女性とは違った、上品なウェーブのかかった薄紫色の髪。ローブのスリットからは、綺麗な曲線を描いた美しい片脚がすらりと伸びていた。
「そうねぇ……そこで伸びてる連中がチゲちゃんに驚いたあたりかしら」
とぼけたように彼女、アザレアが言う。
「それって、ほとんど最初のほうからですよね」
フェルディックは目を細めてじっと彼女を見た。
「細かいことは気にしないの。そんなだから、いつまでたっても女ができないのよ」
「なっ、そ、それは余計なお世話です!」
フェルディックはむきになって返した。
「あらそう? なんなら、私が恋人になってあげてもいいのよ」
アザレアはフェルディックにぐいと顔を近づける。ふぅっと彼女の吐息がフェルディックの鼻先をくすぐった。
「か……からかうのはよしてください!」
アザレアの突然の告白に、フェルディックは頬を赤らめて彼女から離れた。
「フフ。冗談よ。若いっていいわよね」
そりゃ、百歳過ぎてるハーフエルフのあなたよりは若いですよ。なんて思っても声にする勇気はフェルディックになかった。
「アザレアさん、帰ってらしたんですね。嬉しい」
ヘレンは言葉通り、嬉しさを体いっぱいに表現して、アザレアに抱きつく。
「久しぶりね、ヘレン。私も会いたかったわ」
姉妹のようにじゃれあう二人。フェルディックはその隣にいるもうひとつの人影を見た。
「あ、今日はスヴィも一緒だったのか」
フェルディックの視線の先には、背の低い、年頃の少女がいた。くしゃっとした赤毛のボブヘアーによれよれの三角帽子を被り、アザレアとは真逆の、体の線を隠すだぼっとしたローブを着ている。
「フェルディック。こんばんは」
感情の乗っていない、肩の力の抜けた声。
「あら、スヴィも一緒だったのね。ごめんなさい、気付かなくて」
スヴィはヘレンを見上げる。
「気にしないで、いつものことだから」
「もう、スヴィったら」
ヘレンがスヴィを抱きしめる。スヴィの頬がほんのり赤くなった。
「ウヒョー! もう我慢できないでやス!」
ふいに頭上で声がしたかと思うと、次の瞬間、チゲがアザレアの胸の谷間に向かって急降下していた。
「オカーチャーーーン!」
なんだよ、おかあちゃんって。
ペシッ。
アザレアはいともたやすくチゲをはたき落とす。
「し、シドイ! あんまりでやスッ」
床に落ちたチゲは赤く膨らんだ頬に手を当てて、涙目にアザレアに訴えた。そこへ、一歩足を踏み出してチゲを牽制したのは、スヴィ。
「お師匠様に手を出すな、キモインプ」
「ガーン!」
チゲは顎をはずして白目を剥いた。
「ところで、アザレアさん、オレに何か用があって来たんじゃないんですか」
フェルディックは場を仕切りなおすように言った。それに、アザレアは待ってましたと言わんばかりに不敵な笑みを浮かべる。
「ええ、フェルディック・ブライアン。あなたに仕事を持ってきたの。ローデンハイムの騎士殿に……」
クルプ暦226年。
フェルディックが騎士に就任してから3年後の、夜の出来事だった。




