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その風の行方 1 ~常闇の魔女外伝~

賢者アルディロスの弟子、ユーリシアは、師とその使い魔と共に深い森の奥でひっそりと生きていた。

そんなある日、彼女は師の命を受け、森の中でとあるものを拾う。

この拾いモノこそ、後の世で英雄王と呼ばれ、フェヴィリウスが大国となる礎を築いた男であった。

※常闇の魔女外伝、ユーリの過去話となります。



鬱蒼と茂る森の中を、一人の男がさまよい歩いていた。

身に纏う外套は、引き裂かれたようにボロボロで、顔や腕にも所々血が滲んでいる。

一瞬足がもつれ、男は咄嗟に近くの木に片腕をつき、何とか体勢を立て直す。



(……まずいな)



彼は荒い息を繰り返しながら懐を探り、水筒を引っ張り出した。

栓を抜き、中の水を飲もうと傾けるが、乾いた口内に落ちた水はほんの数滴だった。


小さく舌打ちをしてから、男は再び歩みを再開する。

この陰鬱で広大な森に足を踏み入れてから、もう5日程経過していた。

準備してきた水も、食料も、ほぼ底をついている。

ここ2日は果物を口にすることで凌いできたが、体力的にも限界が近い。


森に入ってから、男はろくな休息もとらず、取り憑かれたように歩き続けていた。

全ては、この森のどこかに住まうとされている、賢者アルディロスに見えるためであった。

しかし、賢者の住かはそう簡単に見つからないよう、魔術で隠されていると言う。


ただでさえ、日の光があまり入らないこの森は道に迷いやすい。

それに加え、この森には体の大きな獣や、群で獲物を襲う肉食獣もいる。

それなりに体に自信のあった男であったが、連日の過酷な道のりに心身共に疲れ果てていた。



(くそっ、目が霞んできやがった)



ぼやけはじめた視界に、男は悪態を付きながらも足を進める。

しかし、そこからどれほども動かない内に、ずるずると地面に倒れ込んでしまう。



(こんな所で……、倒れてるわけには……いかないって言うのに……)



表情を歪め、両手を握り締めた男であったが、彼が意識を保っていられたのはそこまでだった。

飲み込まれるかのように、男の意識はあっと言う間に暗闇へ沈んでいったのだった。





*************





男が意識を失った場所より、更に森の奥へと踏み込んだ場所にその塔はあった。

空まで伸びるほどに高い塔の天辺は、雲に隠されており、地上から伺うことはできない。

そんな人智を越えた建造物の中腹地点で、一人の老人が水盆を興味深げに眺めていた。

何が面白いのか、時折声を上げながら、水面に映し出される光景を見つめている。



「ほー」



わざとらしく伸ばされた老人の声に、ミシリと木が軋むような音が上がった。

老人の側で大人しく伏せていた狼が、ピクッと耳を震わせ、のそりと身体を起こした。


その視線の先にいるのは、こちらに背を向けた長い黒髪の娘だった。

彼女は一瞬動きを止めていたようであったが、再び木杓子で鍋をかき回し始める。

どうやら、老人の声は聞かなかったことにするらしい。


狼は隣に立つ主に視線を戻し、困ったように耳を伏せ、炎のように赤い尾をふわりと振った。

主は残念な事に、愛弟子の神経を逆撫でする事にかけて右に出る者はいない。

と言うよりは、それを楽しんでいる節がある。

それを裏付けるかのように、老人は娘の背を一瞥してから、再び間延びしたような声を上げた。



「ほぉー」



その直後、鍋の縁に杓子を叩きつける音が室内に響き渡った。

苛立ちを吐き出すような重い溜め息を吐ききってから、娘はとうとう老人に向き直った。

その黒い眼は、どこか据わっている。

知らない人間が目にすれば、思わず一歩引いてしまう事だろう。

そんな凶悪な表情を晒しながら、娘は不機嫌さを隠さない低い声で己の師へと問いかけた。



「さっきから、ほーほー馬鹿みたいに繰り返して。一体何だって言うんですか」

「なんじゃ、やはり聞こえておったのではないか。全く、師匠を無視するとは、可愛げがなく育ってしまったのう」



弟子の不機嫌アピールもどこ吹く風で、老人はわざとらしく拗ねたように唇を尖らせて文句を言う。

娘のこめかみにビキリと青筋が立ったのを確認し、様子を伺っていた狼がさっと身を屈めて両耳を伏せた。

娘は老人が座っていた場所に近づき、目の前の机に両手を叩きつける。

彼女が思い切り息を吸い込んだ直後、雷のような怒声が室内の空気を震わせた。



「誰のせいだと思っているんですか、誰の! ご自分の胸に手を当てて、よく考えて下さい!」



娘の師である老人は、天才ではあるが、人を育てるのにはとことん向いていない人間だった。

元々可愛らしい性格ではないと自覚しているが、更に輪をかけたのは人間不信と師の教育方針だと思っている。

訓練といって、小刀一つの状態で獣や魔物の住まう森に放り出される生活をしていて、楚々とした愛らしい娘に育つと思っている方がどうかしているのだ。

しかし、『普通』から感覚のずれまくっている師に、何を言っても無駄であることも熟知している。

娘は苛立ちを抑え込むように息を吐き出し、乱れた黒髪をかき上げてから師に向き直った。



「まぁ、この話は置いておくとして、先ほどから何をわざとらしく主張しているんですか?」

「なに、ちぃと拾ってきて欲しいものがあっての」



娘の質問に、老人は満面の笑みを浮かべたまま答える。

こんな風に師が楽しげであるときは、厄介事を持ち込んでくることが多いのだ。

自然と警戒心が湧き上がり、娘の眉間に皺が寄る。



「拾ってきて欲しいもの?」

「これ、拾ってきてくれんかのう」



師はそう言って水盆を指さすと、浮かべていた笑みを深くした。

嫌な予感をひしひしと感じ、娘はひくりと口元をひきつらせた。

しかし、師は引く気はないのか、水面を指さしたまま動こうとしない。

仕方なく中を覗いた娘は、即座に顔をしかめて答を返した。



「お断りします」



娘の返答に、老人は目を丸め、芝居がかった調子で首を振る。



「何と! おぬし、見捨てるつもりか?」

「そんなに気になるのなら、ご自分で拾ってくれば良いでしょう。私は、面倒事と関わるのは御免です」



娘は興味を失ったかのように鍋に向き直り、中断していた作業を再開した。

適当な大きさに切り分けていた葉物野菜を煮え立つ鍋に放り込み、万遍なく熱が通るようにかき回す。

そんな彼女の後ろで、老人は己の使い魔に話しかけては聞こえよがしに溜め息をついた。



「冷たいのう。そうは思わんか? フェルよ」



隣で伏せていた狼は、主に視線を向け、困ったように一声鳴いた。



「このままでは獣に食われてしまうかもしれん。あーあ、わしの弟子が冷たかったばかりに、可哀想にのう」



一言話してはちらりと弟子の反応を伺い、再び大きな声で独り言を話す。

そんな事を何度か繰り返した頃、とうとう娘はシチューを煮込んでいた火を止めた。

エプロンを外して椅子に放ると、壁際に掛けてあったローブを羽織って扉の方へと歩いていく。



「ユーリシア、どこへ行くんじゃ?」

「それを、あなたが聞きますか?」



わざとらしく尋ねてくる師に、心底嫌そうな表情で返してから、娘は狼に声をかける。



「フェル、師範を絶対に鍋に近づけさせないで下さい。夕食を台無しにされてはたまりませんからね」



狼がふわりと尾を振るのを確認してから、彼女は苛立つ気持ちのまま、音を立てて扉を閉めた。

その直後、扉の向こう側で淡い光が放たれ、数秒の後に消える。

恐らく、娘が転移の魔術を使ったのだろう。

老人は満足げな表情を浮かべ、水盆を見下ろした。



「さてさて、この出会い、どう転ぶかのう」



彼の見つめ先には、ボロボロの外套を纏ったまま、倒れ伏す1人の男の姿が映し出されていた。



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