神の不在証明
「さて、これはどういう符合なのかしら?」
「我の知るところではないが、気になるところだな」
我がこちらに出て、随分と時が経った。
かつての世界での悠久にも等しき時間に比べれば、あまりにも微々たるものだが、様々なモノを刃に映し、それなりにこちらの世界というのも理解してきたつもりだ。
だが、まだまだ不明なことは多い。
中でも一番不明なのはこの世界の成り立ちについてだろう。
誰がこの世界を造ったのか、あるいは我にとっては甚だ奇妙に考えられることだが、目の前で微笑を浮かべている女の言うように、誰が造った訳でもなく自然発生的に出来たのか。
やまびこ協会聞いた話にしても、何世代も前の話の伝聞でしかない。
かつてヒトは地上にいたというが、それすらも本当のことか分からない。
いつか誰かが語った妄想が伝え残ってしまったことだって十分有り得る。
歴史とは勝者の解釈だ。
力を持った者の解釈が正しいものとして残されていくのだ。
昔、声の大きな誰かがいただけだというオチだって十分に考えられた。
それこそこの目の前の女、リルカ・カーテンコールの記憶の方がよほど確かだろう。
いったい何十年、何百年なのかは不明だが、それなりに多くのヒトと、この地下世界を見てきているのは間違い無いのだから。
ただし、我に対して真実を語っているかどうかはまた別の問題だが。
「今までにあのような剣は?」
「無かったですわ。勿論」
リルカは微笑を浮かべてティーカップを口元へと運ぶ。
内緒の話としたいのか、我をグリーニアの庭園へと運んできたリコはリルカの勧めで別の場所を見に向かわされている。
さすがに何度も魅了を掛けるのは後々に響かないとも限らないので我が許さなかった。
誘われて再び訪れた庭園で、リルカが尋ねてきたのはあの剣のことだった。
リルカは語る。
こんなことは今までになかったと。
「過去、多くの者があの光の輪によってこちらへと転移させられてきましたわ。中には水と光だけでエネルギーを自ら造り出して動くヒューマンメイドなんて存在もいましたくらいに、多様な者たちが、ですわ」
「ハイドも言っていたな」
被造物でありながら、ヒトとしてコロナに呼ばれた存在。
そういう者が今までにもいたと。
だが、考えてみれば、神が存在した世界から来たならば、すべからくその者たちは被造物だ。
逆にリルカが言うように、完全に神なき虚空から世界が造られたという、そんな世界から来た者は果たしているのだろうか?
……考えても、詮無いことだとはすぐに判断出来る。
我のいた世界でも、神がいなくなってから時が経ち過ぎていた。
誰も神など信じていなかったし、信じていたのは虚像の神、自分にとって都合の良い空想上の産物だけだ。
それでどうやって自分の世界に神がいたのか、いなかったのか、知ることなどできやしまい。
それでも、リルカは確信して疑っていないのだ。
この世界には神は初めから無く、今に至るまで一度もいた試しが無いと。
「それでも世界はずっと同じままでしたの。ヒトはこの地下に閉じ込められ、モンスターという意志なき有象無象が襲いかかってきて、その時々でちょっとヒトが増えたり、減ったりして、その繰り返し。ああ、そう言えば、私がこちらに来た頃にはもう少し酷いものでしたのよ」
その頃には庭園騎士団は無かった。
一部のエルクたちが魔法を用いて細々と耕作を行ってはいたが、多くは襲ってくるモンスターを殺し、それで飢えをどうにか凌いでいて、今ほどの環境は整っていなかった。
そこでリルカはそのエルクたちに力を貸して、庭園騎士団を造り出したのだ。
いたくエルクがお気に入りなのは、その頃からなのだろう。
何度か自作自演で死亡説を流し、姿を変えてはコロナによって呼ばれたような顔をしてまた暮らす、そうやってこの女はこちらでの時を過ごしてきたのだ。
「あら?話が逸れましたわね。そう、何も変わらない。もしも神なる存在がいれば、変化が起こる。何でもできるが故に、何もしないではいられないのがあの方々なのだから」
「そこには同意しかできないな」
何でもできるからといって、何でもはする必要は無い。
だから、神はしたいことだけをするのだが、何もしない神というのはいなかった。
もしも神が何もしなくなったのならば、つまりそれはいなくなったということでしかない。
「何も変わらないはずの世界が初めて変わりましたわ。ノクトブランド様がいらしてから。これはどういうことなのかしら?」
我が何かしたのかと疑っているのか?と、その目を映しても、その視線は我からずらされたまま、確かに笑っていた。面白がっているのだ。本当に。
そして我の反応を見たかっただけで、話の結論を出す気は無いように映っていた。
「さてな?だが、確かめる方法ならばあるのではないか?」
「あら?なにかしら?」
「とぼけるな。エクソダス、とやらをすれば良い」
我がこちらに出でて、我と類似性を持つあの剣が現れる。どう考えても意味ありげだ。
まるで我のことを知ったが故に、同じような存在をどこかの誰かが造り出したよう。
造り出したのは誰か?
それは地上の誰かだ。
地上にはモンスターしかいない?
それも伝聞だ。
もしかすれば、神がいてもおかしくない。
なのに、この女はいないと断じて動こうとはしない。
今も微笑を浮かべたまま、子供が駄々を言って困っている、そんな様子だった。
「私はかつて神と呼ばれていましたわ。勿論、偽りの称号なのですけれど。それでも私にもあの方々のように矜持がありますのよ」
矜持とは何か?
聞かなくても、もう答えは分かった。
この庭園がこの女の郷愁なのだと考えた瞬間にはもう分かっていた。
リルカは興味が無いのだ。
この地下世界に。
自分の作った好きな箱庭にいられれば、それで満足なのだ。
そして我もまた、特にエクソダスを望んでいないではないか。
もしも望むならば、ハイドでもリコでも鞘にして、地上を目指して切り込んでいけば良い。
だが、しない。
我もまた変わらないではないか。
リルカがいないと断ずるのは、仮にいても興味がないからだろう。
我はいないとは断じないが、実は強く興味を持っていない。
なぜか?
……仮に神がいたとしても、それは違うのだ。
我のいた世界の神では無い。
我のいた世界の神ならば、尋ねてみたいところはある。
神にとっては些細なことだろう。
それでも我は尋ねたい。
なぜ?と。
だが、それだけだ。
何かをしてくれと頼むつもりもなければ、正直、問いに対して答えなどなくても構わない。
それが異なる世界の神ともなれば、尚更、頼むことなど何もないではないか。
そこまで思考して、はっきりと理解する。
そうか。
リルカにとっての神とは、リルカの世界の神なのだ。
その神がいないのだったら、どんなに全能なる神がいたとしても、それは神では無い。
だから、この世界には神はいない。
それが答えなのだ。
我以上に頑なに、そう刻まれている。
「願うならば成せば良い。願うのは誰?私じゃありませんの。それはヒトのすること。ならば私はそれを見ていますわ。ずっと。いつまでも」
かつて神と呼ばれていた時のように。
微笑みながら、慈しむように。
だからリルカはこの世界を気に入っている。
「お前の考えは良く分かった。もう二度と、エクソダスなどとお前に言うことは無い」
「分かって頂けて良かったですわ」
「……お前の世界の神はよほどに頑なだったのだろうな」
もしもこの世界に、リルカの世界の神がいたならば、すべては無へと帰っていたに違いない。
そしてすべてを創造するのだろう。
望むままに。
「あら?ノクトブランド様の世界の方々は違いましたの?」
「……違いない、な」
リルカは笑い、我もまた笑った。
そこにリコが戻ってくるのが刃に映る。
その表情は引きつっていた。
リルカと我が談笑しているのが、魔王と邪神のそれにでも見えたのか。
足が笑い声が聞こえたであろう距離で完全に止まっている。
と言うよりも、ビビっていた。
「そうだ、聞いておこう。なぜ、ハイドを警戒する?」
最初に言われた、来訪するならば、こちらで生まれ育った者にという言葉。
よりリルカの認識に合った正確な表現をするならば、光の輪によって訪れ、こちらで子を生し、そうして生まれ育った者ということだ。
そしてハイドを警戒する目。
我の刃が曇っていたなどということはない。
勘違いではないはずだ。
「……私と同じことをしているのではないかしら?そう疑っておりますのよ」
「同じこと?」
「随分昔に現れて、死んだことにして、また現れたことにする。そうやって長い時間をこの地下世界で過ごしているのではないかしら?」
力の強い、弱いではなく、そういう永生者のような能力をハイドが有していると、リルカは疑っていた。
そうやって、いつかリルカにとって望まないことをするのではないかと。
「確証があるのか?」
「ありましたら、私はあの方をそのままにはしておりませんでしたわ」
異世界よりの転移者たちを集め、力を貸し、縁を何よりも大事にしているというハイドには、何かをしようとした時にはそれが出来るだけの力を集められる可能性がある。
アルフレッドやタンゴをはじめとして、ハイドを慕う者は多い。
しかも、それをやまびこ協会だけに集合させるのではなく、様々な組織へと散らばらせているのが何よりも怪しいという訳だ。
リルカはそこまでは口にしなかったが、あの男に裏があると考えれば、これくらいのことは考えが及ぶ。
及べば、確かにそういう見え方もあるなと納得できた。
「ノクトブランド様も注意された方がよろしいのではないかしら?」
「さて、その必要があるとは今のところは考えられぬが、ただのヒトではない身としては忘れられるものでもないしな」
笑い声が収まり、普通に話し始めたと判断したのだろう。リコが歩いてきたので、これ以上は話さなかった。
「お話が盛り上がっているみたいですけど、そろそろ戻りませんか?」
「顔がひきつっているぞ」
「……そんなことないですよ」
笑おうとしたのだろうが、見事に失敗している。
そんな様子のリコに、リルカは婉然と笑いかける。
「それでは、お二方とも、またのお越しをお待ちしておりますわ」
「ああ、そうだ弓矢、全然売れないから引き取ってもらえないか?」
最近、考えたのだが、あれ、売り物ではなく、グリーニアの勢力下にあるぞ、という代紋みたいになっているのではないか?
「駄目ですわ。せめてひとつくらい売っていただかないと、出品しました私の沽券に関わりますもの」
暇な武器屋に売れない武器を出したことが何の風評に繋がると言うのだろうか?
だが、リルカは結局引き取ることを了承しなかった。
「……仕舞うか」
「……それはそれで、また怒られそうですよ?」
店に戻って、リコと相談したのだが、確かに何か言われそうだと考えられた。
「売れたことにして、リコの魔法で燃やすというのはどうだ?」
「ぜっ…………たいに!!嫌です!」
後で難癖つけられたくないのだろう。
我もあの女に難癖つけられたくはない。
売れたと言えば、誰に売ったのかくらいは聞かれよう。
すぐにバレる嘘を言うなんて、それこそ子供のようではないか。
結局、今も弓矢は置かれたままだ。
リルカはハイドに望まれないことをするのではないかと疑っていたが、我にとってはあの女こそが我の望まないことをしているではないか。
「……私が言うのも何ですけど」
「……なんだ?」
「ノクトさんも、リルカさんも、関わった時点で負けですよ」
なんだ、そのハズレしか入っていない貧乏くじみたいな言い草は。
尋ねるよりも前にリコは続けた。
「悪いヒトじゃないんだろうなぁ、とは思うんですけど、私ってもしかして運が悪いんじゃないかな?って疑わずにはいられなくなるんですから」
そういうリコの目は、例の目をしていた。
相変わらず、店の客は少ない。
運が悪いのは、リコではなく、我の方なのではないかと、そろそろ疑うべきなのかもしれないが、我は運というのは信じる、信じないどころか、考えたことがない。
ならば悪いのはいったい何なのか?
「少なくとも、笑い方は良くないですよ?……あと、付き合ってるヒトたちも」
そこにはお前も含まれるのではないか?と告げてやりたいところだったが、それを告げればしばらくは店に寄り付かなくなりそうなので、やめておいた。
「難しいものだな。ヒトというのは」
「そうですよ。頑張ってくださいね」
「願うならば成せば良い、か」
まずは店の繁盛でも願うこととしよう。
それが神でもなく、人間でもない、器物たるヒト、ノクトブランドの願いとして。
武器屋、ノクトブランドは今日も営業中だ。
「昔は地獄絵図みたいでしたのよ」
女は語る。
かつての有様を。
今でこそ、肉を得るモンスターというのは種類が決まっていて、食べるのに適したもの、有り体に表現すれば「美味い」ものだけを選ぶのだが、当時は毒さえ無ければなんでも食していたらしい。
「ヒトに近い姿のモンスターでも食べてましたから、まるで共食いみたいな有様でしたのよ」
笑って話すが、当時の者たちにしてみれば笑って済むような状況ではなかったということだ。
さすがにそれはと女は考えたらしく、少しばかりこの地下世界の文化を作り替えたらしい。
「ヒトには着るものがあって、食べるものがあって、寝るところがあれば良い、なんて考えでは、きっとあの方々もすぐにいなくなっていたはずですわ」
「そうだな。娯楽が、文化があってこそのヒトだ」
かつて女は神を演じていたというが、今でもただのヒトから見ればそれに近いのだろう。
そう剣が考えていると、女は笑って言った。
「その物言いは、あの方々みたいですわよ」
第二章終わりですかね。風邪引いたかも?




