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【ZERO2】Against The Wind  作者: 市尾弘那
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第7話(2)

 顔を顰めるあゆながいつも通りに見えて少しほっとしながら、その言葉に従う。入れたばかりのエアコンを停止して窓を開けると、目が覚めるような冷気が吹き込んできて思わず目を瞑った。

「うわ、寒ぃ」

「当たり前でしょ。何月だと思ってるのよ」

 くそう。木漏れ日に騙された。

 まだ半分以上布団に体を突っ込んだ状態で、あゆながロフトから見下ろす。

「あゆな、寒くない?」

「平気。あったかくなったら出るから呼んでね」

 お前なあ。

「汚ねー……」

「だから汚いって言ってるじゃない」

「床の話じゃない」

 ずるいって言ってるんだよ。

 ぼやきながらクイックルワイパーでフローリングの床をなぞる。口をへの字に曲げて、吐く息も白い中、床の掃除に励む俺にあゆなが首を傾げた。

「いつからしてないの? 掃除」

「ちゃんとした掃除? 一月終わり頃にしたかなあ。でもそれ以降は、クイックルワイパーで適当にやるだけ」

「家に帰って来てはいるんでしょ」

 まあね。三日、四日おきくらいにはね。

「ほとんど寝るだけくらいしかいない、この部屋。今」

 一通り埃をさらい終えて、少し待ってから窓を閉める。エアコンのスイッチを再び入れ直して煙草をくわえた。

「これからも続くの?」

「うーん、多分」

 俺が働いてる間に埃屋敷になっちゃったらどうしよう。屋敷と言える規模じゃないが。

 そんなふうに思って眉根を寄せていると、あゆながようやく布団から出てきた。いつの間にどこから見つけ出したのか、俺のトレーナーをすぽっと被っている。ちっ。

「良かったら、なんだけど……」

 遠慮がちに言いながら、あゆなはロフトの縁に腰掛けた。すらっと伸びたむき出しの綺麗な脚をぷらぷらさせながら、俺を見下ろす。

「あんたがいない間、時々掃除してあげよーか?」

 昨夜しみじみとわかってしまったんだけど、あゆなってスタイルが良いんだよなー。服の上から見てるより遥かにこう……まあいいや……。

 俺の意志とは無関係に、視線が脚に釘付けになってしまう。あゆなは話す方に神経が行ってしまっているらしく、俺の視線には頓着していない。ありがたく目の保養を堪能する。

「無理にとは言わないけど。部屋触られるの嫌とかあるだろーし」

「え? ないない全然ない。掃除してくれんの? やったーさんきゅー助かるー」

 どっかに予備の鍵があったはず。その辺の棚の引き出しを漁って合い鍵を発掘すると、ロフトに放り投げた。

 落ちる前に器用に受け止めたあゆなが、また呆れ顔をする。

「いーの?」

「何で? いーよ。さんきゅー。気が向いた時だけでいーから」

 答えながら元いた俺の定位置に座り込むと、あゆなは片膝を軽く折ってロフトの階段に片足をかけた。

 トレーナーしか着ていないとゆーことは、超ミニのスカートみたいな状態だ。その裾から伸びたむき出しの片足を階段なんかに軽くかけていると、これは……実に目が離せない姿勢。

「だって、見られたら困るものとかないの?」

「もしあったら見なかったことにして」

「何よそれ。……どこ見てんのよ」

 よーやく俺の視線に気づいたらしいあゆなが、曲げていた足をまっすぐに戻した。

「いー眺めだったもんで」

 あゆなが、むくれたように俺を睨んだ。トレーナーの裾を目一杯引っ張る。

「そんなことしたら伸びちゃうぢゃん……」

「どっか行ってよ。降りられないじゃないの」

「降りればぁ?」

「馬鹿。すけべ。エロガッパ」

 ……カッパって何。

「何とでも言え」

 へろーっと舌を出したまま動こうとしない俺に、おもむろに枕が叩きつけられた。片手に煙草を持っているので咄嗟に手が使えず、勢い素直に顔面で受ける羽目になる。

「馬鹿、危ないだろっ」

「知らない」

「けち」

 しょーがないな。

 枕をどけて灰皿に煙草を押しつける。立ち上がってバスルームへ向かった。

「シャワー浴びてくる」

「いってらっしゃーい」

 凄く好意的に部屋を追い出されながら、くしゃくしゃと髪をかきまぜる。シャワールームに入って扉を閉めると、俺は小さくため息を落とした。

 お互い、肝心な話を避けている。そりゃまあ寝起きからいきなりする話じゃないかもしれないし、仕方ないんだろうが、このままじゃいけない。だけどこの空気感が安心させるのも確かで、それに流されてしまいそうだ。

 しゃんとしろってば、俺。多分あゆなから切り出せる話じゃない。それにまで甘えたら、本当に俺、最低だぞ。

 ちゃんと話さなきゃ。関係を、どうしていきたいのか。

 まず自分がどうしたいのかを考えながらシャワーを浴びて、部屋に戻ると、あゆなはきっちり服を着ていた。

「わたしもシャワー貸して」

「……だったらわざわざ着替えんでも良かったんじゃん」

「だって変な目で見る人がいるんだもの」

 悪かったな。

 あゆなが入れ違いでシャワーを浴びて出て来ると、一緒に部屋を出る。天気は良かったし、冷たいけれど乾いた緩やかな空気は気持ち良さそうだ。

「何、食う?」

 部屋の鍵をかけて、エレベーターへ向かう。少し迷って、待っている間に隣に並んだあゆなの手をつかんだ。指先を絡めてエレベーターに乗り込む。

 外に出ると、あゆなは嬉しそうな顔で俺を見上げて笑った。

「? 何?」

「何でも、ない……」

 言って、繋いだ手にぎゅっと力がこもる。それで気がついた。……手を繋ぐだけで、こんなに幸せそうな顔、してくれるんだな。

 切ないほどその気持ちを感じて、泣きたいような気持ちにさえなる。あゆなの小さな手を握る指に、力を込めた。

 ……あゆなを傷つけたくない。

 でも、まだ由梨亜ちゃんを忘れられてない。

 もしかすると、あゆなの方がそんな俺では嫌だと言う可能性だってある。

 自分がどうしたいのかさえはっきりとわからず、ただ、失いたくないと言う思いは強かった。こうしてそばにいるのが当たり前に自然で、だけど繋いだ指先から小さな幸せを感じるのも多分事実だ。

 行き交う人の中、手を繋いだままぷらぷらと新高円寺を通り過ぎて、高円寺の方へ続く商店街を歩きながら口を開いた。

「あゆなさ」

 言葉を選んでは躊躇う。

 どう言えばうまく伝わるんだろう。

 いや、そもそも何を伝えたいんだろう。

 どうしたいんだろう。

「あのさ」

「うん」

「……」

「……」

「ええと」

「……気にしないで」

 口を開き掛けては詰まる俺に、あゆなが小さく俯いたままで言った。

「あんたの気持ちなんか知ってるから。別に、いーわ」

 掠れた声を出しているくせに、強気な口調で言い切る。そんなあゆなに、胸に強い衝撃を覚えた。

 突き飛ばされたように、喉元に感じる圧迫感。そうさせるのは、俺の中の罪悪感だ。

「あゆな……」

 あの強気なあゆなが、自分の気持ちをここまで押し殺して俺の気持ちを大切にしようとしてくれているのに?

「いーじゃない。ちょっとした事故。弱くなる時だってあるわ。言葉じゃ足りない時だって」

 ――どこまであゆなに甘えるつもりなんだよ……っ!

「……おうよ」

「え?」

「付き合おうよ……ちゃんと」

 あゆなの方を見ることが出来ず、少し俯いたままで、でも出来るだけはっきりと。

 言葉を失ったあゆなが、俺を驚いたように見るのがわかる。

 ……恋愛感情、とは多分まだ呼べない。でもそればかりは、俺の意志でどうにか出来るものじゃない。

 だけど、失いたくないのも確かな本音だ。

「嫌じゃ、なければ」

 あゆなは沈黙したままだ。

 好きだと言ってあげることは、今の俺にはまだ出来ない。嘘はつけない。そんな俺では嫌だとあゆなが思うのなら、何も言える資格はない。

 しばらく黙ったままだったあゆなは、やがてゆっくりと顔を上げて口を開いた。

「ゆっくりで、いーから。本当に、好きになってね」

 儚い声に、泣きそうな笑みに、あゆなの本当の姿がチラつく。いつも強気を装って、素直じゃない態度ばかり取る彼女の、か弱い姿。

「俺、あんまり会えなくて寂しい思いとかさせるのかもしれないけど、でも出来るだけ会える時間を作るから。出来るだけ電話とかも、するから」

 あゆなが受け入れてくれたことに少しほっとしながら、だけど彼女の複雑な気持ちを考えれば一概に笑顔にもなれなかった。あゆなはきっと、俺の揺れる胸中を察しているんだろうから……だから、そんな儚く見えるんだろうから。

「わかってるから、大丈夫よ」

 武人が付き合ってたコみたいにあゆながなるとは思わないけど、バンドにかかりきりで破局した経験は実は俺もかつて、ある。原因はそれだけではなかったけれど、理由として軽くもない。

 そんなふうに不安定な心情のまま、だけど俺はこの先もいつもそばにいてやれるわけじゃない。付き合うことになったって、多分あゆなには寂しい思いをさせるんじゃないかと思う。例え、精一杯大切にしたとしても。

「明日からまた俺、しばらく全然会えなくなると思うんだ……」

 帰って来ないわけじゃないけど、帰って来ても仕事とスタジオとバイトが満載だ。

「そう」

 俺の言葉にあゆなが寂しげに微笑む。

「今日、バイトが終わったら、電話するよ」

 明日は朝イチで仕事があるから、今日のバイトは上がりが早い。〇時上がりだ。

「うん。わかった」

「……あゆな」

 優しさに甘えてばかりで――。

「ん?」

「……いや、何でもない」

 ――ごめんな。


          ◆ ◇ ◆


 ゆっくり散歩がてら店を選んで朝メシ兼昼メシを食い終えると、仕事に行くあゆなとはJRの駅で別れた。そこからまた一人で部屋まで戻った俺は、今度は改めて部屋の掃除をしてついでに布団まで干すと、夕方になってバイトへ向かった。

 一週間以上ぶりくらいになる。

(何か、変なの)

 ロッカーから制服を取り出して着替えながら、俺は小さく欠伸をした。

 まだどこか頭の中がぼんやりしていて現実味がない。

 あゆなと付き合うことになるとは、正直数日前には考えてもなかったことだから。

 成り行きと言うか勢いと言うか、そういう流れであることは否定はしないけど、それでもああやって言った以上、あゆなは今朝から俺の彼女と言うことになる……んだろう。

 これまでずっと友達でやって来て、俺は友達関係やったことのない人と付き合ったことは今までもないはないんだけど……でも何か本当に、『友達』だったから。

 ……まったく、男と女はいつどうなるもんかわかったもんじゃない。

 本音を言えば、複雑ではある。

 昨夜のことはさておいて、今更いきなり彼女とかそういうふうに見ることが出来るのか、自分で良くわからない。実感だって、正直ない。

 でも大事にしようと思う気持ちには嘘はないし、今までだってちょっと意味が違うとは言え大切にしてきた関係ではあるし、少しずつ……あゆなの言う通りゆっくりでも良いから好きになれたら良いとは思う。

 少しずつでも、由梨亜ちゃんを忘れて、あゆなのことが好きになれれば。

(大事に、しなきゃ)

 付き合うことに決めたんだったら。

 あゆなの存在が俺を癒してくれて、そばにいて欲しいと望んだのは確かだ。

 俺を想ってくれる気持ちが滲んで見えるあゆなの笑顔が脳裏に過ぎり、心臓が微かに音を立てた。そんな自分が少しだけ、照れ臭くもある。

「はよー……っと。何か久しぶりじゃん」

 ロッカーのドアを閉めたところで健人が入ってきた。俺を見るなり目を丸くする。

「うん。武者修行中だから」

「少しは成長したかね」

 言いながら健人は、荷物をロッカーに放り込んだ。煙草を咥えながら、それに応えて肩を竦める。

「どーかね。にーさんは最近なんかおもろいことあった?」

「ない」

 あそ……。

「相変わらず彼女も出来ねーし」

「まだそんなこと言ってんの」

 ぱかーっと煙を吐き出して天井を仰ぐと、健人はぎろっと俺を睨んだ。

「あれ? どこか余裕のある発言じゃないですか? 橋谷くん」

 健人が制服のボタンを留めながら振り返った。煙草の灰を落としながら、つい動揺して視線が泳いだ。

「べ、別にいつも通りだろ」

 そんな不自然な発言はしてないはずだ。それともひがみっぽくなるあまり、そのテのことだけ異様に察知する能力が鋭敏になってるのか?

「怪しいなあー」

 ネクタイを首に引っかけたまま健人がにじりよってくる。そこへ別のバイト仲間が出勤してきた。

「はよー……お邪魔しましたー」

 壁についべったりと張り付いている俺と、その俺にぐいっと顔を近づけている健人を見て、ドアが閉められかける。……何だよそのリアクションっ?

「何の邪魔だよっ?」

「ついに女を諦めて橋谷で妥協したのかと思った」

 妥協しすぎでしょー?

 けらけらと笑いながらそいつ――中西が入ってくると、健人は俺に向けていたしかめ面をそのまま中西に向けた。

「俺は男は嫌いだ。絶対やだ、絶っっっ対、やだっっっ!」

 力一杯馬鹿なことを言い切って、それから健人はふと俺の方を向いた。しみじみと見つめる。

「お前、姉とか妹とかいないの?」

「……」

 いますが、何か?

「上にも下にも」

「ばかやろう、紹介しろよっっっ!」

 何でだよっ。

 中西がロッカーのドアを開けて上着を脱ぎながら、俺を振り返る。

「へえー。似てるの?」

「上は似てるって言われる。下は似てない」

「上か。でもな、年上ってのもまたそれはそれで……」

 なぜ似てる方を選択する?

 苦悩する健人に軽く足蹴りを食らわせる。

「既婚だよ」

「何ぃっ? なぜ俺の彼女になる前に嫁いでるっ!」

「知らねえよっ! 大体、俺と同じ顔の彼女なんて気持ち悪くねぇのかっ?」

 俺なら死んでも嫌だぞ! 男友達を連想させる彼女なんか!

 健人のせいでほとんど吸えずに終わった煙草を自立式灰皿に放り込んで怒鳴ると、中西が制服のシャツに袖を通しながらこっちに近づいてきた。

「んー、でも子供の頃ならともかく、今だったらもっとねーちゃんの方が女っぽいでしょ?」

 たりめーだろう。

「俺は顔が啓一郎だったとしても女だったら妥協出来る、いや、もう女なら何でもいいっ」

 情けないことを全力で叫ぶな。

 遠吠える健人の腹に肘鉄を食らわせながら立ち上がる。大袈裟によろけて笑いながら、健人はぶら下げたネクタイにようやく手を掛けた。

「で、何? 彼女? まさかアイドル?」

 いきなりすっ飛んでそれていた話を戻され、寄りかかった壁にごんと後頭部をぶつけた。

「……何でアイドル?」

「ゲーノージンとご縁があるかと思って」

 ああいう華やかな世界には、悪いけど音楽業界の底辺にいる俺なんかは関係がない。

「そゆの、売れなきゃ無理なんじゃないの」

 売れたって、ミュージシャンって基本的に別枠に近いと思う。バラエティとか早々出るわけでもないんだし。歌番組か何かで共演しなきゃ、縁ないんじゃないの、アイドルなんか。

「だって事務所とか行くんでしょー? いるでしょ何か有名なの」

 いたところで俺と何かあろうはずもない。

「悪いんだけど、別に普通に専門時代の友達」

「へえ? 何、橋谷、彼女出来たの?」

 後から来た中西の方が既に用意を終えている。

 俺自身にまだ自覚が足らんと言うのに、べらべら言うよーなことじゃない。中西の問いを黙殺して、俺はドアの方に足を向けた。

「ほらもう、お前遅いよ。行こうぜ、中西」

「あ、待てこら。はくじょーもの」

 遊んでるあんたが悪いでしょ。

「そおかー。橋谷もとうとう彼女持ちか……」







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