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【ZERO2】Against The Wind  作者: 市尾弘那
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第1話(1)

「おう。あゆなぁ?」

 部屋を出て、単車を停めてある駐車場まで歩きながら、俺は携帯電話を耳に押し当てた。

 ここんとこ、何だかばたばたしている。昨夜着信のあった北川あゆなに折り返すのすら忘れていた。

 今朝になって思い出してかけてみると、電話に出たあゆなは、どことなく不機嫌な声をしていた。

「おう、じゃないわよ。何度も電話したのに」

「悪ぃ、悪ぃ」

 悪びれずに口先だけで答えながら、冬晴れの空を見上げる。薄い雲が高い空にかかり、俺が吐き出す白い息が更に視界を白く霞ませる。

 もうすぐ今年も終わりだ。そしてまた新しい一年が始まる。

 俺にとっては――いや、俺たちGrand Crossにとっては、激動の一年になるはずだ。

 今までとは違ういろんなことが起こるはずで、そして、起こってくれなきゃ困る。

「何?」

「何じゃなくて。クロス、どうなるの?」

 そうか。あゆなにはあれから何も言っていなかったっけ。

「俺たち、事務所、ついた」

 空を見遣ったまま、俺は短くそう告げた。

 あゆなが受話器の向こうで微かに息を呑むのが聞こえた。

「本当?」

「こんな嘘、つくかよ」

「決めたんだ」

 駐車場に辿り着いて単車の傍まで来ると、俺は足を止めた。

 それからあゆなに向かって、はっきりと頷いた。

「うん。決めた」

 プロになりたくて、プロに憧れて、呆れられても馬鹿にされても諦め切れなかった俺の夢。――音楽。

 俺たちがどこまで世間で通用するのか、まだまだわからないことだらけだけど。

 だけど、ようやく手に入れた夢への第一歩だから。

「プロになってみせる」


          ◆ ◇ ◆


 俺がヴォーカルを務めるバンドGrand Crossのワンマンライブで、ブレインと言う音楽事務所の人間が声をかけてきたのは先月十一月のことだ。

 それをきっかけとして、春に公開する映画『Moon Stone』の挿入歌に俺たちの曲が使用されることになり、その曲をレコード会社がCDとして発売してくれることになり、ブレインがマネージメントをしてくれることになった。

 停滞気味の物事は、逆に一気に転がるように進むことがあると言うが、だとすれば俺らにとってこのタイミングがそうだったんだろう。

 別にこれがこの先もプロとして食っていけるようになるって保証でも何でもないけど、少なくともメジャーレコードの会社が一枚発売してくれるってのは、大きな出来事だ。あとは、それで道を切り開けるかどうかは俺ら次第ってところだろう。

「おはよーございます」

 デビューシングルとなる予定の楽曲『Crystal Moon』のリアレンジ作業の為に、事務所内臓のスタジオに集合することになっている。

 ドアを開けて中に入ると、入ってすぐの左手にある事務室で、ガラス窓越しに事務員の山根さんと目が合った。まだ慣れない俺がぎこちなく挨拶をすると、彼女は白い歯を覗かせて受付の小さな窓を開けた。

「おはようございまーす。和希さん、さっき来ましたよ」

「あ、ホント? 広田さんは?」

「広田さんはまだですね。佐山さんは、ちょっと遅れるかもって連絡がさっきありました」

「はーい。えっと、三階のスタジオ?」

 広田勇也さんが、俺たちに声をかけてきたそもそもの張本人だ。プロダクションマネージャーと言う何だか偉そうながら意味不明な肩書きと、サウンドプロデューサーと言う肩書きを持っている。

 佐山隆さんは、俺たちのマネージャーをやってくれる人。先日会って、挨拶がてらみんなでメシを食いに行って、それですっかり『さーちゃん』呼ばわりされている気さくな人だ。年も俺と四歳しか違わないし。

「そう。三階。上がってすぐにわかると思いますよ。中覗けば和希さんもいるだろうし」

 山根さんに礼を言って、階段の方へ足を向ける。

 その背中に、山根さんが「あ、そーだ」と言うのが聞こえ、俺は足を止めて振り返った。

「来週、ウチの事務所の新年会があるんですけど。クロスの人たちも呼ぶって広田さんが言ってたから、覚悟しておいて下さい」

「え、ええ?」

「そこで、みんなに紹介するつもりなんだと思います。ウチの事務所の人間も、他のアーティストも、まだほとんど会ってないでしょ? だから」

 ぽかんとした俺がおかしかったのか、くすくすと笑いながら山根さんが説明をしてくれた。

 ああ、そうか……他の人たちに俺らのことを紹介するのね。なるほどね。

「アーティストもどれだけ来るかはまだわからないですけど、これから一緒にやっていくんだから、宜しくお願いしますね」

「あ……こちらこそ」

 改めて頭を下げて、俺は階段に足を掛ける。何だか、まだいろいろなことが現実味がなく、少し変な感じだ。

 言われた通りに階段を三階まで上っていくと、すぐ正面にスタジオがある。ブレインと契約を交わした際に事務所内を案内してもらっているから、正面がレコスタで左手にリハスタが二つあることを俺は知っている。

 プロダクションとしては、事務所内に自社アーティスト用のスタジオを持っているところがそうそうあるわけじゃない。いや、ない。だからこれは、ブレインに所属した最大のメリットと言えるんだろうと思う。

「はよ」

 リハスタの一つに和希――クロスのギタリストでバンマスである野沢和希の姿を見つけ、俺はようやくそこで少しほっとした。慣れない人たちがいる慣れない場所で、良く見知った顔を見つけるのはやっぱり安心する。

「おはよう」

 パイプ椅子に腰掛けてギターを抱えていた和希は、俺を振り返ってにこやかに笑った。一房の赤いメッシュが入った少し長めの前髪の下、切れ長の整った目を優しく細める。

 和希は、典型的な美形顔をしていると思う。何で母ちゃんの腹ん中でこんな正確な造形が出来たんだろうと殴りたくなるほど、丁寧な造作の顔だ。整い過ぎていて少し冷たい印象も与えるけど、本人は至っておっとりとした性格をしているので、滲み出たそれが雰囲気を大人びた優しいものにしている。

 背もすらっと高く、一見すれば非の打ち所がない。だけど俺から見ると、生真面目すぎるのと機材オタクの気があるのとで、ちょっと変。

 対する俺はと言えば、160センチ半ばで止まってしまった身長と、どこをとっても華奢な作りの体つきで、全てがコンパクトに収まってしまっている。加えて、茶色がかったふわふわの猫っ毛と、やっぱり茶色がかった大きな目が童顔に見せていて、女っぽいとからかわれたことも一度や二度じゃない。容姿のせいでからまれることも少なくなく、俺にとっては逆鱗に触れる最大のコンプレックスでもある。

「ねえねえ、俺さ、ちょっと昨夜思いついたんだけど、ここ、啓一郎のセリフみたいなの入れたら?」

「嫌だ」

「少し考えてから答えろよ」

「嫌なものは嫌だ」

 答えながら、スタジオの防音扉を閉める。たすき掛けてたメッセンジャーバッグを床に放り出して、俺自身も床に直接あぐらをかく。せっかくの提案を一蹴されて鼻の頭に皺を寄せる和希を見上げた。

「和希、大学っていつから?」

 和希は俺より一つ年上だけど、二年制の専門学校を卒業してフリーターだった俺とは違って、まだ大学に通っている。今度の三月が来れば卒業だ。

「えーっと、いつだったかな。再来週?」

「じゃあ、ちょうどレコーディングと被るんじゃないの?」

「でも別に単位は取れてるし。四年生にもなったら、そう頻繁に行かなくてもいいわけだし。大学よりバイトの方がよっぽど心配だよね」

「確かに」

 別に事務所がついたからと言って、突然それで食っていけるわけじゃない。当たり前だ。金を生み出しもしないアーティストを養ってくれるほど世の中甘くない。

 そりゃあ事務所の指示であれこれ活動するわけで、こっちのバイトにも支障が出るから、その分補ってくれるとは聞いているものの……前提としては「てめぇの食い扶持はてめぇで稼げ」。働かざるもの食うべからず。いや、働いても稼げないなら、稼げるまで働け。とほほ。

「おはようございまーす」

 和希と顔を見合わせて苦笑していると、俺の背後で扉が開いた。俺と同等の小柄な少年が入ってくる。クロス最年少のベーシスト、方宮武人だ。

 正真正銘現役高校生の武人は、俺や和希の母校でもある私立城西大学付属高校の制服を身に付けている。冬休みのはずだが、学校に用事でもあったんだろーか。有名な進学校である城西は、休日でも制服着用じゃないと学校に入れない。

 さらさらの細い黒髪とやや目尻の上がったすっきりとした顔立ちは、どことなく理知的に見える。進学校の首席という稀有な脳味噌の持ち主であると言う先入観もあるのかもしれない。

「はよ」

「はよーっす。学校行ってたの?」

「図書館に本を借りに寄ったんです。遅刻でした?」

「や、一矢がまだ」

 俺の答えに、武人がほっとあどけない顔に笑みを浮かべた。肩にかけたベースとリュックを床に下ろす。

「良かったー。ま、一矢さんより遅かったら悲惨だよね、人間失格だよね……」

「ひどいこと言ってるな、まぎれて」

 なかなかどうして、爽やかに結構な毒舌だったりもする。

 俺と和希、そしてもう一人、遅刻しているドラムの神田一矢は同じ高校で知り合った。一矢と俺は、高校時代の同級生だ。元々は別々のバンド組んでいたんだけど、和希や俺が卒業し、一矢が高校を中退した後、二年ほど前から一緒にバンドを組んでいる。つい先日までは俺ら四人に女性キーボーディストの嶋村美保を加えた五人編成だった。デビューに際して美保が脱退を表明し、四人編成になったばかりだ。

「で、何の話?」

 制服の上着を壁のハンガーににかけて、武人がこちらに参加してくる。

「いやいや。事務所がついても楽観視は出来ませんねって話」

「嫌だなあ。いきなりシビアな話してるなあ」

「実家暮らしのお前にはこの危機感がわかるまい」

「わかりません」

「ま、何にしても」

 迷子になりそうな会話を打ち切って、和希が真っ当な話題に路線を戻す。

「何度目になるかわからない『Crystal Moon』のリアレンジだよね」

「ぐは」

 それを聞いて、俺はあぐらのまま仰向けに倒れた。

 いや、その為にここに来ているんであって、そんなことはもちろんわかっていることなんだけど。

「他の曲も大きくリアレンジしてかなきゃですよね」

 元々キーボーディストがいたと言うことは、数々の楽曲も『キーボードがある』前提で作られている。

 もちろん打ち込みだのサポートだのと対処のしようはいくらだってあるが、変えられるものならメンバーの楽器を主軸に持って来た楽曲にしたいわけで。

 とは言ってもね……この『Crystal Moon』ってのは結構繊細なメロディで、割とキーボードメインになってんだよな。現状。

 当面レコーディングに関しては、和希がキーボードのパートも弾くことになっているけれど、まさかライブで和希がギターとキーボードをやるわけにゃいかんのだし。幼い頃から英才教育を受けている美保と一緒にするのは酷だし。何らかの対策を練らねばならんのは確か。

「でも逆に、今までと全く違うアプローチから入るわけだから、新しいアレンジにもなりやすいのかもね」

 プラス思考な発言をして伸びをした和希が、そのまま視線を俺の背後に固定した。それから立ち上がるのと、三度みたび防音扉が開けられたのは、ほぼ同時だった。

「おはようございます」

「あ、おはようございます」

 広田さんだ。

 慌てて俺も立ち上がって頭を下げる。年齢不詳のにこにこ笑顔だけど、どことなく正体不明な感じだし、何よりプロデュースしてくれる重要人物だから、そりゃあ俺だってかしこまるさ。

「おはよう。始めてる? ……始めてなさそうだね」

 中をきょろっと見回して、広田さんは眼鏡の奥の目に苦笑を浮かべた。メンバーが欠けていることに気がついたらしい。

 常に遅刻魔である一矢に時間厳守をさせる方が難しいけど、ちゃんと事務所決まって、それに際して初めてスタジオに入るよって言ってんだから、ちゃんと来てくれよ……と思いはする。

 内心文句をたれつつ肩をすくめたところで、開いたままの防音扉の向こうからバタバタと足音が聞こえた。

「あ、来た」

「がつんと言ってやって下さいよ、リーダー」

「そういう時だけ俺に振る? 一矢の世話係といえば啓一郎でしょ、当然」

 世話係ぃっ? そういう飼育当番みたいな言い方はやめていただけません?

 俺が横目で和希をじっとりと睨んでいると、開いたままの扉から一矢がものも言わずに飛び込んできた。ドアのあるべき場所にいた広田さんは、当然の帰結として飛び込んで来た一矢に背面から激突されることになる。

「うわ」

「……あ、すみません」

「……いいんだけどね。今度からもう少し静かに入って来ようね」

 痩せているとは言え、長身の一矢に突き飛ばされた格好になった広田さんは、それでも怒鳴ることなく辛うじて笑顔を保って一矢を振り返った。

「はい、すみません……」

 わたわたと謝りながら、一矢は後ろでひとつに束ねた長い髪を指先で弾いた。センターで分けた青味がかった前髪の下、目尻の下がった軽薄そうな顔には、さすがに少し焦りが滲んでいた。

「おっそい、お前」

「ごめん、出がけにちょっと……」

 もごもご言いながら、スネアケースを下ろす。

「んじゃあ始めるかー」

「セッティングして、ちょっと少し自分らで音出しててもらおうかな。僕は一旦事務室に戻ってるから。十五分くらいしたら、また来るよ」

 そう言って広田さんが出て行くと、途端、一矢が床に転がった。

「てめえ。セッティングをしろ」

「休憩。これでも事務所まで走ってきたわけで」

「走ってきたのは単車であって、アナタではないはず」

 広田さんが出て行った瞬間に空気がだれ、足先で一矢をつつき回していると、武人がベースを引っ張り出しながら言った。

「俺ね、思ったんですけど、ピッチを少し変えません?」

「ピッチねえ……」

「3サビに入るとこ、ギターをててててれれーてれれれーとかやったらかっこ良くなんのにって思ったけど、ちょうどヴォーカルと帯域ぶつかっちゃうから嫌な感じなんですよ」

 そのまま、ほにゃららほにゃららと歌っている武人の声にあわせて、俺もほにゃららほにゃらら歌いながらマイクのセッティングをする。

 とっくにセッティングを終えている和希がアンプからギターの音を被せて来て、なし崩しに音出しをしながら言いたい放題言っていると、壁に嵌め込まれている二重窓からこちらを覗いている人が見えた。

「あ、さーちゃん、来た」

 ひらひらと手を振ると、さーちゃんの方も俺に手を振り返した。すぐに防音扉を押し開けて中に入ってくる。

「おはよー」

「はよーざいまー」

 人が良さそう、としか表現しようのない呑気な顔立ち。人柄も、知る限りでは何だかほわほわした感じでお兄さんキャラなのか弟キャラなのか判断がつかないって感じだ。人当たりが良いんだろうな、基本的に。すっかりメンバーともタメ口で。

 とは言っても、以前ワタナベプロという別事務所のアイドル歌手森近あかりのマネージャーを勤めていたのを広田さんがヘッドハンティングしたって話だから……有能な人なんじゃないかと密かに俺は疑っている。

「もう始めてる? 遅れてきといて何だけど、先に打ち合わせさせて」

「うん」

「伝達事項と相談が幾つかあるから。まずね、明日ちょっと時間貰って平気かな。って言うか駄目って言っても貰うんだけど」

 手に持ったビニル袋をがさがさ言わせながら入ってきたさーちゃんは、スタジオの隅にある折り畳みテーブルの上にペットボトルを並べ始めた。差し入れだ、やったあ。まだ何も始めてないけど。

「何? 時間? 何かあるの?」

 片手でギターの弦をしゃらしゃらと鳴らして足でエフェクターを踏み変えながら、和希が尋ねる。中身を出し終えたビニル袋をくるんと縛りながら、さーちゃんが振り返った。

「俺の知り合いが新規のフリーペーパーを発行するって言っててさ。んじゃあ俺が今度マネージメントするアーティスト、ちょっとでいーから掲載してよって捻じ込んで来て」

 ……捻じ込まれてばっかりのような気がする。

「フリーペーパー? 何の?」

「総合エンタメ系なんだってさ。でもまだ具体的に記事を集めてないって言ってて。んじゃあとりあえず話だけしてみよーかってなってるから」

 仕事だっ。

「お互いノーギャラになるけど。発行もいつぐらいになるか、まだ良くわかんないけど」

 そんなの仕事って言わない。

「それとね、M&Mがネットコンテスト番組をやってて、それにクロスも掲載することになったから。取り急ぎ、アー写だよな。アー写だけは早いうちに何とかしないとプロモーションのしようがないんだよね。今って何かアー写あるんだっけ。自分らで撮ったものがあれば、取り急ぎそれ、もらっときたいんだけど」

 アー写ってのは、字面の如くアーティスト写真だ。

「フライヤーとかで使ってたの、何かあるでしょ?」

「うん。知り合いのカメラマンの卵が撮ってくれたのがある。それ、さーちゃんに渡せばいーの? メール?」

「じゃあ、帰ったら俺にメールで添付して。正式なアー写の撮影をどうするかは、俺から広田さんと相談するから」

「はーい」

 当たり前といえば当たり前だけど、俺たちには俺たちの音楽をどうビジネスにしていくかなんてわからない。

 そういう、音楽のこと以外何もわからない俺たちと、事務所やレコード会社、イベンターだとかを繋げてくれる、それがマネージャーなのかなと思ったりする。

 もちろんマネージャーは事務所の人間でもあるわけだけど。

「んで、えーっと次は……ああ、ホームページ。あ、これ差し入れだから適当に飲んでいいよ」

 片手に持っていた手帳を覗き込んで言いながら、さーちゃんは俺らにテーブルのペットボトルを示した。「わーい」と素直にテーブルの周りに集まって、各々勝手にペットボトルに手を伸ばす。

 餌で召集された俺たちをぐるっと見回して、さーちゃんは視線を和希に止めた。

「今、和希くんがやってんだっけ。ホームページ」

「そう」

「クロスの名前で、ウチでドメイン取り直すから。オフィシャルが立ち上がったら、そっちのサーバーは移行告知だけして、しばらくしたら解約してもらうようになるけど。今ってどうせ無料サーバーでしょ?」

「うん。了解。そのタイミングは、また教えてもらえるんでしょ?」

「もちろん。あとは内容だけど……とりあえずは今のページを参考にしながら叩き台をこっちで用意して、掲載する文章とか写真とかはちょっと追い追い相談ってことで。おっけー?」

「おっけー」

「で、ロゴを早いうちに正式に固めたいんだよね。どこに何を出すにしても、統一したロゴを使いたいから。今ホームページとかで使ってるのって、何かこだわりとかあるの? 誰かに作ってもらったとか」

「別に俺が適当に作った奴だから、特にないよ」

「了解。じゃあ、これもこっちで幾つかパターンを用意して持ってくるから、それから決めよう。来週には決めたいな。来週に一度、ロゴとホームページの内容について打ち合わせしようか。レコーディング、再来週だもんね」

 おお。何かさーちゃんが来た瞬間から仕事っぽいぞ。

 もらったウーロン茶のペットボトルの蓋を捻りながら、そんな下らない感想を持ったりする。

 残念ながら、そんな『仕事ムード』の渦中にいるのはさーちゃんと和希だけで、俺はただの傍観者、一矢と武人に至っては小突きあって遊んでたりするんだが。

「それから、今までの音源、ありったけ俺にくれる? 別にアレンジとか録音し直しとかしないで良いから。今君らの手元にある君らの音源」

「Rで良いの?」

「Rでもデータでも何でも良いよ。早めにお願い。……で、取り急ぎはそんなとこ……ああ、そうだ」

 手帳にメモを書き付けていたボールペンでこめかみあたりをグリグリしていたさーちゃんは、まだ手帳に目を落としたままで何かを思い出したように言った。顔を上げて、ぼけっとしている俺らの方をぐるりと見る。

「これ、俺が取ってきた仕事じゃ全然ないんだけど、潜沢くぐさわ音楽出版社って知ってるの?」

「ああ」

 俺が頷くと、和希が微かに苦笑いを浮かべた。

 クロスのライブに良く来てくれる沖鮎泉おきあゆ いずみがライターをやっている会社だ。

 音楽出版と言うと通常は著作権管理とかやってる会社を差すわけだけど、この場合は本当に出版の方。権利じゃなくて、雑誌社だ。

 泉がクロスを……と言うよりは和希を追っかけてくれているおかげで、何度か『The STREET MAGAGINE』と言う雑誌に掲載してもらったことがある。それほど発行部数が多くはないインディーズだけど、和希の人身御供で掲載してくれるならありがたいものだ。

「そう? そこから取材したいって話もらったよ。受けちゃったけど」

「うん。前から時々お世話になってて」

「ああそう。おっけー。じゃあそれは日時が決まったら、また伝えるってことで。付き合いあった出版社とかそういうの、他にもあれば知っておきたいけど何かある?」

 出版社なんて、そうそう付き合いが出来るもんでもない。ふるふると首を横に振っていると、和希が何か思い出したように顔を上げた。

「そう言えば出版社じゃないけど、前にオムニバスでCD出した会社があって。で、ワンショット契約で作ったCDが、今度三月くらいに出ちゃうんだけど」

「ああ。ロードランナーだっけ? それは広田さんから聞いてるから大丈夫。そっちは会社同士で話をするから、君らは気にしないで。じゃあ、そんなとこかな」

 ギターケースのポケットから手帳を取り出して書き込んだ和希が、ボールペンのお尻で自分の顎を叩きながら「さーちゃんに相談したいことがあるんだった」と呟いた。

「ん? 何?」

 さーちゃんが、閉じた手帳をテーブルに放り出して余りものの紅茶のボトルを引き寄せる。

「クロスってね、前にキーボードの女の子がいたじゃない」

「嶋村さんって言ったっけ」

「そう。ってことはキーボードのパートがあって、レコーディングは俺が何とかするから別にいーんだけどさ」

「うん。へえ、和希くん、鍵盤も出来るの?」

「出来るってほどじゃないけど」

 円陣を組むみたいにして立っていたのに疲れて俺が腰を下ろすと、つられたようにさーちゃんも床に座り込んだ。なし崩しに、他の三人もずるずると床に座り、車座のようになる。

「でね、美保ってコーラスもやってくれてたんだよね」

「ああ、そうか。オリジナル音源、女の子のコーラス入ってたね」

 今の段階で俺らが提出してある固定音源は、映画挿入歌の公募に出した『Crystal Moon』のものしかないけれど、さーちゃんはもちろんその音源はチェック済みらしい。腕を組んで、親指を自分の顎に押し当てながら、和希を見る。

「で、レコーディングには女の子のコーラスが欲しいなって俺は思ってるんだけど、どう思う?」

「あー、そうねえ、そうだよねえ。あれがあるのとないのとじゃ、大分印象が変わるしなあ……」

 苦悶の呻きを上げるさーちゃんの横を、俺はずるずると四つん這いで移動して、灰皿の方へと移った。壁に背中を預けて、空気清浄機をオンにする。ぶうんとうるさい音を立てて稼動し始めると、俺は煙草を咥えて火をつけた。一矢が俺に倣う。






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