第8話 青春は死と隣り合わせに
夢を見ていた。
いや、正確に言うのならば――――【これが夢でなければおかしい】という光景を、俺は見ていた。ぼんやりとした思考で。動かない体で。
さながら、その会話を描写するためだけに存在する、語り部のように。
「やってくれたな、貴様」
「ふふふ、別に彼は君の物ではないだろう? そんなに怒るなよ、盟友」
黒いテーブルを挟んで、向かい合うように。どことも知れぬ、白い空間の中で。雲の中に居るような、奇妙な真白な部屋の中に、二つの人影が言葉を交わしている。
一つは、銀色の狼の頭部が、そのまま人間の頭部と挿げ替えられたかのような、怪物。けれど、彼の頭部以外の部分は非常にスマートで、美しい筋肉の形をしている。加えて、そんなギリシャ神話の英雄の如き肉体が、さながら礼服のような黒スーツ姿なのだからおかしなものだ。
そして、もう一つは立ち上がっている『影』だった。いや、『闇』と言い換えてもいいのかもしれない。黒い霧のような塊が、人型を象って椅子に座っているのだ。文字通り、人の形をした影――『人影』と呼ぶのが相応しい様に。
「そうだ、あいつは俺の物じゃない。誰の所有物でもない」
「ふふふ、そうだね、そうだった――――でも、今は私の物だ。私だけの、物だ。そういう契約をしたからね」
不快そうな感情を隠さない男の声。
愉快そうな感情を隠さない女の声。
そのどちらも俺にとっては聞き覚えがあるような気がするが、思い出せない。確か、どちらも若い人間の声だったような気がするが……今は何故か、それが見当違いであるような気がしてならない。
『若い』なんて、この二人に対して言うのは見当違いじゃないかと。
それだけ、二人から感じる重厚な『何か』が、他の人間と隔絶している。少なくとも、俺にはそう思えてならない。
この二人……否、二人の存在は『人間』など超越した何かであると。
「は、どうせ泣き落としでもしたんだろうが」
「何を言っているんだい。私の魅力で落としたに決まっているとも」
「…………前回の料理小僧の時はお前あれだよな、結局、あいつが爺になっても断り続ける物だから、あいつの孫を籠絡してから――」
「前回の話はノーカン」
「貴様は万民を堕落させる癖に、狙った誰かに対しては決まってそうだな」
狼男の言葉に、黒い影はフルフルと全身……全身? を震わせてから、応える。
「ふ、ふふふ! なんとでも言うがいいさ! 契約は成された! これで彼は私の物だ! 彼の魂は私の物だ! 誰にも渡さない」
「気に入った人間を誑かし、コレクションする悪癖はまだ治らないのか、貴様は」
「これが私の存在理由だからね。そういう君は、随分と可愛らしい姿になったじゃないか」
「人の世界に馴染むにはこれくらいがちょうどいい」
「ふん、器の改ざんが可能な奴はこれだから。私なんて、頼みもしないのに毎回これだ。美しくあるのは気分がいいが、有象無象が集まるのは面倒でね」
「確かに、貴様の本質ならば外見はあまり関係ないか」
二つの存在が交わす言葉の意味を、俺は知らない。
だが、俺が住まう日常から隔絶した、何かだということは分かる。本来なら、俺が一生を過ごしても知りえない何かだとは分かる。
そのことに、俺は奇妙な罪悪感を覚えた。
舞台の公演中に、うっかりと舞台裏を覗いてしまったような、そんな罪悪感が、胸の中でじくじくと疼く。
「事実、あいつの場合は地味系な女子の外見の方が籠絡しやすいだろうな」
「彼ってば、私を化物のように見てくるからね、警戒心ばりばりで困ってしまったよ」
「正しい観察結果だろうが」
「君にだけは言われたくないんだがね、盟友にして、同胞」
「ふん、貴様と違って今の俺はただの人間だ。そういうことになっている」
――ふと、狼男の言葉を聞いている内に、何かを思い出しそうになる。
それは思い出さなくてもいいことなのかもしれない。むしろ、思い出さない方が俺にとってはいいことなのかもしれない。
しかし、俺の意思とは関係なく、俺の記憶は滑りの悪い引き出しを開けるように、ゆっくりと、ぎこちなくその記憶を思い出していく。
「そして、ただの人間である俺が貴様に忠告してやろう。貴様はすっかり、奴の魂を手に入れたつもりだろうが、甘く見るな」
「へぇ? 彼が私を退けるような特別であると? まぁ、少なくとも、私に気に入られるような作品を書く時点で、特別であるだろうが……でも、彼は天才じゃない」
「そうだ。あいつは多少光る物はあるが、世界を捻じ伏せるような才覚を持たない、ただの人間だ。精々が、ごく一部の特定層に対して熱心なファンを得られる程度の、なんてことはない物書きの一人だろうよ」
ゆっくり、ゆっくり、思い出す。
この声は、辛辣なる言葉は、確か……日常で、俺の日常の中で体験したような。
「だがな? だからこそ、貴様を退けるに足るかもしれないのだ」
「……ふむ? 言っている意味が、分からないね。まさか、本当に彼が私に勝つとでも?」
「勝つさ。俺は、先輩として後輩を信じる」
「ふぅん。ま、いいよ。勝つなら、私を屈服させるような作品が出来るのなら、今度こそ私は満足できるかもしれない」
先輩、後輩という言葉がフックになって、一気に記憶が鮮明に思い出される。
そうだ、そうだ、何故、忘れていたのだろう? この声は。この思わず聞き惚れるような、イケメンボイスは。例え、外見がどれだけ変化したとしても、忘れるはずがないというのに。
「貴様が消えるのなら、俺としても喜ばしいがな。さて、ついでにもう一つ忠告だ。契約をしたてで気が緩んでいるのかもしれないがな――――あいつにも見えているぞ」
「え、あ、本当だ。ああ、やっちゃったなぁ」
思い出した名前を言おうとして、己の体が動かないことを思い出す。
ここでの俺は語り部。
されど、口を動かすことはしてはならないし、出来ない。
何故なら俺は、正当に招待されたわけではなかったのだから。
「馬鹿な後輩め、こんなところまで来やがって」
「ふふふ、奇妙な夢はこれで終わり。現実には何も持ち出せない」
そして、二つの存在の視線がこちらに向けられて、俺は――――
「「さぁ、目覚めるがいい、芦葉昭樹」」
夢から、覚めた。
●●●
「ん、あ?」
寝ぼけた自分の声を聞いて、意識が覚醒した。
馬鹿みたいに呆けて、口が半開きになっている。気づけば、タオルケットやら掛け布団を蹴り散らかして、さながらベッドの上でもがき苦しんだかの様。
「…………あー、んん?」
まるで叫び過ぎてしまったかのように、喉が痛い。口が半開きになっていたので、喉の奥が乾燥しているのだろう。
しかし、どんな悪夢を見ていたのだろうか、俺は。
記憶に無いけれど、なんだかとても身もふたもないような夢だったような気がする。
まるで、アニメを見ている最中に、副音声でネタバレがたっぷりと流されているような。そんな台無しの夢を。
「まぁ、いいか」
覚えていない夢のことなど、何時までも考えても仕方がない。
さっさと準備をして、学校に向かうとしようか。
「行ってきます」
着替えて、顔を洗って、歯を磨いて、朝食を食べて。昨日のうちに準備をしておいた鞄を掴んで、いつも通り原付自動車に乗って、初夏の田舎道を走っていく。
電車が車で、携帯端末で気になっているネット小説が更新されたのかを確認して。
電車が着たら、だらだらと他の学生と一緒に乗り込む。
いつも通りの日常だ。
けれど、今日からはそれももう、限られた日常でしかない。明確には決まっていないが、制限時間付きの、日常になったのだ。
「…………いや、勝てばいい。つーか、勝つ」
馬鹿なことをやってしまったという後悔と、自分の身勝手さに対する罪悪感が、胸の中で渦巻く。渦巻いで、胸を刺して、けれど、何度も考え直しても、やはりあの場面はどうしようもなく、同じ決断をするだろうと、俺は呆れたように笑った。
特に生きる理由もなく、だからといって死にたいわけでは無かった俺。
小説家になりたいと明確に決めているわけでもなく、現実からの逃避手段として、そんな未来を思い描いていた俺。
妥協と、諦めに満ちていた人生の中で、死んだように生きていた俺。
そんな『俺たち』を根こそぎ殺せるようになる、絶好のチャンスだったのだ。自分で自分を殺せる、恐らくは唯一無二の機会。
しかも、あんな絶世の美少女からのお誘いだ。断れるわけが無い。ああ、断れるわけが無いとも。
――――俺の作品を、俺以上に愛してくれる人だったから。
「…………ふぅ」
とりとめのない思考を続けて居たら、いつの間にか学校の駐輪場まで来ていた。
そこで、俺はふと気づく。いつもであれば感じる、胸を軽く押し込まれたような圧迫感を。絶え間なく続く日常に対する、気だるい忌避が消えていた。
いつもより俺は、呼吸がしやすくなっていた。
「おはよう」
「ん……あ、おはよう」
教室に着いたので、隣の席の男子へいつも通り挨拶をする。心なしか、何時もよりも俺の挨拶が爽やかになっているような気がした。
「珍しいな、芦葉。いつもな死にそうな顔をしているのに、今日はいい感じだ。何かいいことでもあったのか?」
爽やかになっているというか、何時ものレベルが予想以上に下だったことに、驚愕を隠せない俺がいます。
「いや、まぁ、ちょっとね」
「例の天使様との関係が進展でもしたか?」
「なにそれ、噂になってんの?」
「むしろ、天使様公認って感じ」
「うへあ」
なにそれ、全然聞いてないんだけど? いや、確かに関係は進展しましたがね? そういう恋人関係とかじゃないじゃん。むしろ、真逆のあれじゃん。こう、『俺を殺すのはお前だ! そして、お前は俺が殺す!』みたいなやり取りだったじゃんか。
「なに、不服そうな感じだけど。違うの?」
「違うね。つーか、俺と東雲さんじゃ釣り合わんって。俺が役者不足過ぎ」
「でも、結構一緒に居るとか」
「他のクラスの友達の方が一緒に居るだろ?」
「でも、ベッドの上で押し倒されたんだろ、お前?」
「――――は?」
クラスメイトの口から告げられる、あまりにも早い速報ニュースに対して、一瞬、俺の意識が真っ白になる。
「え、なにそれ、ソースどこ?」
「天使様本人だけど?」
「そ、そそそそそんんなの、ただの冗談に決まっているじゃんかぁ!?」
「うわ、マジなのかー」
俺は思わず頭を抱えて、机に突っ伏してしまう。
一体、何を言っているのだ、東雲さんは。そういう関係ではないとお互い、昨日話し合ったというか、言葉で殴り合ったはずじゃないのか。その後、なんやかんやで、いい感じに契約をして、それじゃあ、学校ではお互い不干渉でね! という結論になったはずだ!
確かに、確かに! 契約後に、思いっきり抱き付かれて骨が軋むまで、がっつりと抱き付かれていた記憶があるが、あれは甘ったるい感じじゃなくて、むしろ俺にとっては拷問みたいなものだ。いや、誰にとっても骨がみしっ、とか音が鳴ったら拷問だろうが。ただし、マゾは除く、みたいな。
「……そのほかに、何か言ってなかった?」
「週末一緒にデートして、その後はちょっと言えない感じ♪ みたいな」
「ああああああああああああああああっ! あのアマぁ!!」
何が言えない感じだ! 何が互いに不干渉だ! 初日から約束守ってねーじゃん。駄目駄目じゃん、約束と契約は守るんじゃねーのかよ、ちくしょう! というか、いつの間にか、クラスメイトのほぼ全員から好奇な視線を向けられているしぃ!
「ちょっと、隣のクラスに抗議してくる!」
「いってらっしゃい」
『ヒュー♪ ラブラブだねー♪』
「うるせぇ! 小学生みたいな茶化し方しやがって、くそ!」
普段の教室での猫かぶりをする余裕もなく、クラスメイトからのヤジに怒鳴り返す俺。ああくそ、平穏な俺の日常が、どうしてこんなことに。
「東雲さぁん! ちょっと、お話があるんですがぁ!?」
「おっと、マイダーリン。愛を囁きにやってきたのかね? まったく、昨日の今日なんだから、少しは我慢しておくれよ」
「くそがぁああああああああっ!」
いつも通りに東雲さんの周囲に集まる有象無象――もとい、隣の教室の生徒をかき分けて、俺は東雲さんの腕を掴んだ。掴んだ瞬間に、予想以上の肌の感触にうっかりと、怒りが消し飛びそうになるけれど、ぐっとこらえて、俺は叫ぶ。
「へい、表に出ようぜ! ちょっと話し合おう!」
「ふふふふ、皆の前ではできない話をしに行くのだね? うん、いいよ。芦葉君となら、私、どんなことでも――」
「やめろぉ! お前がそういうことを言うたびに、お前の狂信者どもが、血涙流す勢いで俺を睨んで来るんだよぉ!」
「ふふふ、手を出せないように躾けてあるから、大丈夫さ」
「ついに公衆の面前で言いやがった!?」
あまりにもな東雲さんの発言だったが、この教室の生徒たちが動揺することは無かった。むしろ、『それが主のお心であるのならば』というスタイルで、東雲さんの発言を受け入れている。俺を睨みつけている狂信者でさえも、ふるふると肩を震わせた後に、何かを悟ったように穏やかな顔つきで頷いた。
駄目だ、ここは既に東雲さんによって洗脳済みの教室だ! こんなところでまともな会話なんてできるわけがねぇ!
「ええい、こんな場所に居られるか! 一緒に来い、東雲さん」
「やーん♪」
「きしゃあ!」
ふざけた態度の東雲さんの手を引きつつ、人気の少ない方へ……行こうと思ったけど、全然人気がなくならねぇぞ、これ! いや、当然か。地味で大人しい男子生徒だった俺が、学年の中心みたいな美少女の手を引いて、悠然と廊下を歩いているのだ、そりゃ人目が消えないわけだぜ。
「やれ、芦葉君。こっちだよ」
「あ、うん」
結局、しばらく歩いたところで東雲さんがいつも通り、神がかり的な直感で人気の少ない廊下の一角へ案内してくれました。もう、どうにでもなれ。
「それで、話とは何かな?」
「白々しいことを言わないでくれ、東雲さん。どうして、お互い不干渉だって決めたのに、あんな話をしたのさ?」
「お互い不干渉だっただろう? 君が干渉してくるまでは」
「……ああん?」
「そう怒らなくても。私はただ、好き勝手自分の言いたいことを言っただけさ」
だから、特に君に干渉するつもりはなかったんだよ、と微笑んで東雲さんは言う。
もちろん、そんな道理が通じると思って話していないのだろう。東雲さんの言葉が、この学年でどれだけの影響を及ぼしているのか、東雲さん自身が把握していないわけが無い。
「納得がいかない、という顔だね?」
「当たり前だ。つーか、白々しいんだって、さっきから。何かやりたいことがあるのなら、言いたいことがあるのなら、はっきり言え」
「ふふふふ、だから、昨日言ったじゃないか」
微笑みが、東雲さんの微笑みが、悪魔の如きそれへと変わる。
「私は君の生涯最高傑作が見たいんだって。そのためにはきっと、私は何でもやるんだって。だからまず、私は私が出来ることから始めることにしたんだ。ただ待っているだけなんて、つまらないからね」
「どういう、意味だよ?」
「私は私なりに、君を応援する。君自身にとって望まない事でも、私が『君の創作の糧になる』と判断したイベントをぶち込んでいく。君はそれを受け取ってもいいし、鼻で笑って無視してもいいんだ」
なんとなく、東雲さんの言っていることが理解できた。
つまり、だ。東雲さんは今のままで、俺が生涯最高傑作を書けると思っていないのだ。今まで通りの日常に埋没している中で、生涯最高傑作など生まれないと。
だから、俺が平穏で退屈な日常に腐らされる前に、イベントを起こしてやる、と。
「思いっきり、干渉しようと動いているじゃねーか」
「でも、君に直接何かをしようとしたわけじゃないよ。ただ、君の周りで何かが起こるだけさ。君も干渉されたくないのなら、それを悉く無視すればいい」
「暴論を言いやがって」
「暴論だけれど、間違っていないだろう? それに、君は私が『そういう存在』だって、昨日理解したと思ったんだがね?」
「…………ちっ」
舌打ちして、けれど、反論することも出来ずに俺は顔を顰めた。
確かにそうだ。東雲彩花という人間は、俺の作品を読みたいあまりに、俺の命すらもその材料としようとするような存在だ。
己のために、世界全てを犠牲にすることを厭わない、人格破綻者だ。
――――だからこそ、あの契約に関しては、信用に値するのだけれど。
「わかったよ、好きにやれよ。その代わり、俺も好きにやってやる」
「うん、これが素晴らしく不干渉スタイルだね。お互いの自由を尊重している」
「自由って秩序を壊すよな」
「目的にそぐわない秩序など、壊してしまえ」
当然の如く、まるで、歌うように東雲さんは言う。
世界のために己が存在しているのではなく、己のために世界があるのだと知っているように。
無遠慮に、怪獣が街を闊歩するように、俺の日常を破壊していく。
「でも、安心して欲しい、芦葉君」
問題は、その怪獣は美しく、そして、これ以上なく――恐らく、俺自身よりも俺の創作のために、行動しているということだ。
これでは本当に、いや、そうか、そうだった。
きっと、自覚が足りなかったのは、俺なのだ。
「君との契約だけは、例え世界が滅んでも遵守してみせるから」
東雲彩花という悪魔と契約するということは、こういうことなのだと。
俺は、今更になって正しく認識したのである。
制限時間など、あの契約の時からとっくの昔に訪れていて――――既に、俺の日常は、非日常へと変貌してしまったのだと。
●●●
随分と騒々しい一日だったと思う。
何せ、ついに東雲さんが遠慮なしに振舞い始めたのだ。当然の如く、その余波は東雲さんと近しい俺にぶち当たる。
具体的に言うのであれば、俺は既に学校内では東雲さんの恋人扱いになっていた。
「出会いはどんな風だった!?」
「将来を誓い合った仲って本当!?」
「まさか、芦葉があの天使様を落とすとはなぁ」
「天使を撃ち落とした男として、この学校で語り継いでいこう」
普段なら特に言葉も交わさないようなクラスメイトから、一度も会話を交わしたことも無いような他のクラスの生徒まで、果てには他の学年の生徒からも声をかけられる始末。
正直に言おう、めちゃくちゃしんどかった。
何せ、今まで岩陰でひっそりと涼んでいたようなダンゴムシが、無理やり日向に蹴飛ばされて、大勢から遠慮なしに弄られたのである。
下手をすれば、ストレスで吐いていたかもしれない。
唯一、東雲さんが言い含めてあるのか、授業中などは特に騒がれることなく休憩出来て、どうやら恐らく、部活の時間も突撃取材をされる心配はなさそうだった。
考えてみれば、それもそうだろう。
なぜなら、東雲さんの目的はあくまでも、俺に刺激を与えて創作意欲を湧き立たせることだ。刺激だけ与え続けて、俺をストレスで殺すのならもっと手っ取り早い方法もあるだろうし。
「けど、マジで東雲さんって、周囲を思いのままに動かしてんだなぁ」
普通であれば、もっとこう、やっかみなど、なんだの、俺に対して敵意や害意を持つ者が現れてもおかしくないというのに、一向にそれが無い。本当に、ボッチ気質な俺の性根に刺激を与えるためだけに、周囲が動かされているようだ。
さながら、演者のために、エキストラが動かされているかのように。
「…………俺は今、エキストラなのか? それとも、演者……いや、役者になれているのか?」
東雲彩花の敵対者として、俺は動けているだろうか?
傍から見れば、滑稽極まりない愚者だろうが――――命が、かかっているのだ。既に決断して、契約してしまったのだ。
他人の目なんざ、今更気にしていられるか。
「そうだ、書くぞ、書いてやる」
既に時刻は四時過ぎの放課後。
俺を取り巻くクラスメイトや、野次馬はもう居ない。彼らの役目はもう終わり、俺の執筆活動を邪魔させるつもりはない、ということだろう。
だから俺は、躊躇いない足取りで文芸部の部室まで歩いていく。
「負けてたまるか、死んでたまるか」
後悔も、畏れも、躊躇いも、今は要らない。
今はただ、真っ白な画面に文字を、キーボードで踊る様に文字を打ち込んでみたい。
きっと今ならば、それが出来ると思うから。
「おーっす、後輩ども! 今日も創作活動を始めるぞぉ! 俺と東雲さんの関係に関する質問は、部活動の後に纏めて応えておくから、きちんと質問を整理しておくよーに! んじゃ、俺は早速――――っと、んん?」
意気揚々と部室のドアを開けると、高橋と姫路――いつもの後輩二人の他に、見慣れない奴が一人居た。いつもの後輩二人は、俺の姿を見るなり「あちゃあ」という顔をして、大仰な仕草で額に手を当てる。
何だ、お前等、そのリアクションは。
「貴方が、芦葉昭樹さんですね?」
そいつの姿を良く観察すると、なんだか奇妙な感覚に襲われた。
俺よりも身長が低く、顔立ちは凛々しいというよりは可愛らしい。というか、女顔だ。それも、こちらを睨んでいても子犬がじゃれてくるよう気持ちになるような、そんな、まったく覇気が感じられない顔。髪は普通に黒色で、けれど、男子にしては少々長い。肩口に髪先が余裕をもって垂れかかっていた。加えて、着ている学生服はぶかぶかで、腕の裾が大分余っている。着ているというよりは、着せられているという言葉の方が正しい。学生服では無く、そのまま女子の制服でも着ていれば、そのまま女子としてすんなり認められそうな容姿だった。
そして、襟の部分を見ると、一年生の学年章が付けられている。
そうか、後輩どもと同学年の奴か。
「その通り。俺が文芸部の部長である、芦葉昭樹だが、お前は?」
とりあえず、そいつの問いかけに答えて、様子を見る。
すると、そいつはきっ、と丸い目を精一杯に細めてこちらを睨み、ずんずんと俺の方へと歩み寄る。それも、互いに息がかかってしまいそうなほど、近くまで、踏み込んでくる。
俺は下がろうかと迷ったが、つい、東雲さんとのやり取りの癖が残っていたのか、下がらず動かないことに。
まったく、男子に近寄られて喜ぶ趣味は無いんだけどな。
「ボクの名前は、余語 悠月。一年B組です」
上目遣いで俺を睨み、そいつは――余語は、俺へ告げた。
己の名前と、所属を。
そして、
「ボクは貴方に、決闘を申し込みに来ました」
迷いない瞳で、俺へ宣戦布告をしたのだった。