第9話 決闘は後味悪く
この現代日本では、ろくに喧嘩をしたことが無い人間というのが、恐らくは、大半だと思う。
生まれてから死ぬまで、目立った喧嘩をせずに、のんびりと暮らして、そして、死ぬ。そんな人生を歩む、温厚な人間がほとんどだ。
特に、この地方の片田舎出身の物であるのならば、その比率は高まるだろう。
この田舎では暴力団など、その手のヤクザも存在しているが、古くから存在している超大御所なので、素人には手を出さず、治安を裏社会から調整してくれているらしいし。馬鹿な悪党が、馬鹿な騒ぎでも行い限り、素人にとってはただの隣人でしかない。
だからまぁ、俺の地元の治安は日本の中でも有数で良い方だと思う。そもそも、あまり人がいないので、争いごとに発展しない。狭い田舎社会でのしがらみというのも存在するが、だからこそ、粗暴に振舞う人間というのは自然と淘汰されるように出来ている。
さて、ここまで踏まえて上で言おう。
俺、芦葉昭樹という人間は、それなりに喧嘩の場数を踏んだ人間であると。
クラスメイトとのいざこざから、本格的な不良との殴り合いまで、それなりに。少なくとも、互いに骨折程度の怪我を負う喧嘩を体験したこともあった。
何故、この平和な田舎でそんなヤンキー漫画染みた経験を積んでいるのかと言えば、全てあの暗黒の中学生時代に集約するわけだが、とりあえず、今はその過去については触れないでおく。誰しも、自分の嫌な過去を進んで思い出したいとは思わないからだ。
しかし、それなりに場数を踏んでいるからといって、俺の喧嘩の腕は高くない。むしろ、低い。弱い方だ。きっちりと体を鍛え上げて奴には到底勝てないだろうし、格闘技を習っているような奴が、生まれつき戦闘センスを持っている人間にも、勝てない。だが、そもそもそんな奴と喧嘩することになること自体が稀であり、大抵は、素人同士の低レベルな喧嘩をするだけに留まるだろう。俺もそうだ。
そして、素人同士の、五十歩百歩な喧嘩において肝心なのは、気合いと躊躇わない事である。
気合いが無ければ、相手の意気に押されて劣勢に。
躊躇ってしまえば、相手にただ殴られるままになってしまう。
だから、素人同士の喧嘩で肝心なのは、最初だ。最初に、気合いを込めて、躊躇わず、相手を制するつもりで行動すればいい。
少なくとも、俺は失敗と敗北を重ねて、そういう風に学んだ。
けれど、前提条件を覆すようで悪いのだが、そもそも喧嘩に発展するようないざこざに巻き込まれた時点で、素人にとって悪手なのである。
喧嘩を売られてしまう時点で負けであるし、喧嘩を買って殴り合った時点で、大損だ。
殴った方も、殴られた方も痛いし、怪我をしたら最悪という言葉に尽きる。喧嘩している場面を第三者に見られれば、社会からは罰を受けることになるし。
本当に、心底、喧嘩というのはそのきっかけを作ってしまった時点で、愚かなのだ。
だからこそ、俺もそれに気を付けて、反省して、自戒して、改善して、高校生活では静かに過ごしてきたはずだった。
それがまさか、色恋沙汰で決闘をする羽目になるとは。
やれ、どうやら今日はとことん、ろくでもないようなイベントが起きる日らしい。
●●●
余語とやらの話を纏めると、こうだ。
彼はどうやら、『恋愛感情』という意味で東雲彩花を好いており、勇気を出して告白してみたが、相手にされなかった憐れな後輩である。もちろん、彼だって最初から東雲彩花と付き合えると思って告白したわけではなかったが、振られ方が微妙に納得できない物だったらしい。
東雲彩花曰く、
『残念ながら、既にこの心身は契約上の担保になっているのでね。私の意思に関係なく、君の告白に応えることはできないよ』
などと、如何にもという、飄々とした態度で言ったのだろう。
そのおかげで、俺はやりたくもない喧嘩をする羽目になったのだ。
「とりあえず、ルールを決めるぞ。まぁ、あんまり細かく決めても面倒だし、とりあえず、目はやめようぜ、目は。後は適度に各自のモラルに従って。『まいった』と言った方が負け。けれど、審判である高橋と姫路の判断によってストップが入った場合、その指示には従うこと。何か、質問や反対意見は?」
「ありません。さっさと、始めましょう」
決闘の場所は、多勢の視界の死角に位置する校舎裏の雑木林。ずっと昔の卒業生が記念として植えたら、思いのほか育ってしまい、結果として学校の敷地外、校舎、校庭からの視界を遮る隠れ蓑として優秀な場所となっている。
本来の使用用途としては、急な荷物検査の時に、こっそりと誰にも見つからないように所持品を隠す程度だが、今回は喧嘩の隠れ蓑として使わせてもらう。
「先輩、本当にやるんっすかー? やめましょうよー、面倒なだけですよー」
「悠月もほら、もっと話し合いとか穏便に!」
高橋と姫路は心配そうに制止の言葉を投げかけてくれるが、残念なことに、俺はともかく、余語という後輩が止まらないだろう。
「…………勝っても、負けても、一発殴らないとボクの気が収まりません」
この通り、余語は可愛らしい顔立ちに似合わず、敵意に満ちた目で俺を睨んでいる。言葉遣いこそは丁寧だが、腸が煮えたぎって仕方ないという顔だ。
こんな状態で何を話しても、弁解しても、俺の言葉など馬耳東風だろう。事実、俺は軽く事情を説明しようとしたのだが、『ボクは割と馬鹿なので説得の言葉は無視します』と耳を塞がれてしまった。
うん、確かに馬鹿だな。もっと色々冷静になって考えれば、こんな馬鹿なことをやろうとはしなかっただろうに。
そして、その喧嘩を買ってしまった俺も、やはり馬鹿なのだろう。
「余語悠月とやら。俺が勝ったら、ちゃんと話を聞け。俺が負けたら、とりあえず、『成否はともかく、お前の告白の返事をするように東雲さんへ言う』で良いな?」
「よくありません。ボクが勝ったら、貴方と彼女の契約を破棄してください!」
「残念ながら、俺にその権限は無いし――――するつもりもない」
「…………なる、ほど。わかりました」
こちらに向ける視線に、怒りを交えて、余語は頷く。
無理もない。余語視点では恐らく、絶世の美少女が俺という冴えない男子によって、何か良からぬ契約を結ばされていると思っているのだ。そりゃ、正義感と怒りで考えが回らず、周囲が見えなくなっても仕方がない。
まぁ、契約内容に関して、実際は真逆なのだが。むしろ、俺が死ぬ勢いで不利である。
「ああもう、二人とも馬鹿だ……とにかく! 怪我だけはしない事! 後、誰か人が着たら、すぐに知らせるんでその時は強制中止ですからね!」
「おう、よろしく頼む」
心配してくれる高橋へ、片手を上げて応え、その後、余語と向き合う。
彼我の距離は大よそ、大股で三歩分ぐらい。足元の状態は良好。ただ、周囲は木々によって視界が遮られる可能性があるので、そこには注意ってところか。
「それでは――――はじめっ!」
状況確認の終了と共に、高橋が開始の声を上げる。
「あ、あぁ――――っ!!」
それと同時に、余語は勢いよく俺へと駆けだしてきた。
視線は俺の顔に釘付けで。拳は強く固められて。両足は、地面を強く蹴って、宣言通り、一発は俺を殴ってやろうという意気が感じられる。
気合いと、躊躇いの無さ。
素人の喧嘩における勝利の要素を、余語はこの時点でクリアしていた。
「割と痛いぞ、悪いな」
だが、気合いを入れ過ぎて周りが見えていないし、躊躇いが無さすぎて……俺が少しばかり前に踏み出すと、それだけで想像していた殴り方を失う。俺も最初はよく陥っていたことなのだが、俺たち素人は無意識に相手が動かないまま殴られるイメージを持ってしまう。普段から動く物を殴り慣れていないが故に、そうイメージしてしまうのだ。
だから、相手が動くと驚くし、相手が回避に専念すれば、思ったよりも拳は当たらない。
その状態で例えば、足払いなどの小技を使われたりすると、あっさりこけてしまったりするのだ。
ほら、こんな風に。
「――――だっ!?」
踏み出して、余語がたたらを踏んだところで、足を引っかけて軽く胸を押す。それだけで、わりと簡単に相手は転んだりする。ごろんと、仰向けに。ただ、これはコンクリートなどでやると最悪、後頭部を打って相手が重症になったりするので、柔らかい地面限定技なのだ。
はい、そんじゃあ、そんなわけで。
「よっと」
「ん、なっ!?」
余語が混乱している内に、相手の腹に馬乗りに。右足で相手の左腕を踏みつけて、左手で、相手の右腕を抑える。左足は体が浮かないように、地面と相手の胴体にくっつける。そして、残った右手は相手を自由にできるという寸法だ。失敗したら割と形勢逆転というか、逆にマウントポジションされるかもしれないので、やる時は相手よりもこっちの体格が上の時にしておこうな。お兄さんとの約束だぜ!
「な、なななな……このっ、んっ!」
「降参するか?」
俺の下でもがく余語へ、一応の形式として訊ねてみる。
「しませんっ!」
当然、答えはノーだった。
当たり前だろうな。この程度で折れるようだったら、最初から一学年上の俺に対して、喧嘩を吹っかけて来たりはしないだろう。仮にこの場で判定勝ちになったとしても、余語は絶対に納得しない。だから、高橋も姫路も止めない、止められない。
そんな後輩たちの方へ視線を向けると、心配そうな表情で応えてくる。どうやら、余語と二人は友達らしく、あまり傷つくのは望んでいないようだ。
よし、分かった。ならば俺も、先輩として後輩たちの意思を汲もうじゃないか。
「んじゃあ、えいっ」
「――ぁ」
そんなわけで、俺は余語の首へ右手を添えて、ぎゅっと絞める。手加減して、首が折れないように、気絶しないように、適度に苦しくなるように絞める。
「か、あ……っ、んんっ、はぁっ」
苦しげにもがくが、俺よりも小柄な体格の余語ではどうにもならない。きっちりと両手を封じているので、俺の右手を外すことはできない。
可愛らしい女顔を真っ赤にして、もがいて、もがいて、そろそろやばそうだったので俺は余語の細首から右手を離す。
「――はっ、はっはっ……げほっ、えほっ」
拘束から解放された余語は、息を求めて大きく吸い込み、そして咳き込む。解放された安心からか、目の端には透明な雫が零れていた。
「それで、降参するか?」
ここで再度、俺は問う。
実際に生身で暴力を受けると、割とショックを受けてへこたれることが多いので、意外とすんなりと降参してくれると思ったからだ。つーか、意外と泣き虫だな、余語は。
「はぁ、はっ、はぁ――――い、嫌だ!」
「そうか、残念だ」
涙をこぼしながら拒絶する余語の強い意思に感嘆しつつ、俺は再び首を絞める。柔らかく、きめ細やかな肌の、余語の細首を絞める。ぎゅうぅ、と手加減しつつ。もがく様を楽しむかのように、歪な笑みを作って見せて。
「ひ、あ、あっ……」
ぼろぼろと、余語の瞳から涙が零れ始める。
もがく力が弱くなって、心が折れかけているのだ。だから、もう少し。もう少し。ゆっくりと、また休憩を挟んで、真綿で絞殺すかのようにこいつの心を――
「ストップ・ザ・芦葉先輩ぃ!」
「おっぷす!?」
折ろうとしたところで、俺の体は突然の衝撃に吹き飛ばされる。
ごろんごろんと、三回ぐらい転がったところで、俺は恐らく蹴り飛ばされた脇腹を抑え、結構な威力に悶えていた。
「う、おおお……とっても痛いわけだが、裏切ったか、高橋後輩ぃ!?」
「いやいや、裏切るも何も審判による強制終了ですよ、先輩。というか、普通に首絞めはやめてくださいよ。手加減しているから、がっつり殴るよりはマシだと思って見ていましたが……さすがに、首絞めながら笑われると止めざるを得ませんって」
「…………や、演技だって?」
「その間が強制終了した何よりの証拠っすわ」
珍しく高橋がジト目で俺を睨んでくる。
ああ、そういえば高橋は武術を習っている者として、その手の暴力には一層厳しい人間だったのだ。つまり、今回は俺が悪かったのだろう、うん。反省せねば。
「つーか、先輩はどうして弱い癖に、戦い方がえぐいんですか?」
「中学時代は喧嘩したなら、相手の心を折らなければ、こちらが息切れするからな」
「黒歴史の闇を思い出さないでくださいよ。その時と違って、ここまでしなくてもどうにかなる喧嘩だったとは思いませんか? 過度の暴力は駄目だと思いませんか?」
「…………はい、すんません」
後輩からのガチ説教は、俺の心をぽきりと折ってくれました。
駄目だ、俺もやり過ぎたという自覚があるから、何も言えねぇ。
「ふ、へええあああああっ」
「はいはい、怖かったね、しんどかったねー」
一方、余語の方は解放された安心感からか、ガチ泣きしていた。
しかし、思いの方か泣き虫というか、女子みたいな顔で女子みたいな座り方して泣くし。あの姫路が普通に慰めているし。
なんといか、そういう男の娘キャラで通っているのかねぇ?
「先輩、まだ話は終わっていませんよ」
「うっす」
こうして、俺と余語の決闘は無効試合として終わったのだった。
互いの心に、少なくない傷を残して。
●●●
「仮に契約が無くとも、君と私は付き合えないよ、色んな意味で。だから、諦めなさい」
「う、うぅうううううっ!」
決闘の際にやり過ぎてしまったため、俺は反省と謝罪の意味を込めて東雲さんを呼んできた。幸いなことに、東雲さんはまだ学校に残っていたのであっさり見つかり、こうして部室に来てもらったわけだが、その結果がこれである。
「う、うううっ、わ――ボクのどこが、駄目でしょうか?」
「そもそも前提条件からして駄目というか、どうしてそっちの方向で頑張っちゃったのかというか……でも、一番の理由としては、私は今、そこの芦葉君が書いてくれる作品に夢中だからだね。君と恋人関係になるよりも、私は彼とライバル関係でいる方が面白いと思うから」
俺が東雲さんにきっちりと余語の告白に応えてくれと頼んだら、このありさまだ。
余語は泣きながら俯き、その様子を東雲さんは微笑んで眺めている。恐らく、あの微笑みはつまらないエキストラを見下す感じの微笑みなので、余語の態度がしつこかった場合、心を折られる可能性も出てくるだろう。その前に、何としても俺は東雲さんを止めなければならないのだ。己の罪悪感を消し去るために。
「ふむ、けれどまぁ、しかし、だ。もしも、私が君と付き合う可能性があるとすれば」
「…………あると、すれば?」
東雲さんは青い瞳をこちらに向けて、にっこりと獲物をいたぶるような笑みを浮かべる。
「彼、芦葉昭樹君よりも面白い作品を書いてごらんよ。もちろん、私にとって、面白い作品を、ね」
予想通りというか、当て馬というか、東雲さんはこの余語と競わせることによって俺に焦燥感をもたらそうとしているらしい。あるいは、それが主目的では無く、この余語という後輩と関わらせることによって、俺の交流関係を広げ、見識を深めるのが狙いなのだろうか?
「…………つまり、この愛をしたためたラブ作品を書けばよろしいので!?」
「それは恐らくクソつまらないので、止めなさい」
「うへあああうあああ」
涙を流しながら膝を屈する余語を見ると、正直……こう、面倒くさい奴の相手を俺に任せただけのような気もするのだが。つか、いい加減泣くのを止めろよ、余語後輩。いくら何でも、泣きすぎで情けないぞ。
……あるいは、俺が本気で誰かを好きになったことが無いから、俺の言葉がシビアなだけで、余語の反応が普通なのかもしれないが、それにしても鬱陶しい。
「それじゃあ、私はこれで失礼するよ、芦葉君。君の日常に楽しき狂乱があらんことを」
「おい、物騒な言葉を残して帰るんじゃねーよ」
「ふふふ、ばいばい。愛しているよ、芦葉君」
「さらっと嘘を吐くなよ、東雲さん……じゃあ、また」
俺の東雲さんは他愛ないやり取りを終えて、互いに手を振って別れる。
別に付き合っているわけでもないので、一緒に居なければいけない制約は無いし、何より、東雲さんが喜ぶのは俺が作品を書くことだけだ。
それ以外は、恐らく、東雲さんにとって俺という人間の要素は余分なのだろうし。
「もう帰りました? 天使様はご帰還なされましたか?」
「気配が、気配が人間じゃない感じなのですよ、あの人ぉ」
後は普通に文芸部の後輩二人の精神も削れるからな、うん。
先ほど俺に説教してくれた頼もしさはどこへやら、高橋と姫路は露骨に焦燥した様子で、ぐったりと各自の机に突っ伏している。
この感じだと後五分は復活できないので、放置するのが安定だ。
さて、となると当面の問題は一つだけ、だな。
「うううう、見せつけられました。愛を、目の前でいちゃつかれました……」
「俺と東雲さんの間に愛なんてねーよ、この節穴野郎」
「この余裕……まさしく、正妻の顔!?」
「誰が妻だ」
とりあえず、泣き顔の余語にティッシュを箱ごと押し付ける。いつまでも泣かれていると鬱陶しいので、少しはこれでシャキッとして欲しい。ハンカチ? そんな上等な物を男子高校生が持ち歩いていると思っているのだろうか?
「うう、敵からの情けなど……ずびびび」
「良いから少しは落ち着けって」
「……あい」
何とか余語を宥め、落ち着かせた後に、俺はようやく話しかける。
「それで、余語後輩。お前はこれからどうするんだ? 東雲さんの言っていた通りに、何かしらの物語を書くというのなら、一応、文芸部の部長として、俺はお前を受け入れるが?」
「はえっ!? い、良いのですか? だって、わた――ボクと貴方は敵同士!」
「その認識からして間違っているんだよなぁ。何度でも言うが、俺とあいつは恋仲にはならない。俺とあいつの間にあるのは契約で……詳しくは言えないが、俺は、あいつに勝たなければいけないんだよ」
そう、俺は勝たなければならない。
勝たなければ、確実に俺は死ぬ。ああ、その事実が恐ろしく、少しだけ嬉しい。全身全霊を尽くして、己の命を賭けて挑める何かがあることを、嬉しく思ってしまうのだ。
少なくとも、惰性で生きて来た過去よりも、今の方がよほど生きているような気がする。
ああ、皮肉な物だ。死を身近に関して、ようやく俺は自分の生きがいを見つけられたのだから。結局、俺という人間は追い詰められなければ碌に生きることも出来なかったのだろう。
「だから、お前が本当に東雲彩花という存在を手に入れたいのならば、まずは俺を超えていけ。俺もお前を踏みつぶして、平然と東雲彩花に挑むからさ」
「……ボクなんて、眼中に無いから、色々教えても問題ないと?」
「違うね。この件に限って、俺は最初から東雲彩花以外の存在なんて見えていない。お前が何を書こうが好きにしろ。俺も、好きに書く」
そして、と言葉を繋げて、俺は余語へ言う。
「お前に文章の書き方を教えても良いというのは、ここが文芸部の部室で、俺が文芸部の部長だからだ。誰かに、想いを伝えようと文章を書こうとする者が居るのならば、俺は喜んで手を貸そうじゃないか」
まぁ、そっちの方が面白そうだし、俺の経験にもなるからな。
決まった面子以外が書く文章を読んだり、指導したりするという経験は、間違いなく俺の作品への糧になってくれるだろう。
何せ、この余語悠月という面倒な後輩は、今まで俺が関わったことのなさそうな人種だし。
「…………後悔しますよ?」
「しねーよ」
「します! 絶対、させます! まさか、こんな天才を覚醒させてしまったなんて! 俺はなんて恐ろしい存在を生み出してしまったんだ! なーんて、後悔させてやります!」
「はははは、俺がそんな風に言える才能がお前にあるのなら、喜んで俺は手を貸すぜ? 何せ、俺は作者でもあり、読者でもあるからな。面白い作品を読めるのなら、大歓迎だ」
「ふふふん、ならば期待して待っているがいいですよ、芦葉先輩っ!」
にかっ、と余語悠月はやっと笑う。
子犬のような人懐っこい笑みで、陽だまりのような笑みで、俺とは正反対の笑い方で、笑う。
ああ、まったく、そういう顔を最初からしていれば、少しは東雲さんだってまともな対応しただろうに。いや、あるいは、真逆だったのか? やれ、恋愛関係に関しては本当に、俺の感性はさっぱりだな。
「ちなみに、お前は東雲さんのどこに惚れたんだ?」
「え、顔ですけど」
「…………それ以外は?」
「腕とか髪とか、とても綺麗ですよね!」
「…………高橋、姫路?」
恋愛ってもっとこう、内面とかも考慮に入れるんじゃねーの? と後輩二人へ視線を投げかけて見る。
高橋は無言で目を伏せて、姫路は笑顔で「数馬の全部が好きですよぉ!」と胸を叩いた。
やっぱり、よくわからねぇな、恋愛って。
いやだがしかし、俺の初恋も思えば、似たような物だったし、余語のこれもミーハーな恋愛感情ではなく、ある意味、正当な物ではないだろうか?
「あの綺麗な人を、ボクの恋人にしたら、こう、汚せる喜びが……」
「余語、健全な部室なので危ない発言は慎みなさい」
「あれ? 先輩って、男子高校生なのに、下ネタ駄目なんですか?」
「男子高校生でも、時と場合を選ぶんだよ、馬鹿! つーか、お前も男子高校生だろうが!」
俺の言葉に、何故か余語はぽかんとした顔になって、高橋と姫路の方へ視線を向ける。
「えっと、高橋君に明日香ちゃん。ひょっとして、この先輩って天然?」
「ああ、やっと気づいたか、天然記念物だよ、その先輩は」
「今時珍しい、阿呆の類の先輩なのだよ」
ひどい言いぐさだが、事実だから否定できないな、俺。
「ぷ、くくくく! あははははははっ! ありえない、うっわ、有り得ないですね、これ!」
「何がだ、ちくしょう!」
やがて、余語は何がおかしいのか、腹を抱えて笑い出した。大口を開けて、目の端に涙すら溜めて、大声で笑う。俺が阿呆で、そんなにおかしいのだろうか?
「そーですね、うん、そうです、そうです! ボクも男子高校生ですからね! 下ネタ大好きの男子高校生ですとも!」
「お、おう?」
「男子高校生ですから、こうやって肩を組んでも問題ありませんよねー?」
「いきなりのスキンシップ!? なにこいつ、怖い!」
一応先輩である俺に対して、がっつりと肩を組んでくる余語。その上、無駄に甘くて良い匂いがする物だから、俺は露骨に戸惑う。
ええい、良い匂いがする奴は大抵リア充か、美形と相場が決まっているのだ、おのれ。こいつは男の娘系の男子高校生だし、きっとクラスでもそれなりに人気者なんだろうな。
「えへへへ、これからよろしくお願いしますよ、馬鹿先輩」
「ははは、まずは口の慎み方から教えてやるよ、泣き虫の後輩」
俺と余語はがっちりと肩を組んだまま、笑顔で罵り合う。
本当に後輩になめられやすい俺ではあるが、この時だけはその体質に感謝していた。さすがに、首絞めはまずかったと俺も反省しているのである。
ふぅ、仲直りというか、ある程度仲良くなれたようで、何よりだ。
「…………なぁ、明日香。先輩って、ひょっとして、あれか?」
「うん、地で恋愛漫画の主人公やれるぐらいのあれだよね?」
そんな俺たちを高橋と姫路が微妙な表情で眺めていたが、はて、何か問題があっただろうか?
ともあれ、俺は新たな部員と、新しい日常の一部を歓迎することにした。
例え、これから俺の日常が東雲さんによってどれだけ非日常に塗り替えられようとも、きっと、こういう日常も俺の糧と支えになってくれるだろうから。




