第10話 合縁奇縁
「お前は一体、何が気に入らないんだよ?」
中学生時代に、よくクソッタレの気に食わない奴から言われていた言葉だ。
どうにも、そいつと俺は生まれながらにして馬が合わない、気が合わない、顔を合わせていると気に食わない……そういう相性の悪さを付与されていたらしい。
そうとしか思えないほど、そいつと俺は互いが気に食わなかった。
「なんで、お前はそうなんだよ?」
何度も、何度も、俺とそいつは口論した。
大抵、苛立って手を出してくるのはそいつの方で、俺はきっちりと正当防衛を謳って、やり返していた。
口喧嘩は俺の方が一枚上手で。
実際の喧嘩は、そいつの方が強かった。
「どうしてお前は、そんなやり方を選ぶんだ?」
俺とそいつの立場は、全然違っていた。
俺はクラスの中でも嫌われ者。女子全員から嫌われていて、男子の中でも友達と呼べるのは一人だけ。味方なんていない。一人で、大多数の奴らと戦わなければいけなかった。
対して、そいつはクラスの人気者だった。
凛とした顔立ちのイケメンだった。身長は俺よりも十センチぐらい高かった。勉強だってできた。俺よりも頭が良い奴だった。大多数の女子から好かれていて、その好意をさらりと流して上手く付き合えるぐらいには、コミュ力がある奴だった。当然、友達も多い。
本来であれば、俺とそいつの関係は交わらず、一言も言葉を交わすことも無かっただろう。
しかし、とあるきっかけによって俺とそいつは言葉を交わしてしまい、苦々しく思いながらも共同戦線のような真似をしたこともあった。
だからかもしれない、余計にあいつが俺に突っかかってくるのは。
「俺の視界に入ってくるなよ」
などと、苛立った様子で絡んできたこともある。意味不明だ。
まぁ、即座に「なら、お前の目を抉ってやるよ、嬉しいだろ? もう二度と俺を視界に入れなくて済むんだからなぁ」と答えたら、ドン引きしやがったけれど。
ともあれ、大抵の場合は、俺からでは無くあいつから俺に絡んできた。
俺は心底鬱陶しく思いつつ、口論を交わして、結局殴り合いになって終わる。それが中学時代で何度も、何度も、行われた。
本当に、飽きるほどに。
殴り合えば友情が生まれるとか、どこぞの少年漫画でほざいていたような気がするが、現実は違う。殴り合いで発生するのは、互いの損傷と憎悪が募るだけだ。
何も、分かりえない。
三年間も喧嘩していたというのに、俺はそいつの事を何も理解できなかった。
だから、卒業式の最後の時、そいつに俺は問いかけたのである。
お前は結局、俺の何が気に入らなかったんだよ? と。
俺よりも優れている癖に、俺よりもずっと上の立場の癖に。
何故、どうして、俺などにいちいち絡んでくるんだ? 意味が分からない。放っておけば、無視すれば、それでいいのに。
「…………お前、が」
そいつはしばし悩んだ後、吐き捨てるように言った。
「お前が、見たくないけれど放ってはおけない類の人間だからだ」
意味が分からなかった。
何を言おうとしているのか、察せなかった。
だから最後まで、俺とそいつは分かり合うことが無く、中学時代を終えたのである。
俺にとってそいつは、間違えても、二度と会いたくない奴だった。
これからの一生で、関わり合うこと無く生きていきたい存在だ。
けれど、それでも、あえて言うのであれば、俺はそいつの事を苛立たしく思いながらも、認めているのだ。
俺にとっては嫌な奴だけれど、世間一般には、そいつは『善人』なのだと。
だって、そいつはいつも俺に絡んでくる時は一対一で。フェアで。間違っても、取り巻きやらを使って、俺を囲もうとしたことが無かったのだから。
だから――――俺とそいつの関係は、『喧嘩相手』だったと断言できるのだった。
●●●
「それは愛ですよ、芦葉先輩!」
「絶対にちげぇよ、馬鹿後輩」
場所は放課後の部室。
段々と傾きつつある初夏の日差しを、窓から受けながら、俺と余語はだらだらと部活動を行っているのだった。
「えー、傍から聞いていると、あれですよ。素直になれない系のツンデレっぽい感じの匂いがします!」
「そいつが女子だったらな。でも、普通に男子で彼女も居たんだぞ?」
「偽装交際ですよ! 本当の狙いは先輩だったんですよ! BLだと、そういう流れになりますって!」
「ボーイズラブなんて俺の過去には存在しねぇよ」
高橋と姫路の後輩二人は、実家の道場関係で今日は部活動無しでの帰宅。なので、今日は必然と余語と俺の二人だけの部活動である。
「わっかりませんよぉ? わっかりませんよぉ?」
「わかりたくねーよ、そんな世界。つか、お前は腐男子って奴なの?」
「ふふふふ、どう思いますか、先輩は」
余語が入部してから大体一週間ほどが経過したが、当初の敵意はどこへやら、部室に俺がやってくると決まって俺をからかうようになっている。その上、テンションが高い。
大抵の場合、仲が良くなった俺に対する後輩の態度は、あからさまに俺を舐め腐っているような感じなのであるが、こう、余語の場合は微妙に違った。
何せ、からかうと同時に、妙に俺へスキンシップを仕掛けてくるのである。今だって、怪しげな笑みを浮かべて、俺の肩にさりげなく手を置いたりしている。
「…………確認しよう、お前は東雲さんが好き。それに嘘偽りはないな?」
「もちろん」
「普通に女子が好きっていう解釈で良いよな?」
「…………」
「そこで黙ってんじゃねーよ!」
さりげなく、肩から俺の背中に手の位置を移した上で、すりすりと擦ってくるので非常に気持ちが悪い。俺は即座に余語から距離を取って、きしゃあ、と警戒音を鳴らす。
「ふ、ふへへへえ、先輩ってばすぐに冗談を真に受けるんですからぁ」
「冗談か? なぁ、本当に冗談か?」
「ボクは基本的にノーマルですよぉ」
「基本的に! 基本的にとか言っているぞ、この後輩!」
「いやいや己惚れないでください。東雲彩花さんぐらい綺麗なら、という意味です。貴方みたいなやさぐれた飼い猫みたいな面倒な人、例外に入りませんよ」
「信じるぞ! 俺はその言葉を信じるからな!」
余語が文芸部に入部してからの一週間、俺は露骨にスキンシップを受けている。
なんというか、『男子同士だから大丈夫ですね!』という言葉と共に、俺の体をベタベタ触ったり、後ろから抱き付く――というか、しがみ付いて来たりなどもするのだ。俺の鎖骨とか、肋骨とかの形を手で確認して、にまにまと笑ったりもしている。うん、ぶっちゃけて言えばセクハラを受けているのではないかと、俺は懸念しているわけだ。
これが普通の男子高校生にやられるのであれば、俺はガチ切れして相手に机を投げつけて、一度お互いの立場と力関係をはっきりさせようとするだろう。だが、相手はこの余語悠月という後輩である。ぶっちゃけ、首絞めの罪悪感と外見で実力行使に出にくい。
中性的な声の持ち主で、外見が明らかに子犬系の可愛い女子の余語である。もはや、段々と男子的な要素が学生服しかなくなっているような気がするけれど、それでも、校内でコスプレをやらかす馬鹿なんて存在しないと俺は信じているので、確認は取らないようにしている。
というか、この状況で余語を女子だと疑う行動自体、こう、なんか毒されつつあるような気分がして嫌なのだ。
「ええい、無駄話はこれまでだ! 部活動を始めるぞ、部活動を!」
「先輩が昔話を始めた癖にぃ」
「お前がやたら、俺の中学時代について聞きたがっていたからだろうが! ったく、他の後輩は俺のトラウマ地雷原だとわかると察して引いてくれるのに、お前は知っていた上で聞いてくるんだもんな」
「ほう、それはつまり、後輩の中ではボクが初めてだったわけです?」
「…………まぁ、あいつの話をしたのは、初めてだな」
苦々しく吐き捨てるような俺の言葉に、何故か余語は満足そうに「むふぅ」と鼻息を漏らす。相変わらず、意味不明な行動だ。
「つか、必然と暗い話になったが、楽しかったか?」
「はい、とても。舞台裏を覗いているような気がして」
「…………お前さ、ひょっとして俺と地元の中学が同じ?」
「それどころか、在校中は何度か会った時がありましたよ?」
「…………覚えてねぇ」
薄々勘付いていたが、まさか本当にあの中学校出身だったとは。それならば、今までの奇行にも納得がいくという物だ。やけに俺の中学時代の話を聞きたがったことも。
何せ、俺が通っていた中学校は田舎も田舎。問題を起こした教師が飛ばされてくるような僻地である。そのため、自然と教師は変人奇人、大人として失格な屑など、より取り見取りな品ぞろえに。生徒たちは大自然の光と闇が育んでくれた、無駄に元気な天才児と問題児の混合編成という有様だ。
そして、俺は中学校時代に割と派手に動いで事件を起こしてしまった、いわゆる『やってしまった系の不良先輩』として扱われることが多い。たまに地元を歩いていると、当時の後輩たちが目を輝かせて、その時の体験談をせがんでくる程度には。
「やー、あの頃は輝いていましたよ、先輩。さながら、空から落ちてくる流星の如く」
「燃え尽きるじゃん、それ!」
「先輩の場合は、燃え尽きずにメテオって周囲に甚大な被害をもたらしたじゃないですかぁ。あ、そういえば、あの『屋上にて真なる邪悪降臨事件』の裏側って――」
「この話はやめよう、はい、終わり」
「えー」
中学時代の話は、露骨にメンタルが削られるので本当に続けたくないのだ。というか、どうしてあの中学校の後輩どもは大抵、俺の話を聞きたがるのだろう? 確かに、傍から見ていれば随分と愉快な行動はしていたと思うけどさ。
「部活の時間です。文章を書きましょう」
「先輩の人生はネタになるのに」
「人の話をネタにする時は、取材した後にちゃんと許可を取るかちゃんと魔改造しないといけないぞ。そのまま使ってはいけません」
「はぁい…………わ――ボクの事、覚えてなかった癖に」
「うるせぇ、クラスメイトの名前すら碌に憶えていない俺に、そんな期待するな」
「わぁ、やっぱり先輩は芦葉先輩だなぁ」
しみじみと、呆れるように頷く余語。
こいつが俺の何を知って俺に絡んでくるのかは知らない。
進んで中学時代の地雷を掘り出す気はないし、それに、何かあるのならばあちらから話し出すだろう。俺はそれを待つだけだ。
「さて、随分遠回りしてしまったが。部活動の時間だ。一昨日、俺が出した宿題についてはきちんとやって来たか?」
「ふふん、もちろんですとも!」
待っていました、と言わんばかりの笑みで余語はカバンからプリントアウトされた原稿を取り出した。USBの提出だけでも良かったのだが、どうやら家でプリントアウトも済ませてくれたらしい。うむ、中々良い心がけだ。
「タイトルは『革命戦鬼! 桃太郎!!』です!」
「エクステンションマーク多いな、どれだけ強調したいんだよ」
「えへへへ」
ツッコミはさておき、俺は余語から原稿を受け取って、その物語を読み始める。
俺が余語に出した宿題とは、『有名な童話をモチーフにした掌編を書いてくること』だ。その際、文章の基本的なルールは守ること、物語を最後まで書き終えることの二つを条件としている。理由は簡単だ。有名な童話は起承転結が分かりやすく、そして、誰でも共感を得られるような題材だから。文章のルールは物語を書く上で、マナーみたいな物、覚えておいて損はない。進んでそのルールを崩す著者も居るが、それはもうちょっと習作を積んでから。
そして、これが個人的に一番大切だと思っているのだが、物語を最後まで書き終えること。これは最初から終わりを意識して書くことで、物語の道筋を立てやすくなる上に、不用意に書く分量が増えることも無く、迷走することも少なくなる。加えて、最初の物語を終わらせるという行為は、何かきちんとした根拠があるわけではないが、物書きとして何か大切な要素を習得する儀式のようなものだと思っているからだ。
もちろん、それが出来なかったとしても、面白い物語を書いて、きちんと完結させる奴はたくさん居る。けれど、だとしても――――最初の物語を終わらせられる、という達成感を味わるのは一生に一度だけなのだ。
余語は面倒な後輩であるが、文芸部の部長としては、是非ともその経験を積んで欲しかったのだ。
「ふむ、悪くないな、面白い」
読み終えて、俺は素直にそう思った。
素直な感想が、普段受けている隼人先輩の口調に似てしまったのは、ご愛敬。やはり、弟子は師匠に似る物らしい。
「ええっ! 本当ですかーっ!?」
「嘘を吐いてどーすんだよ? 桃太郎が鬼ヶ島に行った後の後日談になってて、分かりやすいし。鬼の美少女が出て来て、鬼ヶ島が虐げられた民の隠れ家だったって設定も良いな」
「へへへ、えへへへ! どこが一番面白かったです?」
俺が読んでいる最中、ずっとそわそわと落ち着かない様子で待っていた所為か、その分、喜びもひとしきりになっているらしい。余語がとても笑顔だ。
「やっぱりクライマックスだな。育ての親であるお爺さんとお婆さんとの最後の戦いは、掌編ながら綺麗に纏まっていて、良かったと思うぞ」
「えへへへー」
童話・桃太郎を主題にした作品は多くあるし、設定もありきたりだったかもしれない。けれど、肝心なのはそれをどう文章に書き下ろしていくか、だ。
余語の文章はまだ固く、時々言葉の誤用もあったが、それでも、一つ一つ言葉を選んで、大切に文章を書きこんでいったのが分かる物になっていた。だから、読み進めるのもさほど苦ではなく、ちゃんと面白い話として纏まっていた。
初めて物語を書いたにしては、上出来な方だと思う。
「いやぁ、秘められた才能が開花しちゃいましたね! これは新人賞に応募したら、最終選考まで残って、作家デビューしちゃいますね! 困ったなぁ! 学生と仕事の両立とか、大変じゃないですかぁ!」
「早速、己惚れるなよ、お前は」
「でもでも、なんか、最初の作品が褒められると、そう思っちゃいません!?」
「…………まぁ、否定はしない」
目を輝かせてはしゃぐ余語の行動には、俺も少なからず既視感がある。
というか、新人賞や何かの賞に応募したことがある人間なら、誰でもやってしまう行動ではないかと思う。まだ、自分の実力が客観視できていない頃、ついつい、途方もない夢想を描いて、にやにやと仮初の全能感に酔ってしまうのだ。
その後、新人賞の一次選考にすら残らないという現実を叩き付けられて、心が折れてしまうというオチまできっちりと完備されているけどな。
「ふふふ、これは東雲先輩がボクの手に落ちる日も早いですね!」
「そうかもなー」
「おっと、ボクの才能に対する嫉妬ですか? やめてください、見苦しいですよ?」
「お前は面白い奴だなぁ、余語」
子犬が尻尾を振ってまとわりついてくるような、そんなはしゃぎ方をする余語後輩だった。そんなに褒められたのが嬉しかったのだろうか? いや、嬉しいよな、ああ、物語を書く人間なら、誰だって嬉しいか。
「ほらほら、初心者なら上出来と言っただけで、まだまだ粗は多いんだから、手直しするぞ、手直し。それをそのまま東雲さんに見せたら、心を折られるから気を付けろよ」
「ふふん、そんなこと言って、ボクの才能が恐ろしいのでしょう!?」
「まぁ、俺の長編小説よりはマシだが……とりあえず、東雲さんが好みと言っていた、俺の短編でも読んでみるか?」
「ほほう、牽制のつもりですね!? 良いですとも、受けて立ちます!」
そして十分後。
「…………こんな気持ちになるなら、読まなければよかったですよぉ」
ついさっきまではしゃぎ回っていた余語が、露骨にテンションを落として机に突っ伏していた。テンションの上下が激しい奴だな、こいつは。
「格の違いを思い知らされた上に、絶妙に美しいバッドエンドのショートストリー。うう、のぼせ上っていたさっきまでの自分を殺したい」
「いやいや、そこまで落ち込まれるとは思わなかった。俺はただ、東雲さんは人間の愚かさを綺麗に整えて、内面を抉るような作品が好きだと教えたくてだな……すまん、実はちょっと舐められたのがいらっとしてた」
「大人気ない、大人気ないですよ、芦葉先輩は。せめてもう少しの間、浮かれて居たかったです……うぅ」
「悪かったって」
とりあえず、落ち込む余語の肩に手を置き、慰めの言葉を掛けるが反応が芳しくない。
うーむ、文芸部の部長として、これは少しよろしくない行動ではないか? いやしかし、前部長の隼人先輩みたいに、『俺の作品を知りたきゃそこの部誌でも読んどけ』とか、素っ気なくもかっこいい言い方なんて俺には出来ないからな。
そもそも、俺も隼人先輩の作品を読んで打ちのめされて、東雲さんの作品を見て、心が折れた人間なので、気持ちはよくわかる。つーか、俺の作品でそれを感じてくれるのが嬉しくもあるので、自分で何とか始末をつけないと。自分の作品で落ち込んでくれている後輩が居るのなら、当然の如く励ましたいのだ、俺は。
「…………帰りに、千円までなら何か奢ってやるから。その、お前の処女作完成記念で。だから、えっと、元気出せよ?」
普段小説を書いている癖に、こういう時に気の利いた言い回しが、俺は出来ない。だからこそ、ボッチ系男子として平穏を貪っているのかもしれないが。
だが、気の利いた言い回しでなくても、この場では大丈夫だったらしい。
俺の言葉を聞いた余語は、突っ伏した状態からがたっ、音と立てて立ち上がる。そして、満面の笑みで俺に言うのだ。
「本当ですか!? 約束ですよ、先輩っ!」
ああまったく、面倒な後輩など思う。先ほどまで落ち込んでいたと思ったら、すぐにこれだ。現金な奴め。
「はいはい、わかったから、落ち着け、顔が近い」
「新しくできたカフェ行きましょう、カフェ! お洒落なセットを頼みましょう!」
「男二人でカフェかよ、むさくるしいな」
「大丈夫です、ボクのおかげでいくらか華やかになりますとも!」
「やれ、これだから顔が良い奴は」
けれど、これくらい分かりやすい方が良いのかもしれない。
余語と違い、俺はとことんひねくれて捻じれた人間なので、余語に当てられて少しでも素直な人間に慣れればいいと思う。
少なくとも、素直に後輩との部活動を楽しいと言えるような、そんな人間に成れればいいと思うのだ、俺は。
●●●
その新しくできたカフェとやらは、駅前から数百メートルぐらい歩いたところに、ひっそりと建てられてある隠れ家的なカフェだった。碌に看板も存在せず、しかも、新築なのにわざと古めかしい造りにしてあるので、何も知らない人は空き家だと判断する可能性すらある。
だが、一度店内に入れば、そこはモダンな雰囲気の落ち着いた造りの内装だった。正直、田舎者である俺が入るのが気後れしてしまうほどに、そこは大人な雰囲気の店だったのである。
しかも、現在は俺たち以外しか客が居ないようで、とても気おくれがする。店のドアが開いていて、店内の照明も点いているので営業中だとは思うのだが、やはり、踏み出すのには勇気が要ると思う。
「ふへへへ、おっごりー♪ おっごりー♪」
だというのに、余語は躊躇うことなく、緩んだスマイルで堂々と店内に入っていく。
こいつのこういう物怖じしない所は、積極的に見習わないといけないな。
「先輩、先輩! ここは噂によると、時々、店のオーナーである天才美青年シェフが料理を作ってくれるらしいですよ! 美青年シェフ居ないか、聞いてみましょうよ!」
「落ち着け、店の迷惑になるだろ……あ、店員さん、メニューを――――おう?」
俺が恐る恐る席に着くと、厨房から人影が出て来たので声をかけてみる。
だが、厨房から出てきたのはウエイトレスでは無く、銀髪の青年だった。しかも、コックコートを着ているので明らかにシェフだった。つーか、知り合いの男性だった。
「こんな場所によくもまぁ、客が来たもんだ。今日のおすすめはカレーだ。カレー以外は作らんから、嫌なら帰れ」
銀髪の青年はぶっきらぼうに、仮にも客である俺たちへ言葉を投げかける。
その気だるげで乱暴な態度は明らかに人を不愉快にさせる物だが、目の前の男性はそれが自然と様になってしまうほどに、美形だった。
「…………こんなところで、何をやっているんですか、春尾さん?」
「なんだ、妹様の玩具野郎じゃねーか」
「ひどい言われようですね、お兄様」
「やめろ」
俺とのトークで露骨に顔を顰めているのは、東雲春尾。
暫定、東雲さんの兄であり、同時に、世界有数の料理の腕を持つ鬼才でもある人だ。そんな人がどうして、こんな田舎の駅前でシェフなどやっているのだろうか?
「ったく、人が息抜きで始めた店にまで押しかけてきやがって。合縁奇縁とは言うが、絡まり過ぎだろうが、色々と」
「ああ、趣味で始めた店だから、こんなに分かりづらい立地になっているんですね」
「当たり前だ。誰が好き好んで、大多数の有象無象に飯を食わせるかよ。俺は、俺の気が向いた時に、適当な人間に飯を食わせて度肝を抜ければそれで充分なんだ」
「傲慢なんだが、謙虚なんだか、分からない人ですねぇ」
東雲さんの方と違い、春尾さんは恐ろしいほどの美形であるが、付き合いやすい。
度々、悪態を吐いたり、乱雑な態度を取ったりはしているが、それが逆に人間らしさを感じさせてくれて、俺に安心感を与えてくれるのだ。
だからこそ、ついつい年上相手なのに気安く接してしまうのだが。
「つーか、そいつ何? 早速、浮気か? やるな、玩具野郎」
「浮気じゃねーっすよ、別に。つか、せめて女子が隣に居る時に言ってください、そういうの」
「…………はーん」
俺と余語を見比べて、にやりと春尾さんはニヒルな笑みを浮かべる。
「ま、言わない方が面白いわな」
「何なんですか、もう」
したり顔で俺を観察して、春尾さんは笑っているようだが、何に気付いたのか、俺にはさっぱりわからない。つか、先ほどから余語後輩が春尾さんの美形レベルに圧倒されたのか、露骨に視線を伏せてだんまりを決め込んでやがります。
「よし、面白いことは良いことだ。特別に今回限りで、無料で振舞ってやろう。ありがたく思えよ、芦葉昭樹」
「はぁ、どうも。嬉しいですけど、そんなことをして経営的に大丈夫ですか?」
「問題ない。どうせ、趣味でやっているような物だからな…………まぁ、うるさいバイトからは度々注意されるのが面倒なので、バイトが居ない間限定のオーナー権限だ」
「バイトに負けるオーナー権限って」
「料理作る以外、俺は無能だからな。それ以外の業務は全てバイトに任せてある。だから、バイトが来る前の客は会計を通さず返す方針だ」
ふふん、となぜか得意げな表情の春尾さんである。
ひょっとして、この人は馬鹿の類のアレじゃないだろうか?
「……バイトさんから、自分が来る前に店を開けるな、とか言われていませんでしたか?」
「言われたような気がするが、過去は振り返らない主義だぞ、俺」
「…………まぁ、ただで美味い飯が食えるのなら何でもいいか」
「おう、待っていろ。お前らが食ってきたカレーとは格が違う物を食わせてやる」
自信満々な表情で踵を返すと、春尾さんはそのまま厨房へ戻っていった。
やれ、天才という類の人間というのは、一癖も二癖も無ければいけない法則でもあるのだろうか? とてもではないが、凡人以下の俺にはついて行けないぜ。
「せ、先輩、芦葉先輩?」
「なんだよ、余語」
やっと美形ショックから解放されたか、余語は頬を若干赤く染めたまま、俺の裾を引っ張る。
「ずるいですよ、先輩。あんなイケメンの人と知り合いなんて。しかも、東雲先輩のお兄さんって、どういうことですか?」
「言った通りの意味だぞ? まぁ、詳しく説明するのは面倒だから、察しろ」
「…………つまり、最初からボクに勝ち目のない戦いだったと!? 既に、婚約を済ませた仲だったんですか!? 家族公認とか!」
「違う」
ある意味、婚約よりも重苦しい契約を交わしたが、そうじゃない。
東雲さんと俺はあくまでも、殺し合うような関係の宿敵だ。そうでなければ、俺が生きている意味など無いのだから。
「えー、わっけわかりませんよ、もう」
「変に詮索すると面倒なことになるから、止めておけ。それよりも、あの人の作る料理は世界最高峰だから期待しておけよ。正直、都心の高級レストランよりも格上だと思う」
「なにそれ、すげぇです! でも、千円分の奢りは次回に繰り越してください」
「はは、この野郎」
この期に及んで図々しい物言いだったので、少し後輩を懲らしめることに。と言っても、あまり暴力は好きではないし、余語に対しては首絞めの負い目もあるので、もっとソフトな奴にすることにした。
「うわ、凄く伸びる」
「やめへ、やめへくらはひー」
むにぃ、と余語の柔らかな両頬を摘まみ、みょーんと伸ばす。
これくらいならば、暴力にカウントされず、ちょっとした嫌がらせで後輩を懲らしめることができるだろう。と、そんな風に考えていたのだが、一つ盲点があった。
「あうー、あうううー」
「他の客が居なくてよかったなぁ、これ。傍から見たら、気持ち悪いだろ、この光景」
よく考えたら、男子高校生の頬を引っ張る男子高校生など、気持ち悪い以外の何者でもない。そりゃ、余語の見た目は男の娘なので、見た目だけならセーフかもしれないが。それだと、こいつらマジで出来てんのかよぉ!? という不名誉に繋がるので、人前では絶対にやめた方が良いだろう。
「っだああああああ!!? まーた、オーナーが勝手に店開けてやがるぅ!?」
と、そんな風に思っている時に限って、人がやってくるから不思議な物だ。
俺は乱暴にドアが開けられると同時に、素早く余語の頬から手を離す。
「うぅ、散々弄んでおいて、飽きたら捨てるんですかー?」
「ひどい言いぐさだ」
慌ててドアから入って来たそいつは、そのまま厨房の方へ行こうとして……そこで、やっと俺たちの存在に気付く。
「あ、すみません、お客様――――って、あ?」
「――ああん?」
同時に、俺もそいつの姿に気付く。
ああ、忘れる物か。どれだけクラスメイトの名前と顔を忘れても、俺はこいつだけは忘れないであろうと、確信できるクソッタレに気に食わない奴。
そいつも俺と同じ気持ちなんだろう。俺の存在に気付くと、作りかけた愛想笑いを崩して、露骨に敵意を向けてくる。
くそったれ。別々の高校に入れば、二度と会うことは無いと思っていたんだがな。
「何で、お前がここに居るんだよ? なぁ、芦葉」
そいつは吐き捨てるように、俺に向かって問いかける。
俺よりもずっと高い慎重に、ガタイの良い引き締まった体。適度に着崩した学生服に、野暮ったくならないように切りそろえられた短髪。すっと通った鼻筋に、額に皺が寄っていてもなお、凛とした眼差し。
相変わらず、絵に描いたようなイケメンだ。
「は、ははははは、それはこっちの台詞だ、海木」
懐かしさを覚えながらも、俺は苛立ちと共にイケメン野郎を睨み返す。
海木 貴志。
中学時代に俺と共に飽きるほど喧嘩に明け暮れた、俺が最も気に食わない男。
そいつが、何の因果か、今、俺の目の前に居た。
「とりあえず、表に出ようぜ、芦葉……久しぶりにぶち殺してやる」
「言ってろ、海木。テメェの血の味を思い出させてやんよ」
だから、当然の如く――――俺たちは喧嘩を始めることにした。




