クレイン辺境伯1
バルナバス・クレイン視点の番外編です。
この日が来た。
ずっとこの日の為に生きてきた。
あの日からずっと、この日の為に―――
◆◆◆
私がアメリアと結婚したのは父がヴァルストとの争いで討死し、跡を継いで間もなかった頃だ。和平を申し出てきたのはヴァルストで、中央はそれを承諾し、私とアメリアは結婚する事になった。つまりは完全な政略結婚だ。
正直な話をすれば、面白くなかった。中央はこちらがどれだけヴァルストから被害を受けているかを知らない。「意見を訊きたい」と言いつつ、決定路線で話を進めていく奴らに反論したが結局は条約は締結された。
『まだ若い貴殿に、彼の地をまとめるのは早かろう』
どこかの貴族がそういったのを覚えている。中央貴族を見れば皆、父やそれ以上の年齢ばかり。時折若いのもいたが、特に意見するようなことはなかった。つまり私の年齢を見て危惧していたのだ。自分の子供程の人間が辺境をまとめつつ、ヴァルストから国境を護る事に。
クレイン辺境伯とは世襲制ではあるものの、それだけで継げるようなものじゃない。領民から認められ、家臣団をまとめ、この地で死ぬ事を覚悟した者でなければならない。私も父も祖父も、みんなその覚悟を持ってやって来た。
中央貴族の様に先祖の功績だけで貴族と名乗り、特権を与えられた者とは違う。私たちはそんな馬鹿な貴族も、馬鹿な貴族が守るべき国民をも守っているんだ。
だがそれは自惚れだった。
戦う事だけが国を護る事ではないと、そう国王から諭された。血を流さず国を護る方法もあると。
『貴殿の気持ちを考えれば受け入れられぬのもわかる。領民とてすぐには受け入れられないだろうとも。……だが、これから先の世代にも貴殿の様に父を亡くす者を作るつもりか? 夫を亡くし、幼い子供を抱え途方に暮れる母を作るつもりか? 親の顔を知らぬ子供を作るつもりか? それが本当に、領民の為になるのか? この先永遠に争いを続けるつもりなのか』
そう言われてしまえば、承諾するしかなかった。
情けなかった。年齢というどうしようもない事で、自分の領地にとって最も憎い国と手を結ばなければならないなんて。
結婚なんて嫌だった。
女性とあまり接触してこなかったのもあるが、何より相手がヴァルスト人だという事が嫌だった。
だが嫌だ嫌だと思っても、時間が止まってくれるわけでも、和平条約が見直される事もなく、私はアメリアと結婚した。
初めて見るアメリアは線が細く、華奢で小さかった。
『お初にお目にかかります。ヴァルスト王国から参りました、アメリア・ウィンダミアと申します。末永くよろしくお願いいたします。……旦那様』
緊張でわずかに震えていたアメリアは、それでも笑顔で私を見上げた。
(―――かわいい……)
現金なものだが、私はあれほど嫌だと言っていたのにアメリアに一目惚れしてしまったのだ。
そして同時に理解した。彼女も相当な覚悟を持ってこちらにやってきているんだと。彼女にとってここは敵地だ。どんな扱いを受けるのか怖いに決まっている。
『バルナバス・クレインだ。アメリア、と呼んでも?』
『は、はい……。その、バルナバスさま』
仄かに赤く染まった頬を見て、嫌われてはいなさそうだと思った。ホッとしたのを覚えている。
その後は速やかに式が行われ、ケインには丁重に扱うように言い置き戦地へと向かった。ヴァルストだけが問題ではないのだ。
私はアメリアがこの土地に馴染むまで気長に待てばいいと思っていた。小さな彼女に大きな重圧が圧し掛かっているのはわかっていたので、しばらくはゆっくりしてもらいたいと思っての事だった。
『はぁっ!? まだ触れてない!? それって、あれですよね、手も握ってないってことはあれってことですよね? 結婚したのに!?』
『うわ、まずいですよ、それ。国に帰る理由にも十分なりますし、そもそも奥方様の立場が危ない』
『ケイン殿なら大丈夫だとは思うが……万が一の事もある。帰ったらよく話し合ってください。でないと、奥様の立場がない』
遠征中、部下と話していたら何かの話題からアメリアとの新婚生活について訊かれて答えたら驚かれた。
そんなにまずいのか? でも、会ったばかりで……と口籠っていたら。
『初夜に相手にされずに蜜月もなく2か月も放っておかれるなんて、その方が辛いでしょうよ! せめてお互いをもっと知ってからにしようとか、心の準備が出来るまでよそうとか……色々いうことだって出来たでしょうに! アンタ、寝室にもいかなかったんでしょ!?』
『それはまずい。女性の方がデリケートな初夜ですからね。魅力がないと思っていくれているならまだ挽回の可能性はありますけど、『娶ったがそれ以降は知らない』と放置されていると感じていたら? 戦場に行ってのも愛人の元に逃げていると思われていたら? どう挽回するつもりですか?』
慣れない土地に来てくれたアメリアを想ってのことだったが、裏目に出ているらしい。初夜だって疲れているだろうと思って寝室にはいかず、一晩中鍛錬していた。……隣で眠ったら何をするかわからなかったから。
『政略の駒として嫁いできた女性が一番つらいのは、夫に顧みられない事です。それが原因で使用人から軽くみられる事だって十分あり得る事ですよ。アメリア様を大切にしたいのなら、すぐにでも共に過ごすべきです』
いや……大丈夫だろう。ケインが上手くまとめてくれている。心配する事は無い。
『奥方様のお気持ちをお聞きになった方が良い。初夜に訪れなかったことで閣下に不信感をお持ちかもしれませぬ。……愛人を勧められたらどうするおつもりで?』
副官で軍務長のロドリック・ハーランドがそう訊ねると、私は答えられなかった。愛人など持つ筈がない。結婚したのはアメリアなのだから、それ以外の女性となんて。
だがもし、その事で気をもんでいるとしたら私の責任だ。そう思うといてもたってもいられなくなり、ロドリックに後を任せて帰る事にした。皆、快く送り出してくれたので少し恥ずかしくも思ったが、気にしないフリをして城に戻る。
アメリアは少し瘦せていたようだが『おかえりなさい』と微笑んでくれた。その時、私は完全に堕ちた。
気持ちを打ち明け話し合い、アメリアもそれに答えてくれた。その日改めて私とアメリアは夫婦となった。
それからは城と戦場を行ったり来たりの日々を過ごした。戦場から戦場に向かい、城に戻れない日も多くなったが、戦場へ届けられるアメリアからの手紙のおかげで勇気づけられた。
『早くアメリアに会いたい』
そればかり思っていた。
大切に手紙を保管し、速やかに戦後処理を行い帰宅する。アメリアの顔を見たい。『おかえりなさい』という言葉を彼女の口から訊きたい。そればかりを考えていた。
―――なのに。
私は自分の事ばかりで彼女の状況など何も見えていなかったのだ。
婚姻してすぐ戦場に向かったその日から、彼女の冷遇は始まっていた。信頼していた使用人からの裏切りを知った時は頭が真っ白になったが、次第にそれは怒りへと変わる。
『アメリア様は貴方に訴えたというのに気づかなかった! あの方の苦しみに寄り添う事すら出来なかった!』
『女主人である筈なのに、生活は使用人よりも下だ! 当然です! ヴァルストから来た人間になどっ! 犬の餌ですら与えるのも惜しい!!』
その時はヘザーの言葉に頭が沸騰するようだった。しかし、井戸からアメリアが見つかったあと気を失った私は夢の中で思い返す。
『あの、バルナバス様。居室に関してなのですが……』
『ん? ああ、それはケインになんでも要望してくれ。君の好きなようにしてくれたらいい』
『あ、いえ、その……』
『大丈夫だ。ケインは厳しいが無理を言わない限りアメリアの希望に沿ってくれるだろう。侍女とも話して好きなようにしてくれてかまわないから』
『……はい、そうですね』
『アメリア、痩せたんじゃないか? しっかり食べているか? 口に合わないのか?』
『あの、その事ですが』
『ヴァルストとは味付けが違うかもしれんな。ここは素材の味で食べる事が多いが、王都育ちのアメリアからすればもの足りないか』
『バルナバス様、あのそうではなくて』
『料理長にも言っておく。もっとアメリアの好みに合った食事に帰るようにとな。あぁ、悪い。これから軍部と打ち合わせがあるから行ってくる。料理長には言っておくから』
『あ……』
『ケインとヘザーが? まさか。彼らは使用人の中でも忠義に厚い。勘違いじゃないか?』
『いいえ。本当に私っ』
『うーん、わかった。注意しておくから、アメリアもあまり思いつめないでくれ。きっと悪気があっての事じゃないんだ。アメリアに早く慣れてほしいんだと思う』
『バルナバス様……』
◆◆◆
眠りから覚めると涙が流れていた。彼女は確かに私に助けを求めていた。なのに真剣に彼女の話を訊いていなかったんだ。他国から来たからナイーブになってるんだろう、怯えているから自分を悪く言っているように聞こえるんだろう。そう軽く考えていた。
馬鹿だ。
彼女がヴァルスト人であるということは、この地では敵であるということなのに。どうして甘く見ていたんだ。私だってアメリアに会う前はヴァルスト人との結婚なんて嫌だと思っていたのに、どうして!
森の中の寂れた避難施設は屋根が崩れ、壁だって長年の風雨でボロボロ。隙間風は当然のように入ってくるだろうし、夏は暑く、冬は寒い。虫も野生動物だって入ってくる。そんなところで彼女はずっと生活させられていただなんて……
翌日、遺体は引き上げられた。店主殿に心配されたが彼女の傍にいたかった。それに、もしかしたら間違いじゃないのかと、僅かばかりの可能性に縋っていたのかもしれない。しかし、それもすぐに打ち砕かれた。
遺体の左薬指には私が結婚3年目を記念して送った指輪が嵌められていたのだ。石もデザインも私が決めて作らせた、この世に唯一の指輪。見間違えるはずがなかった。そしてこの遺体が彼女であると確定した瞬間でもあった。
それからの記憶はあまりない。丁重に引き上げていく姿を見ながら、私は呆けていた。店主殿が連れてきた神官殿が改めてアメリアの亡骸に向かって祈りを捧げると、店主殿もそれに従い祈り始めた。それを私はただ、見つめていただけだった。
信じていた。きっと生きていると。
何か理由があって離れないといけなかったんだ、そう信じていたんだ……。
次回に続きます。




