第37話『似たもの同士』
酷く汚れた建物や地面。──それらとは不釣り合いなほどの明るさと可憐さを持つ提灯や屋台。二人がやってきたのは貧民街で毎夜行われている『夜市』だ。
例えるなら祭りの屋台や中華街のようなもの。例えよりは質素だが、それらよりも活気があるような気がする。
「さっきの場所よりも随分と明るいな」
「ここは貧民街の中じゃ都会の方だからね。人も多いし、ご飯もいっぱいある」
赤い屋台には串に刺されたトマトのようなものが。串から滴り落ちる赤い液体、引き続いてやってくる爽やかな匂いは食欲をそそる。
隣の緑色の屋台には焦げたように黒い蕎麦のようなものが鉄板で焼かれていた。見た目はアレだが、食べてる人の反応からして美味しいだろう。
賑わう人々の顔には生気が宿っている。今朝や昼間に見たような、虚ろな目をしている人は誰一人としていない。
「オススメがあるんだ」
レイに言われるがままついて行くと、そこにあったのは──汚れた赤と白のストライプ柄の屋台が。
「ムックおじさん、スープ二つ」
「レイちゃんか! ……隣は?」
「新人だよ」
「ほほう、そうかそうか」
屋台にいる禿げた中年男性は大地をニコニコと見つめる。
「……なかなかイケメンな子じゃないか。特別にサービスしてやろう」
そう言うと、グツグツと煮えたぎった鍋にお玉を入れ、中のスープをすくい上げる。
色は透明。そして──変な匂いがする。
「……な、なんだこれ」
「野鳥とネズミのスープ。美味しいんだよ、これ」
「野鳥……ネズミ……」
黒いお椀に並々と注がれた透明のスープ。底には……何やらピンク色のブヨブヨしたものが。
おじさんは「サービス」と言いながら、大地のお椀に大きめのブヨブヨを投下する。
「ほれ、召し上がれ」
「……ど、どうも」
……生臭い。なんかこう、顎の機能が弱まるような、絶妙な不快さのある匂い。吐き気こそしないが、割とギリギリのラインを攻めてる気がする。
「ほら、レイちゃんも」
「ありがとう。──じゃ、どっかで座ろっか」
「お、おう……」
近くにちょうどベンチがあったので、二人は仲良くスープを持って座る。
……飲めるのか。飲んでいいものか。さっきは野鳥とネズミのスープと言ってたが──もしかしてブヨブヨって内蔵のことか。
そういえば行く時に「内蔵は食べられる?」とか聞いてた。つまりこれは内蔵のスープ──え、ほんとに飲めるのかこれ。
戸惑っている大地にレイがハテナを出している。
「冷めちゃうよ?」
「お、おう」
レイは──なんて事ない顔でお椀に口をつけ、スープを喉へと流し込んだ。
「──んー。やっぱり美味しい」
美味しい……のか。目の前に出されたものを食べないのは流儀に反する。
大地は意を決してスープを口につけた。
──臭い。
まず出てきたのがこの感想。続いて来たのが『無味』である。
この透明のスープ。何か見えないだけで味付けされているのかと思ったら、まじでただの水らしい。びっくりするくらい無味であった。
味はないくせに生臭い。これは率直に言って美味しくない。
しかもこれはスープの話。底に溜まっている内蔵は一歩一歩大地の口内へと迫り──入ってきた。
──まずい。と言うよりこれは生煮えではないか。
不愉快な食感。噛む度に溢れ出る気持ち悪い肉汁。滞在する時間が伸びるほど、吐き気も爆発的に上昇していく。
吐きたい。もう吐いちゃいたい。しかし店のおじさんが見ている。吐くわけにはいかない──。
「ぐぉ──ぉっ!」
嘔吐感を抑えながら喉を動かし──胃へと流し込んだ。
涙と鼻水が出そうになるも、前腕で拭き取って証拠隠滅。何とか平穏を保ちきった。
「いい飲みっぷりだね。美味しかったでしょ?」
「うぷ……美味、かった……ありがと、う」
時々胃から漏れそうになる内蔵を飲み込みながら親指を立てる。レイは大地の反応を見て満足そうに笑顔を浮かべた。
「──はは、大地って面白いやつだね。ちょっと見直したよ」
「感謝……しとく」
人が死にかけてる時に何わろとんねん。──なんて言葉が内蔵と共に飛び出そうになるが、頑張ってせき止めた。
* * *
多種多様な人種がいるのはもちろんのこと。夜市には孤立した人だけでなく、家族やらカップルやら、複数人で行動してる人が多くいる。
昼間と比べて活気がある理由はそれも関係してるだろう。やはり仲の良さそうな親子や恋人同士を見てると、雰囲気も明るくなる。
「貧民街って名前だから、もっと暗い感じだと思ったんだがな」
「ここに住んでる人はみんながみんな悲観的な訳じゃない。成り上がろうと夢見る人もいるし、現状に満足してる人もいる」
明るく笑う母親と子供を見ながら、レイは強い意志を宿した顔で力強く言った。
「──だから、ここが無くなっていいわけがない」
「……」
──レイはふにゃっと顔を緩ませ、スープを飲み干す。
「大地は家族とかいる?」
「……家族、ね」
透明のスープに反射した自分の顔を見ながら呟いた。
「あんまり長くここに居たら、家族の人も心配するでしょ?」
「……心配してくれる家族なんていねぇよ。親父とお袋は俺が産まれてすぐに死んだし。親戚は全員俺のことを嫌ってるし」
「え……なんか、ごめん」
「いいよ。別に」
だからレイの家族の仲が良くて、少し羨ましかった──なんてことはダサいので言葉にしない。
「じゃあ友達とかは?」
「友達──」
あのチビメガネ。七三分けの栄角の顔が頭によぎる──。
──その瞬間、大地は自分の顔面をぶん殴った。
「うぇ!? どしたの!?」
「いや、嫌な奴の顔を思い出しただけだ……」
「思い出すだけで殴るって、どんだけ嫌な奴なの……」
「お前も会えば分かる……」
よりによって。よりによって友人という言葉であいつを思い出すとは。自分が腹立たしく感じる。
しかし他に友人と呼べる人間などいないのは否定できない。ずっと荒れていたから周りに人なんて集まらなかったし。
そういえば栄角は無事だろうか。おそらくは栄角もこの世界へと飛ばされているはず。
運動音痴のアイツのことだ。もしかしたらどこかで野垂れ死んでるのかも──。
「──考えるな考えるなクソっ」
栄角を心配するのは癪に障る。栄角を心配するくらいなら、今飲んだスープを樽一個分飲み干す方がまだマシだ。
「……いいなぁ、友達」
「友達じゃねぇよ」
「それだけ心配してるなら、友達だよ。私は同年代の子すらいなかったから、羨ましいよ」
「……学校とか、ないのか?」
「あるにはあるけどお金がね。仮にあったとしても、貧民街に住んでちゃ入れてすらもらえないよ」
差別というものか。昔の日本でもそんなことがあった、と栄角に教えられたのを思い出す。
なんとも不条理で不合理──とは言えないのが人間の悪い部分とも言えるし、良い部分とも言えるだろう。
こんなことを言えるのは差別がほとんど無くなった現代人だから言えること。この世界に住む人とは価値観が違うのは当たり前のことだ。
「じゃあいつも何してんだ?」
「基本的には働いてるよ。小銭を貰って家事代行をしたり、取り立てとかやったり」
「取り立て……」
「これでも私、貧民街の中じゃ強い方だからね」
──また少し過去のことを思い出した。
両親を失って、親戚の家をタライ回しにされて。もう誰のことも信用できずに暴れるだけ暴れ回って。
その時は自分が一番可哀想な人間だと思っていた。だからこんなことをしていいんだと。言い訳をしていた。
だが世界には悲惨で可哀想な人間はもっといる。自分だけが可哀想な人間ではない。
「……」
世界というのは広いものだ。まさか別世界にやってきてまでこんなことを思うことになるとは。
「……大変だな。お互い」
「案外似たもの同士かもね。私たち」
「はは、そうだな」
「うん」
ザワザワとどよめく声の中、二人の笑い声は静かにお互いに届いたのだった。
──どよめく?




