4.Five Land Coast(上)
気だるいまま、授業を受け放課後、茶道部で普通に過ごした。今日はこの後、芳野先輩や響也たちが来るって言ってた。私は一人で彼らに振舞うお茶の準備を始めた。みんなが帰り、しんとした茶室。耳に入る音は、私のため息とつぶやきくらい。
「あー、ホント、なんでこんなんになっちゃったのよ!」
「あら、紗夜さん、どうかしたの?」
急に後ろから声を掛けられ、びっくりした私はつい、短い悲鳴を上げてしまった。
「人を幽霊みたいに、失礼ね」
「来たなら来たって、言ってくださいよ。心臓に悪い」
剣道部から戻ってきた桜先輩が、いつの間にか私の後ろに立っていた。全然気がつかなかった私は、慌てて独り言を聞かれていたことに気がつく。
まさか、最近幽霊が見えて困ってるんですというわけにはいかず、私は適当にお茶を濁した。茶室だけに・・・・・・。良く見ると、今しがた剣道部の部活が終わったのだろう。先輩はシャワーを浴びたばかりでほんのりと頬は赤くなって、綺麗な黒髪は瑞々しく、まるで深海の群青色のように輝いて見えた。流石、校内きっての美人といわれるだけはある。パッチリとして、強い意志を秘めている瞳に対して、病弱だという体。しかし、剣道の腕は抜群というギャップしかも、胸も大きくスタイルもいい。面倒見も良く、女子高校生にありがちな、ネチネチした話は聞かない。どこを切りとっても、完璧な先輩に弱点なんかあるのかしら?
「あら、そんなにまじまじと見られても、困るわ。私女同士の恋愛だって許容する派なの。特にあなたみたいな可愛い子はね」
赤らめた頬を妖しく吊り上げた先輩が、ゆっくりと一歩一歩獲物を見つけた猛獣のように、ぺろりと舌を出しながら、近づいてくる。畳の上を音も無く歩く先輩に、いつもとは違う雰囲気を感じてしまった。
「い、いやだなー、先輩。そんな悪い冗談、・・・・・・。」
何とか雰囲気を変えようと冗談交じりで、軽口を叩くが、先輩は一歩も引かない。そのまま距離を詰められ、細くか弱い先輩の手が私の目の前まで伸びる。そのまま、私の頬を沿ってなでる。驚くほど冷たい先輩の手の感触が頬に伝わる。私は、こんな事態に陥ったことよりも、先輩の手の冷たさにそして、先輩の背中に一瞬だけ見えた背後霊のようなものが見えた気がして声を上げた。その背後霊のようなものは、暗く顔は見えなかったが、所謂迷彩服のような軍服を着て、全身から赤黒い血を流しているように見えた。なんで
「そ、そんなに、怯えないで。ほんの冗談じゃない」
今までの雰囲気をかき消すように、振り向きながら笑う先輩。もう一度見ると、その背後にいたものは消えていた。私は目をこすって、もう一回見たけど影も形もなかった。まあ、幽霊って影も形もないんだけど・・・・・・。
本当に冗談なのか、反応に困る冗談を言われる。そういえば、先輩から彼氏の話を聞いたことがない。っていうか男の話を聞いたことがない。もしかして・・・・・・。そう考えて首を振る。
「おっーす!、今日もお茶しにきたよー」
少しだけ淀んでいた空気をかき消すかのように、楽しそうな声でいつものように部屋に入ってきた芳野先輩。続いて、練習で疲れた顔をした浩太君と、何も無かったと言わんばかりのいつものすまし顔で響也が入ってきた。
「いらっしゃい、待ってたわよ。山岳部の皆さん。と言っても私も今来たばかりですが」
桜先輩に誘われ、順に正座する。私はお茶の準備をするため、裏に回る。茶室からは、今日の練習は疲れたとか、響也は全然つらそうにしない、やせ我慢してるとか、他の先輩が最近受験勉強で来なくなったとか、いつもの他愛ない話題で盛り上がっていた。そんなほほえましい会話を聞きながら、お湯が沸いたのを確認して、茶碗を持って、茶室に入った。私はお茶を点てながら、しばらく皆の話を聞き入っていた。
そんな時、芳野先輩がふと話題を変えた。
「そういえば、みんなもうすぐ夏休みだけど、何するの?」
夏休みかー。中学の頃は部活とうちの手伝いで全然遊ぶ暇なかったから、今回はどうしようかなー。部活だって毎日あるわけじゃないし、ウチの手伝いだって、そんな多くない。せいぜい夏祭りの前後くらいだ。
そんなことを頭に浮かべていると、ふと響也の顔が見えた。・・・・・・、夏休みはなにしてるのかしら。そんな素朴な疑問が浮かんだ。当然よね。そう思って、響也に話を振った。
「響也は夏休み何するの?」
「・・・・・・」
皆が響也に注目する。いいタイミングでお茶をもらった響也は、目をつぶってそれをゆっくりと飲む。ごくりと息を飲む音が聞こえた。パッと目を開き、茶碗を畳に置く。
「俺は海に行こうと思っている」
まるで普通の高校生のような答えに、目を丸くする私とは対照的に、話を掘り下げようとする皆。詳しく話を聞くと、ふとしたきっかけで海を見に行きたいと思ったらしい。なんとなく一人夕日が沈む空を眺める響也のさびしそうな背中が目に浮かんだ。なんとなく海は似合わないと思い、笑ってしまった。
「そりゃ、丁度言いや! ねぇみんな、夏休みうちにバイトしに来ない!?」
渡りの船に乗って、海老で釣りをしていたら鯛が釣れたみたいなウキウキの表情で芳野先輩が話に乗ってきた。先輩がこの顔をしているときは、何か面白いことを考えてる顔だ。そのバイトがわかんないけど、面白そうな夏休みになるなと、直感で思った私だった
「天気良すぎよ、熱い・・・・・・」
「そうね、夏本番といった天気ね」
雲ひとつ無い、紺碧の空を夏の太陽が我が物顔で照りつける。日差しは重さを持っているかのように、肌にのしかかり、風はそれを取り払うかのように颯爽と駆け抜ける。しかし、残念ながら焼け石に水だった。
伊達駅から東西線に乗り込み、東に小一時間電車に揺られて、私達がついたのは県内最東端、五陸海岸駅だった。五陸海岸は県内屈指の綺麗な浜辺で有名な場所で、この時期になると、海を求めて三千里、あちこちから人が集まる。特にこの駅がは浜辺に近く、近くの駅から乗った、明らかに海に行くであろうビーサンに短パンツ、薄いTシャツを着た焼けたおっさんや騒いでいるノリのよさそうな高学生、はしゃぐ子供をつれた家族つれなどが、意気揚々と電車に乗っていた。
せっかく海に来るんだし、ちょっとは気合を入れようとした私は、ノースリーブの水色のパーカーに白のTシャツ、カーキのホットパンツで、できるだけ涼しい格好をしていた。隣には桜先輩が白のロングワンピースに紫色のカーデイガンを着て、麦わら帽子をかぶっている。風に揺られるワンピースにふわりと髪の毛、これで目の前が海ならば、絵になるに違いない。後ろにはジーンズに無地の白シャツをきた響也と、短パンに薄手の黄色いパーカーを着た浩太君が、なにやら喋っていた。
人ごみに押され、改札を出る。皆向かう方向は一緒で、海側の出口に向かう。しかし、私達はそれには従わず、反対側の山側の出口へ向かった。出口を出ると、ターミナルがあり、小さな商店街の入口が見える。
「へえ、僕こっち側は始めてきたけど、こういう町並みになってるんだね」
「なかなか、情緒豊かね」
店の前では夏の暑さを和らげるために、打ち水をしている鉢巻を巻いた魚屋のおじさんや、八百屋の前でおしゃべりに興じる叔母様方、狭い通路でボールを蹴っている子供たちが見える。小気味よい風鈴の音が風に揺られ、商店街の入口で鳴っている。。
「いい町並みでしょ! あんまり有名じゃないんだけどね」
市外では見られない珍しい光景に私達が見惚れていると、いつの間にか横にいた芳野先輩が向日葵のように明るい笑顔で私達を迎えてくれた。いつもの制服とは違い、七分の青いジーンズに胸元が開いた赤いシャツに白のカーデイガンを羽織、珍しく黒いのマリンキャップをかぶっている。先輩の顔を見て・・・・・・。
「先輩焼けましたね」
「あははは、やっぱ分かる? 夏休みに入って家の手伝いで結構外に出ていたからね。日焼け止めしても意味無かったんだよね」
そういってカーデイガンを脱いでから、わざとらしく肩口までシャツをめくったり、おなかの辺りをのぞかせる。
「私は絶対に焼きませんからね」
「えー、桜も一緒に日焼けしようよ。ここで焼けないでいつ焼けるっていうのさ」
ワンピースの下からちらりと見えるのは残念ながら? 健康的な肌色ではなく黒のレギンス、白のワンピースが涼しそうに見えるが、実は日焼けが好きではないのか、肌が出ている部分は本当に少ない。
「それより、早く荷物を置きたいんだが・・・・・・」
これから泊り込みでバイトをするのだから、多少の着替え、洗面道具、その他は必要だと思うが、なぜか響也のバックは女の私の倍はある大きさだった。
「っていうか、ずっと気になっていたけど、そのでかいリュックの中身は何なの?」
「着替えだ」
んな、馬鹿なと思うが、糞まじめな顔で言うので、それを問い詰めるのも阿保らしくなってしまう。しかも、今日はこの夏一番の暑さの36℃、いちいち喋るのも熱い。だから、誰も突っ込む人はいなかった。
「ん、そうだね。とりあえず、ここで話をするのもなんだし、ウチに行こうか」
芳野先輩のを先頭に私達は商店街の方へ歩き始めた。さっきは、入口しか見えなかったが、中を通ると地元の人だろうお客さんや子供が思ったよりもいたことに驚いた。
「なかなか、風情があると思わない?紗夜っち」
「そうですね、完全にイメージですけど、古き良き時代の商店街って感じですね」
でしょと、まるで自分をほめられた子供のように嬉しがり、小さく前のほうへ駆け出し、大きく手を広げた。そんな様子を見ていた、店のおばさんが横から声をかける。
「あら、芳野ちゃん。帰ってきたんだね。久しぶり」
「佐藤のおばちゃん! 久しぶり、元気にしてた?」
「そうね! ・・・・・・」
久しぶりに会った親子かと見間違えるくらい自然に楽しそうに、道端で話を始める二人。楽しそうに笑う先輩とおばさん。人が多くなって、ご近所関係が希薄になった市内ではなかなか見られない。
「紗夜」
突然呼ばれて振り返ると、響也達の隣に近くの店のおじいさんだろうが立っていて、手招きし、すぐ横のベンチに座りなさいと手で促してくれている。なるほど、長くなるのね・・・・・・。とは言え、あんなに楽しそうに話す二人を邪魔するのは心もとなく、私達はゆっくりとベンチに腰掛けた。
「これをどうぞ、皆さん」
座っていた私達に、おじいさんお茶の小さいペットボトルを差し出してくれる。私はとっさに鞄に手を伸ばし、財布を出そうとしたが、いいよいいよと言って、渡してくれるのを無碍に断ることができず、受け取ってしまった。
「みんなは、芳野ちゃんの友達かい?」
私達皆に向けられた質問だろうが・・・・・・、もちろん響也など答える気はさらさら無いのだろう、さっきからきょろきょろ首を振っては商店街の様子が気になるのか、せわしない。浩太君は一瞬私と目が会ったが、申し訳なさそうに笑い、また視線を戻しお茶を飲み始めた。桜先輩にいたっては、ものっすごいいい笑顔をみせ、無責任に手を振っている。
こりゃ、私が相手するしかないか・・・・・・。
「え、ええ、そうなんですよ。私は同じ部活の後輩なんです。今日は先輩のおうちのバイトを手伝うために着たんですよ」
「そうか、そうか」
なぜか嬉しそうに笑うおじいさん。それから、芳野先輩の話が終わるまで、おじいさんの四方山話に付き合うことになってしまった。
「いやー、ごめんね。久しぶりに佐藤おばちゃんと会って、話が弾んじゃって」
ごめんねと手を目の前に掲げながら、申し訳なさそうに話す先輩。かれこれ三十分くらいはあそこに座っていた。流石のおじいさんも途中から店番に戻ってしまった。
「あの方は、芳野さんの良く知っていたみたいですけど」
「昔はあの人に習字を習ってたんだよ。めっちゃ字は上手いんだけどね、おしゃべり好きな人で、全然習字の時間も集中できなかったよ」
ハハハと笑うが、それはあんまり笑えないのでは?・・・・・・。
「あの、おじいさんも知り合いですか?」
「ああ、駄菓子屋のおじいちゃんね。昔は良くあそこに通ってね。まあ、いろんな駄菓子買ったんだけど、私はソフトグライダーが大好きでね、お小遣いもらう度に、色んな種類の奴を買っては庭で飛ばしてたよ」
「ソフトグライダー?」
聞いたことのないおもちゃ?だ。ハングライダーの小さい奴みたいなおもちゃかしら・・・・・・。
「発砲スチロールでできた、子供用の飛行機のおもちゃだよ。簡単に組み立てられて飛ばせるんだ。僕も昔勝手遊んでたけど、すぐ壊れちゃうんだよね」
「そうそう、だからホントしょっちゅう買いに行っていたよ。」
へえ、そうなんだ。全然知らなかった。っていうか、私いままで駄菓子やに行ったことないわね。そんなどうでもいいことを思い出しながら、私は先輩たちの話を聞いていた。しばらく歩いて、商店街を抜け、坂を上ると、二階建ての大きな旅館が見えた。周囲は年季が入った木の柵で囲まれており、入口の屋根は黒い屋根瓦が敷き詰められていた。入口には大きく「亘理旅館」と書かれている。
先輩が少し早足で、前へ進み、右手を旅館の方に向け、まるでバスガイドの様に甲高い声で話す。
「ようこそ、志摩末旅館へ。皆様のお越しをお待ちしておりました!」
いつもの軽口ではない先輩の似合わない口調に、苦笑する。
「似合わないわね」
「ぶーぶー、桜の意地悪」
そういって茶化す桜先輩の背中を押すように、玄関に進む。さて、これから一週間のバイト生活の始まりだ。夏の太陽に背中を押させるように続いて扉をくぐった。




