3.寡黙なクラスメート
「あー、家庭科とか本当にだるいわ」
五、六時間目は家庭科の授業だった。
しかも、私の苦手な調理実習。作る料理はカレー。いまどき小学生でも作れるわよ。
「あらあら、紗夜さんったら、自分ができないからってそんな事言って」
白いエプロンに小さめのエプロン帽子をかぶり、髪の毛をまとめて、料理モードになった
ペアの姫野に、くすくす笑われる。
「うっさいわよ」
姫野はこう見えて、地元じゃちょっと有名な料理屋の社長の娘なのだ。
だから、人並み以上に料理ができる。お嬢様は料理なんかしないって言うのが
昔からのお約束のはずなのに。・・・・・・。
「ただ私は細かい作業とか苦手なだけ。カレーだって、ちゃーんと作れるわよ」
もちろん大嘘である。
それは言いすぎか。ぶっちゃけ、私は料理が苦手だ。
さらに言えば、裁縫だって苦手だった。細かい作業が苦手というのがあるが、なんと言うか、
そういう女らしい作業というのが嫌いだった。
家は昔からそこそこ名のある地主みたいな一家で、出張が多い母さん父さんに代わって
「女は斯くあるべき」という厳しい祖父と祖母に言われて育った。
だから、小学校の頃は裁縫や料理、華道や書道、所謂女のたしなみは一通りやらされた。
そんな私も、中学校の頃に反抗期を向かえ、それらは一切投げ出してしまった。
あの時は、姫野や千夏の家を、数日ごとに家出先としてぐるぐる回ったものだった。
それから、色々あって、それらはやらなくなった。ただひとつだけ、茶道だけは今でも続けていた。
なんというか、あれだけは嫌いになれなかった。
閑話休題。
そんなこんなで、なんとなく体が拒否反応を起こすから料理は苦手だった。
「あのーそろそろ、役割分担きめないと」
「・・・・・・」
そう、自信なさげな声で男子側のペアの一人、浩太君が提案してきた。
小柄な身長ながら、運動神経はそこそこいいらしく、こともあろうに灰堂先生が顧問の
登山部に入っている。今はメガネをかけているが、登山のときはコンタクトになるらしい。
そうすると、イケメン度が5あがると、姫野が言っていた。私は見たこと無いけど・・・・・・。
「そうですわね、役割は野菜を切る人、肉を切る人、たまねぎをいため下味をつける人、ルーを準備する人が必要ですわね。
他の班もぼちぼち動き始めてますわ。とりあえず、私はたまねぎをいためて、下味をつける係りにしますわ」
「ちょっと、なんでアンタが勝手に決めてるのよ」
「何を言っていますの!カレーで一番重要なのは下味、このたまねぎをしっかりと炒めて下味をつける作業こそが、
一番大変で重要なのですのよ!」
いや、私はなぜそれを選んだのではなく、なぜ勝手に決めたのかを聞いたのだが、・・・・・・。
料理屋の娘の血が騒ぐのか、下味の重要性を一通り喋ったあと、勝手に満足して、勝手に準備に向かってしまった。
「じゃあ、皆さん。他の作業はお任せしますわ」
「・・・・・・」
相変わらず自分勝手なんだから。
ため息をつく私。
「じゃ、じゃあ、僕はルーを準備しようかな。重い鍋を紗夜さんにもたせるのもあれだし」
「・・・・・・」
そういって、浩太君も剣呑な雰囲気から逃げるように、姫野に続いて机を離れていった。
残っているのはさっきからずーっと、一言も喋らず、私達のやり取りを見ていた彼と私だけだった。
「んで、響也君はどうするの。」
「肉を捌く」
それだけ聞くと、こいつが巷の殺人犯じゃないかと思われるような台詞を吐いて、
彼は準備を始めた。
霧咲響也
クラスメートの中でもほとんどが、顔見知りや名前くらい知っている奴だけど、彼だけはまったく知らなかった。
それもそのはず、聞いた話によると市内出身ではなく、他県から親の都合で引っ越してきたらしい。
所謂、地元組ではない。だから、友達もおらずクラスではちょっと浮いた存在になってる。
そろそろ、皆部活に入ったという話を聞くが、彼だけはそういう話は聞かない。
休み時間も何をするわけでもなく、ただ一人で読書や散歩をしているらしい。
ぼさぼさで目元まで伸びた茶髪、大きな黒い目、尖った鼻、服の上からでもわかるがっしりとした体。
見ようによってはそこそこのイケメンに見えなくも無いが、浮いた話もない。
というか、あまり喋っているシーンを見たことが無い。
根暗そうな奴、というのが私の第一印象だった。
ちなみに、姫野曰く「磨けば光る、ダイヤモンド」らしい。
カツカツカツカツカツカツカツカツカツカツカツ
互いの包丁の刻む音が、雑多な家庭科室の中に響く。
カツカツカツカツカツカツカツカツカツカツカツ
私もなれない手つきながら、形をきれいにそろえながら、
カツカツカツカツカツカツカツカツカツカツカツ
ジャガイモやにんじん、なすやかぼちゃといった野菜を
カツカツカツカツカツカツカツカツカツカツカツ
切り分けて、・・・・・・、って
「うるさいわね、どんだけ早く切ってんのよ」
ついつい、隣の切る音が耳障りに思い、叫んでしまった。
そんな私の声に、まったく動じず彼は、ただひたすら、肉を切っている。
それを見て私は驚いた。
さっきまで、ブロック状の塊だった牛肉がきれい切り分けられて、皿に乗っけられている。
しかも、形や厚さも一定で寸分の狂いも無い。
まるで、機械が肉を切り分けたかのようだ。
手もとを見ても一定のリズムで肉を切り分けている。
その目は真剣そのもので、ものすごい作業に集中している。
「へえ、やるじゃない」
素直に関心した。
そんな私の言葉にもやっぱり反応せず、彼は着々と肉を切り続ける。
なんとなく、無視されたのが気に障った私は、彼の気を引こうと一旦持っていた包丁を置いて
右手で彼の左腕を捕まえようとした。
「え」
瞬間、彼の首が曲がり、こっちを向いた。
驚いたのは彼の目が、何か恐ろしいものに感じたからだと思う。
同時に、彼の腕に鮮血が飛び散る。
一瞬の出来事の為、何が起こったのかわからなかった。
突然、彼の左腕から血が噴出したのかと思ってしまった。
「い、痛ぁ」
しかし、それは完全に思い違いだったと痛みから声をあげた。
彼の腕から血が出たのではなく、彼の腕を掴もうとした私の右掌から血が出ていたのだった。
何が起こったのかわからない。
頭が着いていかず、痛みからではなく、驚きから私は体勢を崩し膝をついてしまった。
なぜか、引き締まった彼の表情が、目の端に入った。
「ちょっと、紗夜さん。大丈夫ですの?」
後ろから一部始終を見ていた、姫野が焦って駆け寄ってくる。
「近寄るな!」
「な、なんですの?」
いつもは喋らない、響也君の強い声に姫野が目を丸くし驚く。
姫野だけではない、周りのクラスメートもこちらを向いた。
一瞬にして、回りの動きが止まった。
「どうやら、彼女は誤って包丁で、掌を深く切ってしまったらしい。
生野菜や生肉があるここでは、何か悪い菌が傷口から入ってしまう可能性がある。
至急、彼女を保健室に連れてく。先生、問題はないか」
彼の勢いに押され先生は、ただうなずくだけだった。
「よし、止血するぞ」
ポケットから白い、彼が持ってるにはちょっと高級そうなハンカチを手の平に置かれ
そのまま、彼に手を強く握られた。
不覚にも、ちょっときゅんとしたのは、私の気のせいに違いない。
おぼつかない足取りのまま、彼に肩を借り、保健室に向かった。
幸か不幸か、保健室の先生はいなかった。
きっと、どこかで保健の授業をしているのだろう。
丸いイスに座らされた私は、救急箱を探す彼を見ていた。
「あ、あの、ごめんね。迷惑かけて、私が自分で手を切ったのに」
「・・・・・・」
出血具合が気になり、ぎゅっと握っていたハンカチを机の上に置き、そっと指を開き、掌をみる。
驚いたことに、出血はほとんど止まっていた。しかし、掌を横に走る生命線の真上を
一本の線でも引いたこのように、傷口がぱっくりと開いていた。
「あった」
救急箱を見つけた彼は、ピンセットで器用に綿をもち、消毒液をゆっくりと垂らした。
彼の太くて短い無骨な指が私の手を取り、ゆっくりと掌を伸ばす。
「少し滲みるが、我慢してくれ」
そういって、開いた傷口に綿をぽんぽん乗せて消毒する。
「あふ、痛った、あん」
消毒液が傷口に滲みる。
痛みについ、変な声を出してしまった。
高潮する頬を隠すために、左手で口を覆った。
しかし、そんな阿呆な心配には何の意味も無く、彼は私の掌の傷をまじまじと見ていた。
見られて恥ずかしくなった私は、意識をそらすため、なんとなく机を見た。
「あっ」
机には、私の血が染み付いてしまった白いハンカチがくしゃくしゃで置かれたいた。
「ごめん、響也君のハンカチ、汚しちゃって、血は落ちないよね」
「気にするな。また、新しいのを買う」
「そんな悪いよ、私が汚したのに・・・・・・、そうだ」
私はスカートのポケットから、ベージュ色に熊のマスコットキャラの
「ベアール君」をあしらえ、名前の刺繍が入ったハンカチを取って、彼に手渡した。
「この前、ディスティニーランドに千夏と姫野と行った時に、そのハンカチをおそろいで作ったの。次のハンカチまでの
つなぎで使って」
「・・・・・・」
困ったような顔をしながら、悩む彼。
「そんなに悩まないでよ。後で返してくれればいいから。ね」
「すまない」
なぜか、彼があやまる。
ちょっと悪い事としたかなと思いながらも、なんとなく笑顔になる私。
「あらら、二人ともどうしたの」
扉を開けて入ってきたのは、出かけていた保健室の綾瀬先生だった。
彼は手短に事情を話し、授業に戻るといって出て行ってしまった。
「じゃあ、包帯巻くから、もう一回掌見せて」
そういって先生に手を握られ、ゆっくり掌を開ける。
先生は傷口をまじまじと見つめる。
「これは、すごいわね」
「なにがです」
「こんな綺麗に掌を切ってるの、始めてみたわよ。もう、くっつき始めてるし、
どんな風に料理すれば掌をこんなにスパッと切れるわけ?」
あははは、と笑いごまかす私。
しかし、私は思った。
そういえば、どうして掌が切れたんだっけ?
疑問は先生に包帯を巻かれ、調理実習室に戻っても氷解しなかったが、
いい感じに出来上がりつつあった、カレーの匂いによって、すぐにかき消されてしまった。