8.止まれないバス(上)
ゴールデンウィーク後半一日目の昼時、野球中継をだらだら見ていた矢先、仕事用の携帯電話が鳴りやがった。悪い予感がひしひしとし、取りたくねぇ気持ちでいっぱいだったが、仕事じゃしょうがねえ。昼飯の準備をしていた家内も困った顔で台所から首だけ伸ばし、こっちを見ている。
天井を見上げ、頭を掻く。Jキラー事件の縮小を受けて、偶の休みに、温泉にでも行こうかと昨日話していた矢先にこれだ。糞が、どこのどいつだ。こんな時期に事件を起こしやがった馬鹿は。世間がにぎわうこの時期に警察の世話になろうとしている奴に恨み言を口にしながらも、しぶしぶ携帯を取る。
「もしもし、俺だ」
そんなことを思っても始まらない。掛かってきた先も見ずに電話を取る。大方、朝比奈の野郎が、捜査縮小にも関わらず、命令無視で捜査してて、何か見つけたか、それがばれて捕まったかのどっちかだろう。そう思って、ぶっきらぼうに出たが、思わぬ声の主に俺は無意識のうちに背筋を伸ばした。
「もしもし、万方君かね。私だ、磯ヶ谷だ。休日中に申し訳ないね」
まさかの部長だった。これはいよいよ面倒な事件が起こりやがった。そう確信した俺は、妻にわざとらしく大きく手を振り、昼飯はいらないと合図した。困ったような、あきれたような表情を小さく浮かべながら何も言わずにうなずく。
「いえ、大丈夫です。それで、事件ですか?」
「ええ、それも飛びっきり面倒な事件だよ。詳細は署に来てから説明するが、・・・・・・」
俺は部長の口から発せられた言葉に耳を疑った。テレビや小説なんかではお目にかかったことがあるが、実際耳にするのは長い刑事人生で初めてだった。まさか、こんな時期にそんな事件を起こす馬鹿がいやがるとは。
「分かりました。急いで出署します。朝比奈には連絡しましたか?」
「それが、彼女は捕まらなくてね。携帯の電源を切っているようなんだ。困ったものだね」
あのあほんだら、警官たるもの仕事用の携帯電話は常に身に着けて置くように、口をすっぱくして言っているのに。こんなときに限って出やがらねぇなんて・・・・・・。あとでとっちめてやる。
そのまま、電話を切って居間から寝室に移動し、いつもの背広に着替える。
「悪いが、明日からの予定はキャンセルしといてくれ」
「そうですか」
長い刑事人生、つらい思いもいくつもしてきたが、その中でもっともつらいことのひとつが、家族との予定をキャンセルするときだ。今回もそうだが、残念なことに事件は、いつ起こるかわからない。もちろん、非番の時だって何かあれば、予定をキャンセルして仕事に行かなければならない。特にコイツのさびしい笑顔を見るのが何よりつらかった。
「そんな顔するな。これが終わったらまた、温泉にでも連れて行ってやる。そうだ、今度新しくできた、王座温泉なんてどうだ。
近くのダムからの眺めは絶景らしいぞ。」
期待せずに待っていますよと、見送る家内を背に、玄関を開ける。どんよりとした曇り空が俺を出迎える。こんな日に事件を起こした犯人に恨み言をいいながら、俺は車のエンジンを回し、署のほうに向かった。
署に着くと、かなりの人数が呼び出されたのか、署は平日であるかと錯覚するくらい人で溢れていた。急いで二階に上がり、デスクに座って荷物を降ろす。ふと隣の朝比奈の席を見ると、やはり捕まらないのか、来た様子は無かった。周りの奴らの様子を見ると、こんな時期に突然呼び出され、明らかにテンションが低い。そりゃそうだ。俺だってそうだ。しばらく待っていると、部長室の扉が開き、いつもの済まし顔の部長以下、署のお偉いさんが出てきた。
「皆、そろっているね。今から三十分後に一階大会議室に捜査本部を設置する。本庁からの応援も直かけつけるが、まずは我々だけで対応する。追ってに事件の詳細は説明する」
そういって、各担当に指示を始める部長。一通り、指示し終わった部長に呼び止められる。何かと思って行ってみれば、今回の捜査本部の名前を書いてほしいだと。あきれながらも、俺は筆を取り、言われたとおり文字を書く。
「北東道バスジャック事件捜査本部」
我ながら達筆な字で書いて、庶務課の若い子に表札を手渡し、一階へと向かった。
それから、三十分。慣れた手つきで机や椅子、捜査資料を用意し、俺達は捜査会議の始まりを待った。相変わらず朝比奈の馬鹿はつかまらねえ。どこで油売っているんだか・・・・・・。
会議が始まり、前に部長が立ち説明を始める。皆説明を聞き漏らすまいと、水を打ったかのように、しんと、静まり返る。今は呼吸する自分の息遣いも煩く感じる。
「まずは諸君、ゴールデンウィークにも関わらず、事件対応のため、迅速に集合していただきありがとう」
お決まりの謝辞を言って、皆をねぎらう。当たり前だ、これが終わったらしっかりと休暇をもらってやる。そう思いながら、冒頭のお決まりの挨拶を右から左に聞き流す。
「それでは、事件の説明に入る。」
そう言って、状況の説明に移った。事件のあらましはこうだ。
本日八時ぴったしに出発した「伊達駅発王座山麓行」の二台の高速バスは、ゴールデンウィークの影響もあり、約三十分遅れの十時半に、休憩地点の「神成サービスエリア」で停車した。十五分の休憩を挟み、再出発した二台のうち一台に異変が起きた。十一時前にバスジャック犯を名乗る人物から、バスの運営会社の「北日本ロードサービス伊達営業所」に運転手を通して連絡が入った。内容はこうだ。
「このバスは我々がジャックした。乗客の命は我々が握っている。バスには爆弾が搭載されており、50km/hを下回ると自動的に爆発する。我々の要求の一つ目は、この北東自動車道から全ての車をどかすこと、二時間以内、つまり十三時半時までにできなければ、乗客を無作為に一人ずつ殺す。」
と言うものだった。時計を見れば十二時すぎ。緊急発進したヘリのカメラから、乗客を乗せたバスが北東自動車道を北上している映像が見える。やはりゴールデンウィークだけあって、車両の数が多い。北上側はまだ、渋滞はそれほどでもないが、南下側は既に渋滞が始めっている。
前の大モニターには、「帝国北東道路公団」から発信される、最新の交通情報が更新される。このまま行けば、後二、三時間ほどで「大関IC」周辺の渋滞に捕まる。そうなれば、50Km/hはおろか確実にバスは停止してしまう。最悪の事態が俺達の頭をよぎる。現在交渉班が、十三時半の期限を延ばすよう交渉しているが、内容は芳しくない。
「状況の説明は以上です。続いて、捜査方針の説明に入ります。まずはここまで、質問のあるものはいますか?」
誰も質問をせず、沈黙が広い広い会議室を支配する。
「では、捜査方針の説明に入ります。まず突入班。これから、本庁の応援が来るまで半日はあります。それまでに、爆弾を作動させずに犯人を確保する計画を検討してください」
勢い返事をした突入班が、早足で会議室を出て行く。
「次に、車両班、「帝国北東道路公団」と協力し「伊達北IC」から終点の「赤林IC」までの上下線を封鎖、全車両の撤去をお願いします。一時間半以内です」
どよめきの声が会議室に上がる。それもそうだ、「伊達北IC」から「赤林IC」まで、300km以上はある。それをたった一時間半で進めるなんて不可能だ。しかし、そんな声を封殺するように、やってくださいと静かに言う。今回一番の貧乏くじを引かされた車両班は、半分涙目で会議室を後にした。
「次に捜査班、乗客名簿を入手し、犯人の特定を急いでください、おそらく、犯人は乗客に紛れています」
名前を呼ばれ、準備された部屋へ急いで移動し、捜査班の部屋へ移動する。正面のモニターには会議室同様、ヘリからの映像と渋滞情報が映し出されていた。先ほど入手した、乗客名簿の電話番号から、家族や友人へ片っ端から電話をかける。本人達の携帯電話は犯人が電源を切らせるか、壊したかして、繋がらない。そこで、記載の住所から家族に電話をかけている。自分も電話をかけようと、割り当てられた乗客の携帯電話へかける。
すると、先ほどまではならなかった、コール音がなった。驚きのあまり、心臓が高まる。もう一度この電話相手の少女のプロフィールを確認する。
「もしもし?」
繋がった!!!。暢気な声が聞こえる。声の感じから、彼女がバスジャックされていない場所にいることは感じ取れた。
「もしもし、冷静に聞いてください。私は伊達警察所の万方と申します。亘理 芳野で間違いないですね」
「はあ、そうですけど。警察の人が何か用ですか?」
話を聞くと、彼女は幸運にも、休憩で止まった「神成SA」までは、ジャックされたバスに乗っていたらしいが、そこで友達と偶々席を交換して、難を逃れたらしい。唯一バスの内部の状況を知る手がかりを見つけた俺は、至急、本部に連絡した。話によると、彼女は友人の「霧咲 響也」と席を替わったらしい。急いで資料の上から、彼女の名前を消し、少年の名前を書く。その時手が止まった。見覚えのある名前を、すぐ上に見つけたからだ。
まさか、あの野郎、こんなところに居やがるとは。こんな事態にも関わらず、笑みが浮かんでしまった自分がいた。そう、その名前は確かにあった。記載の電話番号も、知っているものと合致する。そりゃ繋がらんわけだ。
「朝比奈 硝子」
こんな重要な時にどこをほっつき歩いているのかと思っていたら、あいつは俺の予想のK点を超えた場所の最前線、数十人いる捜査員の誰もが掴みたい犯人の目の前、バスの中に乗客として潜り込んでいた。
笑みが浮かんだのも、つかの間、入った緊急連絡に捜査員全員に緊張が走る。
「バスのドアが開きます!!」
時計を見ると十三時半時ぴったり、奴らが指定した時刻を針が指し示していた。
地獄の釜のふたが開く音が、室内に、いや署内に響き渡った気がした。




