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恋のトラウマは始まりを告げる  作者: 栢瀬 柚花


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18/18

欲望の衝動


「下山、鋼の精神じゃない。見直したわ」


 翌日の昼休み。

 弟切さんと由美にデートのことを話すと、至極感心された。

 

「普通は『何もしない』って言っておきながら、手を出すトコロよね」

「絶対そうですよ」 

 2人して目配りし、コクコク頷いている。 

「しかも前日にキスしてるなら尚更よ。山崎さんもその状況でよくお泊まりオッケーしたわね」

「……いや…断るのは嫌でしたし…………。一緒には居たかったんです……。何もしないって言ってくれたし……」

 

 もじもじと口籠るあたしに、由美は呆れたように嘆息した。

 

「憲彦さんもそこまでお預け食らってよく耐えられたよね。凄いと思う。同じ状況なら匠海でも耐えられないよ」

「誰でもそうなるわよ」

 

 2人してしきりに憲彦の理性を褒めていた。

 やはり憲彦は相当我慢してくれたんだな、とあたしは感謝した。


「でも、流石に2回目はないわよ?次に泊まる時は覚悟してからにしなさい」

「そうだよ。流石に2回目は憲彦さんが可哀想だ」

「か、可哀想なんだ……」

 

 そうなんだ……。

 まぁ………それもそうか…………。

 

「だって生殺しじゃん」

「焦らしってにしても、限度があるわね」


 2人から言われ、あたしはちょっぴり反省した。

 憲彦の言葉に甘えすぎたかもしれない。


「で?どうするの?今週に勝負かける?」

「こ、今週?!」

 

 あたしが驚愕したのを見て、由美は呆れたように目を細めた。

 

「………依織、どれだけ先延ばしにしようと思ってたの?」

「具体的な実行日は考えてなかったです……」

「伸ばせば伸ばすだけ、緊張が増すよ?」

「山崎さんの気持ちが第一だけど、あんまり先送りにし過ぎても逆効果かもね……。添い寝まで出来たなら、あと一歩じゃない?嫌じゃなかったんでしょ?一緒に寝ても」

「は、はい……。安眠してました……」

 

 気がついたら朝だった。

 案の定、憲彦は爆睡していてあたしが起こす羽目になったのだ。


「なら大丈夫じゃない?」

「今夜は一人で寝るんだから、寂しいなぁって思うかもよ?」

「ゆ、由美……」


 流石にそれはないだろう。



 


 ―――そう思っていたのに、いざ就寝時間になると寝付けなかった。


 狭くて緊張して、決して寝心地は良くなかったはずなのに、背中が寂しい。


「無理だぁ、コレ……」


 あたしは否応なく痛感した。

 羞恥で沸き立つ気持ちの中に、女として憲彦を求める感情がある。


 それを認めるとこの上ない恥ずかしさがこみ上げて、ベットの中で胎児のように体を丸めた。 

 






 それからの日々はなんとも奇妙な時間の経過をした。

 昼間は普通なのに、夜になると酷く時間経過が遅い。

 

 とくに憲彦と過ごす時間は塊のように一気に進んだかと思えば、焦れるくらい遅く感じることもあった。

 料理をしたり食事をしたり映画を観たり。

 いつもの過ごし方をするが、あたしだけ落ち着かない。憲彦はなんら緊張した様子もなく、リラックスしている様に見えた。


 なんでこんなにも差があるんだろう……。

 なんか悔しい……。

 

 遊園地デートで買ったけど結局飲まなかった日本酒を開けた日、あたしは溜まった悔しさを強く感じた。

 もう4日も憲彦は様子を変えない。観覧車で言っていた事が嘘なんじゃないかと思うくらい、表情が崩れなかった。 

 今もすぐ隣にいるのに、平然と映画を見ている。

 

 顔を見ていたら、もぞもぞと内側にうごめく熱情が湧いてきた。添い寝した夜に感じた憲彦のぬくもりが異様に欲しくなる。 

 だから体をくっつけた。

 寄りかかると憲彦の体温を感じ、少し欲求が満たされる。

 

「依織、眠くなった?」

「ううん……。まだ平気」

 

 あたしはそのまま映画を見るともなく眺めた。

 意味のない音として、俳優たちの声が耳から耳へと抜けていく。


 正直言えば、映画なんでどうでもよかった。いっそ画面が消えててもいい。ただこうして憲彦とくっついていられれば、それだけで良い。


 あたしは味わうように目を閉じ、憲彦の匂いと心地良い体温を感じた。

 このまま時間が進まなければいいのに、と思う。


「依織、寒いの?」

「なんで?」

「いや……いつもこんな事しないから………。俺の体温高いから、カイロ代わりしてるのかと思って」

「そんな事ないよ?ただ落ち着くなぁって思って」

「―――そう」


 チラッと憲彦を見ると、なんだか顔が赤い。

 あたしの部屋の冷房設定温度だから、もしかして暑いのかもしれない。


「憲彦、暑い?顔が赤いけど」

「いや……そんな事ないよ」

「そう?あたしすぐに寒くなるから設定温度高めなんだよね。暑かったら言って」

「うん……。気温は平気なんだけど……」

 

 憲彦らしくなく、なにやら口籠る。

 

「依織……さ。なんか……雰囲気が……」

 雰囲気?

「なに?」

「そのー…………妖艶……」

「よ、妖艶?」

「艶めかしいって言うか………」


 艶めかしいって……どこが?

 服装もいつも通り。

 変に肌を見せたりなんてしてないし、胸元だって見えないのだ。体のラインが見えるような格好でもない。


「ど、どこが?服はセクシーじゃないんだけど……」

「服じゃなくて……やたら視線を感じるし、目が合う。お風呂上がりっていうだけでも色っぽいのに、今もくっついて甘えてくるし……。二人っきりっていうシュチエーションだけでもまずいのに……」


 憲彦はさらに顔を赤らめているが、視線はまっすぐにあたしを見ていた。

 その目が熱っぽい気がして、あたしは体の奥底がうずく。

 やっぱり体をくっつけるとか、しないほうが良かったか……。

 あたしはそっと寄り添っていた体を離そうとしたが、すぐにグッと引き寄せられる。 

「このままがいい……」

 

 腕を引き寄せる力が強い……。

 さっきよりもピタッとくっついて、耳が憲彦の胸板につく。凄く速い心音が聞こえた。


「前も言ったけど、スキンシップは嫌じゃないんだよ」

 さらに力が入り、強く肩を抱き寄せられる。

「こうしてると嬉しいし、安心する……」

「うん……。それはあたしも同じ…」

 

 あたしの中でも熱が高まり、憲彦に体を預けた。

 求められるのは素直に嬉しい。

 大きな手がそっと慈しむように頭を撫でてくれる。

 

「依織は俺の中で、長い間ずっと中心にいる人なんだ。依織をなくしてしまったら、どんどん俺が崩れていく……。それくらい影響力がある人なんだよ」 

「うん……」

「だから、こうしていられるだけでも本当に嬉しい……」

「あたしも嬉しいよ……」

 

 そう言ったが、あたしは寄り添うだけじゃ物足りなかった。

 憲彦を求める恋しさが焼けるように胸に迫る。

 この気持ちを無視して前のようにまた先送りにしたら、なにか大事なものを取りこぼしてしまう気がした。


 あたしは憲彦により体を密着させ、腕を回す。男のがっしりとした骨格を感じた。顔も擦り付けて思い切り甘える。

「――依織……」

 湿り気を帯びたような甘い声。

 

 あたしはさらにギューッと抱きついた。 

 精神的にも肉体的にも、今は憲彦の望むことの一切を受け容れたいという衝動に駆られていた。

 

 憲彦は頬にあたし手を添える。触れている手が凄く熱い。発熱しているんじゃないかと思うくらい。

 

 視線が絡まると、互いに求めていることが簡単に知れた。もう目を逸らすなんて出来なかった。

 しっかりと目を合わせたまま口づけをする。優しく、何度も。

 頭が痺れるような甘く満たされるキスだった。

 

 キスってこんなにも気持ちいいんだ……。

 

 初めてチョコレートを与えられた子供のように、あたしは夢中になった。

 憲彦も決して乱暴にせず、でもしっかりとあたしを求めてくれた。

 あたし達はゆっくりと互いの体温の中に落ちていった。体の芯は疼き、痺れるような快感に襲われる。あたしは憲彦を感じながら、ずっと前から心は憲彦に抱かれていたんだと知った。


 憲彦もあたしも想い合いながらも遠くで過ごしてきた。

 長い長い年月のすれ違いを越えて再会して、恋人同士になって、欲望が互いの体を駆け巡り、ようやくそれが叶った。そう思うと、彼の劣情も熱ささえも、全部が幸せで愛おしいと思えた。


 こんなにも情熱的で欲望に溢れた日を忘れられるわけがない。

 あたしは憲彦の腕のなかで薄れていく意識の片隅でそう思った。



◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇



 翌朝、目が覚めた。

 


 まだ憲彦は寝息をたてている。時間は6時。 

 ぼーっと天井を見ていると、徐々に現実が押し寄せてきた。

 散々啼いた喉に違和感があり、体に僅かな疼きが残っていたので、昨晩のことは夢ではないと告げていた。

 

 土曜だけど、あたし達は2人とも仕事だ。微睡んでいたい気持ちを我慢して起き出し、シャワーを浴びにいく。

 

 

 部屋に戻ると憲彦も目を覚ましており、

「依織、おはよ」

と寝起きの声で尋ねられる。 

「おはよ」

 なんだか顔を見るのが照れくさかった。

「俺もシャワー借りていい?」

「どうぞ」


 憲彦が浴室へ行っている間に、あたしは朝食を作った。

 

 今日はお弁当を作る時間はなさそうだから、久々にコンビニにしようかな。


 2人で揃って朝食を食べるのは初めてで、そこでも艶事である現実をひしひしと感じた。

「依織は明日休み?」

「うん」

「今夜はうちに来ない?」

「えっ……」


 明らさまな誘い文句に、あたしは心臓が跳ねて戸惑った。

「だめ?」

 早くもドキドキして胸が落ち着かなくなる。

「―――い、嫌じゃない……」

 照れて顔が見られず、パンから目が離せないまま返事をした。

 憲彦はくすぐったく笑うと、

「朝から依織見てると、元気が出る」

 と視線を固定してくる。

 表現できない愛しい眼差しを感じ、どうにも体が強張った。

「好きだよ、依織」

 当然のようにそう言われ、あたしはチラッと憲彦を見る。

 

 見る度に胸が苦しくなるほどの甘美な気分に捉えられる。きっと説明しても憲彦には通じないかもしれないが、それでも言葉にして伝えたかった。

 

「あたしも……。憲彦がいれば何でも出来る気がする。今、凄く幸せなの……」

 

 恋愛を拒絶していた胸に、桃色の花弁が張りついた様なささやかなぬくもりが湧く。

 きっと顔に現れたのだろう。

 憲彦は唇を重ねてきた。

 朝なのにとか、これから出勤なのにとか、理性的な判断をする頭が声を出したが、心は従わなかった。

 2人でまた互いを求め合って、甘美な空気に身を委ねてしまった。




 

 結局、家を出たのは定刻の出勤時間を20分も過ぎた頃だった。


 

「バカバカバカバカっ!憲彦のバカ!!」

 バタン!とドアを閉めて半分乱れた髪をいじりながら、2人でダッシュした。

「ごめんって」

 憲彦はあたしの手を取って先を走りながら笑っている。

 反省の色ゼロ。


 あたしは何度も憲彦を止めようとした。しかし抑制が効かず、結局こんな時間になってしまった。

 体の奥までひっかき回された甘だるさを感じるが、そんな事を言っていられない。

 

 エレベーターなんて待っていられないので、階段をダッシュしてマンションを出る。

 

「もう絶対に朝は一緒にご飯たべない!」

 怒って言うあたしに、

「それは嫌だなぁ」

 とまた笑う。

「笑っても許してあげないんだからっ!」

「ごめんって。この埋め合わせはするからさ」


 駅への近道を曲がり、歩く人をどんどん追い越して走る。

 まるで学生の頃に戻ったような気分たったが、あの頃と違い遅刻はボーナスに響くので笑えない。

「ボーナス出たらとことん高い物請求してやるっ」

「いいよ。依織だから」


 何を言っても、憲彦はきっと笑って許してくれる。

 そう言う人だから。

 そして、あたしも何をされてもきっと憲彦を許してしまう。

 好きなひとだから。


 やっと両思いになれた好きな人だから。

  

 



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