触れ合い
付き合う事になってから、タイミング悪くお互いに忙しくなった。
あたし達は毎日お互いの部屋に出入りして時間を作った。憲彦は毎回入室許可をとっていたので、あたしが部屋の出入りを解禁した。それ以降、仕事終わり着替えを済ませたらどちらが言い出すわけでなく部屋に来て、ご飯を一緒に食べたり料理をする。
決して長い時間ではなかったが、幸せだった。
あたしは卵焼きを何度か作り、憲彦は毎回喜んでくれた。出汁と甘いの両方作ったが、
「やっぱり甘い方が好きだな」
と言っていた。
憲彦の帰宅が遅い時はあたしが夕飯を作ることも多かった。
「近ごろ食事は依織頼みになってるな……。手間かけさせてごめん」
「いいよ。お隣だし手間じゃないよ」
「それでも大変だろ?簡単な物でもパパっと作れればいいんだけど……料理の腕に自身がなさすぎる……」
「簡単なものなら、パスタもオムライスもレンチンで出来るよ」
あたしは少しずつ時短レシピを教えて、憲彦のレパートリーは増えていった。
「やっぱり依織は頼りになるな」
憲彦はよくそう言った。
「頼もしくて助かる」
部屋にいる時はたまに手を握って、恋人繋ぎをした。あたしから求める事が多くて恥ずかしかったが、拒否されたことは一度もない。
憲彦はいつも笑って、
「依織は可愛いな」
とあたしの赤らむ顔をみる度に言った。
ハグは告白の時以降、していない。
きっと勝手に触らないという約束をずっと守ってくれているからだ。でも抱きしめて欲しいと言うのは恥ずかしすぎてできず、そのくせあの時の温かみを思い返すと切なくて、
「手を繋ぐ時は、憲彦がやりたいタイミングでいいよ」
と伝えた。
結局、あたしが憲彦のぬくもりを求めているのだ。
それ以降、しょっちゅう手を握られるようになった。
部屋にいる時はほとんど繋いでいて、食事がしにくいのが難点だった。
「食べにくいんだけど……」
「俺も」
「……なら離そうよ」
「それは嫌だ」
駄々っ子みたいだ。
「依織に触れられる貴重な時間だから」
きっと本当は、もっとスキンシップを取りたいんだろうなと、分かってはいる。ハグし合ったりキスしたり、それ以上も……。
でもそんな事は一度もねだられなかった。憲彦はあたしがリラックスできる雰囲気を大切にしてくれた。
部屋に入っていいと言えばそうして、手を繋いでいいと言えばしてくれる。
あたしが一歩近づいたら憲彦も近づく。
あたしが一歩引けば一歩下ってくれる。
どこまでもあたしを優先してくれる。大切にしてくれる。
それは凄くありがたかった。
でも………物足りない。一緒に居るだけではウズウズする。
憲彦にもっと近づきたい。もっと体を寄せたい。くっついていたい。
あたしは結局の所、憲彦に触れて欲しいのだ。
手繋ぎ以上は時間が必要だと言って制限をかけておきながら、それに焦れている。
なんて我儘なんだろう。
そんな状態が続くこと一カ月あまり。
「今度デート行かない?」
提案されたのは週末に入る前の木曜日の夜だった。
「やっと仕事が落ち着いてさ。土曜は半日仕事だけど、日曜は丸一日休みなんだ。依織は休み?」
「うん。今週は何も予定ないよ」
「なら行く?」
「行きたい」
付き合って初めてのデート。それだけで凄くテンションが上がった。
「どこか行きたい所ある?」
「これといっては……。憲彦はないの?」
「依織が行きたい所って思ってたからな……。昔みたいに遊園地とか?」
「いいよ」
あの時はどこへ行っても楽しかった。
今もそうだといいな。
「お弁当作る?」
「お願いしていい?」
「分かった」
それからあたしは気持ちがソワソワして、落ち着きがなくなった。
服を考えお弁当の中身を思案し弁当箱を選んで、持って行く鞄を選んだ。
「流石に浮かれ過ぎかな……」
翌日の朝には準備が整い、あとはお弁当を作るだけの状態になっていた。
「少し冷静になろう……」
仕事に行くと少し気持ちは落ち着き、軽率な行動は無くなった。
「そっか、週末デートかぁ」
昼休み。本日は弟切さんは出張で不在で、2人きりだった。由美にデートが決まった報告をすると喜んでくれた。
「いいじゃん、順調に進んでて。少しスキンシップも許せるようになればいいね」
「まぁ……」
許すというより既に求めている気がして、曖昧な返答になる。
普通のカップルは、スキンシップはどちらからするものだろう。同棲している由美なら参考になるかもしれない。
「あのさ……」
「何?」
「由美と匠海さんはスキンシップ、どっちからしてるの?」
「どっち?そんなものないよ」
「ない?」
「どっちから、とかない。手を繋いだりくっついて座ったり、バックハグしたり、しょっちゅうだから」
「し、しょっちゅう……」
「うん。外に出る時は腕組むし、家の中だとくすぐったり頭撫でたり膝枕したり……日常的かな」
日常的なのか……。流石、同棲しているだけはあってあたしにはハードルが高すぎた。
「そ、そっか」
「なになに?依織に心境の変化があったの?」
「うん……まぁ……」
「ほーん」
何やらニタニタした由美は、椅子を動かして隣に移動した。
「で?」
コソコソ話が出来るように距離を詰めたらしい。
「……たまに……その…………憲彦に触りたいなって……」
「いいじゃん」
「部屋にいる時は手を繋いでるけど………それ以上はなくて……」
「手を繋ぐ以外でも、袖を引っ張るとか肩に触れるとか寄りかかるとか……色々あるけどね。キス以上は男性からの方がいいよねぇ。だいぶ仲が伸展したら女性からもアリだと思うけど」
「うん……」
「まずは肩を寄せるとか、軽いボディタッチから始めれば?そこまで緊張しないでしょ」
憲彦以外と恋愛経験がないあたしは、返事ができない。クラスの男子ともボディタッチなんてしたことがなかった。
無言でいるあたしを見て、
「手を繋ぐのがオッケーなら、寄りかかるとか袖を引っ張るくらいはいけるんじゃない?」
あたしにも出来そうな範囲の行動を示してくれる。
「服越しになら、やりやすいでしょ?」
「……たぶん」
「あとは言葉と視線かな。嬉しかったこととか、思いやりを感じた時に伝えればいいよ。依織はスキンシップが苦手っていうより、単に経験が少ないだけだし。あとは恥ずかしいって感情が大きいんでしょ?」
「うん……」
「それって普通だよ。依織の過去が関係してるわけじゃないと思う。だからそこまで深く考えずに接すればいいよ。男の人はけっこう敏感に感じ取ってくれるからさ」
「そう言うもの……?」
「そう言うものなんです」
言い切った由美を見て、少し安心した。
そうか。トラウマとは何の関係もないのか。
ならば、ブレーキをかける、かない、は自分次第ということだ。
「依織は憲彦さんともっと親密になって距離を縮めたいんだよ。愛情の表れだし、触れた時の気持ちをどんどん伝えた方がいいよ。憲彦さんも喜ぶよ、きっと」
――そう、なんだろうか……
「次に部屋に行った時でもやってみな。出来ることから少しずつ、さ」
その夜。
憲彦が仕事終わりにやってきた。
「美味そうなチョリソーあったから買ってきた。軽く一杯やらない?」
ビニール袋を顔の近くで掲げ、ご機嫌だ。
「いいよ」
テーブルにお酒を置くと、早速チョリソーを焼いてくれる。チーズとクラッカーも出すと、立派なおつまみが完成した。
「この酒、新作だった。レモンとブドウ味、どっちがいい?」
「ブドウ」
「オッケー」
小さな机越しに対面で座り、プシュと開封音がして「仕事お疲れ〜。あと半日、頑張ろう」と乾杯した。
そこからいつもの1日の報告が始まる。
でもあたしは話半分程度しか耳に入っていなかった。
ボディタッチをすると思うと、心臓が痛い……。凄く緊張してる……。
「依織は?何かあった?」
「えっ?えーっと……特に代わり映えはなかったかな。弟切さんが出張で不在で、久々にお昼が由美と2人きりだった事くらい」
「そう」
憲彦はあたしがほとんどお酒とおつまみに手を付けていないのを見て、
「今日は進みが遅いねあんまり口付けてないけど、どうかしたの?」
と訝しんで尋ねてきた。
「その新作、不味かった?」
「いや、おいしいよ。………冷凍庫にポテトあるけど、食べる?」
「あっ、いいね。俺も中途半端に残った唐揚げがあるや。持ってくる」
バタン、と扉が閉まると長い溜息が漏れた。
ダメだ。意識しすぎてる……。
冷凍庫を開けてポテトの袋を取り出すと、フライパンに油を注ぎ火を付ける。
「出来ることからでいいんだし、肩の力抜こう……」
憲彦はすぐに帰ってきた。
唐揚げは4個で、お皿に乗せて既に温まっていた。
「俺も手伝うよ。キッチンペーパーどこ?準備しとく」
「ありがと。冷蔵庫の上の棚にある」
ガサガサと棚をいじっているが「ないよ?」と言われたので、
「なら向こうかな」
憲彦の半袖シャツの裾を引っ張り、
「レンジの上、見てみて」
と視線を誘導してみた。
「分かった」
憲彦は言われた場所を漁っている。
良かった……これくらいなら出来る。
小さな満足感を得て、あたしはフライドポテトの作業に戻った。
「あとさ、お皿取って」
肩にトントンと触れて取ってほしい皿の位置を示して見せた。
これもいけそう。思ったより抵抗なく出来るかな。
そこからは大分緊張がほぐれて、いつものように会話が出来た。
「明日さ、午後から映画見ない?サブスクで新作出たやつ、憲彦も好きそうな内容だったから」
「いいよ。15時には来れると思う」
「分かった」
簡単にポップコーンとポテチでも買っておこう。
あたしは単純にそう思った。
憲彦が照れて視線を合わさず、目を泳がせていることに全く気づいていなかった。




