同じ恋なんて
翌日出社すると、由美が早速近づいてきた。オフィスなのに競歩かという速度で歩み寄り、
「昨日、あれからどうなった?」
と顔を近づけてきた。
「由美、近いし早い……。それに目がギラついてる……」
「我慢できると思うの?」
手を握られ、ズイッと詰め寄られる。
「……できないよね」
「そうなんだよ!依織には色々話したいことがあるから。弟切さんにも早速報告しなきゃ!」
「え?今?!」
「簡単にだよ。詳細はこんな場所じゃ話せないでしょ?今夜は飲みに行くよ!」
―――ですよね……
由美はあたしを引っ張って弟切さんの元へ向かう。周りの人はあたし達の真剣な顔を見て、何かトラブルでも起きたのかと訝しんだ。
「弟切さん、おはようございます」
ピタッと椅子の前で立ち止まる。
「あら、おはよ。随分と気合の入った顔ねぇ」
由美は早速腰をかがめて弟切さんに報告した。
「実は、昨日あたし達ダブルデートしまして……。依織の恋に進展があったんです……」
「えっ?!」
驚いた弟切さんは
「それ、仕事中にする話じゃないでしょ!」
いつぞやのセリフを吐くと、あたし達を人気のない会議室に連れ出した。
「もう!出勤早々になんなの?!気になってまともに仕事出来ないじゃない!」
すっかりオフモードの顔だ。
弟切さんはけっこう恋バナが好きだと、あたしも由美も思っていた。
「始業まで時間ないから、手短に話しますね……」
由美はそう言うと、ダブルデートに至った経緯と昨日のことを少しだけ話した。
「それで、あたしも依織から昨日の続きを聞こう思いまして。今日、飲みに行きましょう!」
「分かったわ。残業は禁止よ」
2人して顔を見合わせている。すっかり仲良くなっていた。
テキパキと仕事を終わらせ、あたし達3人はいつもの居酒屋に来ていた。
今日は座敷の個室にして、しっかりと話を聞ける準備が万端だ。
「で?どうなったの?」
飲み物とおつまみを注文すると、早速由美が身を乗り出した。
「2人と別れてから、駅から一緒に帰ったんだけど……。直帰したくなくてさ、公園に寄ったの。そこで、なんであたしが泣いたのか理由を説明して……」
2人とも真剣に聞いて耳を傾けている。
「あたしの恋の原点の記憶……。高校時代の憲彦との思い出が溢れて、凄く嬉しくて懐かしいって話をしました。同じ気持ちが今のあたしの中に確かにあるんです。それが凄く嬉しくて……愛おしいと思った。あたし今も昔も憲彦がずっと好きなんだって分かったから、それを伝えました」
「そしたら下山はなんて?」
弟切さんがズイッと詰め寄る。
「驚いてましたけど……『俺でいいの?』って聞かれました。憲彦がいいんだって伝えたら、『俺なんかを必要としてくれてありがとう』って泣いてて……。
無理に恋人にならなくても、それだけで幸せなんだって考えようとしてたみたいです。それで……その……抱きしめてくれて………。もう一回告白してくれました。昔の事もまた謝ってくれて、もうあんな事しない。絶対に泣かせない。大切にするから、付き合って欲しいって……」
思い出して顔が赤くなる。あの時の力強い抱擁を今でも覚えていた。
「返事は?」
「オッケーしました。今は手を繋いでデートしたいって思えるから……。でもそれ以上は………まだ時間が必要だから待って欲しいって伝えてます」
2人はそろって「ふーっ……」と息をする。固唾をのんで話を聞いてくれていたらしい。
「かなり前進したじゃない」
水を飲んだ弟切さんが感心して言った。
「ちゃんと昔の気持ちに折り合いをつけて、今の恋を受け入れられてよかったわ。相手が同じ下山だけど、山崎さんの気持ちにちゃんと寄り添ってるみたいだし……。正田さんは直接下山と会って、どう思ったの?」
憲彦と面識がない弟切さんは、由美の印象が知りたいようだ。
「思ったよりもちゃんとしてる人でしたね。もう少しチャラついた男を想像してたんですけど。
実はね、ダブルデートの時、匠海と憲彦さんが2人で話してたタイミングがあったでしょ?」
後半はあたしへの問いかけだ。
憲彦が男同士の話をした、と言っていた件だろうか?
「家に帰って匠海から聞いたんだけど、憲彦さんは今、『トラウマを与えた償いをしてる』って話したらしいよ。依織の心が落ち着くまで待つつもりだって」
償い……。
「依織が憲彦さんを好きになったら『償うことから幸せにする責任に変わる』んだって、匠海に話したらしいの。匠海は『ちゃんと依織との将来を見据えて考えてるのが分かった』って、安心してた」
幸せにする責任――。
あたしは心がキュッと締め付けられた。
「人間としても一人の男としても、随分と立派な考えになったじゃない」
弟切さんは嬉しそうに笑った。
「そこまで考えていたのなら、山崎さんからの告白は嬉しかったでしょうね。男泣きするのも頷けるわ」
憲彦はちゃんと将来を見据えて考えてくれていた。
あたしを諦めず、心通わせたあとの事も考えてくれていたのだ。
とても嬉しかった。あたしの気持ちが落ち着くまでずっと待とうとしてくれたことも、信じて待っていてくれたことも。
あたしは無性に憲彦の顔が見たくなった。
「良かったね、依織。憲彦さんはもうクズ男じゃないよ」
あたしは笑った。
由美にとっての憲彦は随分と底辺の評価から始まった。クズ男じゃない、というのはかなりの急上昇だ。
「山崎さんの表情、随分と柔らかくなったものね。今日1日だけでも、それが分かったわよ」
「そうですか?」
「ええ。キラキラオーラが凄かったもの。周りのデスクの男社員、みんな振り返ってたじゃない」
「ええ?!」
全く身に覚えがない。
そもそも、そんなオーラを振りまいた事もない。
「恋のホルモンが溢れ出てたわよ。あたしも同期の社員から聞かれたくらいだもの」
「弟切さんの同期?磯田さんとか小田主任ですか?」
「そうよ。最近、あなた達と一緒にお昼食べてるの知ってるからね。『山崎さん、何があったの?』って」
そんなにも分かりやすく変わったのだろうか……。
だとすれば少し恥ずかしい……。
「ちなみに、なんて答えたんですか?」
「恋よ、恋!って。それだけで納得してたわよ」
知らぬうちに弟切さん以外の先輩にまで情報が回っている……。
そこで注文していた品が届いた。
3人で改めて乾杯する。
「依織の恋に乾杯!」
グラスが鳴る音のあと、由美が一気に半分の酒をあおる。
「ちょっと由美……。そのスピードはマズイって……。明日も仕事なんだよ?」
これは介抱コースだな……
「正田さん、いい飲みっぷりね」
弟切さんは笑っているが、由美の酒の弱さは知らない。
「弟切さん、由美はかなり弱いんです……。カクテル一杯でグラグラになるんですよ……」
「あらら……。明日は仕事来れるのかしら?」
あたしは酒のグラスを取り上げると、水を近くに置いた。
「由美、ここからはしばらく水だけ飲んでよ」
「分かってるよ〜」
もう顔が赤い……。
「今日は祝い酒だからね。週始めだけど、仕方ないわ」
寛大に笑う弟切さんはメニューを開いて、
「好きな物注文しなさい。今日は奢るから」
「本当ですか?!」
急に元気な声で由美が喜んだ。
「由美……」
節操がなさすぎる……。
「いいよの、今日くらい。山崎さんも食べたい物注文して」
「はい……。ありがとうございます」
メニューを受け取ると、弟切さんは微笑んで続けた。
「トラウマからよく抜け出したわね。あたしが同じ状況だったら、立ち直れないかも。よく頑張ったわ」
その一言にジンとした。
ずっと話を聞いてアドバイスをくれていた弟切さんは、間違いなくあたしの救世主だ。
「弟切さんのおかげです。沢山話を聞いてくれて、アドバイスもくれて……。本当に感謝してます。あたし、この会社に入って……弟切さんと出会えて本当に良かったです」
「やだ、退職するんじゃないんだから!」
照れたのか茶化すように笑ったが、あたしは真剣だった。
「本当にありがとうございました。これからも話を聞いて下さいね」
真面目に言うあたしに、弟切さんは表情を変え、教えてくれた。
「本当はここまで深く関わるつもりはなかったんだけど……。なんでか山崎さんの事は見過ごせなくてね。妹がいるわけでもないのに、そんな気分になったのよ」
珍しくビールではなくカクテルを注文していた弟切さんは、一口飲むと続けた。
「あたしも恋を重ねてきたけど、実らなかった。添い遂げたいと思う人はいたけど、色々あって一緒にはなれなくてね……。トラウマってほどじゃないけど、心残りはあるの。だから山崎さんの気持ちが分かったのかもね……。山崎さんが壁にぶつかる度、あたしもぶつかったような気持ちになって……。一緒に隣を走ってるような気がした。だから、今の山崎さんを見て本当に嬉しいのよ」
弟切さんは自分の恋愛について、多くは語らなかった。ただ深く心に残った人が居ることは知れた。だから未だに独身なのかもしれない。
「手繋ぎデート以上はまだ時間が必要って言ってたけど、それでいいと思うわ。過去を考えれば慎重になる気持ちは当然だしね。ゆっくりいきなさい。恋の教科書なんてないんだから。みんな違った恋愛を経験してるのよ?同じものなんてない。だからみんな恋バナが好きなのよ」
あたしはその言葉を噛み締めた。
同じ恋なんてない。
あたし達のペースで進んでいこう。




