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恋のトラウマは始まりを告げる  作者: 栢瀬 柚花


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14/15

同じ恋なんて


 翌日出社すると、由美が早速近づいてきた。オフィスなのに競歩かという速度で歩み寄り、

「昨日、あれからどうなった?」

 と顔を近づけてきた。

「由美、近いし早い……。それに目がギラついてる……」

「我慢できると思うの?」

 手を握られ、ズイッと詰め寄られる。

「……できないよね」

「そうなんだよ!依織には色々話したいことがあるから。弟切さんにも早速報告しなきゃ!」

「え?今?!」

「簡単にだよ。詳細はこんな場所じゃ話せないでしょ?今夜は飲みに行くよ!」

 ―――ですよね……


 由美はあたしを引っ張って弟切さんの元へ向かう。周りの人はあたし達の真剣な顔を見て、何かトラブルでも起きたのかと訝しんだ。

「弟切さん、おはようございます」

 ピタッと椅子の前で立ち止まる。

「あら、おはよ。随分と気合の入った顔ねぇ」

 由美は早速腰をかがめて弟切さんに報告した。

「実は、昨日あたし達ダブルデートしまして……。依織の恋に進展があったんです……」

「えっ?!」

 驚いた弟切さんは

「それ、仕事中にする話じゃないでしょ!」

 いつぞやのセリフを吐くと、あたし達を人気のない会議室に連れ出した。


「もう!出勤早々になんなの?!気になってまともに仕事出来ないじゃない!」

 すっかりオフモードの顔だ。

 弟切さんはけっこう恋バナが好きだと、あたしも由美も思っていた。

「始業まで時間ないから、手短に話しますね……」

 由美はそう言うと、ダブルデートに至った経緯と昨日のことを少しだけ話した。


  

「それで、あたしも依織から昨日の続きを聞こう思いまして。今日、飲みに行きましょう!」

「分かったわ。残業は禁止よ」

 2人して顔を見合わせている。すっかり仲良くなっていた。




 テキパキと仕事を終わらせ、あたし達3人はいつもの居酒屋に来ていた。

 今日は座敷の個室にして、しっかりと話を聞ける準備が万端だ。

「で?どうなったの?」

 飲み物とおつまみを注文すると、早速由美が身を乗り出した。

「2人と別れてから、駅から一緒に帰ったんだけど……。直帰したくなくてさ、公園に寄ったの。そこで、なんであたしが泣いたのか理由を説明して……」

 

 2人とも真剣に聞いて耳を傾けている。

 

「あたしの恋の原点の記憶……。高校時代の憲彦との思い出が溢れて、凄く嬉しくて懐かしいって話をしました。同じ気持ちが今のあたしの中に確かにあるんです。それが凄く嬉しくて……愛おしいと思った。あたし今も昔も憲彦がずっと好きなんだって分かったから、それを伝えました」

 

「そしたら下山はなんて?」

 弟切さんがズイッと詰め寄る。

 

「驚いてましたけど……『俺でいいの?』って聞かれました。憲彦がいいんだって伝えたら、『俺なんかを必要としてくれてありがとう』って泣いてて……。

 無理に恋人にならなくても、それだけで幸せなんだって考えようとしてたみたいです。それで……その……抱きしめてくれて………。もう一回告白してくれました。昔の事もまた謝ってくれて、もうあんな事しない。絶対に泣かせない。大切にするから、付き合って欲しいって……」

 

 思い出して顔が赤くなる。あの時の力強い抱擁を今でも覚えていた。

 

「返事は?」 

「オッケーしました。今は手を繋いでデートしたいって思えるから……。でもそれ以上は………まだ時間が必要だから待って欲しいって伝えてます」


 2人はそろって「ふーっ……」と息をする。固唾をのんで話を聞いてくれていたらしい。

 

「かなり前進したじゃない」

 水を飲んだ弟切さんが感心して言った。

 

「ちゃんと昔の気持ちに折り合いをつけて、今の恋を受け入れられてよかったわ。相手が同じ下山だけど、山崎さんの気持ちにちゃんと寄り添ってるみたいだし……。正田さんは直接下山と会って、どう思ったの?」

 憲彦と面識がない弟切さんは、由美の印象が知りたいようだ。

「思ったよりもちゃんとしてる人でしたね。もう少しチャラついた男を想像してたんですけど。

 実はね、ダブルデートの時、匠海と憲彦さんが2人で話してたタイミングがあったでしょ?」


 後半はあたしへの問いかけだ。

 憲彦が男同士の話をした、と言っていた件だろうか?


「家に帰って匠海から聞いたんだけど、憲彦さんは今、『トラウマを与えた償いをしてる』って話したらしいよ。依織の心が落ち着くまで待つつもりだって」


 償い……。


「依織が憲彦さんを好きになったら『償うことから幸せにする責任に変わる』んだって、匠海に話したらしいの。匠海は『ちゃんと依織との将来を見据えて考えてるのが分かった』って、安心してた」


 幸せにする責任――。

 あたしは心がキュッと締め付けられた。

 

「人間としても一人の男としても、随分と立派な考えになったじゃない」

 弟切さんは嬉しそうに笑った。

「そこまで考えていたのなら、山崎さんからの告白は嬉しかったでしょうね。男泣きするのも頷けるわ」


 憲彦はちゃんと将来を見据えて考えてくれていた。

 あたしを諦めず、心通わせたあとの事も考えてくれていたのだ。

 

 とても嬉しかった。あたしの気持ちが落ち着くまでずっと待とうとしてくれたことも、信じて待っていてくれたことも。


 あたしは無性に憲彦の顔が見たくなった。


「良かったね、依織。憲彦さんはもうクズ男じゃないよ」

 あたしは笑った。

 由美にとっての憲彦は随分と底辺の評価から始まった。クズ男じゃない、というのはかなりの急上昇だ。

 

「山崎さんの表情、随分と柔らかくなったものね。今日1日だけでも、それが分かったわよ」

「そうですか?」

「ええ。キラキラオーラが凄かったもの。周りのデスクの男社員、みんな振り返ってたじゃない」

「ええ?!」

 

 全く身に覚えがない。

 そもそも、そんなオーラを振りまいた事もない。

 

「恋のホルモンが溢れ出てたわよ。あたしも同期の社員から聞かれたくらいだもの」

「弟切さんの同期?磯田さんとか小田主任ですか?」

「そうよ。最近、あなた達と一緒にお昼食べてるの知ってるからね。『山崎さん、何があったの?』って」

 

 そんなにも分かりやすく変わったのだろうか……。

 だとすれば少し恥ずかしい……。

 

「ちなみに、なんて答えたんですか?」

「恋よ、恋!って。それだけで納得してたわよ」

 

 知らぬうちに弟切さん以外の先輩にまで情報が回っている……。 


 そこで注文していた品が届いた。

 3人で改めて乾杯する。

「依織の恋に乾杯!」


 グラスが鳴る音のあと、由美が一気に半分の酒をあおる。

「ちょっと由美……。そのスピードはマズイって……。明日も仕事なんだよ?」

 

 これは介抱コースだな……


「正田さん、いい飲みっぷりね」

 弟切さんは笑っているが、由美の酒の弱さは知らない。

「弟切さん、由美はかなり弱いんです……。カクテル一杯でグラグラになるんですよ……」

「あらら……。明日は仕事来れるのかしら?」

 あたしは酒のグラスを取り上げると、水を近くに置いた。

「由美、ここからはしばらく水だけ飲んでよ」

「分かってるよ〜」


 もう顔が赤い……。


「今日は祝い酒だからね。週始めだけど、仕方ないわ」

 寛大に笑う弟切さんはメニューを開いて、

「好きな物注文しなさい。今日は奢るから」

「本当ですか?!」

 急に元気な声で由美が喜んだ。

「由美……」

 節操がなさすぎる……。

「いいよの、今日くらい。山崎さんも食べたい物注文して」

「はい……。ありがとうございます」

 メニューを受け取ると、弟切さんは微笑んで続けた。

「トラウマからよく抜け出したわね。あたしが同じ状況だったら、立ち直れないかも。よく頑張ったわ」

 その一言にジンとした。

 ずっと話を聞いてアドバイスをくれていた弟切さんは、間違いなくあたしの救世主だ。

「弟切さんのおかげです。沢山話を聞いてくれて、アドバイスもくれて……。本当に感謝してます。あたし、この会社に入って……弟切さんと出会えて本当に良かったです」

「やだ、退職するんじゃないんだから!」

 照れたのか茶化すように笑ったが、あたしは真剣だった。

「本当にありがとうございました。これからも話を聞いて下さいね」

 真面目に言うあたしに、弟切さんは表情を変え、教えてくれた。

「本当はここまで深く関わるつもりはなかったんだけど……。なんでか山崎さんの事は見過ごせなくてね。妹がいるわけでもないのに、そんな気分になったのよ」

 珍しくビールではなくカクテルを注文していた弟切さんは、一口飲むと続けた。

「あたしも恋を重ねてきたけど、実らなかった。添い遂げたいと思う人はいたけど、色々あって一緒にはなれなくてね……。トラウマってほどじゃないけど、心残りはあるの。だから山崎さんの気持ちが分かったのかもね……。山崎さんが壁にぶつかる度、あたしもぶつかったような気持ちになって……。一緒に隣を走ってるような気がした。だから、今の山崎さんを見て本当に嬉しいのよ」


 弟切さんは自分の恋愛について、多くは語らなかった。ただ深く心に残った人が居ることは知れた。だから未だに独身なのかもしれない。


「手繋ぎデート以上はまだ時間が必要って言ってたけど、それでいいと思うわ。過去を考えれば慎重になる気持ちは当然だしね。ゆっくりいきなさい。恋の教科書なんてないんだから。みんな違った恋愛を経験してるのよ?同じものなんてない。だからみんな恋バナが好きなのよ」


 あたしはその言葉を噛み締めた。

 同じ恋なんてない。

 あたし達のペースで進んでいこう。 

 

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