12 悪巧み
まだ時間も早く仕事もない為、一度部屋に戻れば当たり前のようにマオシャがいた。寝台に寝そべり、人の本を勝手に読みながら、目が合えばニヤリと笑う。タンバに用があると言っていたが、手にしている本の進み具合からして、どうやら嘘らしい。
さっきといい、この様子では何が起きたのか察しがついているようだ。
「お帰り」
本来、華女が男衆の部屋に立ち入るなどあってはならないが、ダンの部屋には当たり前のように入ってくる。間違いが起きる事は無いが、それでも変な噂が広まれば、マオシャの評判にも影響してしまう。だが、何度言ってもやめないのがマオシャだ。
今は咎める気も失せてしまったのか、ダンは何も言わず椅子に腰掛け机に顔を伏せる。
「やっぱり勘違いしてたのね。なんて言われたの?」
マオシャは何度かトキと夜を過ごし、ダンを女だと勘違いしていることに薄々気付いていた。態度や表情に不満を言いながらも、結局は気に入っているらしくダンの話ばかり。一度は教えてあげようとしたが、なんだか面白そうだから、とそのままにしていた。
ダンは既に遠い記憶になってしまった先程のやり取りを、まるで他人事のように話した。もしこれが親しい誰かだったなら、腕を叩き落とすだけでは済まない。
正直トキに何と思われていようが構わないが、ただどうしても納得できなかった。
「何をどうすれば、私が女に見えるんですか」
ダンが出した答えは、トキの目か頭のどちらかが、或いは両方がイカれているという事。
「仕方ないんじゃない? 華店の男って豪ちゃん達の印象が強いもの」
失礼な、男がみんなあんなゴリゴリなわけないだろ。
確かに普段から客の前に出ているのは豪だけだ、しかし裏で働く男達は当然いる。荷物運びに洗濯、掃除。何十人も居る華女の、濡れた洗濯物がどれだけ重いか。豪達のように男手は必要だ。
ダンもそのうちの一人に過ぎない。任されているのは貯蔵庫の管理と都への使い。若干の特別扱いはあるものの、毎日しっかりと働いている。
そもそも華女ならば一人で外に出られるわけがない。そんな事すら知らないのかとダンは呆れた。
「だからって女に見えます?」
豪のような逞しい身体ではないが、ダンが華奢というわけでもない。トキと比べてしまえば低く見える身長も、同年代と比べれば十分高い方だ。精悍とは言えなくても女性のような顔つきをしているわけでもない。と本人は思っている。
ダンが綺麗な顔をしているのは周知の事実、それをわざわざ言ったりしない。言ったところで嫌味だとしか思われず、それはそれは恐ろしい事になってしまう。華女達は鑑賞の為に、男達はささやかな癒しの為に余計なことは言わなかった。
ただ、綺麗な顔をしているからと言って女と間違えたのはトキが初めてだ。
「全然」
マオシャはからかい調子で笑う。
馬鹿馬鹿しい、とダンは机に肘をついて、掌に顎を乗せた。それを横から見ていたマオシャは肩を竦める。
トキのように女と勘違いした者はいないが、誰でも一度はダンに見入ってしまうだろう。女装でもさせてやれば、その辺の華女よりも様になるのだ。あながちトキの言ったことは間違っていない。
いつか必ず華女の格好をさせて、トキ様にお見せしよう、とマオシャは密かに心に決めた。
「じゃあ、私戻るわね」
跳ねるような足取りでマオシャは部屋に戻り、寝室を覗けば、放心したトキが寝台で膝を抱えている。昨夜の色男がまるで別人だ。
そっと縁に腰掛け背中に手を当てると、ピクリと身体が動いた。幽霊でも見た子供のような顔をして、すがるような目をしている。マオシャが優しく頬を撫でると腰を引き寄せ、肩に顔を埋めた。
「男なのか?」
「誰がです?」
意地悪で聞いてみれば、肩を掴んで身体を離す。その唇が子供のように尖っていれば、マオシャは笑わずにはいられない。
「どうして言わなかった」
「聞かれてませんから」
ダンの反応は薄くてつまらなかったが、トキは面白いくらいに動揺している。あまり歳は変わらないと思っていたが、マオシャより少し若いようだ。
「お詫びに、良い事を教えてあげますよ」
その妖艶な笑みに、心臓が不自然に鼓動を打つ。何度か通っているが、マオシャにはまだ慣れない。主導権はいつも彼女が握ってしまう。今までが違うとは言わないが、これこそが華女と言うものなのだろう。
「ダンには師がいるんです。少し変わった事をする医者なんですけどね」
ダンが医者を目指していたと思い驚いたが、どうやら少し違うらしい。育ての親が医者であったため、必然的に医学に触れていただけだそうだ。親と言っても血の繋がりは無いそうで、数年前までその師と一緒に諸国を周り、師の手伝いをしていたという。
そして気になるのが。
「変わった事?」
医者がやる事なんて知れている、怪我や病気を治し人を助ける。それの何が変わっていると言うのか、それ以外に医者のやる事なんてないはずだ。
「それは本人に聞いてみては?」
悪戯な笑みを浮かべてマオシャは離れて行くと、窓を少し開けた。隙間から淡い光が漏れ出せば、朝になったのだと実感する。ここにいると昼と夜の感覚が狂う。ゆっくりと寝台から出ると、マオシャに手伝われて身支度を整えた。
「今度ダンに女装をさせてみませんか?」
細く白い指が首元を撫でる。襟を整えているだけだと言うのに、それすらも悩ましい。
「あれがやるか?」
長く一緒にいなくても、ダンがそう言った冗談を好まないのは知っている。話を持ち掛けたところで、あの気怠げな目に睨まれるだけだ。そう思ったが、何か考えがあるらしく、目を細めて笑う。
「あの子は自分の立場を良く理解していますから」
弱みでも握られてるのか?
ダンが下働きである限り、華女のマオシャの方が立場は上だ。ただそれだけの事なのだが、深読みしたトキはダンを哀れに思っていた。
だからと言って、提案に乗らないわけもなく、悪戯な笑みを浮かべている。何色の服を着せようか、化粧した方が良いだろうか。嫌がるダンの表情を想像して、どうやって華女のように笑わせてやろうかと考えた。




