13 盗っ人
荷馬車に積まれた大量の酒、これだけの量が三日ともたずに消えていく。最初は異常に思った光景も、今では日常の一部だ。
納品確認と搬入をしていると、手隙の豪が手を貸してくれた。夜番で疲れているはずなのに、時々仕事終わりにこうして手伝ってくれる。彼等は見た目の乱暴さに反して、とても親切なのだ。おかげで、いつもなら半刻程かかってしまう作業が四半刻もかからない。
暇を持て余したダンは、帰り支度をしている酒屋から妙な噂を聞いた。
「天上の酒?」
一口飲めばその芳醇な味に舌と脳はトロリと蕩けてしまい、もう他の酒では満足できなくなってしまう。その酒を巡って戦争を起こした国もあるとか無いとか。最近都に持ち込まれた酒が、その酒だと噂されているらしい。
作るのにかなりの時間と人手が必要な為、必然的にその価値は高くなる。数もそんなに出回っていないらしく、そう簡単には手に入らない。
どこまでが本当かわからないが、その酒が旨い事は確かだろう。
「仕入れてる商人が秘密にしてるせいで、他に誰もその酒を仕入れられないんだ」
そうなれば独占も同じだが、どうやら逆らえる相手でも無いようで、何もできず手を拱いているのだと言う。
普段酒を飲まないダンにはそれほど興味を唆る話ではなかったが、店に出せたら客が喜ぶだろうな、と考えていた。それでなくても、お気に入りの華女のため、見栄を張るため、高価な酒ならなんでもいいと言う客だっている。
正直、そんな事をしてなんになるのだと思えて仕方ないが、そんな客達のおかげでこの商売は成り立っている。
感謝しないとな。
酒屋を見送り仕事に戻るが、今日はもうこれと言って仕事が無い。昼間は客も少なく酒も出ない為、都に行く用がない時は大抵暇だ。仕事を探すが、この店は働き者が多く、ダンが手伝う必要などない。
仕事を探して歩き回っていると、厨房で料理を作ってた華女からお菓子を貰った。花の蕾の様な形をした蒸しパンは、出来立てで少し熱い。昇る湯気からもほのかに甘い香りがする。
その香りで少し懐かしい事を思い出すと、蒸しパンを手に、ダンはある部屋に向かった。
扉越しに呼び掛ければ、直ぐに返事が返ってくる。
「何?」
「良かったらこれ、食べますか?」
寝台で身体を起こし、本を読んでいたリャオは、ダンが手に持つ蒸しパンを目にした途端目を輝かせた。まだ少しやつれているが、体調は戻って来ているようだ。
「一緒に食べましょうよ、貴方なら見つかっても怒られないわ」
臆病だったくせに、こういう所はマオシャに似てしまった。リャオは怒られなくても、後で面白がったタンバに揶揄われるのはダンなのだ。
「ダメです」
「食べる間だけ」
ため息を漏らせばリャオは嬉しそうに微笑む。ダンは寝台の横で椅子に座り、一緒に蒸しパンを頬張った。ダンがあっという間に食べ終えると、まだ二口しか食べていないリャオは、その食べっぷりに楽しそうに笑う。
まだ姉付きだった頃のリャオに戻ったようだと、少し懐かしくなった。
「身体の調子はどうですか?」
「ねぇ、私の前でもそれなの?」
「貴女と私では立場が違います、昔みたいにはできませんよ」
「そう、なんだけど……少し寂しいの」
哀愁を滲ませたリャオが目を伏せる。
あの不器用が上手くなったもんだと感心した。ゆっくり息を吐いて姿勢を崩しすと、背もたれに身体を預けた。
「今だけなら」
「……うん」
マオシャ以外の同性と上手く付き合う事が出来なかったリャオは、異性で年の近いダンとは気が合った。
時々くすねた菓子を対価に、マオシャにも言えない鬱憤をダンにぶちまける。ダンが何か言うわけでもなかったが、それが逆に良かったのだろう。
ただ妹や部屋持ちになれば、気軽にそんな事はできない。それがわかっていたから、二人は以前の関係を絶った。たとえ気の合う友人であっても、ここでは男女と言うだけで如何様にも噂は広まる。
リャオはそんな危険を犯したくなかったし、ダンも面倒ごとには巻き込まれたくない。
だが、その結果がこれだ。
後悔している訳じゃない、ただ少し気に入らない。
「私、戻れると思う?」
ポツリと小さな呟きに、ダンは答える事はできない。答えるべきではない。それをわかっているから、リャオも返事をは聞かなかった。
正直ダンは、あの姉付きを店から追い出すべきではなかったと考えている。彼女しか香を渡した男の顔を知らない、手掛かりをみすみす手放してしまった。
復讐や犯人探しがしたいわけじゃない、ただ一度ある事は二度あるとダンはよく知っている。またその男が現れ、同じような事が起こる可能性が無いとは言えないのだ。
またあんな事が起きるなんてごめんだ。
だから少しでも情報を集めておきたいと考えた。しかし、ダンが知っている事は少なすぎる。
例の香は人々の間ではまだ説話の存在だと思われているが、その香だと言われているものは実際にいくつかある。
とある医者がそのうちの一つを治療に使用し、その存在は少しずつ医者の間で知られるようになった。それでもその作用を知っているのは、製法を受け継ぐ香具師と一部の医者の間だけ。
公になってしまえば悪用するものが現れる、それを避ける為にその香の存在は隠されていた。
ただ皆が同じ考えだとは限らない。自分の香が悪事に使われたくない者もいれば、金に目がくらむ者もいるだろう。
そしてあの香は材料が希少で用意するのが大変な為、作れる量は限られる。あれだけの量をなんの見返りもなく渡すとなると、男はその辺にいる小物では無い。
その男はリャオが不安を抱えている事も、姉付きがそれをどうにかしたいと思っていた事も知っていた。
知る事ができるだけの関係にあり、且つ金を持っているとなると、誰か目ぼしい人物が一人くらいはいるはずだと考えた。
しかし、姉付きやタンバに聞いてみたが、皆心当たりがないという。元々そんなに客は付いていなかったが、三度以上通っていた客はいなかった。その程度の客に、リャオが自分の話をするとは考えにくい。
そもそも香を使う前でそれならば、客が付かない原因はリャオ自身にもあるのだろう。
「今まで客に何か弱音を吐いたりした事あったか?」
「いいえ」
わかっていたが、これで何もわからなくなってしまった。
「なぁに? 嫉妬?」
ダンの反応を楽しむところもマオシャに似たようだ。何も言わずにただじっと見つめれば、諦めたのか視線を逸らし、冷めた蒸しパンを頬張った。飲み込んだのを確認して席を立つ。
「じゃあ、仕事に戻る」
「もう?」
名残惜しそうに見つめるが、無視して扉に向かう。背を向けたダンは、面白いくらいにマオシャにそっくりな仕草をするリャオに、思わず笑いそうになるのを隠していた。
マオシャに習った事で似てしまうのは仕方がないと思うが、正直リャオには似合わない。
「真似ばっかじゃ、一番なんて無理だと思うよ」
閉めた扉に何かがぶつかる音がしたが、壊れた音はしなかった。ここで折れるようならその程度だったと周囲は言うだろう。それを黙って聞いてるような娘では無い。また戻れるかどうかなんて本人次第、リャオほど自尊心が高ければ大丈夫だ。
その場から逃げるように仕事場に向かい、帳簿を確かめる。いつものように直ぐに終わると思ったが、どうやら今日は違うらしい。樽ではなくて酒瓶が数本足りない、しかもかなりいい酒だ。
酒の価値がわかる者なら手を出すはずがない、つまり華女や裏で働く下働きじゃないのは確か。何度も経験してきた事だ、誰か察しはつく。
無駄な仕事が増えた事で、ダンの気分は一気に下がる。タンバに事情を説明し、仕事場を離れた。
部屋では二人の豪が、杯に溢れそうなほど注いだ酒を煽っていた。手伝う駄賃に頂戴した酒はかなり良いものだったらしく、気分良く騒いでいる。
「よくバレずに盗ってきたな」
「あの量じゃどうせ気付きゃしねぇよ」
「そうなのか?」
野太い声で騒ぐ彼等は、ここに来てからまだ日が浅い。だから知らないのだ、自分達がどれだけ愚かな行いをしてしまったのか。
何本かあった酒瓶を次々と飲み干して、気持ちよくなった彼等は最後の酒を開ける。
「いい事した後の酒は格別だ」
「そうですか」
声に振り返れば、酔いも覚めるほど冷たい空気を纏ったダンが二人を見下ろしていた。手を伸ばし、二人が囲む酒瓶を手にすると、空いた杯に酒を注ぐ。そしてじっと見つめられ、訳もわからず少し口に含めば、また酒を注がれる。飲まなければ飲むまでダンは目を離さない。
常に杯に酒が注がれ、大きく黒い瞳に凝然と見つめられて、男達は言い知れない恐怖の中にいた。ただ無言で注がれ続ける酒を震えながら流し込み、目からは涙を零す。
酒瓶の酒が無くなる頃には彼等の精神はすり減り、気力は底を尽きる。しかし、ダンは残滓さえも消し去った。
「また、やりましょうね」
時々こんな阿呆がいるから困る。
ダンの抑揚の無い提案に、賛同する者は一人もいない。男達の啜り泣く声だけが、物置から漏れていた。




