悪意と殺意と正義と傍観が集う世界には想像力が欠如している
殺し屋という仕事。依頼のままに殺人を代行し、依頼料という対価を得る。この世界で蔑まれる仕事の一つだ。
殺し屋は考える。
全自動洗濯乾燥機と殺人。
どこがどう違うのか。
電気屋の営業マンが全自動洗濯乾燥機の高性能とウンチクを語り、巧みな話術でお客に購入させる。営業マンは会社からインセンティブを対価としてもらう。殺し屋は殺人を代行し、依頼料を対価としてもらう。
お客と依頼者は同義。
インセンティブと依頼料は同義。
営業マンと殺し屋の何が違うのか。殺し屋にはその違いが理解できなかった。
世界が言う。人を殺せるなんて信じられないと。頭の螺子が数本足りない欠陥品だ、人として間違っていると。これが殺し屋のイメージだ。
それを否定する気はさらさらなかった。実際にいる殺し屋の話だ。何故、殺し屋になったのか。人を殺せるからだ。彼はそう答える。彼は抑えきれない殺人衝動を持っていた。人を殺さずにいられない衝動だ。殺意ではない。
殺意とは人を殺すという明確な意志。殺し屋が仕事を遂行するために必要な要素だ。
世界が言う頭の螺子が数本足りない欠陥品と呼ばれる殺し屋は彼のような殺人衝動を持った殺し屋のこと。
人を殺さずにはいられないという殺人衝動で人を殺す。衝動と利害が一致しただけの殺し屋。そんな殺し屋はたいてい大成しない。どこかで失敗をする。その衝動が仕事を選り好みさせ、その完成度を下げる要因しか生まない。
殺人という結果が同じでも殺し屋ではない。ただの人殺しだ。
殺し屋とは依頼者から依頼料をもらい、殺人を代行する。いわば、契約なのだ。
営業マンがお客に全自動洗濯乾燥機を購入させるのも契約。
全自動洗濯乾燥機と殺人、何が違うのか。やはり殺し屋にはその違いが理解できなかった。
殺し屋が得る報酬は高額な依頼料。その対価には罪が含まれている。憲法199条に定められた殺人罪。殺し屋として依頼を受け、殺人を代行すれば、必ずついてくるオプションだ。
殺し屋にとって罪とは?
罪の結果、発生する罰とは?
殺し屋にとって罪と罰はリスクヘッジすべき対象でしかない。殺人の結果、起こりうるであろう損失が罪と罰なのである。
罪と罰は法律によって支配されている。法律とは司法であり、裁判という舞台で罪と罰の重さをテミスの天秤にかける。昨今の裁判は法律だけでなく、社会的集合意識という正義感、国民感情に大きく左右されるのだが。
殺し屋にとっての罪と罰はそれらとは乖離し、全く別物であるのだ。
月が綺麗な夜、政治家に凌辱された少女がホテルから飛び降りて死んだ。自らの意思でホテルから飛び降り、殺し屋は関与していない。
新聞の片隅に目立たない小さな記事が載った。そんな小さな記事は毎日発生する大きな事件事故ゴシップ記事に消えていく。結果、少女がホテルから飛び降りたという事実、政治家が少女を凌辱したという事実は簡単に埋もれて、なかったことになる。
少女には年の離れた姉がいた。二人きりの姉妹。幼い頃から公的援助を受けて生計を立てていた。
姉は妹のために高校を卒業後、一般企業で働き、妹を大学まで行かせた。妹は姉の期待に応えるよう大学を卒業し、政治家の秘書となった。いつかこんな不平等な世界が変わるようにと願って。
その姉が復讐のため殺し屋に依頼する。不平等な世界を壊すために。
心の中にドロリとした感情が横たわる。それは憎悪。粘着質でへばりつく。何故、妹が殺されなければいけなかったのか。そう問いかけるたびに憎悪の塊が打ち震え、増殖する。
鉄色をした重厚な曇り空の下、妹との思い出と戯れては泣いた。妹を守ることができなかった後悔に唇を噛む。妹を失った悲しみに慟哭する。
言っていたんだ。
先生は怖いって。
表と裏があるって。
奥さんだっているのに。
いつも他所の女を連れている。
姉はそれを笑って流した。
そんな男もいるって。
ほかっておけばいいって。
姉は妹の語り部となり、言葉を切らず話し続ける。目の前にいるのは友達でも会社の同僚でもない。
殺し屋だった。
二人きりの姉妹は姉だけが残った。大丈夫と友達に声をかけられても妹のことを言えるわけがない。会社お抱えの精神科医に話したところで薬漬けにされるだけ。心にへばりつく憎悪の塊は日々大きくなる。それが脳と同じ大きさになった頃、復讐という言葉が心を支配した。妹の復讐だけが姉の救いとなった。
依頼料は安くないぞ。
殺し屋が言う。その声は渇いていて、何故か優しさを感じる。その高額な依頼料が妹の命の価値を上げてくれる気がした。
妹の語り部をする姉に殺し屋の感情が揺さぶられることはない。
人が死ぬということ。
善い悪いではない。
生まれれば、いつか人は死ぬ。
根治困難な病魔に殺されること、殺し屋に殺されること、ともに理不尽な死だ。
生きることも死ぬことも、世界は理不尽なのだ。
だから、密やかに仕事を実行し、速やかに現場から退出する。
それが殺し屋の仕事。決して正義の味方ではない。社会を構築する歯車の一つ。お金をもらって商品を売る営業マンと変わらない。
殺し屋の名は岩田と言った。
当然偽名だ。岩田という名前以外にも幾つもの名前を使い分けて仕事を行う。ひとしきり感情をさらけ出した姉に向かって、決して高くない依頼料を伝える。最後に何の感情もなく「前金で」と呟いた。
今回の仕事のターゲットは政治家。政治家とは権力を持っている。いわば特権階級だ。
人間が死ぬと21g体重が減少する。それが魂の重さだというロジックがある。
特権階級の政治家が死んだら21g減少するのだろうか。
何も持たない妹が死んだ時21g減少したのだろうか。
殺し屋にとって政治家と少女の命の価値は変わらない。21gの魂の重さはきっと同じだ。
世界にとっては違う。この社会が作り出す生態系の中で政治家は頂点にいる。少女は底辺にいる。政治家の魂が21gならば、少女の魂はコンマ1gにも満たない。姉にとっては少女の魂の重さは政治家の魂の重さ以上というのに。
殺し屋の持つ天秤だけが平等に魂の重さを計っていた。
国のシステムは特権階級のために作られている。法律を都合よく整備する。誰もが安心で安全に暮らせる世の中と謳う。警察がいて国民を守り、裁判官がいて正義を守る。そんな法治国家では国民が税金を納め、国が維持されている。計上されない税金の一部が政治家の利潤として懐に入る。
これが国のシステム。飴と鞭で作り上げた世界の天秤からこぼれた少女の命。同じことが起きたとしても、ほとんどの人間がそれを運命と諦める。運が悪かったと笑い飛ばし、自虐することで自分を慰める。
姉は違った。復讐に酔う。復讐の味は甘美なお酒に似ている。
本当はこの手で政治家を殺したい。でも、人を殺すことはできない。
いたって普通のこと。人間なのだから。人殺しはいけないと教育を受けているから。
政治家の名前は溝上と言った。溝上は頭がよかった。自分以外の人間が馬鹿だと知っていた。いつかこの国のトップになる。そんな権力を欲した。誰もが傅く力が欲しかった。
妻は名家の娘を娶る。愛してなどいない。出世するための道具だ。生まれた子供も愛してなどいない。権力を行使する道具だ。まるで神にでもなったようだった。傅き垂れる頭の群れを見て笑う。
生態系の頂点たる存在と自負する溝上の権力にきらびやかな女どもがすがるのは必然。そんな女どもを弄び、その匂いに飽きた頃、無味無臭の秘書に目をつける。それが妹だ。妹は権力になびかなかった。不平等な世界が変わることを夢見る妹。公的援助なしでは命すらなかったくせに。溝上の欲望がさらに刺激される。思い通りにならないものを権力でねじ伏せる愉しみ。そのために用意した違法な錠剤。妹のグラスの中で気泡を上げながら溶けていく。
錠剤により簡単に淫らになった妹。その匂いはきらびやかな女どもと変わらない。こんなものか。その期待外れな味わいに幻滅し、溝上は札束で解決する。
それでいい。
それでいいんだ。
それが政治家の特権だ。
それが生態系頂点の存在たる義務なんだ。
溝上はホテルに妹を残し、我が家へと帰っていった。
夜空に月が丸く浮かんでいた。妹は月を見上げた。姉とよく見ていた夜空。とても綺麗なのに。あたしは綺麗じゃない。白いシーツに散らばる渋沢栄一が笑っている。
何が起きたのか。
何をされたのか。
身体が、心が悲鳴を上げる。
お姉ちゃん、助けて。
妹の言葉が月に解ける。渋沢栄一が笑う。重たい窓を開ける。冷たい風が体温を奪う。一歩一歩足を進めて向かうベランダ。ホテルの部屋から妹は飛び降りた。地面に横たわる妹から21gの重さが奪われていた。
運転手という仕事。タクシーの運転手、バスの運転手、いやいや、そんな安っぽくない。政治家の運転手だ。他の運転手よりずっと給料がいい。政治家の運転手なんて守秘義務もあって面倒臭い。そういうやっかみを言う奴らもいる。タクシーにだって守秘義務はあるさ。だから気にすることはない。
傅けば小遣いをくれるんだ。
どんなあくどい話も飲み込めばいい。
毒であろうと死ぬことのない毒だ。
くわばらくわばら。
見ない言わない聞かない。
猿のように目を口を耳を閉ざす。なんて素敵な世の中だ。黙って傅いてさえいれば金が入る。
なのにどうして心が疼く。
あの娘だ。
自分の娘と同じ歳頃合い。こんな小汚い運転手に声をかけてくれて、心優しかった。そんな娘も溝上に凌辱され、ホテルから飛び降りた。素直に傅いていればよかったのに。見ない言わない聞かない。猿の如し。娘にそう教えればよかった。運転手はまた死ぬことのない毒を飲み干した。
ターゲットである溝上はいつか総理大臣になる逸材と謳われている。名家の妻の助力もあり、権力が溝上に集まりつつあった。絶頂期に溝上は顔を緩ませる。この男が国を変えてくれると国民は信じさせられていた。ただ一人を除いては。
世界が廻る。繰り返し繰り返し世界は廻る。あの男が、あの溝上が総理大臣になるための選挙が始まる。
許さない。
妹を殺したくせに。
世界がどうなっても構わない。
あんな男など死んでしまえばいい。
妹を殺された恨みから生まれた復讐という名の美酒に酔う姉が声に出して言った。
駅のロータリーを選挙カーが蛞蝓のようにゆっくりと廻る。まるで人生ゲームの駒。マッチ棒人間が立っているよう。選挙カーはロータリーの中心で止まる。溝上に傅くように民衆が集まっていた。
空はスカイグレイ。紫煙に染まった雲が浮かび、太陽を隠す。スカイグレイスナイパー。岩田はそう呼ばれていた。晴れた日に仕事をしない殺し屋という意味だ。初めての殺しも曇り空だった。
これは確率の問題。
曇りになる確率は年の半分ぐらい。殺しの依頼が入るのは年に多くて2回。少ない時は0回。それを考えれば、仕事をする日に曇り空が偶然的に続いてもおかしくはない。それでも、スカイグレイスナイパーと呼ばれるたび、晴れた日に仕事をしない陰気な奴だと呼ばれている気がした。
なあ、そう思うだろう。
鉄臭い相棒に声をかける。М24スナイパーウエポンシステム(以下M24SWSと称す)。レミネントアームズ社製のボルトアクション式狙撃銃。遠距離からターゲットの眉間を撃ち抜くためだけにデザインされた銃。銃口から銃身、銃床に至るまでのライン、光沢、質感、全てが神様が作ったどんなものよりも美しく、完璧な姿をしていた。
有効射程距離は800メートル。光学照準器を搭載し、ターゲットを完全に捕捉できる。ちょうどここから駅のロータリーまでの距離だ。
弾丸口径は7.62ミリ。弾倉には五発装填できる。しかし、一発しか装填しない。一発で十分だから。トリガーを引けば、その一発の弾丸が868メートル毎秒でターゲットの眉間を撃ち抜くことが決まっている。
岩田は老朽化したビルの屋上にいた。
ビルは昭和の時代より街の変遷を見てきた歴史の傍観者。壁に張り付く蔦状の植物が年老いた風格をよく表している。ビルに口があれば、昔はこうだったとか自慢気に語るだろう。まさに老害。口がなくてよかった。
年老いたビルをなじり、岩田は相棒が身を潜める黒い筐体を撫でる。駅のロータリーとこのビルの屋上まで広がる視界に遮るものはない。ターゲットまでの道筋が一直線に描かれていた。
ビルの屋上は緻密に計算し立てた計画の結果、岩田がリザーブした場所だ。
この場所からターゲットを狙撃する。
屋上に舞い上がる風が街の匂いを運んでくる。街の匂いの大半は排気ガスで占められている。その大半に混じるのが人間の生活臭ともいうべき焦げ臭い匂いだ。人間が生きていくためにエネルギーを燃やした後に残る匂い。世界中に溢れる欲望の残りカスの匂いだ。
欲望の塊がスーツを羽織ったような溝上は選挙カーの屋根の上に立った。力強い足取りに名家の妻が並ぶ。溝上は右拳を空に向けた。声を張り上げて、マニフェストを謳った。
どんなマニフェストなのか。よく知らない。
政治家は国民に掲げたマニフェストの実行を約束する。約束を反故しても罰則はないから、国民との約束に縛られることなく、自身の利益を追求することができる。
そんな政治家が謳うマニフェストなど知る価値もない。
M24SWSが眠る筐体は120センチほどの大きさで黒光りする。表面は滑らかで鏡面のようにスカイグレイの空を映し出す。「さあ出番だ、相棒」、岩田は声をかけ、筐体の鍵をカチリと外した。
ゆっくりと筐体の蓋が開く。筐体に籠っていた空気が沈み這うように流れ出る。M24SWSを型どった緩衝剤というベッドに眠る相棒が目を覚ました。
相棒は相変わらず美しかった。
岩田の視界の下、コンクリート色に染まるビルとカラフルな瓦屋根で飾られた民家が不規則に並んでいる。その隙間を縫って走るアスファルトの道路が交差し世界を区切っている。
M24SWSのバイポッドを立てる。鋼鉄製の二本の脚がしっかりと銃身を支える。岩田は銃床を鎖骨部分に当て、固定した。
岩田の神経が銃と繋がり、一つのシステムが出来上がる。
M24SWSと一体化した岩田。銃身に触れる風の感触すら感じることができる。視神経と繋がった光学照準器が認識する映像が神経シナプスを経由し、脳に届く。
ターゲットの眉間を撃ち抜くという意思が殺意となった。
衝動でもない憎しみでもない。人を殺すという不純物のない意思、それが殺し屋が持つべき殺意だ。岩田は殺し屋としてトリガーを引いた。
M24SWSが渇いた音を奏でて火を噴く。ボルトアクション式故に跳ねる薬莢が軽快に転がる。銃身から吐き出された弾丸が回転を伴う前進運動で空気を裂き迷うことなくターゲットの眉間に到達した。
溝上の眉間に弾丸が触れた。頭蓋骨の硬さで一瞬、その動きを止める。ほんの一瞬だ。弾丸の回転運動は止まらない。弾丸の持つ熱エネルギーが皮膚を焦げつかせ、頭蓋骨に弾丸の口径と同じ大きさの穴が穿たれる。頭蓋骨に穴が開けば、あとは脳内を破壊するだけ。口径7.62ミリメートルの弾丸が頭蓋骨内で回転し、脳をシェイクする。
右拳を掲げる。
マニフェストを謳う。
そうした命令が脳内の破壊により全身に届かなくなる。
溝上の膝がゆっくりと落ち、前につんのめるように倒れ込んだ。
眉間に穿たれた穴から血がボテリと固形物のように落ちる。隣で人形のように手を振っていた妻が喉が裂けるほどの悲鳴を上げた。その声がスタートの合図だった。
選挙カーに群れる人、人、人、民衆はスマホで撮影を始める。眼の前で人が殺された。最先端のCG技術を駆使した映画の映像よりもリアルな映像のはず。それでも、何が起きているのか理解できていない。彼等は好奇心という欲求に従い、眉間の穴から流れる血が止まらない溝上と悲鳴を上げる妻を撮影し続けた。
光学照準器に映る景色から溝上の姿が消えた。岩田が溝上の姿を追うことはない。確実にその眉間を打ち抜いた。その実感が、感触が指に残っている。
殺人の余韻を感じることもなく、跳ねて転がった薬莢を拾い上げる。バイポッドを折りたたみ、 M24SWSを黒い筐体に格納する。その作業工程には 少しの無駄もない。
黒い筐体を肩に抱えて、このビルから立ち去る。ビルの階段を静かに速やかに降りていく。
ビルから出るとアスファルトでコーティングされた道路が見えた。右手側には繁華街があり、人があふれかえる。人込みというブラインドが使える。しかし、岩田は右手側ではなく、左手側に進む。その方向にはブラインドとなる人込みはない。
この世界は監視カメラに囲まれている。街中に氾濫する監視カメラが刻々と廻る世界をエンドレスに撮影している。さらにスマホ、ドライブレコーダーという私的カメラが人間の数だけある。
それらにより作られた映像を世界に晒す術として誰にでも扱えるSNSがある。
警察はこの暗殺劇が実行された時間に記録された映像を掻き集める。それに足跡を残した者は全て暗殺劇の容疑者となる。
そんな足跡を残してはいけない。
より確実な逃走経路を選択しなくてはいけない。
罪と罰に対するリスクヘッジ対策は完璧だった。
右手側に行けば、ブラインドとなる人込みに紛れるが、監視カメラの餌食となる。左手側に行けば、ブラインドとなる人込みはない。代わりに監視カメラもない。
この場合の正解は左手側の方向だ。そう進むことで誰の眼にも映らないゴーストになれる。
警察はこの事件を解決するために捜査を進め、犯人をしつこく追うだろう。若き総理大臣候補の溝上が殺されたのだから当然だ。しかし、ゴーストを追うことは不可能。
岩田はさらに左のビルとビルの間、野良猫ぐらいしか通らない街の獣道へと足を進める。こうして、岩田は監視カメラからその存在を見事に消し去った。
あたしの視界で廻る世界、多角的な映像が流れていく。
弾丸の発射された音も聞こえていた。とても渇いた音だ。その瞬間、空気が気をつけしたようにピンと固まった。固まった空気を裂くように弾丸が回転運動する。弾丸に走るらせん状の線条痕がゆっくりと廻っていた。
弾丸は溝上の眉間を穿つ。選挙カーの上で右拳を振り上げ、マニフェストを謳っていたはずの溝上からどろりとした血液が落ちる。
スローモーションに流れる映像は一瞬。ハイスピードカメラで撮影したかのように視界に流れた。838メートル毎秒で動く弾丸の線条痕など見えるわけがない。でも、あたしには全てが見えていた。
10メートル先で足を止めた選挙カーの上で溝上に起こった暗殺劇。溝上の死に体が熱くなる。
体内に流れる血液が沸点に達し、泡立つ音が体の内から聞こえる。
この血液の熱さもあたしにしか分からない。
血液が泡立つ音もあたしにしか分からない。
熱源は心にへばりついて離れなかった憎悪、復讐を果たしたことで内からあたしを熱くしている。
あれは死ぬべき人間。
でも、妹が帰ってくることはない。
妹を失った喪失感を埋める代替品などこの世界に存在しない。
妹が死んで、溝上も死んだ。嬉々として民衆がその光景を撮影する。溝上の惨めな死に様が世界中に晒される。
殺し屋の仕事に満足し、復讐を果たしたあたしは笑っていた。妹とずっと一緒に生きていた。妹の喪失はあたし自身の喪失。欠損した心が感じる絶望感。妹を失ったことであたしの魂の重さはきっと21g以下になっている。
妹がいない世界は以前と変わらない。10cmに満たない隙間に人が押し込まれる満員電車、繁華街に響く野生動物のような若者の鳴き声、子供の頃に妹と眺めたまん丸い月、世界は何も変わっていない。変わったのはあたしだ。でも、後悔などしていない。
あたしが殺したわけではない。
殺したのは殺し屋。
罪は全てあの殺し屋が背負うのだ。
この部屋は黒を基調とし完成していた。冷蔵庫もテーブルも空気清浄機も黒だ。エアコンさえも特注で黒くした。全体的に黒という色に統一されたマンションの部屋。これが岩田の部屋だった。
岩田は相棒が眠る筐体を丁寧にテーブルに横たえる。黒い筐体と黒いテーブルが溶けるように混じる。物音がたつことも、埃が舞うこともない。
溝上を殺すという仕事を終えた。政治家を殺す。いずれ総理大臣になる器の男。世界ではこの暗殺劇が中心となり、癌細胞のように巨大に成長しているはずだ。
溝上の死をありもしない正義の犠牲者だと利用する者。
溝上の死に面白おかしく脚色を加え吹聴する者。
溝上の死の特番でお気に入りのアニメ放送が延期になったことを惜しむ者。
テレビやネットの反応は大体想像がつくから、電源を入れない。黒を基調とした岩田の部屋は世界と断絶されていた。
全ていつも通り。仕事を無事完了させた相棒を労うため筐体を開けて、取り出す。テーブルの上にバイトップで設置する。銃床を鎖骨部分に当てて、光学式照準器を覗く。ボルトハンドルを回し、トリガーを引いた。カチリと音がした。
しばらく休みだよ。
優しく語りかけ、相棒の銃床を叩く。
黒いティファールでお湯を沸かす。
コーヒー豆をミルで軽快に挽く。
コーヒー豆にお湯がじんわりと染み込み、温かみのあるコーヒーブラウンに染まる。一仕事を終えた岩田は黒いコーヒーカップで一息をついた。これからしなくてはいけないこと。相棒の整備だ。いつもと変わらないルーティンワークが始まり、その作業に心を埋めていった。
TVショーが始まる。
警察官の制服は国家権力の象徴。そんな警察官とカメレオンのように民衆に擬態した私服警察官がすでに動かなくなった溝上を取り囲む。溝上の体は一瞬にして選挙カーの影に下ろされた。国家権力の象徴はすでに死んでしまっている溝上の体を今更身を挺して守ろうとしている。
何のために?
きっとお仕事してますアピールに過ぎない。
この国は銃砲刀剣類所持等取締法、通称銃刀法によって銃の所持は許されない。憲法9条によって戦争を起こすことも武装することもできない。
そんな平和な国で起きた暗殺劇。
警察は未解決事件として永遠にゴーストを追いかけることになる。
民衆が撮影した暗殺劇の映像がデジタルタトゥーとしてSNSに氾濫し、誰もの記憶に刻まれ続ける。それを見て、心的外傷後ストレス障害になり、家から出られなくなった被害者のニュースも垂れ流される。
法治国家で許されるべきではないとTVで見識者が裁判官のように断罪する。他コメンテーターが陪審員のように皆頷
。
カットインカットアウトする画面が真っ黒く染まる。
では、誰の罪なのか。
依頼通り溝上を殺した岩田の罪なのか。
少女を凌辱した溝上の罪なのか。
妹の復讐を果たした姉の罪なのか。
死なない毒を飲み干した運転手の罪なのか。
好奇心のままに映像を撮影した民衆の罪なのか。
罪はどこにでも誰の足元にも転がっているが、罰は裁判所でしか生まれない。
罰がなければ罪ではないんだよ。
想像力の欠如した世界がそう呟いた。
了




