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名もなき街の何でも屋 ~ネオン都市のストレイシープ~  作者: 薄氷薄明


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13/19

「崩落の臨界と一筋の導線」

 劇場跡地の外側――名もなき街の深部では、潜入班の”遊撃”が死線を潜り抜けていた。

 ヴィリー、ダリル、イーデンの三名は、灰色の外套を血と煤で汚しながら、押し寄せる漆黒の影を削り続けていた。彼らの戦いは、防衛班よりも遥かに過酷で、そして事務的だった。


「……三時方向、半成立個体。ダリル、核を固定しろ!」


 ヴィリーが叫ぶと同時に、ダリルが特殊な投擲短剣を影の”核”が露出する一瞬を突いて地面に縫い止める。実体化を強制された魔物が咆哮を上げる間もなく、イーデンの大剣がその質量を断ち切った。


「キリがねえな……。街の『空白』そのものから湧いてやがる」


 ヴィリーが吐き捨て、折れた刃を投げ捨てた。彼らの役割は討伐ではない。劇場跡地へ向かう”導線”を確保し、成立しかけた脅威を間引くことにある。だが、世界の崩壊速度は、すでに彼らの処理能力を嘲笑うかのように加速していた。




 同じ頃、黄金街の一角。

 その場に残る選択をした夫妻の店は、すでにその輪郭を失いかけていた。

 店の半分が、ノイズのような漆黒の空間に呑み込まれている。カウンターの奥、夫は呆然と、昨日までそこにあったはずの”棚”が消え、底なしの虚無に変わっているのを見つめていた。


「……もう、終わりね」


 妻が、静かに言った。

 彼女が大切に磨いていたグラスが、夫の手元からふっと消滅した。

 役割を失い、場所を失い、ついに物質としての連続性が断たれたのだ。その瞬間、夫妻の頭上の天井が、音もなく”削り取られる”ように消え、夜の毒々しいネオンが降り注いだ。


「逃げるぞ、お前!」


 夫が、震える手で妻の腕を掴んだ。


「店はもう、どこにもない。だが……俺はまだ、お前の夫だ。それだけは、消させちゃいけねえ!」


 店という枠を失って初めて、彼らは”店主”ではなく”一人の人間”として、互いの存在を確認した。崩壊する店から飛び出した二人の背後で、かつての人生のすべてだった箱が、音もなく霧散していった。


 だが、路地に出た彼らを待っていたのは、実体化を始めた魔物の群れだった。


「あ……ああ……」


 絶望に足が止まった瞬間、横の路地から猛烈な勢いで「灰色」が飛び出してきた。


「止まるな! 前だけ見て走れ!」


 ヴィリーだった。彼は二人を庇うように魔物の前に立ち塞がると、魔力の残滓を纏わせた剣で異形の腕を弾き飛ばした。


「イーデン、こいつらを劇場跡地まで導け! 後の二人は俺が引き受ける!」


 遊撃班のイーデンが夫妻の前に立ち、最短ルートを指し示す。

「俺の背中から離れるな。この街で生き残りたければ、今は俺の理屈に従え」


 夫妻は、もはや言葉を返す余裕もなく、灰色の背中を必死に追いかけた。周囲の建物が次々とノイズに呑まれ、足元の石畳すら消えゆく中、潜入班の正確な誘導だけが、唯一の”現実”となっていた。




 劇場跡地。

 防衛線を張っていたシドの長剣が、凄まじい衝撃を受けて火花を散らした。

 漆黒の泥から、これまでとは比較にならないほど巨大で、醜悪な形状の魔物が次々と”完全成立”を果たして這い出してくる。


「……数が、三層構造の限界を超えた」


 アーロが、こめかみから血を流しながら叫んだ。


「これ以上は観測しきれない。意味の洪水だ! 劇場跡地の境界が、物理的に保たなくなる!」


 ハリーが咆哮を上げ、魔物の群れに突っ込むが、すぐに数に飲まれて押し返される。エイヴの帳簿は、もはや書き込むスピードを遥かに超えた消失によって、白紙のまま燃えるように熱を帯びていた。


「シド!」


 ユーリスが叫ぶ。


「これ以上は騎士団の戦技でも防ぎきれん! 防衛線を縮小しろ!」


「できません! これ以上下げれば、中にいる連中が溢れ出す!」



 シドの黄金の光が、激しく明滅する。

 騎士たちの剣術も、クインの冷徹な管理も、押し寄せる「世界の終わり」の前では、あまりに小さな抵抗に過ぎなかった。

 そこへ、街の奥からイーデンに伴われ、ボロボロになった黄金街の夫妻が転がり込んできた。


「……間に合ったか」


 クインが短く呟く。

 だが、その直後。劇場跡地の外壁が、轟音と共に崩れ落ちた。

 魔物の群れが、安全圏だったはずの内側へと、その漆黒の爪を伸ばした。


「……もう、持たない」


 誰かが、絶望の中でそう呟いた。

 それはその場にいる全員――騎士たちも、何でも屋も、街の住人たちもが共有した、唯一の確信だった。

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