第8話 光は揺れる
光は、個人の奇跡ではない。
構造で増幅するものだ。
人事制度改革プロジェクトの発足から2週間。
私は会議室で、1枚の組織図を睨んでいた。
全社員352名。部署数17。
「これを、どう変えろと……」
私は頭を抱えた。第3営業部は12名。それでも苦労した。これを全社規模でやる?
眉間の奥が、じくじくと痛む。光を見る頻度が増えすぎている。
ドアがノックされた。
「失礼します」
入ってきたのは、専務だった。
「柊さん。率直に聞きます」
専務は椅子に座ると、鋭く私を見た。
「あなたの『能力』は、全社に適用できるんですか?」
「……どういう意味ですか」
「第3営業部は12名。あなたが1人ずつ見て、配置を決めた。でも、全社となると352名です」
専務の目が光る。
「1人5分としても、29時間。それを何度も繰り返す。物理的に不可能でしょう」
私は唇を噛んだ。図星だ。
「だから——」
専務が新しい資料を広げた。
『新人事制度案(完全版)』
そこには、驚くべき文言が並んでいた。
『定性評価の完全廃止』
『成果主義の徹底』
『下位10%の自動降格システム』
私は息を呑んだ。
「……これは、以前より厳しくなっています」
「当然です」
専務は冷たく言った。
「あなたたちの成功は『例外』です。組織全体で見れば、下位層の底上げよりも、上位層の牽引の方が効率的。これは統計的事実です」
専務が立ち上がった。
「『光』などという曖昧なものに、経営は頼れません。必要なのは再現性です」
会議室の空気が凍りつく。
その時——視界が暗転した。
「柊さん?」
専務の声が遠くなる。私は机に手をついて必死に耐える。
(見すぎた……)
その夜、祖母の執務室。
「無理をしすぎよ」
祖母は紅茶を淹れながら言った。
「このままでは、本当に見えなくなる」
「でも、全社改革なんて最初から無理だったんです」
私は呟いた。
「12名だから、できた。352名なんて……」
「真白」
祖母が私を見た。
「あなたは、何を守りたいの? 光を守りたいの? それとも、自分の能力を守りたいの?」
私は言葉に詰まった。
「もし、あなたの能力が消えても——第3営業部の光は残る。それで十分じゃない?」
祖母の目が優しい。
「光は、あなたが見なくても、輝き続けることができるのよ」
翌日、第3営業部のフロア。
「みんな、協力してほしい」
高瀬、坂井、久我、森川、上田。みんなが私を見ている。
「あなたたちが成功した理由を、『見えない人』にも分かる形で説明したいんです」
「見えない人?」
久我が首を傾げる。
「専務です。彼には光が見えない。だから、数字で説明するしかない」
私は坂井を見た。
「坂井さん。みんなの行動ログ、メール、日報。全部分析してください。成功の『前兆』を数値化したいんです」
坂井の青い光が鋭く輝いた。
「……面白そうね。定性的な『才能』を、定量的な『行動パターン』に変換する」
「そうです。それができれば——」
1週間後、再び専務との会議。
「定性評価の廃止。これで決定です」
専務が議事を進めようとした時。
「待ってください」
私が新しい資料を配布した。
『ポテンシャル・インデックス(潜在能力指数)』
「これは何ですか?」
「第3営業部の成功を分析し、成果が出る『前兆』を数値化したものです」
私は説明を始めた。
「久我社員。契約数はゼロでしたが、『現場相談件数』はトップでした。成果が出る3ヶ月前から、この数値は急増していました」
スクリーンにグラフが表示される。
「高瀬社員は『顧客との通話時間』が長い。その8割は『相手の話を聞いている時間』でした」
「上田社員は『資料の参照回数』がトップ。彼女は論理的思考の持ち主だったんです」
私は専務をまっすぐ見た。
「成果は結果です。でも、その前に必ず『行動の変化』があります。それを評価指標に組み込めば——」
専務が資料を見つめている。
「相談件数、傾聴時間、参照回数……なるほど、計測可能です」
専務の銀色の光が、小さく揺れた。
「ですが、これで『成果が出る』と断言できますか?」
「できます」
坂井が作ったデータを提示した。
「過去5年間の全社員にこの指標を適用したところ、後のハイパフォーマーと87%の相関がありました」
会場がざわめく。
「ただし——」
私は次のページを開いた。
「短期離職者には効果がありません。データ蓄積期間が不足するためです。
創造系の職種にも予測精度が低下します。既存パターンに当てはまらないためです」
専務が眉をひそめた。
「さらに、悪意ある操作も理論上可能です。
指標を知った社員が、見せかけの行動を取る可能性があります」
「……欠陥だらけじゃないですか」
「はい。完璧ではありません」
私は頷いた。
「でも、今の制度よりはマシです」
専務は長い間、資料を見つめていた。
やがて、顔を上げた。
「……私は、この制度が嫌いです」
専務が静かに言った。
「『可能性』という曖昧なものを数値化することに、本能的な抵抗がある」
専務の目が私を見た。
「ですが——認めましょう。この『ポテンシャル・インデックス』を試験導入します。
ただし、成果が出なければ即座に廃止。いいですね?」
「はい」
3ヶ月後。
新制度の導入で、社内の空気が変わっていた。
「ポテンシャル・インデックス」により、埋もれていた人材が次々と発掘されている。
第2営業部のD評価社員が企画部へ。その後、新商品企画でヒットを飛ばした。
総務の「使えない」社員がカスタマーサポートへ。顧客満足度が大幅上昇。
光が、動き始めた。私がいなくても。
ある日、廊下で専務と会った。
「柊さん」
専務が立ち止まった。
「第2営業部の件、見事でした」
「ありがとうございます」
「あれは、あなたの力ではない。あなたが作った『仕組み』の力です」
専務が、わずかに笑った。
「思想対立は、まだ残っていますよ。私は今でも効率を重視する」
「……はい」
「ですが——」
専務が窓の外を見た。
「あなたたちが見ている『人の可能性』も、無視できないものだと理解しました」
私は専務を凝視した。
銀色の光。その縁にあった黒い滲みは完全に消え、中心に小さな金色の輝きが生まれていた。
成長率が、再上昇している。
その夜、執務室。
「真白」
祖母が問う。
「怖い?」
私は少し考えてから答えた。
「……少し。でも、もう大丈夫です」
「それでいい」
祖母は微笑んだ。
「光は、揺れるもの。でも——」
私は窓の外を見た。
第3営業部のフロアには、まだ灯りがついている。
高瀬、坂井、久我。そして森川、上田、仁科。
みんなの光が、今日も揺れている。
でも——消えていない。
私がいなくても、彼らは輝き続けている。
全員を救うつもりはない。
だが、守れる光は、仕組みで増やせる。
私は静かに目を閉じた。
眉間の痛みは、もうない。
光は揺れる。
それでいい。
光は、個人の奇跡ではなく、構造で増幅するものだ。
私がいなくても、誰かが光を見つけられるように。
揺れながらも、輝き続けるように。
最下位部署から始まった物語は——全社へと広がり、新しい形で続いていく。
光は、今日も揺れている。
きっと、消えないようにできる。
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