第9話 探索実習①
その日はよく晴れた日だった。
早朝にも関わらず、蝉の鳴き声がうるさいくらい耳朶を打ち、空高く積乱雲が積み上がっていた。
(少し、夕立が気になるな)
俺たちは北千住駅から北に進んだ、荒川沿いにある巨大なゲートの前に集まっていた。
浅草から北東側に進んだ地点、ここは"野良ゲート"と呼ばれ、総統府によって攻略推奨地点から外された、いわゆる旨味の少ない地点として知られている。
ゲートの先は荒川以北の足立区、崩壊した都市と自然が融合したようなポスト・アポカリプス世界が広がっている。
(哀れ足立区、俺の地元よ……)
人間の営みの儚さを感じさせるような、神秘的で、そして無常な世界が手ぐすねを引いて待ち受けている。
「それでは皆さん、探索実習の時間がやってきたザマス、皆さんツーマンセルで行動するザマス」
おばさん教諭の言葉がメガホンを通して響き渡る。
俺達の装備は迷彩柄の電灯付きのヘルメットに、膝と胴と肘を守る簡易的なカーボン鎧。
携行品は全てバックパックで運ぶ。
探索は少人数で行うのが基本。
人が密集していれば、そこに異形は集まってくるからだ。
「皆さんの任務は、『ダンジョンシード』の回収ザマス。放置された土地には、異形達がダンジョンの種を産み落とし、再びダンジョンが活性化してしまう事があるザマス! 皆さんがこれから向かう旧足立区は血統者様たちが、引き揚げて久しい土地……故に、皆さんの力でダンジョンシードを集めてダンジョンの活性を阻止するザマスよ!」
「「はい!」」
ダンジョンシードは、おばさん教諭が説明した通りダンジョンの種である。
放っておけば、ジャガイモのようにボコボコと地面にダンジョンを形成してしまう。
一方でダンジョンシードは、超高効率なエネルギー資源でもあり、回収すればかなり良い金額になったりする。
「一つ回収するごとに、チームのそれぞれに200ポイントを贈呈するザマス! 特に月乃さん! あーたの推薦権はほぼ確実ザマスが、ここで気を抜かず、しっかり走り切るザマスよ!」
「……はい」
月乃は煮えきらないような調子で、生返事を返す。
昨夜、色々と本音で話したせいか何かしら迷いが生じているように見える。
少し心配になったので様子をうかがっていると、ふと視線が合った。
「っぁ!」
すると月乃はみるみるうちに顔を真赤になる。
あたふたと慌てふためき「……ぁわっ! ……ぅおっ? ……っきゅぅん……」と声にならない声を上げて、その後に鎮火した。
いつも冷静沈着な月乃にしては珍しい。
この動揺が探索時に発揮されないとよいのだが。
「皆さん、銃剣を貸し出すザマス。決して過信せず異形を見つけた場合は極力戦闘をすることなく回避するザマスよ。……それでは探索実習開始するザマス!」
俺達は意気込んで探索に出発した。
ゲートを抜けた先、常磐線に沿ってかけられた簡易的にかけられた橋で荒川を渡り、未開拓エリアに向かう。
ここからは魔境、どのような危険が待ち受けているかわからない。
(それに、《《あの話》》も気になるしな……)
俺達が注意すべきは何も、異形だけとは限らないのだ。
「租界の外は久しぶりだなぁ。なんだか神秘的だね」
「そうだな、あれだけ栄えた文明が崩壊したんだ。人がいなくなった都市には、植物が、動物が集まり、そして自然に回帰していくだけだ」
俺は高杉くんとペアになった。
正直ペアは誰でも良かったのだが、高杉くんが俺を慕ってやまないので、仕方がなく受け入れることにしたのだ。
「ダンジョンシードなんて僕達で見つけられるのかなぁ?」
「まぁ、あまり根を詰めて探すのも良くない。こういうのは宝探しだと思って楽しんだ方が案外見つかるもんだ」
「前向きなんだね、円城寺くん」
「この探索では他にも回収したいものがあるからな、俺にとってはダンジョンシードは二の次なんだ」
「もしかして円城寺くん、『オーパーツ』を探すつもり?」
「ああ」
オーパーツ、いわゆる2025年以前の旧時代の生産品。
この世界の人間は資源回収の事などあまり考えていないらしい。
血統者たちにそういう経済観念が欠如しているのか、あるいは千菊が統治する千菊租界という領域を統治するのに精一杯だからか、この時代の科学技術は2025年からほとんどアップデートされていない。
「でもオーパーツって、総統府に回収されちゃうんじゃないの?」
「まぁ、そこはやり方次第だな。とりあえず常磐線沿いに東に進んで、綾瀬川通りを北上してみようか。遮蔽物があったほうが異形から身を隠しやすいからな」
俺はスマホのマップを見ながらルートを決める。
「円城寺くん、道にも詳しいんだね」
「ん、……まぁな」
だってこのあたりに住んでたし。
俺達は周囲を警戒しながら進んでいく。
ふと一軒、どこにでもある二階建てビルの前で立ち止まる。
一階は、未だに目につくピンク色の外装が施されていて、非常に目立つ。
――アニメカフェ&コスプレバー ロンゴミアント
「そういえば新しくコンカフェなんてできたんだったか」
「新しく?」
「ああ、いやなんでもない」
いつか行ってみようと思っていたコンカフェを見つけたのだが、なかなか暇が取れずに結局いかないままになってしまった。
「こんかふぇっていうのは?」
「ああ、昔界隈で流行ってたコンセプトカフェってやつだ。特定のジャンルで独特の世界観を演出するカフェのことだな。動物だったり、従業員に可愛い衣装を着せたりして客寄せするんだ」
「へー、そんな文化があったんだ! すごい、旧時代ってやっぱり楽しそうな時代だったんだね!」
高杉くんはそう言ってふんすと鼻息を荒げた。
この時代の子ども、特にアナクロは、旧時代の歴史なんて教わる機会はないから、高杉くんにとってはひどく興味をそそられる情報なのだろう。
俺にとっては、大正時代にポルノ写真が流行っていたなどと聞かされるようなものかもしれない。
「入ってみるか?」
「うん!」
俺と高杉くんは、一緒に建物の中に入る。
中はピンクと白を基調としたド派手な内装で、バーカウンターがある。
おそらくは、そこでアニメキャラの格好をした店員が接客していたのだろう。
「これがコンカフェなんだぁ……!」
「……結構酒も残ってるな。おっ、ウィスキーじゃん。最低でも八十年ものだからな、これは結構高く売れるぞ」
「……円城寺くん、なんでそんなに反応が淡白なのさ」
高杉くんは、無心で物資を探る俺にジトッとした目を俺に向ける。
まるで旅行先で楽しい時間を共有できないことにショックを受けた彼女のよう。
「あ、ああ、俺は俺で楽しんでるぞ? ただ、一応探索が名目だからな。こうして金になる物資は回収していかないと」
「……そうだね、じゃあ僕も店の奥を見てくるよ」
高杉くんは威勢が削がれたたのか、しゅうぅ……と肩を落とした様子でトボトボとバックヤードに入っていった。
高杉くんの背中を見て少し申し訳なく思った。
(コンカフェ自体、俺にとっては珍しくもなんともないからなぁ……)
前世の記憶がある俺と、今を生きる高杉くんでは、やはり違う時代を生きる人間同士、価値観が違うのだろう。
俺はそんな事をしみじみと思ったのだった。
◇◇◇◇
あれから主に商品化できそうなものを集め、バックパックに詰め込んだ。
加工品や乾物などは、八十年前のものであっても食えなくはない。
俺はフリーズドライの味噌汁で一服していると、高杉くんが戻ってきた。
「高杉くん、何かいい物資は見つかった?」
「へっ……? ま、まぁね。え、円城寺くんは?」
高杉くんは裏返った声で反応する。
そしてなぜか挙動不審に目を泳がせて、俺に話を振ってきた。
「ん、俺か? ああ、いい感じに集まったぞ。ウィスキー数本、インスタントコーヒーの粉、ティーバッグ、ドライフルーツ、ミックスナッツに、タバコ……こんな感じかな」
「た、たくさん集めたんだね」
「高杉くんはどうだ?」
「へっ? ぼ、僕? ぼ、ぼぼ、僕も似たようなものかな……へへっ。……そ、そろそろ出発しない?」
高杉くんは両手の指を絡ませるようにうねうねさせながら、なにかをごまかすように俺に出発を促す。
うーむ、なんか怪しい。
もしかしてエッチな雑誌でも見つけてしまったのだろうか。
だとしたら追求するのも可哀想だし、見て見ぬふりをしてあげるのが大人の対応だろう。
「ああ、行こうか」
俺達は、再び探索に戻ったのだった。
◇◇◇◇
コンカフェを出た俺達は、綾瀬川通りを北上してゆく。
ここは比較的開けた道が広がっているので、見通しは良い。
故に、注意して歩かなければならないと考えていた、そんな時だった。
「あっ、ダンジョンシードだ! やったぁ!」
高杉くんが指差す先はあったのは、広い十字路に面した銀行。
ガラスが割れた店内に、謎の粘液に包まれた赤い玉が脈打っていた。
「ストップ高杉くん」
「おぐっ!」
ホクホク顔でかけていこうとする高杉くんの服を引っ張って止め、物陰に隠れる。
少し前から、何か恐ろしい存在が近くにいるような妙な気配を感じていた。
地面を揺るがすような大きな足音が近づいてくる。
「グルル……」
不意に獣の唸り声が聞こえた。
まるで肉食動物のようだが、それよりも低く、まるで地響きのよう。
やがてそいつは姿を現した。
「……あ、あれは」
「……ああ、マンティコアだな」
アフリカゾウを遥かに超える体格の巨大な化け物。
禍々しい邪悪なオーラを放ちながら闊歩していた。
「……嘘、マンティコアって確かダンジョン中層の異形じゃ……」
高杉くんは恐怖で体が固まってしまっている。
マンティコアはダンジョンでも、高位の異形だと聞き及んでいる。
上位の血統者でなければ、数人がかりで倒さなければならないレベルの。
「……あんなやつが、地上に出てきているとはな。おそらくさいたまか、千葉の『大都市級ダンジョン』から漏れてきたやつだろう。流石にアイツがいる以上、あのダンジョンシードは諦めるしかないな」
「……どうする? 円城寺くん」
俺は頭をフル回転させて考える。
このままここに居続けるのは良くない。
マンティコアがあれ一体とは限らないからだ。
「……地下から行くしかないな」
「……えっ、でも地下なんてどこに…」
俺は無言でマンホールを指差すと、高杉くんは顔を引き攣らせていた。
結局、高杉くんは対案を出すことができなかったので、俺達はマンホールから地下の下水道に潜ったのだった。
……それから進むこと数分。
「すごい、地下にこんな空間が広がっていたなんて……」
高杉くんが、ほうっと関心のため息をつく。
そこはまるで巨大な神殿を思わせるような広大な空間が広がっていた。
「調圧水槽っていってな、かつての東京の地下には洪水対策でこういうインフラが整っていたんだ」
「すごい、まるで地下都市だね」
昔、運良くインフラシステムの改修業務に就いたことが功を奏した。
とはいえ俺自身も初めて見たので、これほど大規模なものだとは思わずしばらく感動していた。
とはいえ八十年の時を経てかなり劣化しているようで、いたるところから光が漏れ出している。
それでも薄暗い空間が広がっているので、ヘッドライトと銃剣に取り付けたわずかな灯りだけを頼りに感覚で北上していく。
高杉くんは俺の服にひしっと掴まってきた。
「ん、どうした高杉くん?」
「……な、何でもない。えっと、は、離れ離れになるといけないから……」
高杉くんは肩をすくめながら、涙目で俺に付いてくる。
どうやら暗闇が苦手らしい。
なんとなく庇護欲をそそるようなその仕草に、少しぐっと来た。
(可愛い……)
最近一人で処理をしていないせいか、ムラムラとする気持ちが湧き上がって来てしまう。
「円城寺くんはすごいね。旧時代の道にも詳しいし、異形にも冷静に対処できるし……」
「まぁ、探索の前に下調べくらいはするさ」
「円城寺くんって、その……本当に頼りになるね」
そう言って高杉くんは上目遣いで俺を見てきた。
彼氏彼女の関係だったら、この一言でぐっと心を掴まれてしまっていただろう。
「高杉くん……君、もしかして……」
俺が高杉くんに問いかけようとした時、言葉が途切れた。
突然、背後から何者かの気配がしたからだ。
(小さい人影?)
フードを被った子どものような体格をしている。
そいつは急速接近して、高杉くんにぶつかった。
「わっ……。な、何?!」
高杉くんは声を上げるが、どうやら外傷はないらしい。
その人影はそそくさと離脱し、はしごから逃げ出した。
(あの身のこなし、人間か?)
「高杉くん、大丈夫か?」
「う、うん、大丈夫」
「何か盗られたものはないか?」
「えっ盗られたもの? ……あっ、スマホがない!」
高杉くんは声を上げた。
スマホはこの崩壊世界でも、身分証明や決済に使われる重要な道具だ。
無くしたとなれば、帰った時に罰が待っている。
「追うぞ!」
「う、うん!」
俺達は、突然現れた人影を追いかけたのだった。