命の覚悟
氷の結晶を足場にして。
空を飛ぶフェイトが、巨大な木の根っ子に近づいていく。
手を伸ばすように、空へと届いていた根っ子は、その大部分を地に下ろしており。
周囲の森へと広がっていた。
根っ子の大元へと近づこうとするフェイトであったが。
その最中に、手に握っていた”計測器”から音が発せられる。
計測器に目を向けると、デジタル表記の数値が徐々に上がっていき。
危険を示す、レッドゾーンへと突入していた。
「この距離で反応するなんて。」
確かに、近づいてはいるものの。
未だに根っ子の本体とは距離があり、目に見える限りでは安全に思える。
しかしこの空間は、すでに人間の住める領域ではなくなっていた。
人体には、致命的な影響を与えかねない数値ではあるものの。
それでも臆さず、フェイトは地上へ、広大な森の中へと降り立つ。
もとから、そうなのかは定かではないが。森の中は静かで、動物や魔獣の声も聞こえてこない。
聞こえてくるのは、手元の計測器から発せられる警告音のみ。
もう一度計測器を見てみると。
数字がエラーを引き起こしており、その機能がすでに死んでいた。
無言で、周囲の様子を観察するフェイトであったが。
突如として、地面から木の根っ子が出現し、彼女の右腕に巻き付く。
その衝撃で、計測器を地面に落としてしまうものの。
「――邪魔くさい!」
氷で形作られた剣を生成し。
それを操作することで、巻き付いた木の根っ子をバラバラに斬り刻んだ。
ぼとりと、植物の破片が地面に落ちるも。
それは切れたトカゲの尻尾のように、うねうねと活動を続け。すぐさま集結し、再び1つにくっつこうと動き始める。
それほどまでに、驚異的な生命力であった。
「……これが街まで到達したら。」
ゆっくりと、それでも着実に。
世界は彼らに侵食されていた。
◆
空中戦艦アマルガムは、その名の通り”戦うための船”であり。
船の中には、戦略会議等を行うための会議室が存在した。
そして今。
ダンジョン最深部にあるとされる異界の門への到達方法と、その最大の障害である”未知の放射線”への対処法を練るため。
ピエタの街から招集された、選りすぐりの”魔法使い”達がその場に揃っていた。
だが、しかし。
「……魔法使いを、集めろと言ったはずだが。」
会議室に集まったのは、エドワードを含めてわずか”7人”だけ。
他のメンバーも、ミレイとキララ、カミーラとユリカという顔見知りだらけであり。
新顔である、残る2人は。
「……”デルタ”です。街では医者として働いていて、前にユリカさん達の治療をさせてもらいました。」
白衣を身にまとった、黒髪の女性が名を名乗る。
顔色が悪く、生気の感じられない雰囲気の女性だが。その素性は、れっきとした魔法使いであった。
彼女に関しては、まだ許容範囲だが。
「どうも、”クレイジーフィッシュ”です。冒険者やってまーす。」
もう一人の、10代後半と思われる金髪の少女は、なぜかビキニタイプの水着姿であり。
明らかに魔法使いという風貌ではなかった。
「選りすぐりの精鋭を集めたつもりだぞ? 少なくとも、この街に居る中では”トップクラス”の2人だ。」
この人選について、カミーラは自信満々な様子である。
けれども、顔色の悪い白衣の女性と。
存在自体が謎な水着の少女である。
エドワードだけではなく、ミレイにも理解が出来なかった。
「えっと。他にもっと、魔法使いの人いなかったの? ほら、この街のギルドマスターとかも、結構強めの魔法使ってたけど。」
ミレイは、オールトの群れから街を守った時の事を思い出す。
防壁の上に数多の魔法使いが集まり、敵と交戦していた。
中でもギルドマスターは、かなり魔法の扱いに長けているようにも見えた。
けれども、カミーラの表情は芳しくない。
「いや、あいつらは使い物にならん。所詮は、魔法を”戦いの道具”程度にしか考えていないからな。」
「え?」
「魔力が操れる。身体能力を強化できる。炎を生み出して、それを武器に戦える。そんな使い方で満足しているような連中に、高度な魔法の構築など出来るわけ無いだろ。」
「……なるほど。」
その理論で行けば、ミレイは話の土俵にすら上がれそうにない。
「えぇっと。だったらわたしも、あまり役に立てない気がするんですけど。」
キララが、控えめに手を挙げる。
彼女が使っている魔法も、強力な破壊力を発揮する弓矢や、身体強化程度のもの。
カミーラが酷評する、典型的な”魔法使い冒険者”と同じである。
だがしかし。
それでもカミーラは、キララを魔法使いの1人として勘定していた。
「まぁ、気にするな。勉強だと思って、見学してるといい。」
間違いなく。
才能だけなら、この街の誰よりも優れているのだから。
そうして、色々と不安はあるものの。
魔法使いたちによる、放射線への対策会が開始された。
◇
部屋の真ん中で、ミレイが右手を伸ばし。
その手のひらから、真っ白な木の枝のようなもの、サフラの本体が姿を見せる。
他のメンバーは、ミレイとサフラから一定の距離を保ちつつ、その様子を見つめていた。
「サフラ。ひとまずは、人体に影響が出ない程度のガスを出してくれ。」
『いいだろう。』
エドワードの声に従って。
普段は抑えている放射性ガスが、サフラの体から発せられる。
放射性ガスは、人の目では認識できないものではあるが。
「……確かに、何か出ていますね。」
「ゲロヤバじゃん。」
その場にいる魔法使いたちは、みなその変化を捉えていた。
言葉には出さないものの、カミーラとユリカも同様である。
「え、なんか出てる?」
魔法に縁のないエドワードはともかくとして。
一応は力を使えるはずのミレイと、そしてキララも、ガスの存在を認識できていなかった。
そんな彼女たちに、カミーラがアドバイスを送る。
「”目の感度”を上げてみろ。そうすれば視認できる。」
「目の感度?」
ミレイには、知らない単語である。
同様に、エドワードも首を傾げるも。
「――あっ、本当だ! モヤモヤしたのと、キラキラした線みたいのが見える!」
キララには、カミーラの助言が効いていた。
「まずは、こいつの遮断方法から考えよう。」
カミーラが、ミレイとサフラの側に近づくと。
自分と隔てるような形で、薄い魔力障壁を発生させる。
その障壁に関しては、ミレイでも視認が可能であった。
「……まぁ、見ての通り。この程度の障壁では遮断できん。」
ミレイの目には見えないが。
放射線はカミーラの魔力障壁をたやすく貫通していた。
次の段階として、カミーラは障壁にさらなる魔力を込め始める。
それに伴い、障壁の強度、密度が上昇していく。
それだけに留まらず、複数枚の障壁を同時に展開し、より強固な壁を構築し。
強烈な輝きが放たれる。
だが、それだけの障壁を展開しながらも、それを観察する魔法使いたちの反応は芳しくなく。
むしろ、”焦り”すら感じていた。
「……ふぅ。」
全ての障壁を解除し。
カミーラがミレイとサフラから距離を取る。
「今の障壁には、”多層化した鋼鉄の板”が付加してあった。そのせいで馬鹿みたいに魔力を消費したが、”あの光は問答無用で突き抜けてきた”。このエネルギーがどれだけヤバいか、理解できただろう?」
カミーラの言葉に、他の魔法使いたちは表情が暗くなる。
「ガス状の物質なら、単純に風か何かで吹き飛ばせばいいのでは?」
「ガスと放射線とやらは別だ。ガスを吹き飛ばしたところで、すでに飛散した放射線には影響がない。むしろ、被害が拡散するだけだ。」
「うぇ。魔力でも干渉できないなら、もはや防ぎようがないような。」
放射線への対処法に、魔法使いたちは頭を悩ませる。
言葉の意味の分からないミレイは、ただただ困惑するばかり。
「ねぇ、エドワード。何が問題なの?」
その場から動かずに、ミレイがエドワードに問いかける。
「……ミレイ、君は放射線の遮り方を知っているか?」
「えぇっと。分厚いコンクリートとか、金属の板で防げるって聞いたような。」
「まぁ、だいたいそれで合っている。だが、そんな物を抱えたまま、ダンジョンに潜入するのは不可能だからな。魔法の力で、防護服やバリアでも作ってもらおうと思ったが。」
「作れないの?」
「作ることは可能だ。だが、サフラの放つ放射線は、我々の知る放射線とは”根本的に性質が異なる”。あらゆる物質を貫通してしまうんだ。つまり、空気に触れようが、金属の壁にぶち当たろうが、絶対に止められない。」
「……じゃあ。今出てるこれも、止まらずみんなに当たってるってこと?」
「いや、”それも違う”。むしろ完全に通り抜けてくれるなら、そもそも防ぐ必要すらないんだ。なぜなら影響が無いからな。」
「?」
ミレイには理解が出来ない。
「他の存在”から”の干渉は受けないくせに、他の存在”への”干渉はする。つまり、一定の距離を進めば勝手に消滅するが、それまでは絶対に止まらないんだ。」
「!?」
回らない頭が、完全に機能不全を起こす。
「……まぁ、正直わたしも、未だに理解ができていない。とりあえず、放射線と表現してはいるが。厳密に言えば、これは”放射線ではない”。対抗手段の見当たらない、”異次元のエネルギー”だ。」
今の彼らに出来ることは、そのエネルギーを観測することだけ。
ただ一方的に影響を受け、こちら側からは干渉ができない。
抗いようのない、”理不尽な法則”に、脅かされているようだった。
◆
未知なる放射線への対処法を探るに当たって。
放射線を遮断するのではなく、それ以外での対処法を模索する。
その実験体として、”お餅に顔がついたような生き物”を用意し。
それにサフラの放射するエネルギーを浴びせる。
そのエネルギーが、生き物にどのような変化を与えるのかを探るために。
「……これは。”突然変異”を、促しているのでしょうか。」
「ああ。エドワードの言っていた説明では、細胞や遺伝子を破壊するという話だったが。こいつに関しては、変異を促す速度のほうが速いな。」
複数の魔法陣を展開し。
カミーラとデルタは生物の内部構造の変化に着目する。
「これでもかなり速いですけど。想定される濃度は、これの何倍ほどですか?」
「”100倍”だ。例の巨大植物の近くや、ダンジョン内部では、この100倍の速度で変異が進む。」
「……それでは、とても体が耐えられないのでは。」
「だから、こうして対処法を探してるんだよ。わたし達が辿り着こうとしている場所では、人類は”5分”も生きられないからな。」
カミーラとデルタが、実験生物に注目する中。
もう一人の魔法使いであるクレイジーフィッシュは、あくびをする”白髪の少女”に目を向ける。
「あのー、そもそもの疑問なんですけど。わたし達みたいに距離取ってないけど、そこの彼女は平気なんですか? そっちの”モチモット”みたいに、実験動物ってわけじゃないですよね?」
放射性ガスを放つサフラ。
それに近いというより、くっついている”ミレイ”のことが、不思議でたまらなかった。
「……あ、そうだ。わたしだけ浴びてるじゃん。」
指摘されて、ようやくミレイは気づく。
「ミレイに関しては問題ない。このエネルギーを物ともしない、”強力な変異要素”がすでに体内にあるからな。」
エドワードが、ミレイの特異性を説明する。
「じゃあ、その変異要素っていうのを、他の人間にも投与しちゃえば。」
「考えなかったわけではない。すでに別のモチモットを使い、ミレイの細胞を移植する実験を行った。」
「えっ?」
知らないうちに、そんな実験が平然と行われていた事実に、ミレイは唖然とする。
「で、その結果は?」
「移植した瞬間、体が”真っ黒に染まり”、破裂した。」
「……ゲロヤバっすね。」
得体の知れないエネルギーと、その大元である異世界の植物。
それにも負けない”怪人”としての力が、ミレイの体内には渦巻いていた。
◆◇
「現状、このエネルギーに晒されても平気なのは、ミレイともう一人、”フェイト”という少女だけだ。だがこの2人だけでは、今回の問題を解決できないだろう。少なくとも、門を閉じる能力を持つユリカと、他数名の戦闘要員を送る必要がある。」
エドワードが、”目標とするライン”を他の皆に告げた。
「……あの、その件なんですけど。」
ユリカが手を上げる。
「”何かあったら”。最悪、わたしが辿り着けない可能性もあるので。他の人でも使えるように、御札は改良するつもりです。」
「ああ、すまないな。」
何かあったら、とは。
つまるところ、”途中で力尽きた場合”の話である。
「変異を抑制する魔法を、常にかけ続ければ。」
「あー、多少の延命措置にはなるかも。」
2人の魔法使い、デルタとクレイジーフィッシュは、空中に様々な魔法陣や文字を浮かべ、共同で魔法の構築を行い。
ユリカは何枚もの御札を広げて、真剣な顔で文字を刻む。
エドワードとカミーラは、深刻そうに話し合っていた。
この対策会を始めた時。
強大な敵を前にして、一致団結して頑張ろうという雰囲気に包まれていた。
どれだけ危険な存在、危険な物質、危険な現象が相手でも。
魔法使いや科学者が集まれば、必ず対処法が見つかるはず。
そう、思っていた。
だが、知れば知るほど、考えれば考えるほど。
自分たちが克服しようとしている存在の”理不尽さ”が、浮き彫りになってくる。
”大自然の前では、人はみな無力である”。
そんな言葉が、脳裏をよぎった。
「門を閉じる役目は、ミレイとフェイトに任せて。後は何人かで、”死ぬ覚悟”で援護するしかないか。」
「意外だな。お前ならてっきり、ミレイには逃げてほしいのかと思っていたよ。」
「……思っているさ。だがあの子は、決して逃げないだろう。」
「……まぁ、だろうな。」
いつしか、彼らの論点は目標から下がり。
放射線をどのように無力化するのではなく。
どれだけの犠牲を払えば、異界の門を閉じられるのかという話に変わっていた。
そんな状況の中。
サフラを引っ込めたミレイは、周囲の様子を静かに見つめる。
『どうした?』
「……なんかちょっと、怖くて。」
体内のサフラに、胸の内を吐露する。
『そうだな。彼らの話を聞いていると、君が重要な役割を担う必要がありそうだ。』
「……ううん、”そうじゃない”。そうじゃないんだよ。」
恐ろしい敵と戦うこと。
恐怖に立ち向かうことは、別に怖くない。
この世界に来て、フェンリルを召喚した”あの瞬間”。
キララを助けたいと思った時から、すでに覚悟は決まっていた。
だからこそ。
この街の防衛にも迷わず手を貸したし、黒き竜や怪人にも立ち向かうことが出来た。
だが、それでも。
「――なんでみんな。当然のように”命を賭ける”とか、”自分が死んでも大丈夫”とか、そんなこと考えられるんだろう。」
自分とは違う、他のみんなの”価値観”が。
とても恐ろしくて。
とても、”悲しかった”。
◇
他の魔法使いたちが、放射線への対策を諦める中。
”ただ1人”、その少女は思考を続ける。
普段の、ゆるふわとした雰囲気は鳴りを潜め、とても真剣な眼差しで。
他の誰とも違う”解決法”を、キララは考えていた。