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王都捕物帖  作者: 虹の箸
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愛(狂気)こそ全て

帝都の地下深層、ヴォルガの玉座の間。

そこはもはや現実ではなく、地獄のふちだった。通常の物理攻撃は全く無効で、エレオノーラはすでに虫の息となり倒れ伏していた。リュカは唯一有効な禁術を使って立ち向かうが、激しい戦闘の末、無数の呪具に貫かれ、玉座の前に膝をついていた。禁術の代償である黒い結晶が全身を浸食し、彼の瞳の光が消えかけている。

「……ここまでだ、撃滅隊の首領。貴様の『日常』は、この混沌で終わりを迎える」

ヴォルガが哄笑し、帝都全土を消し去るための禁忌の儀式を完成させた瞬間、崩れ落ちていたエレオノーラが咆哮とともに立ち上がった。

以前リュカと交わした約束、誓い《全てを滅し私も消えよう》が発動し、神の領域にふれる『全てを無に帰す』《崩壊の権能》に届く。その身から天を焦がすほどの漆黒の炎が噴き出した。

「許さない……よくもリュカを」彼女が大剣を一振りすると、空間が溶け、ヴォルガの配下も、強大な魔力も、全てが灰へと還元される。帝都の地下が、そして地上の一部までもが焦土と化した。

すべてを焼き尽くし、静寂が訪れ、炎が消え去った後、そこには変わり果てた光景が広がっていた。

リュカの身体は、異形の結晶に侵食されたまま、冷たい石床に横たわっている。心臓の鼓動は止まり、彼が常に漂わせていた、あの優雅で艶やかな気配も消え失せていた。

「ああ、ああ」

エレオノーラが、泥と血に汚れた手で狂ったようにリュカの胸元にすがりつく。彼女の瞳からは、先ほどまでの激昂の炎は消え、代わりに底なしの虚無と、張り裂けんばかりの喪失感が溢れ出していた。

愛した人の、冷たくなった肌。いつもなら軽口で返してくるはずの唇が、今はただ硬く閉じられている。

「貴方がいない帝都なんて……。私が守るべき日常なんて、貴方のいない世界には、どこにもないのよ」

彼女の表情から「戦乙女」としての誇りは消え去り、ただ一人の孤独な少女に戻っていた。ハイライトの消えた瞳から、大粒の涙がリュカの胸元へと滴り落ちる。

彼女は震える指先で、リュカの頬をそっと撫でた。

「お願い、目を開けて。……私のわがままを聞いてくれるんでしょう? 今までずっと、私の剣の相手をしてくれたじゃない」

彼女の声は掠れ、ひどく不安定だった。

かつて貴族の娘として育てられた彼女が、泥中のリュカを拾い上げたあの日から、彼女の人生のすべては彼を中心に回っていた。彼が自分をどう思っていようと、そんなことは二の次だった。ただ彼が隣にいて、あの切長の目で自分を見てくれれば、それでよかった。

「愛しているわ、リュカ。……誰にも渡さない。。たとえ死神に魂を奪われたとしても、貴方を引き留めて、私だけのものに」

それは狂おしいほどの求愛だった。

彼女はリュカの胸に顔を埋め、彼の心臓があった場所へ、自身の額を押し付ける。

「ねえ、聞こえてる? 貴方が死ぬなら、私もここで死ぬわ。……いいえ、死なせない。たとえ魂がどこへ行こうと、私が引きずり戻して、一生私の傍から離さないように縛り付けてあげる」

その言葉には、重く、深く、執着に満ちた愛が込められていた。彼女の曇った瞳は、もはや未来を見ていない。ただ、目の前の亡骸を永遠に閉じ込めたいという、救いようのない願いに支配されていた。

彼女の滴り落ちた涙が、リュカの胸元で輝く銀貨に触れ、かすかに震えた。

と…

パチ、パチ、パチ……。

影から現れたジンの、そろばんを弾く音が静寂を割る。

エレオノーラは顔を上げ、ハイライトの消えた目でジンを見上げた。リュカと死地に赴いたくせにいつのまにか消えていた男に、彼女の「崩壊の権能」が、怒りとともに渦巻いていた。

「ジン。……貴方何をしていた?」

ジンはその質問には答えず、

「お嬢様、まだ『会計』は終わっておりませんよ」

ジンは冷徹な顔で、エレオノーラを覗き込む。あなたには『その力がある』

その瞬間、エレオノーラの「崩壊の権能」の能力の一つ『愛こそ全て』《Love is all there is》が発動した。漆黒の炎がリュカを包みこむ。

だが、それは彼女が望んだ「かつてのリュカ」に戻るための光ではなかった。彼女の父の遺産、悪しき力の源泉でもあり、終着点でもある。浮かび上がる顕在化した禍々しい卵が不気味に脈動を始め、リュカの心臓に沈み込んで行く。

「……私の愛が、彼を呼び戻したのね」

エレオノーラはリュカが目覚めようとしていることに気づき、愛おしげに、そして歪んだ幸福感に浸りながら、彼の額に口づけを落とした。

その姿は、まるで眠れる魔王を慈しむ聖女のようであり、同時にすべてを滅ぼす破滅の共犯者のようでもあった。そしてエレオノーラは血の海に倒れ伏すリュカの横で、安らかな顔で人形のように崩れ落ちた。


さてと…と、乾いた音が響く。

パチ、パチ、パチ……。

倒れ込んだエレオノーラを一瞥し、ジンは、背負っていた巨大なそろばんを床に突き立てた。彼の顔はいつもの冷淡な会計官の顔で

「……さて。これより、『魂の等価交換』《地獄の沙汰も金次第》を開始します」

ジンが指を弾くと、帝都中の富、欲望、そして彼らがこれまで守ってきた市民の感謝の念までもが、魔力へと変換されていく。

「リュカ隊長の命、帝都の復興費用、そしこれからの未来……。その全ての代償を支払う!釣りはいらねえ!」

凄まじい黄金の光がリュカを包み込み、黒い影に包まれ、何かに変じようとする彼の肉体を強制的に繋ぎ止める。リュカがゆっくりと瞼を開く。

「……ああ。……随分と、騒がしい夢を見ていたな」

リュカは立ち上がると、そっとエレオノーラを抱き上げた。

ジンは膝をつき、深く頭を下げる。

「お目覚めですね。隊長」

リュカはエレオノーラの顔をなぜると曇り切った瞳を開けてリュカを見上げた。涙がとめどなく流れていく。リュカは笑みを浮かべる。


「安心しろ、エレオノーラ。俺はどこへも行かない。……ただ、俺たちが守りたかった『日常』を守り切っただけだ」

帝都は救われた。だが、外法を重ねて蘇った、そこに立つ男の命の時計の針は確実に終焉に向かっていた。


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