三
大学の図書館では何故か新聞記事の閲覧は書庫でしか出来ず、その書庫に入ることが出来るのは教員と院生、後は図書館がひっそりと行っている年一回のオリエンテーションに参加した者だけだった。その事実を新入生だった私は知る由もなく、会長は会長でオリエンテーションに出ていなかった為、調査の基点は地域の図書館となった。
すっかり顔なじみになった司書の人に軽く会釈をしながら、閲覧室と新聞の保管庫を行き来する日が続いたのは、調査対象が子どもに纏わる事件・事故だけではなくなった為である。それ故に私たちは十数年前の新聞と最近の新聞を一部ずつ運んで来ては目を皿にして眺めることになった。
「集団幻覚の事例報告についての記事はそろそろ見つかったかしら?」
「いえ、全然です。そもそもなんでそんなことを調べないといけないんですか」
「今回に限らず、幽霊が出てくる話の大半は幻覚が原因のことが多いの。特にこの辺りは移ろい雪伝説なんて話があるくらいだから、他の地域に比べて幻覚が生じやすい可能性があるのかもしれない。まあ、それはそれでオカルトになるけどね」
「ということは、会長は子どもの幽霊の話や移ろい雪伝説を集団幻覚によるものだと考えているんですか?」
「子どもの幽霊についてはパターンが多過ぎるから一概には言えないけど。でも、降り積もった雪が一夜にして消えるだけでも荒唐無稽な話なのに、それが翌日には元通りになっているなんてあり得ないにも程があるわ。まして消えた時のその雪が春に一夜だけ姿を現すなんてね。移ろい雪伝説に限っては幻覚によるものだと考えるのが妥当よ」
「まあ、確かにそうですけど。でも、それじゃ何だか夢が無いですよね」
「現実なんてそんなものでしょう。さあ、口ばかり動かしてないで手を動かしなさい」
全く不思議なもので、普段は何をするにしても怠けている印象の会長だが、一度関心を抱いた物事に対しては人並み以上の行動力と集中力を発揮した。今回もその例に漏れず、会長は閲覧室の一角を数年分の全国紙と地方紙、そして郷土史の陳列棚から持ってきたであろう分厚く古ぼけた本で埋め尽くしてしまっていた。
「いつも思うんですけど、それだけの量をどうやって読むんですか?」
「必要なところだけを読めば良いだけよ。経済面やスポーツ面を読んだって仕方ないでしょう?」
確かに会長の言う通りだったが、それにしても凄まじい読破量である。地方紙の三年分しか担当していないのに悪戦苦闘している自分がすっかり情けなくなってしまって、私は思わず天を仰いだ。
「まあ、根を詰め過ぎても仕方ないから、そろそろお開きにしましょう」
「いえ、もう少し頑張ります」
「そう。なら気分転換にこれを読んでみたら?」
差し出された本は地元の怖い話や不思議な話を集めた蒐集本だったが、コンビニの書籍棚でよく見かけるような代物だった。
「この本は表紙の絵こそ低俗で陳腐だけれど、中身はしっかりしている感じだから読み応えはあると思うわよ。まあ、パラパラとページをめくっただけだから実際のクオリティはどうか知らないけど」
しかし会長の言葉とは裏腹によく話が纏められた本だった。読み進めていく中で気付いたのは、この大学近辺には怪談が非常に多いということである。その大半はオカルト関係のものを取り扱った掲示板ですら取り上げられないような些末なものばかりだったが、裏を返せばほとんどの人がいるはずのないものを見かけたり、聞こえるはずのないものを聞いたりしているのである。その事実を会長に話すと、いかにも彼女らしい無頓着な表情で「それで?」と答えが返ってくるのみで、後は手元の新聞記事を眺めるのみだった。
代わり映えすることの無い時間が急激に動き始めたのは、後を絶えず追いかけてくる登山者の幽霊にまつわる話を読んでいる頃だった。黙々と手元の紙面を読み進めていた会長が驚きの声を上げたのである。
「どうしたんですか?」
「ああ、いや、ちょっとね」
「何か見つかったんですか?」
どことなく歯切れの悪い会長の手元の紙面を覗くと、そこには十年前の、被害者の名前も出ないほどの小さな記事が掲載されていた。子どもが飛び出したことで起きた不幸な事故の内容が大きな紙面の片隅に簡単に纏められていた。
「十年前ですか?それだったら二つの時期には当てはまりませんよ」
「まあ、そうなんだけどね」
「あ、でも、この事故の現場に見覚えありませんか?ここって確か海側の方ですよね。海側には何度か遊びに行ったことはありますけど、あの辺りはまだ詳しくは分からないんですよね」
「見覚えって……。何かと勘違いしているんじゃなくて?」
「いえ、この場所の情報をどこかで見たんですよね……。あ、これですよ」
私は傍らに置いていたハンドバッグから名刺入れを取り出すと、そこから一枚を抜き取って会長に見せた。それは以前、遥さんからもらった名刺だった。
「ほら、やっぱり。ここに書いてある住所を見てください。事故があった場所とは目と鼻の先と言ってもいいくらいの距離ですよ」
「ああ、本当ね。気付かなかったわ」
「でも、遥さんはどうしてこの話を教えてくれなかったんですかね?調べてって言うなら、それに関連してそうな話くらい教えて欲しいですよ」
「ただ単に知らなかっただけかもしれないでしょう。十年前だったらもう卒業してたでしょうし。まあ、仮に知っていたとしても実際にそこで人が亡くなっているわけだから、いくらオカルト調査を頼んだからって軽々しく口には出来ないわよ。まして亡くなったのが子どもなら尚更ね」
しかし、会長は何処か浮かない表情だった。唇を噛みながら眉を寄せて名刺と記事の両方を見比べながら何かを考えていた。
「今のところ、子どもに纏わる事件・事故について触れた記事はこれだけだから、この事故を起点として今後は調査をしていきましょう。早速だけど、今度の土曜日は空いているかしら?」
「一時限目があるだけで、それ以降は空いていますよ」
「なら十一時に正門前で待ち合わせましょう。実際に現地にも足を運びたいから、自転車を忘れずにね」