冒険者ギルド
翌朝、工房に着くと、ヘルマンは飛空船の腹に潜り込んでいた。
レナが声をかけると、油まみれの腕がぬっと出てきて、紙片を一枚差し出した。
「悪いが手を離せない、先に冒険者ギルドに行ってきてくれ。これ、紹介状」
「え、ヘルマンさんは……」
「俺は船だ。今日中に翼を乗っける」
「あの、一人で行くのは少し」
「親方が現場離れるとな、他の連中が休めなくなんだよ」
ヘルマンの声には冗談の響きがなかった。レナが船の方を見ると、五人ほどの職人が黙々と作業していた。誰一人、休憩を取っていなかった。たぶん、本当に取れないのだ、とレナは理解した。
「工場長が休憩を取らないゴーレムみたいな職人なんだ。だから俺が号令をかけないと、誰も先に休まねえ。だから俺は離れられねえ」
「……はい」
「ギルマスにこれ見せろ。話、通してある」
紙片には、ヘルマンの汚れた指紋つきで、たった三行ほどの走り書きがあった。レナはそれを大事にカバンに収めた。
「あ、そうだ。フェネクは置いていけ。昨日の今日修理したばかりだからな、合間に調子を見といてやる」
「あ、はい。エアコンの分解はいつしますか?」
「今夜だ」
そう言って、ヘルマンの腕は再び船の腹に消えた。
***
冒険者ギルドは、迷宮の入口区画に建っていた。
トンネルをくぐり抜けると、空が一段と暗かった。電線の天蓋がここでは三層になっており、層と層の隙間から、昼でもネオンの光が漏れていた。橙、緑、紫。電線の影が、ネオンの色で塗り分けられて路面に落ちている。
ギルドの建物は、外観だけ立派だった。古い石造りの正面玄関、上に金文字で「冒険者組合 第七支部」。しかし扉を開けた瞬間に、レナはぴたりと足を止めた。
中は、ナイトクラブだった。
いや、ナイトクラブのように見えた。
天井から吊られた魔石ネオンが、深い赤と紫を交互に明滅させていた。受付カウンターの真上に強いスポットライトが落ちていて、座っている女性受付係の顔に、ちょうど鼻から下にだけ影が落ちている。表情がわからない。声をかけるのも躊躇われるほど、影が深かった。
カウンターの右手に、ガラス張りの検査場が見えた。そこだけ普通の作業灯が点いていて、ナイトクラブの中で一画だけ事務所が嵌め込まれているような、奇妙な違和感があった。冒険者が一人、装備を全部広げて、検査員が黄色いシールを次々と貼っていく。
そして待合のベンチには——
レナは、息を呑んだ。
入口入ってすぐの椅子に、半身が機械化された男が座っていた。右腕、右脚、そして首筋から顎にかけて、鈍く光る金属に置き換わっている。膝の上に、レナの背丈ほどある剣。男はゆっくりと顔を上げ、レナをぎろりと見た。
「……ひっ」
声にならない悲鳴が、喉の奥でひゅっと潰れた。
男は、それ以上何もしなかった。ただ視線を戻し、煙草を吸い続けた。
レナは震えながら受付に向かった。すれ違う冒険者たちは、誰も彼もが日付入りの黄色いシールを装備に貼り付けていた。剣の鞘に、鎧の継ぎ目に、ベルトのバックルに。
冒険者が自分の装備にこの黄色いシールを貼るのには、理由があった。
ダンジョンに落ちているアイテムと見分けるためだ。
これらのアイテムは、法律上、その土地の所有者のものなのだ。
この土地は、もともと王国のものだったので、冒険者たちが拾ってきたアイテムは、すべて国王に返上しなければならない。
冒険者たちは、その謝礼をもらうことができる事になっている。
しかし迷宮の周辺は、あまりにも危険な土地なので、役所では管理しきれない。冒険者ギルドがまとめて管理を任され、実質的な領主のようになっていた。
そういう訳で、冒険者たちがダンジョンから引き揚げてくるアイテムは、冒険者ギルドがここですべて預かる。そして冒険者たちの元々の持ち物を見分けるために、帳簿に登録済みである証の黄色い管理シールを貼っているのだ。
一年分、二年分、それ以上の積み重ね。古いシールの上に新しいシールが重ね貼りされて、武器の本来の色が半分見えなくなっている冒険者もいた。
経歴が、見えていた。装備が黄色ければ黄色いほど、その人は深く、長く、迷宮に潜ってきている。
レナの綺麗な革靴は、この場所でひどく場違いだった。
***
受付の女性は、影の中で紹介状を一瞥し、「あちらへどうぞ」と怖すぎるビジュアルにそぐわない綺麗な声で奥を指した。階段だった。
階段は螺旋状に上に伸びており、上りながら下の待合を見下ろせる構造だった。レナは一段ずつ上りながら、自分の靴音が、思ったより響くことに気づいた。下の冒険者たちが、何人か、ちらりと見上げた。それから興味なさそうに視線を戻した。
二階の廊下の一番奥に、重そうな木製の扉。ノックしようとして手を上げたところで、中から声がした。
「入れ」
びりびりと痺れるような、低い、よく通る声だった。
レナは思い切って扉を押した。
執務室は、思ったより明るかった。窓——本物のガラス窓。電線の向こうにわずかに見える空——から自然光が差し込み、机の上に置かれた書類を照らしていた。
机の向こうに座っているのは、長身の中年男性だった。短く刈った白髪混じりの髪、左目から頬にかけて古い切り傷、そして左腕——肩から先がすべて、鈍い銀色の機械義肢に置き換わっていた。
男は片手で書類を捲っていた。義肢の方の手で。指の関節がカチ、と微かに鳴った。
「ヘルマンの紹介で来た嬢ちゃんか」
「は、はい。レナ・カーシュタインと申します」
「座れ」
レナは机の前の椅子に腰を下ろした。膝の上で、自分の指が震えているのに気づいて、もう片方の手で押さえた。
男はじっと書類を読み終えてから、ゆっくりと顔を上げた。視線が、レナの顔に真っ直ぐ刺さった。
「ほう? では我々の卸した素材に、不備があったと言いたいのか?」
声に、ほんの少しだけ、鋭い棘があった。
「ひぃぃぃ——いえ、あの、そうではなくて——」
「冗談だ」
男は、笑いもせずに言った。レナの背中に、汗が一筋流れた。
「まあ、もし品質管理に不備があったのなら、我々としては大問題だがな。詳しく聞かせろ」
レナはたどたどしく説明した。リコールに発展したエアコンの一件、基盤焼損の事実、原因究明のための来訪、ヘルマンの工房での部品調査。男は途中で口を挟まず、義肢の指でゆっくりと机を叩きながら聞いていた。カチ、カチ、カチ。
聞き終えてから、男は深く椅子に背を預けた。
そして、しばらく沈黙が落ちた。
男は無言で左の袖を捲った。義肢が、肩の付け根まで露わになった。継ぎ目に、職人の刻印らしきものが見えた。レナの目には読めなかったが、何かの符牒だった。
「こいつはもう、二十年動いている」
「……二十年」
「俺が素材を卸して、あいつが作ったもんだ」
男は袖を戻した。
「魔工機の寿命は、せいぜい五年と言われている。だがあいつは石の声を聞き、その四倍の寿命を持たせることができる。あいつの仕事に、不具合があるとは思えん」
一瞬、男の目から鋭さが消えた。何かを思い出している顔だった。レナはその顔を見て、聞いてはいけないことがあるのだ、と直感した。
二十年前に、何かあったのだ、この二人の間に。
男は咳払いをして、机に向き直った。
「うちのロットに異常はない。出庫前の鑑定スキル検査を毎日やってる。仮にも王国から委託を受けている身だ、そこは徹底している」
「はい」
「ただ、思い当たる節はある」
男は引き出しから一枚の紙を取り出した。
「コンデンサだ」
「コンデンサ、ですか」
「以前にも似た話があった。中古を再封して新品と称して卸していた業者がいた。ヘルマンによると、容量が抜けたコンデンサは、流す電気の波形を歪める。その歪んだ波形が、コイルを焼くそうだ」
レナの背筋が、ぴくりと反応した。
歪んだ波形——『高調波』のことだ。
電気には、波がある。
なぜなら王国の魔力発電システムは、魔力のエネルギーを利用して巨大なタービンを回転させ、発電しているからだ。
E2Mに対して、M2Eと呼ばれる、魔法産業革命を起こした第二の魔工機。
その電圧は一定ではなく、上下を繰り返しており、一秒間に60回という規則的な波を生じている。
それはこのタービンの回転周期と同じだった。
だが、E2Mを接続すると、その規則的な波が、歪むことが知られている。『高調波』と呼ばれていた。
「業者は摘発された。だが、また別の業者が同じことをやっていない、とは言い切れん」
男は紙をレナに差し出した。コンデンサ供給業者のリストだった。
「うちと取引があるのは、そのあたりだ。お前のとこのエアコン工場に納めてる業者と突き合わせてみろ」
「ありがとうございます」
「礼はいい。あいつの工房に難癖つけられるのは、こっちも気分が悪い」
男は最後にもう一度、レナの顔を見た。
「気をつけて行け、嬢ちゃん。お前さん、迷宮都市は初めてだろう」
「……はい」
「街には街のリズムがある。無理するな」
レナは深く頭を下げて、執務室を出た。
***
工房に戻ると、外はもう暗くなりかけていた。
飛空船の翼は、ちゃんと取り付けられていた。ヘルマンは作業着の汚れもそのままに、レナを見て一言、
「飯食ったか」
「えっ」
「飯。食ったかって聞いてんだ」
「……いえ、まだ」
「飯ぐらいちゃんと食え」
ヘルマンは、図星を指された顔のレナを見て、ふん、と鼻を鳴らした。
「おい、誰か嬢ちゃんに何か食わせろ。煮込みでも何でもいい。あとパン」
奥から若い見習いが「あいよ」と返事をした。
「あの、そんな、お気遣いなく」
「気遣いじゃねえ。お前、倒れる気か。倒れられたら俺の仕事が増えるんだよ」
レナは何も言えなかった。フェネクが横で、装甲をかすかに点滅させた。たぶん笑っているのだと、レナは思った。
食事の後、作業台の上に、リコール対象のエアコン室外機が六台並んでいた。レナがサンプルとして持ち込んだもの。三台は、コイルが焼き切れている個体。もう三台は、焼き切れる前の個体だった。
ヘルマンは黙々と分解していった。
レナはギルマスの話を伝えた。コンデンサ業者の件。
ヘルマンは頷いて、自分の工房に納めている業者の伝票を引っ張り出してきた。コンデンサに記されている型番と突き合わせると——一致している業者があった。
どうやら、レナの会社のエアコン工場と、ヘルマンの工房と、両方にコンデンサを納めているらしい。
「これだな」
「明日、問い合わせます」
「……ふぅん」
ヘルマンは、しかしどこか釈然としない顔をしていた。
「このコンデンサが原因なら、なんでうちで作った完成品で焼損が起きないんだ」
「え」
「これ使って、うちの工房から組んで出した冷凍庫、揚水ポンプ、空調、どれもリコール出てねぇ。なんでおたくで作ったエアコンにだけ、こんなに不良品が集中してるんだ」
レナは、それも不思議な話だ、と思った。
リコールが出ているのは、王都のエアコン工場で組み立てられた完成品だけ。
ヘルマンの工房で組み立てられたものに関しては、問題を起こしていない。同じコンデンサ業者から仕入れているのに、なぜ。
「フェネク、波形を調べてみて」
『了解しました、レナ』
フェネクは稼働させたエアコンに、それぞれ指先を当てていた。
背中のモニターに電流の波形が映し出されている。
波形は、確かに歪んでいた。
鋸歯状の汚い波形。
「たぶん、こいつが火を起こした犯人だな」
「分かるんです?」
「分かる。おい、フェネク、これも見てみろ」
そしてヘルマンは、自分の工房から出荷した冷凍庫の完成品サンプルにも当てた。
波形は、ずっと綺麗だった。
高調波が、明らかに少なかった。
レナは画面を覗き込んで、眉を寄せた。
「……同じ部品を使っているのに、なんで」
「だよなぁ」
ヘルマンも本気で首を傾げていた。レナの視界の隅で、フェネクが大人しく座っていた。後頭部のアンテナに、太い銅電線がぐるぐると巻きつけられたまま。
レナはそれをぼんやりと眺めた。
何かが、頭の片隅で引っかかった。
でも、それが何なのか、はっきりしなかった。
「あ……あれ……?」
ふと、視界がぐにゃり、と揺れた。
一瞬、机の輪郭が二重に見えて、すぐに戻った。レナは目を擦った。
「どうした」
「いえ、なんでもないです。少し、疲れたみたい」
「宿、どこだ」
「駅前の——」
「送らせる。フェネクと一緒に帰れ。今夜はもう寝ろ」
レナは頷いた。
立ち上がった時、世界がぐらりと揺れた気がした。
変だな、と思った。
でもこのぐらい大丈夫、まだやれる、と自分に言い聞かせていた。




