退院
ギルド本部の執務室。
ギルマスが義肢の指で机をカチカチと叩いていた。窓の外では、雪がまだ降り続けている。執務室の暖炉が、薪の音を立てて燃えていた。
扉が開いた。
ヨナスが、報告書を机に置いた。
「発見できず、だ」
ギルマスは、しばらく報告書を見ていた。表紙だけ目を通して、それからぽつりと言った。
「……お疲れだった」
「ああ」
ギルマスは、報告書を引き出しにしまった。それから、ヨナスに視線を戻した。
「ヘルマンには」
「今夜は、関係ない、話だ」
「そうだったな」
ヨナスは頷いた。それから、革のコートの肩の雪を軽く払った。
「お前のところには、明日、国営電力会社から、抗議が来るかもしれん」と、ヨナス。
「だろうな」
「どうする」
「いつも通り、だ」
「……『発見できなければ、しょうがない』、か」
「そうだ」
ヨナスは、軽く息を吐いた。それから、もう一度ギルマスの方を見た。
「ライナーが、今夜、来てたな」
「ああ」
「あいつ、最近、調子は」
「義眼の調整に、月一で、ヘルマンのところに、通っている」
「……ふぅん」
「お前と、同じだ。長い付き合いだ」
ヨナスは、それ以上は何も言わずに、執務室を出た。扉がぱたりと閉まった。
ギルマスは、しばらく義肢の指で、机をカチカチと叩いた。それから、ぽつりと独り言をこぼした。
「……二十年か」
執務室の中には、暖炉の薪が、ぱち、と、爆ぜる音と、机の上の時計の、規則的な秒針の音だけが聞こえていた。
***
翌朝。
レナは、いつものようにフレークの保存容器と、温めた山羊乳の水筒を抱えて、宿を出た。
雪はもう降っていない。けれど、昨夜までの雪が、街全体に白く積もっている。電線天蓋の薄紫光が、朝の光に薄く溶けていく。
傷病兵舎の廊下を、レナはいつもの足取りで、歩いた。配膳室で麦雪を皿に盛り、山羊乳を回しかけ、湯気の立つそれを、両手でミユンの病室まで運ぶ。
扉をノックした。
「ミユンさん、おはようございます」
「どうぞ」
扉を開けた。
レナは、皿を持ったまま、しばらく入口で止まった。
ミユンは、もう長旅の支度を終えていた。革のジャケットを羽織り、長い杖を傍らに立てかけ、革の弓のケースを肩に掛けている。それから、大きめの背負い袋がベッドの脇に、置いてあった。
「ミユンさん」
「おはよう、レナ」
「もしかして、もう、行かれるんですか」
ミユンは、ふふ、と、笑った。
「ええ。いいデータが、取れたから、いちど、大学に、戻るわ」
レナは、皿を机に置きながら、軽く首を傾げた。
「……お早いんですね」
「そうね。研究者は、ひらめいたら、すぐ、動かないと」
レナは、フレークの保存容器を、もう一つ鞄から取り出して、ミユンに手渡した。
「旅の途中で、召し上がってください」
「ありがとう」
ミユンは、容器を背負い袋にしまった。それから、ふとレナの方を見た。
「レナ」
「はい」
「あなたの、ご研究、面白かったわ」
「……ご研究?」
「麦の、雪」
「ああ」
「大学で、広めても、いいかしら」
「もちろん、です」
「ありがとう」
ミユンはもう一度、軽く笑った。
「また、来るわ。きっと、すぐ」
「お待ちしてます」
ミユンは、レナの肩を軽く、ぽん、と叩いて、病室を出た。長い金髪が廊下の角を曲がって、見えなくなった。
レナは、空になったミユンのベッドを、しばらく見ていた。
シーツはすでに剥がされて、たたまれていた。枕は整えられている。机の上に、ミユンが置いていった小さな書き置きが、一枚あった。
レナは、書き置きを取り上げて読んだ。
////
美味しかったわ。
ありがとう。
////
それだけ。
(……昨日、何が、あったんだろう)
(……「いいデータが、取れた」)
レナは、自分のノートを、開いた。一行、書いた。
『ミユンさん、帰る』
外では、雪がまたちらちらと降り始めていた。電線天蓋の薄紫の光が、朝の光に溶けていく。
ノートを閉じて、レナは傷病兵舎を出た。何があったかは、知らないまま。
***
工房に戻ると、ヘルマンがいつもの作業台でコイルを巻いていた。バルトは定位置。プラントは片隅で、ごー、と回り続けている。
「親方、ただいま戻りました」
「おう」
レナは、書類鞄を下ろして、量産プラントの点検を始めた。
「ダイナモンキーの討伐、中止になったそうです」
「だろうな」
「親方……なにか知ってます?」
「いいや……ただ」
「ただ?」
「ギルマスが、あいつだからな。あいつはこの町で一番信頼のできる男だ」
ヘルマンはコイルを巻く手を止めなかった。レナも何も聞かなかった。
工房の中の何もかもが、いつも通りだった。
外では、雪が降り続けていた。
***
それから、約一ヶ月後。
王都、国営電力会社本部の、ある会議室。
窓の外には、整然と並ぶ無電線化された街並み。電線のない空が冬を青く染め上げている。
会議卓には、決裁書類が一枚。
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【国営電力会社 第十七管区 緊急対策本部 設置通達】
【一、設置の根拠】近時、第十七管区(迷宮都市送電拠点)において、モンスターによる盗電現象および冠雪害による送電損失が頻発し、王都向け送電系統の安定運用に支障を来している。
【二、対策本部の権限】本対策本部は、当該管区における送電インフラの再整備に関する一切の権限を、本社の名において行使する。
【三、対策本部長の指名】対策本部長には、転移塔事業部 カーシュタイン本部長を充てる。
【四、派遣期間】 8061年 1月12日より、対策本部解散までの間。
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決裁印が三つ押されている。
このページが、めくられる。
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迷宮都市、送電拠点のオフィス。
電線天蓋の下、無骨な石造りの建屋。
中は机が並び、書類が積まれ、配電盤の音が低く唸っている。
朝、各所長の朝礼。
「ついに国が動くらしい」
「中央から技術者が来るとさ」
「転移塔送電を実現して、王都のインフラを完全地中化したあの男だ」
「カーシュタイン本部長……名前だけは、聞いたことがある」
ざわめき。歓迎と、警戒と、ほんの少しの誇り。
自分たちの管区が、ついに本社の本気の対象になった、という複雑な感情。
書類の束が、配られる。
【対策本部 立ち上げ準備資料】
表紙には、迷宮都市の送電網略図と、王都との接続関係図が示されていた。
電線天蓋の下を縫って走る、無数の送電ライン。
そのうちの何割かに、赤い線が引かれている。
『撤去候補ライン』と書かれている。
所長の一人が、つぶやく。
「……信じられん、この街の電線を全部消す気か」
別の所長が、首を振る。
「いや、我々に手が出せるのは、自社設備だけだ。地元の電線は別系統になるはずだが……恐らく、あの男は、本気だ」
書類の地図を見る限り、迷宮都市の主要な送電ラインのほぼ全てが、赤い線で消えていた。




