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電線ジャングル迷宮都市の電線はなくならない  作者: 桜山うす(J.I.A)
電線ジャングル迷宮都市の冒険者たち
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10/51

屋台

 調理器具一式と、引き換えに薄くなった財布を抱えて、レナはフェネクを連れて、再び街に出た。今度は、食材を買う。


 向かったのは、屋外の食品市場だった。


 入口に立った瞬間、レナの鼻が、ぴくっと反応した。


 ジャンク市で経験した、スライム臭、油の焦げ、甘ったるい腐果の三層臭気。それに加えて、市場ではさらに、生肉の血臭、内臓の発酵臭、よく分からない香辛料の煙が乗ってくる。


「フェネク」


『はい、レナ』


「これ、全部、食べ物?」


『分類上、食用に供されるものです』


「『分類上』って、含みのある言い方ね……」


 最初の一軒は、肉屋だった。台の上に、見たことのない大きさの赤紫の肉のブロックが、デンと置かれている。値札に「キボイラー もも肉 三百ガル/百グラム」とある。


 レナは、二歩、後ろに下がった。


「これ、足、四本のあれよね」


『キマイラは伝統的に、頭三・足六で描写されますが、王国産の個体キボイラーは四足歩行型が主流です』


「フェネク、その情報、私が必要としてるか、よく考えて」


『失礼しました』


 二軒目は、よく分からなかった。水槽の中で、青く発光する細長い何かが、ぐにゃりと泳いでいた。


「……これ、ライン蛭」


『ライン蛭です』


「電線の中にいるやつ」


『電線の中にいるやつです』


「これ、食べるの?」


『燻製にすると、皮が厚くて噛みごたえがある、と地元民には人気です』


「フェネク」


『はい』


「ノー」


『了解しました』


 三軒目は、野菜だった。葉物の青菜が、しなびて茶色くなりかけている。値札を見ると、王都の三倍の値段だった。


「これ、いつ入荷したやつ……」


『店主に確認しますか』


「……いや、いい。知らない方が、幸せ」


 四軒目に向かおうとした時、レナの足元を、白い装甲のフェネクと並ぶように、もう一体、似たようなサイズの何かが通り過ぎた。


 レナの目の高さで、視界の端に、ぴ、と、黄色い光が点滅した。


「ふぁっ!?」


 レナは飛び上がった。


 通り過ぎたのは、ダイナモンキーだった。尻尾の先で、ぽ、ぽ、と、控えめに発光しながら、屋台の店主が落としたパンの切れ端を、器用に拾って、もきゅもきゅと食べている。


 店主はそれを見て、何の反応もしない。むしろ、隣の店主と「今日の昼飯、何にする?」と話し続けている。ダイナモンキーは、店主の足元の影をすり抜け、別の屋台のほうへ歩いていった。


「……フェネク、今の」


『ダイナモンキーです。迷宮都市では最弱のモンスターになります』


「街中、歩いてるんだ」


『日常的な光景と、推察されます』


「……みんな、追い払わないの?」


『追い払う動機が、特に、ないようです』


 レナは、ぽかんと口を開けたまま、ダイナモンキーの後ろ姿を見送った。


(……この街、私の知ってる街じゃない)


(うん、知ってた、知ってたけど)


(改めて、知ってる)


 四軒目、五軒目と回るうちに、レナはだんだん、何も買えなくなった。


 肉は、よく見ると、王都で見たことのある肉が一切ない。牛も、豚も、鶏も、ない。代わりに、見たこともない動物の名前が、雑な走り書きの値札に並んでいる。レナは、肉といえば、家畜の肉しか知らない。実家の食卓に出てきたのは、牛のロースト、豚のソテー、鶏の煮込み——名前と顔が一致する動物の肉だった。


 ここの肉は、顔が分からない。


 魚介の代わりに水槽に入っているものも、レナが知っているのは「魚は珍味」という程度の知識しかない。それも、王都の高級店で年に数回出てくる、薄切りの白身魚の話だ。こんな、青く光る、ぐにゃぐにゃの長いものは、知らない。


 野菜はしなびている。穀物は袋詰めの兵糧用で、十キロ単位でしか売っていない。

 ここはモンスターとの戦闘の最前線、兵站が発展した街なのだ。


 王都しか知らないレナのメンタルは、そろそろ限界を迎えていた。


(……今日は、いいや)


(食材の調達は、明日にしよう)


(明日、フェネクと、ちゃんと、計画を立てて、改めて——)


 レナがそう自分に言い聞かせて、市場を出ようとした、その時だった。


 向かいの屋台から、香ばしい煙と、肉の脂がじゅうじゅう焦げる音が、ふわっと漂ってきた。


 レナの胃が、ぐぅ、と、思いっきり鳴った。


 そういえば、朝から、何も食べていなかった。


 レナは、ふらふらと、屋台に吸い寄せられた。


 屋台の店主は、四十がらみの中年男だった。革のエプロンに、大量の脂染み。腕には太い火傷の痕が幾筋も走っている。鉄板の上で、子供の腕ほどもある巨大な串が、じゅう、じゅう、と音を立てている。


 店先に、木の札がいくつか並んでいた。


「ケバブ 二百ガル」


「串カツ(三本) 百五十ガル」


「ホルモン焼き 八十ガル」


 レナは、品書きを、上から下まで、ゆっくり読んだ。


(……ケバブ、って、何の肉だっけ)


(ホルモンは……たしか、内臓?)


(串カツは……何の?)


 レナの食知識は、王都の常識で停止していた。ケバブと言えば本来は羊肉で、牛肉や鶏肉も使われている。串カツと言えば二度漬け禁止の牛肉で、ホルモンと言えば内臓、くらい。具体的に何の肉が入っているかなんて、考えたこともなかった。


 そんなレナの目に、鉄板の上で焼かれている謎の肉の、その断面が映った。


 赤身が強く、脂のマーブルが綺麗に入った、分厚いステーキのような肉。


(……あ、これは、知ってる)


(これ、お肉だ)


(ちゃんと、お肉してる)


 レナの脳内で、「赤身の厚切り=食べていいやつ」という、お嬢様基準の太鼓判が押された。


「お嬢ちゃん、初めてかい」


「……は、はい」


「串カツ、一本五十ガル。揚げたてだよ、ひとつ食ってきな」


「これ、何の肉ですか」


 店主は、にっと笑って、


「うちの肉だ」


「……」


「美味いぞ」


「……分かりました、ください」


 レナは、結局、何の肉か分からないまま、串を一本、買った。


 ずっしり、と重かった。


 レナは屋台の脇に立って、立ち食いの作法に従って、おそるおそる、一口、かじった。


 香辛料の効いた肉汁が、口の中で、ぶしゅっと弾けた。


(……美味しい)


(うん、これ、お肉の味)


(ちゃんと、知ってる味だ)


 レナはほっとした。何の肉かは分からないが、口の中の感触は、ちゃんと「肉」だった。お嬢様の脳が、安心した。


 二口目を、頬張った。


 ガリッ。


 レナは、口の中で、明らかに肉ではない何かを、噛んだ。


 舌で慎重に、その異物を、奥歯から、口の前のほうへ移動させる。


(……石?)


(いや、石じゃない、これ、固さが)


(……魔石?)


 レナは、口元を手で覆い、ハンカチを取り出して、慎重に、お行儀よく、口の中のものを取り出した。


 豆粒よりやや大きい、青みがかった半透明の——魔石。


 ここから、レナの仕事脳が、勝手に作動した。


 これは、ほとんど反射だった。三年間、AGマギクラフトの開発部で、毎日のように魔石の規格表を眺めてきた人間の、職業病。目に入れば、勝手に分類が始まる。


(出力、目視で約五百三十ワット)


(色は……水と土属性の、マーブル模様)


(中の黒星は、三つ……毒精製魔法、特化型)


(出力レンジ、属性パターン、星の配置——)


 レナの脳内で、規格表のページが、ぱらぱらと、自動でめくれる。


 該当ページに、止まる。


「バ、」


 レナの口が、勝手に動いた。


「バジリスク核……!」


 ここで、初めて。


 レナの中で、「肉=家畜」「バジリスク=モンスター」という二つの引き出しが、初めて、衝突した。


 衝突して、ショートした。


「……」


 レナの目の前が、すーっと、暗くなった。


 膝が、ふにゃっ、と、力を失った。


 屋台の店主が、ひょい、とレナの肩を支えた。


「お、お嬢ちゃん、大丈夫か!」


「……」


「あー、当たったかい、お嬢ちゃん。ついてるな!」


「……」


「魔石、入ってたんだろ、それ。客に出ちまうのは、たまにあるんだ。ま、おまじないだと思って——」


 店主の声が、ぽわんぽわんと、遠くで聞こえた。


 レナは、握ったハンカチごと、魔石を胸元に抱えて、目を見開いたまま、ふらっと、もう一度、膝の力を抜いた。


「お、おい、お嬢ちゃん!」


 ここで、レナは、もう一段、別の引き出しを、自分で開けた。


 仕事人間としての、自動復旧モードである。


 レナは、ぐらりと揺れた頭を、まっすぐに、戻した。


 口元を拭い、ハンカチを軽く握り直し、店主に向かって、少しだけ、職業的な微笑みを作った。


「……だ、大丈夫です」


「いやいや、絶対、大丈夫じゃないやつだろ、それ!」


「大丈夫、弊社で、よく使っている、『バジリスク核』です。ちょっと、仕事のことを、思い出して辛くなっただけです」


「……お嬢ちゃん、仕事、何してんの」


「家電メーカーの、開発部です」


「……」


「失礼します」


 レナは、店主に深々と頭を下げ、ハンカチに包んだ魔石をぎゅっと握りしめて、屋台の脇から、ふらふらと離れた。


 店主は、ぽかんと口を開けて、後ろ姿を見送った。


 数歩歩いたところで、フェネクが、ぴ、ぴ、と、いつもより短く点滅した。


『レナ』


「……何」


『顔色が、悪いです』


「分かってる」


『先ほどの『大丈夫です』は、適切な発話でしたか』


「適切だったわよ」


『医療基準では、不適切と推測しますが』


「フェネク」


『はい』


「仕事のことを、思い出しただけ、なの」


『……了解しました』


 フェネクは、それ以上、追及しなかった。観察だけ、した。


 レナは、握ったハンカチの中で、青くて重い魔石の感触を、ずっと感じていた。


(うちの会社、これ一個に、卸値で八千ガル払ってるのに……)


(なんでこれが一本五十ガルの串カツに混ざって出てくるの……)


(というか、私、バジリスク食べたんだ……)


 レナの中で、王都のお嬢様の脳と、迷宮都市の現実が、もう取り返しのつかないところまで、混ざり合った気がした。


 それでも、レナは、立っていた。


 仕事人間として、立っていた。


「フェネク」


『はい』


「次の目的地を、推奨してくれる?」


『ヴァイス工房でご飯を頂きましょう』


「……行く」


 レナは、即答した。


 自炊する気は、もう、完全に、消えていた。

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