第310章:沈黙の聖域、別離の決意
病室には、かすみの「返してよ……」という呪いのような、それでいてあまりにも純粋な悲痛な叫びだけが木霊し続けていた。
「どうして連れてきてくれないの? 南条隼人がいけないのよ……あいつが、あいつが全部……!」
どれだけ南条隼人と源玲奈を社会的に破滅させても、かすみの中にある『絶望』という名の傷口は、癒えるどころか、さらに深く抉られていくばかりだった。碧は、そのあまりに脆く、崩れそうな姿をただ抱きしめることしかできない自分の無力さに、血を吐くような思いだった。
その時、主治医が沈痛な面持ちで碧を廊下へと促した。
「碧様。……かすみさんの精神状態は、極限に達しています」
医師は、静かに、しかし断固とした口調で告げた。
「このままでは、ご本人も、そして周りの方々も壊れてしまいます。……人目につかない、どこか静かな場所で、療養生活を送るのが最善ではないでしょうか」
「人目につかない……場所……」
「ええ。今の彼女には、外部の刺激が強すぎます。それに、凛様と蓮様もまだ幼い身です。これから学校や大切な行事が控えている中で、お母様のこの姿を毎日見せるのは、子供たちの心にも大きな負担になります。……かすみさんには、今は一度、世界と遮断し、誰とも接しない『静寂の環境』が必要なのです」
碧は、その言葉の重みに、ぐらりと足元が揺れるのを感じた。
かすみと離れる。それは今の碧にとって、地獄よりも辛い宣告だった。だが、彼女を救えるのなら、この身を引き裂くような別離も受け入れるしかない。
「……わかりました。それが、かすみを救う道だというのなら」
碧は覚悟を決め、震える手でスマホを取り出した。
相手は、おじさま、そして貝森財閥の長老たちだ。彼らはこれまで、かすみを、そして早瀬の血を守るために、どれほどの力を貸してくれたことか。
「……おじさま。……かすみを、人里離れた静かな場所へ移します。療養のためです……」
碧は、喉に詰まるような思いを抑え、決死の覚悟で言葉を続けた。
「どうか……。どうか、おじさまと貝森財閥の皆様には、このことを伝えてください。……今は、誰にも会わせることができない。僕たちの……かすみの心を、もう一度取り戻すための、沈黙の時間をください、と」
電話の向こうで、おじさまが重く、慈愛に満ちた溜息をついたのが聞こえた。
かすみという早瀬の光を失い、深い森の奥底のような孤独へと足を踏み入れる碧。その覚悟は、颯と瑠璃という失った名前を胸に、ただ愛する妻の再生だけを願う、父親であり、魔王としての最後の祈りでもあった。
「本作の執筆にあたり、誤字脱字の確認や文章整理のためAIを利用しています(規約に基づき修正案の提案は受けない設定で使用)。物語の構成や本文作成は全て自分で行っています。」




